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「ただいま」

「打ち上げ、あるんで! また後で!」

 叫ぶ声が騒々しい。会社の同僚に肩を抱かれ半ば引きずられるようにして、時折振り返っては片手を振る。

 残っている物を片付けてしまうまで待ってくれと言われて、ホテルのソファーで煙草を吸いながら待つこと一時間。やっと降りて来たと思ったら、これだ。

 せめて待ち合わせ場所を決めるとか、大体の時間を教えるとかもっと色々あるだろう。二ヶ月ぶりだってのに、あいつは少し大雑把過ぎる。

 二ヶ月間、ただ仕事だけに集中して乗り切ったせいで先月と今月の営業成績は好調。グラフも自分一人頭を抜いて課長からの賛辞に一人苦笑した。

 

 ただ守りたいと思うのはやっぱり俺のエゴで、気がつくとお前はいつも俺の前を走っている。


 泣きながら、苦笑しながら、眉を寄せながら、悩みながら、時折俺の方を振り返りながら。


 その姿はいつも鮮烈で、目が離せなくなる。そうやって俺の中に刻んできたのか。


 全てを曝け出してその上で守るべきものだと思っていた姿は、たった二カ月で思わぬ力を取り戻して、自分の元に駆け込む気らしかった。久しぶりに正面から見る姿には迷いはなく、吹っ切れたように俺を見て笑う。

 記念事業パーティーで深紅のワンピースで立っていた場所には、まるでリクルートスーツの様な恰好をした初々しい彼女。それでも十分に感情を揺さぶられる自分も自分だとは思う。

 触れたい、抱きたい。二カ月の反動は大きい。

「主任、お話はあとでゆっくり聞きますから! 私、失礼します!」

 快活な声と共に翻す身体、躊躇なく離れて行く姿に咄嗟に俺の腕が伸びる。

 前は、手離した。今回は逃がす気はない。

 重ねた唇の隙間から洩れるのは、甘く微かな声。

 その声はちょっと今は聞きたくはない、これからの業務に支障が出ると困るのですぐ唇を離す。上気した顔にまだ重ねたい身体を抑止して、すぐに背を向けた。

 親指で自分の唇を拭うと、ピンクの口紅が付いている。



『時間なんですけどもう一時間待って貰えます?』

 ホテルのロビーで時間つぶしに、持ってきた新聞を広げると彼女からメールが入る。ここ最近待たされてばかりな気もするのはまあ仕方ないとして、せめて今いる場所位は連絡寄越すべきなんじゃないのか。

 こっちは同期の打ち上げを蹴ってまでここにいるのに、結局追っているのは俺の方か。

『メール見ました?』

 返事を入れずにいると、十分後にまたメールが入った。何を入れようか悩んでいると五分後に着信があって、打ち込み途中だったメール本文が一気に消える。

 そんな早くにメールを打てるか、お前じゃないんだ。

『蜂屋主任? メールくらい返して下さいよ!』

 電話向こうで怒る声、お前は俺を過大評価していると思う。大体数分で返事が来るもんだと思っている方が悪い。

「入れてる途中だった」

 やっと打ち込んだ数十文字、努力が泡となる感覚が肩を落とす。

『は? まだ打ち込んでたんですか?』

 そんな簡単に言って欲しくない。

「……ああ」

『もう、本当に仕方ないなぁ。今向かってますから、もうちょっと待ってて下さいね!』

 電話向こうには少し強い夜風の音が聞こえる、息を弾ませる受話器向こうの姿に俺は眉を寄せる。

「打ち上げは」

 とたん、噛みついてくる声。しばらく見ない間に随分な口を利くようになった。

『メール来ないから何かまたむくれてるんじゃないかって心配になって、逃げてきちゃいましたよ!』

 また、むくれて。

 呆れて絶句すると、追ってくるのは電話傍ではない声。玄関ロビーから駆け込んでくる姿を見つけて、携帯電話の切断ボタンを押す。

 高いヒールを大理石の床に叩きつけて、もっと女らしくするようにこれから指導するか。

 いや、きっと無理だろうな。

「あれ? 何か怒ってます?」

 覗き込んでるのは、会ったばかりの頃の姿を思い出す愛嬌のある表情。黙り込む俺の額に小さな手の平を当てて、彼女は首を傾げる。

「熱は無いですね? あ、酔っぱらってます?」

 この顔がずっと見たかった。

 ただ、何も考えずに傍にいてくれればそれでいいんだ。そのままの姿で、笑っていてくれればいい。

「あ、もしかして早く会いたかったとか!」

 玄関ホールに響き渡る大声、慌てて口を押さえてももう遅い。黒服のホテル従業員がこちらを睨んでいるのが見える。

 成長したっていっても、考えなしな所は変わらないか。

 無言で先程まで読んでいた新聞をソファー横のカウンターに戻して、大きなため息をつく。

「行くぞ」

「ははははっはい!」

 背を向けた俺の後ろについてくるかん高いヒールの音。あまり走るな、転ぶぞ。そう言おうと振り返って、言い忘れたことに気付いた。

「おい」

 玄関ロビーから出る寸前に立ち止って振り返る俺を、不思議そうに見上げるその姿。

「はい?」

 実は五年前からこの日を待っていた。

「おかえり」

 そう言った俺の言葉に、お前は見たかった笑顔を返すんだ。


「ただいま!」

 やっと、手に入れた。

********************************


ご愛読、ありがとうございました。


3/16 PM21:00。何気に「書庫の鍵」更新。


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