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「  」  作者:
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蠕動

『木坂と草川が昇進した』

 短いメールが入った。

 それは先程、木坂からメールで報告が入ったばかりだ。昨日、脱兎の如く逃げ出した相手に送るメールではないと思う。

 唯は打ち合わせの為に戻った会社の会議室で、眉を顰める。前に並ぶのは、これから力を入れる結婚式などの対会社ではない個人的なセレモニーやパーティーの受注に関する書類だ。ウエディングプランナーの経験もある数人の社員をトップにしてこれから意欲的に受注を受けていく、と上司がホワイトボードを叩く。

 提示された受注数は結構厳しいもので唯は、数枚の書類を手に取って昨日の蜂屋の姿に思いを馳せる。「春日、俺は」の後に続く言葉は唯には想像できない、今までの流れからしてノートのことか。一番心に過るのはやっぱり過剰すぎる期待で、どうしても反応してしまう心臓を仕事の忙しさを理由にして蓋をする。

 忙しいのは、こんな時とても助かる。


『ノート、誤字があった』

 じゃ、読むな!

 唯は送られてきた短いメールを見て、部屋のソファーに携帯電話を叩きつけた。

 丁度早帰り出来たその日はテレビで見たビーフシチューの作り方を実践すべく、牛肉を輪切りのキウィと安い赤ワインに漬け込んだ所だ。

 珍しく付けた色気も素っ気もない紺色のギャルソンエプロンのポケットに投げつけた携帯電話を入れて、唯は包丁で玉ねぎとニンジンを大きめに切っていく。たまにしかしない料理だが、ものを作る作業は嫌いじゃない。たまにかかったテレビを覗き込みながら、そのまま鳴らない携帯電話をポケット上から押さえる。

 全く本当に意味が分からない。


『片岡が忙しいみたいだ』

 そのまま、二日間メールは来ずにまた突然連絡は来た。

 いや、こっちも十分忙しいですから! と、返事をしないものの殺伐とする企画会議で唯は手を上げる。もう仕事も一カ月半もすると少しずつ慣れ、主戦力とまではいかないものの何とかサブとしては怒鳴られることも回数が減って来ている。

 特に力仕事は中学からの体育会系な性格が功を奏して重宝されて、現場では常に走り回る毎日だ。正直難しい事を考えるのは性に合わない。

 妙なペースでやってくる近況報告は、蜂屋の真意が読めなくて薄気味悪い。

 どんなに今まで携帯電話の番号を教えて欲しいとせがんでも、上手くかわされていたのに何がどうして意識革命に到ったのか。

 そもそもこんなに自分に連絡をして、彼女は嫌がらないんだろうか。

 やっぱり全く分からない。


『元気か』

 また一週間音信不通なまま時は過ぎ、突然入ったメールは故郷の両親のようだ。唯はもはや恒例になりつつある蜂屋の短文を見て大袈裟に肩を落とす。今日は作業場で詰めだ、付属品はコンビニ弁当と雑魚寝。年頃の女性っぽくない生活と過酷な時間帯も慣れるしかない、健康じゃなければ出来ない仕事だ。

『元気です』

 短く唯はメールを打ちこむと、今更ながら蜂屋が機械音痴もしくは破砕屋クラッシャーと呼ばれていた事を思いだす。絵文字こそ使えないものの、どうやらメールくらいは打てるようになったらしい。

 但し、返事を入れるのは苦労しているようで句読点を入れて八文字のメールが返ってきたのは、三十分後だった。

『そうか、分かった』

 何がしたいのか、今までどんなに自分が押そうとも逃げていたはずなのに。いなくなったら突然手の平を返すように連絡してくるなんて、期待されても仕方がないことだって分かっているんだろうか?


 期待してしまうよ?

 揺らさないで?

 やっと新しい場所にも慣れて、必死で居場所を作っているんだから。

 これ以上メールが来たら私はきっと、また余計な期待をしてしまう。

 でもやっぱりずるくて卑怯な私はメールを待ってしまう、毎日携帯電話を見る。


 今日は何時に来るんだろう?

 今日は忙しいんだろうか?

 彼女とは上手くいっていないんだろうか?

 いなくなって少しは寂しいと思ってくれたんだろうか?


