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反動

『春日、パンプス預かってるんだけど……って、泣いてる?』

「……泣いて、ないよ」

『……何かあった?」

「何も、ないよ」

『今どこ?』

「言わない、来るから」

『教えて』

「やだ、もう電話切るよ」

『……春日、利用してるって思わなくていいよ?』

 優しい声に唯は俯いたまま、黙り込む。逃げるように帰ってきた部屋はもう夜既に暗く、泣くのには丁度良かった。我慢して、我慢してずっと我慢して今日の仕事を終えた。今まで最速の事務作業だったと思う。

 唇を噛み締めて、部屋に入った瞬間に泣き崩れた。何も聞いて無いけれど、もういいんじゃないかと思った。それほどに五年間は長かった。

「蜂屋、主任に」

『うん、何?』

「彼女が出来たかも、しれなくて」

『……それ、本当に? 確認した?』

「してないけど……昨日話があるって電話来た」

『……ふぅん、聞かないで判断していいの? どうせ、出てないんでしょ?』

「……出てない。怖いんだよ! もう何回も主任には伝えようとして全然届かないじゃんか!」

『春日、今どこ?』

「来ないでぇ……っ!」

『たくさん缶ビール持って行ってやるから』

「うわぁぁん! ごめんねぇ、木坂ぁ」

『はいはい、で? どこ?』

「……自分の部屋ぁ」

『二十分で行く、待ってて』



「蜂屋の鈍感ー! 桜坂に気持ち残ってるんなら、奪ってしまえばよかったんだー!」

「はいはい。春日、今もう十時超えてるからね。声うるさい」

「木坂の馬鹿ー!」

「って、俺かい!」

 約束通り、二十分で駆けつけた木坂は両手にたくさんの缶ビールを持ってきた。冷えたその缶は発泡酒では無くてきちんとビールだ、太っ腹! と泣きながら叫ぶ唯に自棄酒は安物はオススメ出来ない、と木坂が笑った。

 二人で一気に十五缶空けた、つまみはポテトチップスと鮭とばとチーズ。ソファーに座らずに、テレビは付けっぱなしで床に座ってただ飲んだ。涙も時々流れる、そんな時は木坂が笑いながら頭を撫でた。

「春日は頑張ったよ、偉い偉い」

「木坂、一歳しか年上じゃない癖にオヤジ臭い!」

「……春日、ビール代」

 馬鹿な事ばかり言ったり、叫んだりしてただ誤魔化した。最初は正座していた唯も、飲み始めて一時間もしたら胡坐になった。股の間に缶ビールを置いて飲んでいたら、木坂が「なんか武将っぽい」と笑った。

 唯もつい噴き出す。

 無音の「  」心の中でしか言えなかった気持ち。思い返すとまた涙が出てきて、唯はまたビールを煽り飲む。社会人で良かったと思うのはこんな時だ、成人してないとこの気持ちはずっと胸に燻ぶったままできっと辛いに違いない。お酒と、心配してくれる友人がいる自分はまだ幸せだ。

 唯は閉じそうな瞼を無理やり指で抉じ開けながら、ベッドに頭だけ乗せる。

「いや、気色悪いことしないでくれる? 充血してる目が丸見え」

「寝ない様に、頑張ってみました」

「馬鹿か」

 苦笑、木坂は缶ビールを飲むとため息をつく。その木坂の表情からどうしようもない感情が溢れ出てくるのが見えて、唯は胸が苦しくなる。

 五年間、ずっと片想いなのは実は三重の輪だったんだ。目から涙が流れ出て、そのままシーツに吸い込まれていく。

 本当に私は残酷だ。

 流れる涙は何滴もシーツに染み込んで、唯はそのままに任せる。木坂が目を見開いたまま泣く唯を見て小さく笑う。

「春日。利用してるって思わなくていいって、俺言ったよ?」

 ああ、なんて残酷な事を。自分のことで精一杯で、こんなに優しい気持ちを無下にして。

 泣き止まない唯に木坂は苦笑して、ビールを持ったままで唯の横に座る。ことり、と唯の頭に木坂の頭が乗った。

「いいよ、気にしなくて」

「うぅぅぅ……」

 涙を絞り出してみれば、次々と流れて行く涙が視界を歪ませて唯は手に持った温くなったビールを飲む。その分が出てきたんだろうか? また飽きずに涙は流れて、唯は蛙の潰れたような声を出した。

