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助言

教室の隅。講義が終わり、空気が落ち着いた後――

4人は自然と集まるようにして、窓際の席に向かっていた。


稲守さんが気を遣って私に“こっちに来ない?”って手を振ってくれた。


「矢、放ったはずなんですけど……届いたかどうか、あいまいでした」

私はノートを見ながら呟く。「空を裂いた音はした。でも、その先が書けないんです」


「矢振れの原因はアイサイトだけじゃないでしょ。

術者の安定ベクトル、先生の板書ミス、あと風属性はそもそも難しいから」

新美くんはペンを回しながら、板書をノートに記録していた。

「そもそも指示指って単語、意味不明っすよ。何指よそれ。

普通にVec(0,0,2)で起こせばいいのに」


私は苦笑する。

「その言葉、やっぱり……何かに似てる気がします」

Vec(0,0,2)とか新美語が多くて、ほとんど意味が分からなかったけど、

最後のフォローだけは分かった。


後で聞いたら、Vec(0,0,2)とは彼の家の伝統らしい。

魔法の方向指示に使うんだって。べくとるひょうげん?って名前だとか。

……伝統をこんなに開示して大丈夫かな?

まあ、新美語って定着してるくらいだし大丈夫か。


「……なんか馴染みがなかったんだ。僕、たぶん詠唱が違ってた」

禊くんはノートに「覚えてない風」と書いていた。

「音だけが残って……あの風、僕のじゃなかったような気がする」


新美くんがちらっと見る。

「禊は教科書ガン見してたじゃん。そりゃアイサイト未定義エラーになるよ。

よく発動できたね」


禊くんがつぶやく。

「詠唱じゃなくて視線?」


少し考えて、

「教科書を見続けるのはよくない」と記録欄に書いた。


「みんなの矢、よかったですよ。誰かの心に届いたかは別として」

稲守さんは柔らかく笑っていた。

「風って、意志があるふりをするけど、ぜんぶ見てるだけかも。

“誰に届いたか”は、本人より風が知ってる」

彼女は、新美くんの矢の着弾ログを見て微かに首をかしげた。

「“完璧に撃てる”って、つまり“何も迷ってない”ってことですか?」


何も迷わない、かぁ。でも私はまだ迷い続けると思う。


新美くんは無言でペンを止めた。


禊くんは小さく呟いた。

「でも、迷ってる風の方が……誰かのことをちゃんと見てるのかも」

禊くんの一言に救われた気がした。

私は、記録ノートの空白欄に一行を書き足した。

「風を放った。私は、届いた先を覚えていない。

でも、稲守さんの風は……こっちを見ていた気がする」


◇◇



魔導基礎の授業は、実習が終わった翌日だった。

教室に入ったとき、私は座席表を見て、空いていた隣席に静かに腰を下ろした。


「あ、そこなんですね」

振り返る前に、隣の席から声が届いた。

さわやかというより、“入り方のなめらかさ”がある声だった。


私は少し遅れて顔を向ける。

「ディスカッションで話した稲守 一花です。仲良くしましょうね」

名乗る前に言われたその言葉に、私はすこしだけ戸惑った。


「……白庭、さよです。よろしく」

そのとき、稲守さんは笑っていた。笑っているのに、目は笑ってなかった。

いや――笑っていないというより、“見ている”ようだった。


授業が始まって、先生の声が流れるあいだ、稲守さんは私のノートをちらっと見て言った。

「字、きれいですね。魔導式も一回で覚えてるんだ」


……言葉は丁寧。でも、まなざしだけはまっすぐで

――まるで、こちらの心を覗いているかのようだった。

……そんなはずない、のに。


私はただ、「ありがとうございます」と返すだけだった。

なのに、彼女は何かを探るように、ほんの少しだけ身を乗り出した。

「白庭さんって、誰になりたいって思ったこと、あります?」

授業中の小声だった。誰にも届かないはずの音量だった。


でも私は、咄嗟にペン先を止めてしまった。

「……誰かに、なりたい……ですか?」

「うん。魔法ってさ、自分が誰かになることと似てると思うんです」

「だって、“この言葉で撃つ”って、自分の声じゃなくなる感じ、しません?」

私は答えられなかった。


そのとき風が窓から抜けて、教科書の端が揺れた。


◇◇


私は今、保健室の前に立っている。

白いドアの前、私はただ、突っ立っていた。


つかさの引継ぎメモにこうあったからだ。


浅緋 宵 (あさあけ・よい)/28歳/養護教諭

性転換経験者。

親身になってくれる……はず。


“……はず”ってなに。それ、私にとってはけっこう大事なんだけど。


とはいえ、このままじゃいけない気がしていた。

朝起きて、鏡を見るたびに、少しずつ違和感が積もっていく。

授業にも集中できないし、魔法も、まるで指が滑るみたいにうまくいかない。

本当の自分って、こんなだったっけ――?


