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間近

「今回の打ち合わせ内容は、受け付けの件と当方が派遣いたします司会の細かい内容の件です」

 芯谷商事本社の会議室で出来るだけ暇な時間を見計らって、という要望に応えて打ち合わせは夕方PM6:00から始められた。

 薄闇になっている会議室外はビルの谷間向こうに微かに夕焼けの橙色が残り、明日の天気を何と無く教えている。明日もきっと暑い、もう九月に入ったというのにまだ残暑は厳しい。

 主要な説明を引き受ける広瀬の代わりに、唯は会議室に集まった桜坂の同期十数人に書類を渡していく。

 合板の長机を並べただけの会議室はまだ雑談が多く、書類に集中している感じは無かった。

 招待客リスト、列席表、タイムスケジュールなど細かく打ちこまれたものは厚さ一センチにもなり、唯は右回りに書類を後ろから一人一人渡していく。

 手渡しで渡すように、それが広瀬からの指示だ。元芯谷商事社員としているのではなくイベント会社の担当側として、渡した際に聞かれた事にはすぐ答えるようにときつく言われている。

「ごめん、春日さん」

 数人目に手渡した時に、鈴木から声が掛かった。右手を挙げて唯を呼んでくる。

 蜂屋に書類を手渡す数人前で、唯はすぐ鈴木の席に駆け戻った。

「はい!」

「列席表、俺の取引先の名前間違ってる」

「えっ! 本当ですか!」

 やってしまった。

 唯が広瀬を振り返ると、広瀬が眉を大きく上げる。これは後でかなりの大目玉物だ。

 何度も見直したはずなのに、と悔むものの仕方がない。名前の最終確認をしたのは、唯だった。

 唯が大きく頭を下げる前に、広瀬が立ち上がって謝罪する。勿論、桜坂の方に。

「申し訳ございません、明日にでも作り直します」

「構いません。本状の方だったらお客様に失礼だけれどこれは雛型だから、各々訂正したらいいんじゃないかしら?」

 広瀬と唯を振り返って、桜坂が首を振る。唯はより一層深く頭を下げた。

 本当に、今日失敗するなんて最悪だ。

 他の仕事ならいいというわけではないけれど、寄りにも寄って桜坂の結婚式の打ち合わせ。

 今日は最初で最後の同期との打ち合わせの日で、一カ月ぶりに蜂屋の顔を見ることのできる唯にとって特別な日だった。

 頑張っていると認めて貰えるように、必死になって見直しをしたのに見逃すなんて本当に情けない。

 唯はまだ配り終えていない書類を持って、少し俯いて唇を噛んで残りの社員に配っていく。

 数人後に蜂屋の右隣に立った唯が蜂屋に書類を手渡すと、「気にするな」と短く低い声が聞こえた。気のせいかと思うほどに小さい声で、横にいる同期ですら聞こえていないようだった。

 会わない様にしてまで頑張っているのに、本当に最後の締めが足りない。

 明日からの仕事内容は見直しと確認に力を入れる事にしよう、唯は心の中で拳を握る。

 広瀬の横に座ると、刺さるような視線を感じた。

 それは桜坂からではなく時折蜂谷から感じて、書類に集中するために唯は敢えてその視線に気付きながらも合わせようとはしない。

 俯く唯の頭向こうからの視線が苦しくて、耳が熱くなった。

 今は、まだ、時期ではない。不器用な自分には全てを受け止めることはできない。そう言い聞かす。

「司会は当方から派遣しますが、余興についての内容で確認が」

 広瀬の声に紙を捲る音が会議室に響く、顔を上げた唯は左横向こうに座る桜坂を見つめる。今日の爪も綺麗な真珠色で、唇はグロスで光っていた。

 この前の唯の宣言から一週間はたっているものの、桜坂にさほど変化があったとは思えなかった。

 ただここ数日同期だけの打ち合わせは連日にもなって、その都度決定したことは唯の会社へメールかファックスで連絡のみが来る。

 つまりは連日蜂屋と桜坂は打ち合わせを経て会っているということ。

 唯の知らない所で何かが起きているのか、それとも何も起きていないのかはもう想像しか出来ない。ただ信じるしかない。

 あとは何も考えずに自分は出来ることをするだけだ。

 桜坂の結婚式に関する全ての事が終わるまで蜂屋の行動には干渉しない、その代わりに唯は出来る可能な事をする。失敗も時にはあるけれど、唯が桜坂の結婚式を私情を入れずこなすには何とか乗り切らなければ。

 仕事にプライベートは持ち込まない。そう、言ってたよね? 木坂。

「春日、持ってきた奴。ホワイトボードに貼って」

「はい!」

 唯はアタッシュケースから折りたたんだ紙を引きずり出して、少し背伸びをしながらホワイトボードに貼り付ける。

 背中に刺さる熱い視線が、苦しい。



「これで我々と同期の方々の打ち合わせは終了になります、もし疑問点ございましたら後日連絡いただければと思います」

 広瀬の声で打ち合わせはお開きとなり、唯はホワイトボードに貼った書類を背伸びして剥がしにかかる。

 何度も貼り替えたせいで背伸びするつま先は痛く、こむら返りでも起こしそうだ。

「今日、これから食事に行きますけど貴女方は如何?」

 広瀬に誘いを掛ける桜坂の声が、ホワイトボード側に向かった唯の背中にぶつかる。参加する訳はない、広瀬はこれから唯と共に速やかに帰社してしっかり説教を食らわす気だ。

 憂鬱、唯はホワイトボードに向かって小さくため息をつく。

 きっと同期同士また思い出を語るんだろう、唯には絶対に参加できないその話題の場にいないだけまだ少しは気分もましかもしれない。

 あと少しで一番上に届きそうだ、流石に椅子に乗って取ったり引っ張り剥がす訳にはいかない。

 唯の背中側にふと影が落ちたかと思うと、ワイシャツ姿の手が伸びた。唯の肩辺りから伸びる腕は、振り返ると蜂屋のものだ。相変わらず無表情で、唯は苦笑した。

「ありがとうございます」

「ああ」

 物言いたげな表情をして、蜂屋が唯を見下ろす。まだ九月に入ったばかりだ、唯は小さく首を振ってその姿を見た蜂屋はすぐ背を向けた。

 頑張らなくては、彼に涙や苦しい顔を見せたくはない。

 蜂屋に渡された書類を折りたたんで重ねると、広瀬の丁重に断る声が聞こえる。

「申し出はありがたいのですが、私どもはまだ勤務中でして帰社後にまだ仕事が残っておりますので」

 その仕事は説教だけでなければいいんですけど、唯はアタッシュケースに書類を仕舞いファスナーを閉める。

 振り返ると、桜坂と視線が合った。眉を無意識に顰めてしまいそうになって、桜坂の向こう側にいる蜂屋の姿を視界の片隅に見つけた。

 割り切るべきだ、その為に離れているんだから。

 無音の「  」だった私の心。もう二度と失敗はしない様に、慎重にしなくては。もう誤魔化したり、我慢したりしてはいけない。

「素敵な結婚式になるように、頑張ります。今日は、間違って申し訳ございませんでした」

 桜坂に頭を下げる。

 少し、押し黙った桜坂が少し悲しげな顔でほほ笑んだ。

「お願いします、私達もバックアップして貰える夫婦になれるように頑張るわ」

 その桜坂の姿は、今まで見た中で一番綺麗だと唯は思った。


 全部終わるまで、後一カ月。

 それで私の五年以上もの片想いは完全に終わる。

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「書庫の鍵」にて数年後の木坂を絡む話を、試験的にUPしています。

詳しい事は活動報告をお読みください。

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