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「  」  作者:
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胎動

「蜂屋主任、聞いてます?」

「ん、聞いてなかった」

「聞いたのは、そっちじゃないですか!」

 5年たって主任になった蜂屋は変わらず営業課のホープのままで、唯はずっと庶務課のままだ。

 薄く淡く幼い想いを唯が伝えることはなく、そのままただの職場の知り合いでキープし続ける。それは自分が選んだ「  」相変わらず言葉を入れることは無く、ただの空白のまま。胸を時折打つ痛みは見ないまま、慣れ親しんだその痛みを受け取って過ごす。

 5年前、桜坂と別れてから蜂屋は噂だけはあったものの、蜂屋は誰ともつき合うこともせずにただそれだけで唯は安心していた。いつか、もしいつか、この言葉が伝えられる事が出来たならこれだけ近くにいるのなら受け取って貰えるのかもしれない。

 動くことのないその想い。わざと動かさないようにするその想い。


 大きなプロジェクトを営業課がいくつか終わらせて迎えた決算月の4月。忙しいのは庶務課も例外ではなく、壊れたコピー機の代わりに入った、前の10年目の機種とは全く違う今まで設計課で使っていたコピー機の使用勝手がいまいち理解できず、同僚の片岡かたおか はるかと毎日説明書と向き合う日々が続いている。

 その暇を縫って、機械音痴の蜂屋にコピー機の使い方を教えているのは唯だ。営業課のコピー機は会社の中でも最新機器で、いいものが納入されているにも関わらずつい三か月前までカバーが掛かったまま埃にまみれていた。

 そのコピー機をもっと使えるようになるべきだと蜂屋を諭して、唯が時間を縫って勉強会を開いてはいるのだが、機械音痴というものは本当に投げ遣りになりがちで何度説明しても「分からん」の繰り返し。

 唯の声が段々高くなる。

「だから、これは最初に説明したじゃないですか!」

「ん? そうだったか?」

「説明書読んでコピーして下さいよ……、私はもうお手上げです」

「おい、教えるからと言ったのはお前だろう」

 だから、それを今後悔している。唯は教えながら横目で蜂屋を見る。見かけではテレビの配線や機械の設定が好きそうに見える、しかし実際は腕時計の時刻や日付合わせも出来ない男だ。普通教えて貰っている時はメモとか取るだろう、頷くだけで一向に覚えようとはしない蜂屋にからかわれているような気にもなってきた唯だ。

「春日、ごめんね。蜂屋主任、俺が何回言っても聞かなくてさ」

「木坂、俺はお前に教えて貰って壊したファックスを」

「いや、主任。それは間違った所に無理やり紙突っ込んだからでしょ?」

 そんな唯と蜂屋の横から快活な声で茶々を入れるのは、営業課の木坂きさか さとしだ。唯のひとつ入社が先とはいえ最初に配属されたのは設計課で、仕事の受け渡しで知り合って仲良くしている。本人曰く口の上手さを見込まれて営業課に転属されたという話だが、しっかりした情報で聞くとパソコンの扱いに長け、外国語も堪能その上に論理的に話をする点を見込まれて転属に至ったらしい。

 しかしぱっと見は、大型犬。軽く長めの柔らかい髪と少し気崩したスーツ姿は服装や見かけにうるさい営業課では少し異色だ。何故か1歳上にも拘わらず唯に気さくに話しかけて来て、今では二人でたまに飲みに行ったりもする男友達になっている。

 蜂屋と同期で同時に主任となった鈴木の直属の部下となって、かなりしごかれているようだ。

「蜂屋主任……ファックスまで壊したんですか? それでよく携帯電話持てますね」

 営業課の勤務には携帯電話は必要必須の通信手段だ。でも唯には蜂屋にあの精密機械を使いこなせるとは思えなく出た質問だったのだが、返事はやっぱりというべきか想像通りだった。