 込み上げる感情は心の器から溢れて、無音だったはずの「  」に入って来ようとする。



 そんな揺れる気持ちのまま、偶然街中で木坂に会った。号泣したあの日からもう二カ月近く経過していた。

「春日!」

 時刻はPM8:00過ぎ、また愚痴モードに入った先輩を宥めながらタクシーに乗せて送りだした。本当にそんな時だった。懐かしい声に顔を上げると、歩道の人混みの中から尾を振って飼い主に走り寄る大型犬みたいに木坂が走り寄ってくる。スーツの上は脱いで片手で持っている、多分握り締めた部分はクリーニングしなくては皺が伸びないと思う。

「久しぶり! 元気だった?」

 たった二カ月とはいえ随分印象が変わった木坂は、少し髪が短くなったからだろうか。

「疲れてるよー、イベント業も楽じゃないわ」

「髪、伸びたね。少し女っぽくなった」

「木坂は短くなったね、見やすくなった」

 真顔で言う木坂にもかわす余裕が少し出来ている、ちょっとは大人になったのかな?

「言うね、可愛くないな」

 唯の言葉に木坂は脹れっ面を返し、唯の頭を小突く。その仕草は全く今までと変わらずに、唯は一時の気持ちに流されて関係を持たなくて本当に良かったと思う。もし仮にそういう関係になっていたとしたら、こんなに会って嬉しいとは思えないだろう。

 出来ればその気持ちは互いなんだと信じたい。

「昇進おめでとうございます、蜂屋主任からもメール来てたよ」

「メール? あの人が?」

 意外そうに聞き返してくる木坂に唯は首を傾げる。

 まあ機械音痴とは言っても、最近の文明の利器はお年寄りでも使えるメール機能だってあるって言うしね。絵文字や顔文字は入らないものの妙な打ち間違いもないだけましかもしれない。

「うん、十文字くらいのやつ」

 たまには三文字もあるけど。

 笑いながら説明してくる唯に木坂はそっぽを向いて、憮然とする。小さく呟いた言葉はいまいち唯には理解できないものだった。

「……ふぅん、そろそろ思い切ったか」

「ん? なんの話?」

「別に? こっちの話」

「そう?」

 おもいきった、って何の話なんだろう。やっぱり彼女とは上手くいっていないんだろうか。考え込んだ唯の頭に片手を乗せて木坂が覗き込んでくる、仕事終りで少し煙草臭かった。

「って、俺何も食べてないんだけど。春日、夕飯つき合ってよ」

 振り返った居酒屋にはまだ唯の席はある。先輩たちをタクシーに乗せてから戻ってくると店長に伝えておいたので、多分まだテーブルは片付けられていないはずだ。

 赤い提灯を指差して、木坂の手首を掴む。

「ここ、今まで先輩と飲んでたんだ。美味しいよ!」

 掴んだ手首を見て、木坂が少し苦笑した。

「春日、変わらないなぁ」

「は? ここじゃ駄目だった?」

 らしくなく居酒屋は駄目だったか、しばらく会わない間に木坂はおしゃれな店を好むようになったのかもしれない。困惑して違う店の名前を羅列し始めた唯の指は、木坂にゆっくりと外される。

「木坂?」

「春日、蜂屋主任と一度ゆっくり話した方がいいんじゃない?」

 真顔で言ってくる木坂に、唯は震える声を返す。

「……どうして?」

 赤提灯の前で立ち止まっている唯と木坂が邪魔だったのか、居酒屋に入ろうとした会社員がちらりと抗議の表情で振り返る。邪魔にならないように一歩出入り口から避けて、唯は俯く。そんな唯の様子を見て、木坂はいつもと全く変わらない笑顔を浮かべる。苦笑、それはやっぱり号泣したあの日の木坂の切ない表情で、唯はやっぱり胸が苦しくなった。

「まずは話してみなよ、俺はそう思う」

 その木坂の表情は妙に晴れていて、唯は勢いに押されて小さく頷く。

「……考えとく」

「よし! 春日、腹減った。ここのオススメ教えて」

 切り替わった声に、唯は考え込んだまま俯いた顔を上げる。


 赤提灯が眩しい。

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