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代走

 お前の存在で俺の世界は変わったんだから、何も出来ない訳なんかじゃないよ。



 最初に配属されたのは、設計課だった。

 専門学校をただ流されるままなんとか卒業して、親戚のつてを使って楽に芯谷商事の入社試験枠に入った。自分が入ってすぐには退職したものの結構な地位にいた親戚の助力のお陰で、難なく新入社員となり嬉しいんだか嬉しくないんだか。

 顔を潰すことだけはしないでくれ、という親の懇願に正直面倒な事になったと辟易しながらも、仕事の量の割にはいい給料で、程良く遊び程良くふざけて程良くいい加減な毎日。

 周りにいる上司も同僚も偉そうなこと言っている割には、設計の基礎知識や図面の書き方、計算方法、PCの使い方、全てを網羅するほど仕事が出来る人間はいなく、敢えて知っているからと言って自分から手を上げるのも、また嫌みくさいかと割り切る日々。

 退屈で何も起こらない毎日。

 ただ仕事場と部屋の往復。その間に声を掛けてくる女性社員や同僚とたまに飲み回る。

 これといって、したいこともなく。

 ただ、今が楽しくあればいいと思い。

 いつか何か劇的に変化が起こる事を、望みながら諦める日々。


 そんな日々は日中忙しくしていたり飲み歩いている時は満たされている気もするけれど、自分の部屋に帰って来てふと鏡を見ると妙に馬鹿らしく感じて自分が嫌になる。

 ピースが埋まらない。何か手に持てる気がするのに、俺の手には何もない。


 そんな時に、春日に会った。


「設計課に頼まれていたコピーです! 遅くなりましたぁ!」

 さほど太くも無い腕でよくここまでの量を持てる、と驚くほどのコピーが入った段ボール箱を抱えて設計課のドアを開けた庶務課の新人は、大声を上げて開いている机にその段ボール箱を落とす。

 置いたってもんじゃない、かなり重かったんだろう。物凄い音を立てて、段ボール箱は机に落ちた。

「あー! やっと着いた! 担当者は誰ですかー!」

 こいつ、大声でしか話せないのか? 設計課は名前の通りに設計をする部署で、立て込んでいる時ならいざ知らず大声で叫びまわる社員なんていない。

 俺の隣で新店舗の設計をしていた同僚が、厳しい目を彼女に向ける。誰か取りに行ってやればいいのに、担当者はタイミング悪く留守で誰も立ち上がることなく庶務課の新人を睨んだ。

 あーあ、仕方ないか。

 ほら、今更だけど「あ、もしかして大声って駄目だったかも?」って表情をしてる。

 って、本当に今更だな。

 立ち上がって少し怯えた表情で周りを見渡す庶務課新人に歩き寄ると、思いっきり期待の眼を向けてきて捨てられた犬のようだと思った。

 見下ろした彼女の手首は真っ赤で、どんなに我慢してここまで段ボールを抱えてきたのかと呆れる。

 こいつは馬鹿か、一階のカートを使えば早いのに。きっとそんな情報は庶務課の上司から教えて貰えなかったんだろ。

「今、担当者いないから。適当に置いていってよ」

「はい! 分かりました! 適当にってどこに置きますか」

 また、持ち上げようとする。だから、適当にって空気を読んで欲しい。普通そのままにしておくだろ!

 苛立ち紛れに段ボール箱を彼女の手から奪い取って、奥の担当者の机真ん中に置いた、邪魔なら自分でなんとかしたらいい。

「あああああ、あの! どうも」

 段ボール箱を取られたままで固まった彼女の手の平に、これからコピーをしに行こうと思っていた設計図を乗せた。五十枚はあるその紙の束は軽く、小さな手の平に収まる。

「これ、コピー」

 彼女の「ありがとうございました」を遮る為に渡した設計図を、彼女は嬉しそうに両手で抱き寄せて大きく頭を下げた。この調子だと十五分後にはまた終わったコピーを持って、部署に飛び込んで来そうだ。

 しまった、もっと分厚い紙の束を渡しとくんだった。付け足した言葉は彼女には届かない。

「別に急いでないから」

「はい! 頑張ります!」

 即答だ、だから急いでないって言ってんのに。こいつ、人の話聞いてんのか?

