1. 旅立ち
草木を踏みつけながら森をかけていく。この疾走感はやはり堪らない。世界はこんなにも綺麗だ。澄み切った川に、生い茂る木々、聞こえてくる森の生物の声。その全てが、俺をワクワクさせる。
「今日もたくさん採取して釣って捕まえた!こりゃあばあちゃんも喜ぶこと間違いなし!!」
俺はより一層強く地を踏み締めて森の麓にある家へと向かった。
「戻ったよばあちゃん!!」
木の扉を開けると同時に叫ぶといつもと同じように、白と青のワンピースの上にマントを羽織ってばあちゃんは木の家の中で御神体の飾られている神棚に祈りを捧げていた。
「おぉ、戻ったかい、シン。どれどれ、今日は一段と大量だねぇ」
俺が背負っている大量の獲物をみてばあちゃんは和やかに笑う。
俺はいつも通りまず、既に血抜きされた獲物と果実をいくつか御神体の前へと運ぶ。ばあちゃんと二人で手を合わせて捧げる。数秒は出したところでばあちゃんが
「さて、じゃあ残りは塩漬けにでもしようかね」
なんていいながら立ち上がって台所へと姿を消した。
ずっと二人暮らしだが、この生活は悪くない。むしろかけがえのないものだ。いつの日か山に捨てられていた赤子だった頃の俺をばあちゃんが拾ってきて育ててくれた。それ以来本当に血のつながった家族のように過ごしている。時々喧嘩もするけど。
さて、風呂の準備でもするか。そう思って家の外に出てすでに集めておいた大きな木の棒をちょうどいいサイズに折るなり裂くなりしていると
ガッシャーン!!
家の中で大きな音が響いた。ばあちゃんに何かあったのかと台所へ足早に向かう。そこにはうつ伏せで倒れているばあちゃんがいた。
「どうしたんだよ!!ばあちゃん!!」
身体を揺らさないようにしながらも焦った声で話しかける。
「な、なんでもないよ...きっと歳だね。水だけくれるかい?」
「本当?? そんなに苦しそうな顔見たことない。絶対何かの病気に違いないよ!俺、街まで行って薬でもなんでも買ってくるよ!もう15歳だ!大丈夫!山を超えるのもきっと今ならできる!」
山の麓にあるかの家から最寄りの街までは山を登った反対側か、家から丸5日歩いた場所にしかない。だから今まで俺は街まで行くのを禁じられてた。家には移動用のドラゴンがいたが、ばあちゃんにしか懐いてなくて俺は乗れなかったし。
「だめだ...15歳なら余計にダメだ...」
「どういうことだよばあちゃん!俺もう大人なんだ!行けるって!」
「おだまり!いいから街には行くんじゃないよ!とにかくあたしは大丈夫だ...山神様も見てくれている」
どこか釈然としないまま、俺はせめてとご飯を作ってばあちゃんに食べさせた。
夜になってばあちゃんは眠ったからやっぱり街に向かおうと思う。どうしても納得がいかない。なんでだ。森の中の獣で俺の敵はいない!街に行けば何か薬も手に入るかもしれない!
そう思って俺は貯めていたお金と1食分の飯と水を持って家を出た。
森を走って3時間ほど、もうすぐ山頂に着く頃だろう。時間も夜中の2時を過ぎた。その時だった。遠くから獣の遠吠えがした。山頂からだ。その咆哮は俺の身体をその場に縛りつけた。足音はしない。何かが動く音もしない。だがしかし、確実に何かが近づいてきている。山に冷気が降り注ぐ。まだ夏だ。いくら山といっても高さもあまりない山の中でこの寒さはありえないというほどの寒さ。身がすくむほどの威圧感。
「お主が聖女の子か」
透き通った安らぐような、だかしかし威厳のある声。思わず息を呑む。瞬きをした次の瞬間、目の前には白銀の世界が広がっていた。もう寒くはない。だが、山が一面真っ白な雪景色と化していた。
そこには一匹、いや間違いなく1柱であろう、犬神様がいた。その姿は月夜を具現化した四足歩行の獣。月と見紛うほどの繊細な輝きを放つその衣。この存在こそ、まさに犬神様だろうと。そう主張する存在感。
「今世界では、戦争が起きている。お主は知らんだろう。魔王アダドゥームが、世界をその手中に収めようと、世界中の国を滅ぼし、人を捕まえ奴隷にしようとしている。そんな世の中だ」
一体なんの話だ!? 俺はそんなこと全く知らなかった。だって今日もばあちゃんとのんびり暮らしていたし、森の生物たちに異変はなかった。
「それはこの森が我が守護する森だからだ。魔王といえど、四神獣が1柱である私の結界には易々と手出しできん」
犬神様が守ってくれていたのか...。
「そうだ、ばあちゃんだ!犬神様、どうかお願いします。ばあちゃんが病に侵されているんです!どうか治す方法を教えてください!」
「あれは病などではない。魔王の仕業だ。魔王アダドゥームは人間のみに影響与える魔力を持っている。その魔力は人間以外の生物には影響を与えない代わりにあらゆる結界を通過する。いわば毒性を持つ魔力。その魔力がここまで影響を与えているとなると、魔王は相当な力をつけているようだ」
「どうにもならないんですか!!ばあちゃんは死んじゃうの!?」
俺は狼狽えながらも必死にばあちゃんが生き残る方法を犬神様に聞く。
「魔王を倒すほかあるまい。幸い聖女の力をもってすればあと数年の余力はあるだろう」
聖女ってばあちゃんのことか...?