「ボタン3つくらいしか使わないからな」

「「……」」

 偉そうに言い返す蜂屋に唯と木坂が同時に黙り込む。やっぱりそうなんだ、表情まで二人とも一緒だ。唯はあからさまな侮蔑の表情を浮かべて説明書を閉じる。

「もう諦めた方がいいですよ」

「おい、話が違うぞ」

「蜂屋主任は、手書きか、庶務課にコピーを依頼に来て下さい」

 言ってから唯の心が揺れる。あ、会いに来てって聞こえてしまっただろうか。少しきわどい言葉だったかもしれない。

「手書きか……腕が痛くなりそうだな」

「いやいやいや、主任! そっちですかい!」

 木坂が激しい突っ込みを入れて、逆に蜂屋に殴り返されている。思ったよりも痛かったようだ。


 わざとなのか、天然なのか。蜂屋は恋愛に係わるきわどい会話は受け流しているように、唯には感じられる。それは時折はっきりと、また時にはうっすらと引かれていく線に唯は気付く。入ってくるな、こっちには寄るな、そう見えるのは唯自らが勝手に作っている物なのかもしれないけれど確認は敢えてしない。

 唯は知っている。5年前からずっと蜂屋は桜坂を忘れてはいない。

 最初は気のせいだと思った。時折見える表情が憂いているように見える、それは余りにも小さな変化で本当にじっくりとまじまじと見なくては気付かない変化ではあるけれども。その時に休憩室で桜坂の姿を見つけた。鈴木と話すその姿は、五年前よりも成熟していて子供っぽい唯の姿とは全く違い、二歳違いとは思えない。

 また社員食堂で一緒になった時、木坂を含む数人で昼食を取っていた時に一瞬蜂屋の食事の手が止まることがあった。後ろを通るのは、髪を下ろした桜坂だった。通り過ぎた後には何もなかったように食事を続ける蜂屋の姿を、唯はもう五年間見ている。

 ただ、見ている。

 想いを口にはしない、唯は蜂屋にとってきっと妹みたいなものだ。それは無音の「  」また私は繰り返そうとしている。知っていても言えないことがある、今言ってしまうときっとこの愛おしい時間すらもぎ取られてしまうということ。細く長く、そしてただ無音で唯にはその決断しかできなかった。

 もうその痛みは慣れて同化している、痛みは感じない。疼くだけだ。

 

「春日、蜂屋主任がコピーを覚えないのはお前のせいじゃないからさ。落ち込むなって」

 木坂が唯の頭を強く撫でた。唯の髪の毛がかき乱されて、軽く二度手の平が頭上に置かれる、見上げた先の木坂は「な」と言って笑って見せる。唯の表情が暗かったのは蜂屋がコピーを覚えないせいでは無かったのだけれど、唯はぎこちなく笑顔を作って見せる。状況判断と意思を読むのに長けたこの男友達は、時折こういうフォローに近い行動をする。

 それはとても助かると同時に、被りきれなかった自分の仮面を思い知る。蜂屋がそんな自分の変化に気付かないはずはない。

「本当に、駄目な生徒を持つと苦労するーっ!」

 明るく言う私は、きちんとあなたのそばにいれる? このままこの想いさえ口に出さなければ、あなたもはっきりとした拒絶の言葉を私に出すことも無く、今のままでいられる?

 何度も繰り返す無音の「  」

 何度も言い返す無音の「  」

「おい、今日帰りに飯おごるつもりだったんだが、止めるか」

「「ええーー!」」

 唯の叫ぶ声がまた木坂と重なる。

 何度も機械を壊す蜂屋のあだ名は破砕機クラッシャー。ファックス、電気ポット、はたまた電話まで無知のせいで壊す蜂屋は営業課の中でも少々問題児だったようで、仕事面では有能な分突っ込めない課長が“授業”を申し出た唯に定時後であれば残業という形ではない居残りを快諾した。

 唯は少々所か、とんでもない問題児を見ながらため息をつく。

 私の気持ちはまだ、胎動。生まれる気配はまだまだ無い。

 

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