 台風一過。

 大声の「失礼します」と騒がしい足音が消え、設計課にいつもの沈黙が戻る。誰からか大きなため息が聞こえて、俺を責めている気がする。

 だったら自分であの台風の取り扱いをしたら良かったんだ。全く、苛々する。


「頼まれていたコピーです!」

「ああ、置いといて」


「頼まれていたコピー、持ってきました!」

「って、早すぎるだろ。お前きちんと他の仕事してんの?」


「木坂さん、依頼されてたコピー!」

「春日、うるさい。静かに部署には入って来て」


「木坂! コピーだよ」

「お前さ、何回言えば分かんの? うるさいって言ってるだろ」


 少しずつ、設計課に来るたびに言葉が増えていく。

 時折出てくる庶務課の上司の愚痴につき合っていたら、何故か仲良くなっていた設計課の何人かと食事に行くようにもなった。

 携帯電話の連絡先も交換して、旨くて安い居酒屋の情報を流していたら二人きりで食道楽にも行くようにもなった。

 欠けていたピースは埋まり、毎日が満たされた日々。他愛もない一言で笑い、大した事でもないのに転がりまわる。

 それはまるで異性という壁を取っ払った不思議な関係で、余りにも満たされた日々に俺はそれでもいいと思っていたんだ。


 大爆笑して腹を押さえる姿。女でその笑い方はなっていないと真剣に注意すると、口元を押さえて笑うようになった、正直気色悪い。

「ってか、春日。お前はそのままでいいよ」

「何さ、木坂のくせにその言い方は生意気だと思う!」

 本当に思うんだ。いつの頃からか誰よりも近くなった恋人ではない異性。

 触れたいと思う気持ちよりも、その笑顔が守りたかった。


 泣くのなら、誰よりも最初に駆けつける。

 手を望むのなら、誰よりも先に手を伸ばすよ。

 強そうな振りをして、誰よりも脆く泣き虫で、ただ強がりだけで、すぐに誤魔化そうとする癖は本当に止めた方がいいと思う。

 もっと自分を信じていいと、俺は思うんだ。


 営業課に転属になったのは、仲良くなって食事に行くようになった、すぐの事だ。

 営業課の中でも成績のいい鈴木の下につけられて、使い走りの犬のように走り回る日々。

 今ままでしてきた勝手な行いは全て改めさせられて、次々出される難問と向き合ってただひたすら勉強と出先の往復。部屋に戻るとクタクタで、飲みに行く時間なんて無い。勿論、そんな気力も無い。

 でも、少しずつ周りに認められて行くのは楽しくて、営業課を出るとすぐに庶務課があるお陰で春日と擦れ違うこともある。

「木坂! あはは、顔色悪すぎ!」

「春日……労わるって言葉知ってる?」

「知ってるけど、言わない!」

「……覚えてろ」

 他愛もない会話、擦れ違いざまに掛けられる快活な声。

 仕事もプライベートも全て色無くベルトコンベアーの様に流れていた俺の世界は一変して、遣り甲斐のある仕事と尊敬できる上司、それに。


 

 愛おしいと思うようになったのはいつからなのか。

 泣く、喚く、叫ぶ、怒る、全てを晒し出してくる春日は子供のようで、確か似たような性格だったはずの自分が宥める羽目になった。

 細い腕は決して強くはないのに、いつも重い荷物を持とうとする。

 その腕を見えないように下から支えている内に、ただの友達から様子は一変していった。

 