 テレビでかかっているお笑いを見て、笑った。全然見ていなかったけど、何か動きがシュールで妙に琴線に触れた。上に乗った木坂の頭も一緒に揺れて、唯はそれもおかしくて涙を流しながら肩を揺らして笑う。

 木坂の手がそんな唯の頬に触れて、テレビを見ていた唯の視界を木坂の顔が遮った。

 唇が付いた、と思ったのは一瞬だった。

 掠める様な口づけに唯はそのまま目を見開いて、唯の両頬に手を当てたまま唯を覗き込む木坂を見つめる。その余りにも呆気に取られた表情を見て、木坂が笑った。

「たなぼた」

 棚からぼた餅、の意味を指しているというのを理解するのに愚鈍な頭では少し時間がかかって、唯はそのまま木坂の顔を見上げる。

 飲み終わったビールの缶が唯の太腿の向こうに転がって、テーブルの下に入って行った。

 一度、試すように触れた唇はもう一度次は熱を持って、唯の唇に重なる。そのままベッドに押しつけるように、深く熱く入ってくる舌に唯は半分眠りかけの瞼を必死に開ける。

 木坂、駄目だよ。背を叩こうと持ち上げた手はそのまま木坂に軽く掴まれて下ろされる。

 顔が熱い、うごめく舌が妙に気持ちがいい。たまに頬を撫でる木坂の手が優しくて、唯の目尻から涙が流れた。

「春日?」

「うぐぇっ、えっ……」

「ごめん」

「蜂屋主任っ……」

「ごめん」

「蜂屋主任っ……! やだよぅ……」

「ごめん、春日」

 木坂が泣きじゃくる唯をただ抱きしめて、背中を軽く叩いてくる。それはやっぱり母親にどこか似ていて、やっぱり木坂は母親で蜂屋は父親なんだと思った。

 もう、子供でもいいや。

 子供でもいいから、傍に置いてくれないかな。

 やっぱり彼女がいたらそんなの無理かな。

 やっぱり離れないと駄目かな。

 背中を優しくあやしながら叩く手はいつまでも止まらなくて、唯は瞼を閉じながら明日が土曜日で本当に良かったと思った。こんなに酷い顔じゃ、木坂どころか皆に心配をかけてしまう。

 良かった、皆に心配かけなくて。

「木坂ぁ、ごめんなさいぃぃ……!」

「はいはい」

 ここまできたらもう何年でも待つよ、と木坂が苦笑してその声にまた泣きじゃくった。

 そして泣きじゃくって重い瞼が落ちるままに唯は眠りに落ちていく。


 暗く、狭くて怖い夢を見て、何度も手を伸ばした。

 我慢することは決して必ずしもいいことではないこと。

 思い切って止めてしまうのもそれもまた正しい選択になることもあるということ。両親の声が聞こえる、静かに諭してくる声はいつも唯を心配している。

 ごめん、ごめんね。またやっちゃったみたいだよ。

 また上手く気持ちを伝えられずに、また失敗してしまった。

 言わないでいれば、一緒にいられる?

 言わないでいれば、傍に置いてくれる?

 言わないでいたら、いつか振り向いてくれる?

 そんなこと、絶対にないって今なら言える。もしあの時に戻れたならきっと必死になって、断られても縋り付こうと思うんだ。

「蜂屋主任、好きです」

「蜂屋主任が、誰が好きでも私は好きなんです」

「蜂屋主任が、誰を好きでもずっと待ってますから、いつか私を好きになって下さいね!」

 無音の「  」

 やっぱり、私は駄目駄目だ。

 木坂、もう手を離していいよ? こんな困った奴、もう止めたって手を離してしまってよ。


 ああ、眠い。

 会社に行きたくないな、逃げてしまいたい。

 望みは叶えられると知らなかった私は、愚鈍な頭でそんなことを考える。

 ただ、逃げることしか考えて無かった。

 

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