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駆走

 俺じゃ駄目なのか、俺を選んだんじゃないのか。どうしたら俺だけを見てくれるんだ。



 木坂と一緒に戻ってきた姿。

 着信記録にも着信メールにも今日午後からの彼女の履歴は無く、背広の胸ポケットには鳴らなかった自分の携帯電話。

 まだ少し顔色の悪いその顔は俺を見るなり大きく歪み、自分が今ここに来た事がどうやら間違いだった事を知る。

 来るべきじゃなかったのは、俺だ。

 彼女が一番苦しい時にすぐに手を差し伸べるのは俺ではなく、木坂だということ。

 頑なに隠し通す彼女の負の部分を曝け出せるのは俺ではなく、木坂だということ。

 妬け付く心とは反比例して、声はただ冷たく平坦を保つ。実際は木坂を殴り倒したい程渦巻く激しい感情は表には出さない、仕事上こういう事はお手の物だ。

 こういう事だけは、お手の物なんだ。

「春日」呼ぶ俺の声に大袈裟に反応をして返してくる声は、俺の顔色を窺う。

 泣きそうな顔、苦しそうに歪ませる顔、何かを言いたげに俯く顔。

 また俺はそんな顔しかお前に、させてやれない。

 ただ心配した、また何か深く傷ついているんじゃないかと、どんなに女を知っても俺はお前の心の中だけは探れない。

 どう言ったら伝わるんだ。何を言ったら、お前は笑うんだ。

「心配した」泣くのではないかというほどに大きく歪む顔、もっと近くに寄ってその細い身体を抱き締めたい。

 それで春日から不安が消えるのなら、それだけでもせめて。

 俺が足を前に出す前に、俯くか細い身体を守るように木坂が身体を前に出す。その腕を慌てて掴んで小さく首を振るのは、俺に何か隠し事をしているのか。


 どうしてお前はまた、そうやって俺の前で木坂に触れる。


 湧き上がる嫉妬は渦になって身体の中を駆け回り、歩き寄って春日の腰を抱き寄せると不満そうな表情をして木坂が睨み付けてきた。


 その役目は本来、俺がするべき事じゃないのか?


 感謝をして無いわけではないんだ、木坂。その言葉は口から出てくることも無く、俺も勿論出しはしない。

 壊れていきそうになる春日の心を今まで守っていたのは、木坂だとは心の奥では理解している。ずっと同僚として男友達として春日を見守って、それ以上の感情を木坂が春日に持っているのは、ずっと分かっていた。

 それを知った上で、俺等はこの際どい関係をずっと続けてきたんだろう?

 守るのと譲るのとは全く意味が違う。

「木坂、送って貰って悪かった。もういい、帰れ」

 お前を殴る前に。出来るのならそのまま、俺はお前の事も可愛がっていたいんだ。

 それはまるで弟のようで、居酒屋に連れていく時も車に乗せろと言った時も決して嫌だと思った事は無かった。例えそれが、ただ木坂は春日の心を守るためだけだったとしても、俺にはお前は春日と一緒に大事な後輩だった。

 木坂の軽い返事。これ以上口を開くともう絶対に木坂との間は壊れるだろう、最も俺との関係をまだ続けたいと考えているとは到底思えなかったのが想像以上にきつい。

 頼む、分かってくれ。これ以上お前がいると、俺は嫉妬で殴ってしまいそうになる。


 そうやって、必死に抑えた俺の感情を。春日、お前は。


「蜂屋主任! すぐ戻ってくるから!」

 

 春日の腰を抱く俺の腕を振り払う春日の手は弱かったはずなのに、腰を抱いていた俺の腕は宙を掴み落ちる。

 手に入れてもう離さない筈だった女はまた俺の手から擦り抜けて、他の男を追いかけてその姿を消す。

 

 だから言っただろう。今更不安に思って俺の手を離そうとしても、もう無理だ。

 一度でも引き寄せたらその一瞬が愛おしくて、俺『が』離せなくなる。

 待ってろというお前の言葉を信じられずに、俺はお前を追い掛けてしまいそうになるんだ。


 桜坂の顔合わせの席で、掛かってきた電話は木坂だったのか。

 最近俺の方を向いて、何か言いたそうにするのは何なんだ。

 泣きそうな顔で俯く癖に、何でもないと誤魔化すのは何故なんだ。

 どうして俺にはいつも話さずに、木坂を呼ぶんだ。


 俺じゃ駄目なのか、俺を選んだんじゃないのか。どうしたら俺だけを見てくれるんだ。


 掴んだはずの物が消えていく焦燥感は五年以上前に味わった桜坂の時よりももっと激しく心の内を焼いて、自分に対してか木坂に対してかそれとも春日に対してか、苛立つ感情となって拳を強く握り締める手の平を爪が突き破る。

 路地向こうには何も見えない。



「蜂屋、主任?」

 微かな声が聞こえて、戻ってきた安堵に馬鹿らしいほど体中の力が抜けた。握り締めすぎて、爪の食い込んだ手の平は熱を持ち鈍い痛みが走る。

 春日、もう少し遅かったら俺は追い掛けていた。

 狭量な自分の性格が心底疎ましい。近付いてこない春日に、木坂と何を話したのか問いただしたくなる。

 声は震えて少し掠れていて、何かあったことだけは分かる。何かを決意したのか、その姿は暗闇の中ですらしっかりと立ちただ近付いては来ないままでこちらを窺う。

 夜風が春日の髪をそよがせて、ただ風に押されるように近くに寄る。寄る度に泣きそうな顔をして、耐えられずに柔らかく抱き寄せると胸に顔を埋めて「ごめんなさい」と小さく聞こえた。

 それが俺の前から去っていた事に対してのものなのか、それとも別れるつもりでその言葉を吐いたのか全く判別がつかなくて途方に暮れる。

 春日、どんなに一緒にいたとしても俺はお前の心だけは読めないんだ。

 声が聞きたい、全てを見せてくれないと受け止められない。

「蜂屋主任、話が」

 全てを見せろ、もう絶対に離すつもりはない。それが木坂にだとしても、俺は。


「春日、俺に全て見せろ」

 ああ、怯えている顔を見せている。

 嫉妬に駆られる俺は、きっと凄い顔をしている。壁に押しつけられた拳、自分の身体全体で拘束するのは細く小さい春日の体。

 その何度も口籠る、お前の口を開けろ。

 そうしないと、お前が壊れる前に俺がお前を壊してしまう。

「木坂じゃなく、俺に見せろ」

 嫉妬は子供臭いと笑うか。

 ほんの少しのことだけでも許せない俺を、心が狭いと逃げるか。

 口を開かないまま見上げた春日の唇に強く自分の唇を合わせて、逃げようとする彼女の首筋に手を入れてそのまま持ち上げる。

 最初の時には無かった艶めかしい舌の動きと重なる強さに、胸を押されて拒絶されたと勘違いしそうになる。

「言ったはずだ、離れるのはもう無理だと」

 俺が離さない。

 どうしたら、弱さを見せてくれる?

 ずっと待っているのに。

「お前は俺の物だ」

 声が聞きたい、全てを見せてくれないと受け止められない。

「俺だけに見せろ」


 俺じゃ駄目なのか、俺を選んだんじゃないのか。どうしたら俺だけを見てくれるんだ。

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