 恋愛感情を実感してすぐに、彼女が誰かを見ていると気付いた。

 社員食堂で大爆笑をしながら同期と食事をしている姿、いつもやかましいからすぐにどこにいるか分かる。

 営業課の社員と一緒に「うるさい」とでも言いに行こうかと、足を進めた時。らしくない表情に気付く。物憂げな表情、何か言いたげででも口には出せない複雑な表情。視線は誰かを追っていて、その細い線を辿ると、営業課の蜂谷の姿があった。

 時折、休憩室で春日と蜂屋が話している姿を見ることはあった。

 その時に、少し胸騒ぎはしてたんだ。

 蜂屋は仕事は出来るけれど、無表情で無愛想。全く何考えてるか分からない上に、女の扱いは下手と来てる。

 絶対に、泣く。また寄りに寄ってこんなに面倒な奴を選ぶなんて、本当に手が掛かる。

 蜂屋は俺から見ても前の彼女の桜坂を完全に引きずっていて、頑なに同じ会社では相手を選ぼうとはして無かった。

 面倒事にはもう係わりたくない、そういう空気が出ているだろう。春日、気付けよ。

 

 泣くな、泣いている姿を見たくないんだ。

 俯くな、本当にお前は馬鹿なことばっかりして。


「春日、俺にしなよ」

 俺なら受け止めてやるよ、蜂屋主任が好きならそれでもいい。それごと受け止めるから。

「主任は無理だ、きっと。春日、泣くよ?」

 何度苦しい想いをした? 期待させられて、振り払われる苦しみはきっとあいつはいつまでも分からないんだ。



「蜂屋主任には、言わないで」

「いいの、これは私の問題だから」

「お願い、黙ってて」

「お願い、木坂」



 眠る姿を見守る。

 蒼白な顔は余程の痛みだったんだと予想出来て、眉を寄せた。

 薬を飲んで少したつと、意識を失った様に眠りについた彼女を見つめながらベッド横に腰掛けたまま動けない。少し痩せて日に焼けた頬を撫でると、彼女は小さく身じろぎをしてまた眠りに落ちていく。

 愛おしい。

 五年もの間、ひたすら自分を傷つけながら片想いを続ける彼女をずっと見てきた。

 時には何も知らない振りで話を聞いて、時には自棄酒の理由を問いたださずにつきあったこともあった。

 前髪を柔らかく掻き上げて、額に唇を付ける。

「春日。いい加減、俺にしなよ」

 あんな面倒な奴、もういい加減捨ててしまえよ。

 返事はない。

 痛み止めを飲んだばかりの春日は、安堵したのか深い眠りについている。

 芯谷商事の二階にある医務室は無人で、備え付けの棚に入っている市販薬と簡素なパイプベッドしかない小さな部屋だ。元々が何かの収納場所だった場所を一応の医務室と名付けたのは、訪問薬販売の会社と取引をすることになったのが原因らしいと聞いている。

 部署別に薬箱を頼むよりも、一部に纏めて薬を多めに依頼した方がコスト的にもいいと判断したんだろう。

 細いパイプベッドに申し訳程度の薄い布団、薬を飲んですぐに会社に直帰すると言い張る春日を強引に寝かせ数分もすると規則的な寝息が聞こえてきた。

 余程、昨日は寝られなかったようだった。


 突き離される度に泣きべそをかく、泣きながら蜂谷を追い掛けていく春日の背中を見送る。

 何度も繰り返されるその光景でもう俺の感覚は麻痺していて、ただ一つのことにしか集約しなくなっていた。

「春日、蜂屋主任と一度ゆっくり話した方がいいんじゃない?」

 春日が望むのなら、俺はいい男友達でいるよ。

 なんでも相談して貰える一番近くにいる。

 泣かないように、俺は俺で不器用な春日の恋をサポートしている。


 だから、春日。


 もう心を押し殺すのは止めなよ。


 お前の存在で俺の世界は変わったんだから、何も出来ない訳なんかじゃないよ。 


 眠る春日は答えない、このまま時が止まってしまえばいい。

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