私は“白庭さよ”です
第一話:「私は“白庭さよ”です」
さよとして初めての学園だ。
昨日から、私は“白庭さよ”になった。
それ以前の記憶は残っていない。
薬を飲む前の“白庭つかさ”からの「引継ぎメモ」、
そして家族──“白庭つかさ”の家族によると、
私の記憶喪失は性転換薬の副作用らしい。
この“国”の少子高齢化の解決の選定者だった(らしい)ため、
17の誕生日にカプセル状の性転換薬を飲んだ……か。
そんな実感は記憶ごと忘れてしまったように、他人事だ。
以前の私、“白庭つかさ”は……中性的だったのかな。
今の私がほとんど問題なく、かつ抵抗なく生活できているということは。
だいぶ私に配慮してくれている。たぶん学園に対しても不安を感じる必要はないのだろう。
でも心配。
とは言っても、学園に通うのはやめない。
つかさの優しさを裏切ることになる気がして。
教室に入ると、窓の光が白い制服の肩を撫でていた。
見慣れた景色。けれど、昨日と同じ感覚かは分からない。
「あっ。つ……じゃなかった。“初めまして”、さよ。」
大月 亮冴くん。つかさと仲が良かったのだろうか。
少しなれなれしく感じるけど。
白庭さよ、私の出席番号は、3番。
その名前を呼ばれると、心臓がひとつ余計に跳ねる。まだ私の名前じゃないみたいに。
先生は読み慣れているけれど、私にはまだ慣れない。
大月くんが視線をくれた。少し、ほんの少しだけ笑ってくれた。
彼はずっと優しい。男子だった頃の私にも、よく似た笑顔をくれていたのかな。
嬉しいと思った。たぶん。でも、嬉しいのは誰?
“彼女”としての私が喜んだのか、
“彼”だった私の名残が嬉しかったのか、まだわからない。
──私になって初めての日に、初めての魔法を見た。
横一列に並んだ知らない同級生。知らない言葉、……知らない現象。
木の的に向かって火花が散って、爆ぜた。
空気が焦げる匂い。木の的が黒く焼け、同級生たちの歓声が広がる。
私も使えるようになるのかな、なれるのかな。
そう思いながら、実習室の隅で一人眺めていた。
性転換後の初の実習では、私は一人だった。
──午前の授業が終わるころ、私はほとんど喋っていなかった。
だけど、それでいい気もした。
昼休み、ノートに書く。「私」は、白庭さよ。
……でも、“さよ”って誰だっただろう。声の高さ、少し、嘘みたいだった。
落ち着かなくて制服の裾を弄ぶ。
……慣れてないだけかな。
──つかさの“引継ぎメモ”を見て、
日記をつけることが私の最初の趣味になった。
この記録を後から見ると、つかさが滲んでいるかもしれないから。
……でも、ノートに走らせる筆跡すら、
昨日までの自分のものと同じなのか分からない。
魔物の噂が広がっている。
家の近くで異形の声を聴いたと。
引継ぎメモにはそろそろ魔王が出てくると書いてあった。
魔法座学では魔法から産まれると習ったけど。
昼休み、窓際で弁当を広げる子たちの声が重なっていた。
“魔王が産まれる前触れだ”と、誰かの噂が耳に残る。
冗談なのかもわからない。
……私の不安に合わせて、魔物の影が心の奥から追ってきている気がする。
こういう時は、つかさの“引継ぎメモ”を見て、安心する。
私の中にいる、唯一の味方だから。
記憶を失っても、声が変わっても、名前にまだ慣れなくても。
“つかさ”の優しさが、私を裏切らない。
だから私は今日も、ここに座っている。