「そうだ。お前の育ての親はその昔、アング帝国にて奇跡の聖女と呼ばれ、何万人もの命を救ったまさに英雄。戦う力こそないが、人に希望を与える存在。そんなものだったからこそ、私はお前たちを受け入れたのだ」
ばあちゃん、そんなにすごかったんだ...何にも知らないんだな俺は。
「さて、そんなお前に選択肢をやろう。まず先に言っておく。私に魔王討伐は不可能だ。私たち四神獣の力は強大すぎるが故に、中神による封印が施されている。だが、邪道なやり方でならその力を引き出すことができる」
犬神様は鋭い爪を俺の額にピタッと当てる。
「お主の身体を媒介にして我が力を現世に引き出す。それこそが唯一、人間が魔王を倒すための希望になるだろう。だが、一度でもこの力をその身に宿せば、天命が課される。逃げることは許されない。お主の身体が弱ければ命の危険すらある。それでもお主が、聖女を助けたいというのなら、私は力を貸そう。聖女にはそれだけの恩義がある」
ばあちゃんを助ける唯一の道が、今ここに示された。ばあちゃんに恩があるのは犬神様だけじゃないんだ。俺が知っている唯一の愛。唯一もらった愛。捨てられていた俺に名前をくれた。それだけで、命をかけるには十分すぎる。
「家族を失うわけにはいかないんです。ばあちゃんにはもっと生きてほしい。もっと大人になったら一緒にいろんな世界をみて周るんだ。俺は強くなりたいです。犬神様、力を貸してください」
手荷物を地面に起き、身につけていた短剣も腰からおろし、深々と土下座をする。そうすると犬神様は納得したようで、こう続ける。
「ではまず、街に行くのをやめろ。今街に行けば、お主は軍に連れていかれ、捨て駒として死地に送られるだろう」
だからばあちゃんは街には行くなって...確かにもう5年は街に行っていない...。
「俺はどうしたらいいんですか?」
犬神様に俺は問う。強くなりたい。ばあちゃんを守りたい。
「お主にはこれを授ける。我が力が生み出した獣の武器、"獣装 銘煌貴"。お前の力になるだろう」
そういって犬神様は俺に大きな銀の爪のついたガントレットを授けてくれる。
「まだお前の肉体に直接、我が力を渡すわけにはいかぬ。まずは強くなれ。そのためにこの山より西にある、幽鬼の森は迎え。その森にあるエルフの集落に、お主の師となるものがいるであろう。私はこの地から見守っている」
そういうと犬神様はふっと消えて、気づけば森の麓、家の前にいた。朝日が登っている。時空が歪んでいたのだろうか。これが神の力...。感心しているとばあちゃんが後ろから声をかけてくる。
「戻ってきたんだね...良かったよ。だがその力は犬神様の...」
振り向くとばあちゃんは何かを察したような表情で、やっぱり寂しそうだった。
「あんたが今の世界の状況を知ればきっと犬神様がいなくても魔王を倒すなんて言いかねないと思っていた。昔っから優しい子だったからねぇ。でもあたしなんてこの毒がなくなろうとおい先長くないんだ。あたしのために命をかけるなんてバカなこと、してほしくない」
ばあちゃんはきっと、自分のために俺が死ぬのが怖いんだ。それでも俺は、
「俺は、ばあちゃんのために死ぬつもりはない!俺はばあちゃんと共に生きる!そのために戦いに行くんだ!生きるための全部をくれた人だから、俺が必ずばあちゃんを助けるよ。だから全部終わったら一緒にまた、楽しい生活をしよう。俺は必ず生きて戻るよ」
その場でばあちゃんは大粒の涙をこぼした。
「あんたは全く、心配ばかりかける孫だねえ。こんな森の中で一人暮らしさせるなんてとんだ婆婆不幸もんだ!」
だけどそのばあちゃんの顔から憂いは消えていた。
「さあ、いっといで!あんたが毎日大量にとってくるもんだから食料もなんも問題ない!少しばかり一人の余生も満喫させてもらうよ!」
ばあちゃんはにっこり大きな笑をみせて俺を送り出してくれる。
「行ってきます!!」
これが俺の、冒険の序章である。