ノック、しようかな。やめとこうかな。

すこし、今の状況を誰かに相談したいと思った。

でも、あったことないし、怖いなぁ。

でもでも、いつかは相談することになるし……。

とか考えていると、目の前の扉が開いた。


扉を開けたのは、若い女の人。

浅緋先生かな。


「あら?……あなたが白庭さん……かな」

穏やかな声だった。

年上なのに、押しつけがましくない。


優しさがにじんでるっていうか、どこか懐かしい匂いがするような……。

白衣を羽織った女性が、私を見つめていた。

目元にはやや深い影。けれど笑みは、あたたかかった。


それだけで、ちょっとだけ、安心した。


私はこくんと頷いた。

「はい……あの、すみません。ちょっと、お話、できればと思って」


浅緋先生は、ゆっくりと保健室の中へ手招きしてくれた。

「よかったら、入っていく?」


ちょっと迷って、それから、うなずいた。

ドアをくぐると、少しひんやりした空気が肌に触れた。

日当たりのいい窓。清潔なベッド。棚に並ぶ薬品――

でも、そんなものよりもなぜか、ここは“呼吸がしやすい”と感じた。

外の光がすりガラス越しにやわらかく届いていて、どこか落ち着く。


「そっちのベッド、空いてるよ。お茶、飲む?」

「……はい。お願いします」


ベッドの端に座ると、緊張で指先がちょっと冷たくなってるのに気づいた。

浅緋先生は、棚からハーブティーの缶を取り出して、てきぱきとお湯を沸かし始めた。

なぜか、その音が心地よく感じられた。


「無理に話さなくてもいいからね。

でも、ちょっとだけ、ここにいていいよ」


……その言葉だけで、すこし息がしやすくなった気がした。


何から話そうか迷っていると、浅緋先生が向かいの椅子に座った。


「魔法、うまくいかないんですね」


――えっ、なんで知ってるの。


驚いた私に、先生はふっと微笑んだ。


「わかるんです。私も、同じだったから」

「性転換のあと、魔力の感覚がね、まるで別物になっちゃって」


先生の瞳が、少し遠くを見る。


「……私、男だったころは、魔法、まぁまぁ得意だったんです。

でも、変わった後、全然だめで。まるで、自分の体じゃないみたいで」


「それで……つらく、なったんですか?」


「ええ、もちろん。でもね、それを人に話すのが一番こわかった」

「だって、うまくやってる“ふり”をすれば、何も起きないから」


私は、喉が詰まりそうになった。

――今の私と、同じじゃないか。


「……先生って、前の自分と、会ったこと……ありますか?」


一瞬だけ、先生の表情が止まった。


「……あるよ」

「何年も経ってから、偶然だけどね。そのとき、自分と向き合うって、こういうことかって思った」


先生の声には、少しの寂しさと、強さが混じっていた。


「でも、不思議と怖くはなかったよ。むしろ、ありがとうって、言いたくなった」

「がんばってくれた昔の私に」


その言葉に、私はなんだか胸がじんと熱くなるのを感じた。

不安も、戸惑いも、魔法の失敗も。

全部、ここでは肯定してくれるような気がした。


浅緋先生がここにいてくれて、よかった。

本当に、よかった――。



保健室の白いカーテンが静かに揺れている。どこか外界とは切り離されたような、静かな空間だった。


「前の自分とは……やっぱり、夢で?」


さよが問いかけると、浅緋先生は少しだけ目を細めて、微笑んだ。


「うん。初めて見たときはびっくりしちゃったよ。……でもね、やっぱり、自分は自分だったの」


その声には、少し懐かしさの混じった温かさがあった。


「励まされたよ。『あの頃の私』が、頑張ってる姿を見て。

……情けないと思ってた過去の自分も、ちゃんと未来へ繋いでくれたんだって、そう思えたから」


さよは黙って聞いていた。その表情が、

どこか吸い寄せられるように穏やかになっていくのを、

浅緋先生はそっと見つめる。


「色々話して安心したけどね」


そして、ふっと息を抜くように続けた。


「……いま、あなた、自分も会いたいって顔してるよ」


「えっ……?」


さよはわずかに驚いて目を見開いた。浅緋先生はくすりと笑って、立ち上がる。


「それより、周りの人に相談して、励ましてもらうのが一番いいんだから。……一人で抱え込まないでね」


やわらかな手が、そっとさよの肩に触れる。


「ここには、いつでも来ていいのよ。

話したくなったとき、泣きたくなったとき、何も言えなくなったときも。……ね?」


その言葉は、魔法よりもずっと深く、やさしく、さよの心に染みこんでいった。


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