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衝動

 夕方は好きだ。暮れていく陽が何もかもをオレンジ色に染めて、もう日もかなり長くなった実感した。冬ならもう既に、この時間は真っ暗だった。

 唯は薄手でベージュのシンプルなトレンチコートの布地を摘み、そろそろもう少し薄手のジャケットも買った方がいいかと夏物に思いを馳せる。

 芯谷商事の玄関ロビーを出た唯は、腕時計を見てまだ夕方六時台であることを確認してから、ファッションショップの並ぶ駅前方面に足を向けた。片岡を誘っても良かったけれど、きっと鈴木と予定があるのかもしれないと思うと誘えなかった。彼氏のいる友達との付き合いは難しい。

 さっきの蜂屋の様子は、何度考え直してもやっぱりおかしかった。何かを言いたげで、言えなそうな感じは蜂屋らしくないと思う。

 もしかして、鈴木の「はなした」と言うのが「話した」であるならば唯に何かを伝えようとしているに違いないと思う。しかも、それはあまり良くない事だ。鈴木は後から「思い切った方がいい」と忠告してきた、それはきっと唯が傷つくからに違いない。


 もしかして、それは本当に唯の事を恋愛対象としては見ることが出来ない、と言われるのか。


 それとも、唯の知らない所で蜂屋には既に彼女が出来ていたということか。


 木坂なら知っているかもしれないと、携帯電話を持ったけれど唯は通話ボタンを押すことなくバッグに仕舞った。それじゃ体のいい逃げだ、真剣な想いを向けてくれる木坂に申し訳が立たない。

 ため息をついた唯は、ふと見た店のショーウィンドーを見つめる。多種多様な水着が飾られたショーウィンドーは原色で纏められて、ポップな模様のビーチボールがいくつも並んでいる。今年は海に泳ぎに行ったりするんだろうか、リゾートどころか近場のビーチにすらここ五年は行っていない。

「夏かー……」

 今日、二度目の言葉を呟くと硝子にことりと頭を預けた。きっと後ろの歩道を歩く通行人は唯の事を、物凄く水着が欲しいんだ、なんて思っているに違いない。

 貼りついた額をガラスから剥がすと、唯はお気に入りのセレクトショップに向かう。そこで携帯電話が鳴った、メールだ。

 開けてみると、見たことのないアドレス。本文はたった一行。

『電話に出ろ』

 何やら誰かしか思い浮かばない本文に、唯は眉を顰める。この内容はそう考えても蜂屋だ、どんなに思い込みを削除してもこの本文でありうるのは一人しかいない。

 でも、ルールがある。

 絶対にペースを合わせない、待たない、誘わない、連絡しない。五年間ずっと厳しすぎるほどに守られたそれは、どんな時でも守られてきた。切なく、狂おしいほどに。

 悩む唯の手の中で、携帯電話が鳴り響く。見たことのない番号はきっと蜂屋のものだ、愛おしくも苦しい。

 きっと、もう彼女が出来てしまったに違いない。あの言葉は「話した」で、唯が傷つくからきっと蜂屋は話せなかったんだ。


 この電話できっと、蜂屋は唯に決別して。


 この電話がきっと、もう最後になる。


 この電話のあとは、もう今までみたく一緒にはいられずに。


 この電話の中で、聞きたくない事を聞く羽目になるんだ。


 電話には 出られない。


 五年間のルールはどんな時でもずっと守られてきた。どんなに唯が蜂屋に好意を示しても、それは拒絶となって唯の心を引き裂いた。唯は鳴り響く携帯電話を持ったままで、どのボタンも押さずにただその場に立ち竦む。

 一度切れて、もう一度掛かってきた。唯は顔を顰める。

 もう一度切れて、また掛かってくる。無視をしてもきっと蜂屋の事だ、いつものペースで話しかけてきて言いたいことを言いたい時に言うはずだ。

 それはどんなに唯が逃げたとしても同じこと、それでも問題を先送りにするのは分かっていても唯は電話に出たくなかった。

 聞きたくない、聞けない。

 無音の「  」きっとその言葉を聞いたら私は、また笑うしかなくなる。


「いいよ、仕方ないなぁ。全く、あんたは私がいないと駄目なんだから!」

「今度、彼女にしっかり忠告しとかないと! しっかりあんたの事見張って無いと駄目だよって!」

「ラブラブにならないと、邪魔しちゃうんだからね!」


 慣れたはずの言葉を本当に笑顔で、蜂屋に言えるんだろうか?

 自分の心を押し殺して、私は本当に笑えるんだろうか?


 切れた電話がまた鳴った。メールだった。


『話がある』


 ああ、やっぱり。私の片想いはもう終わってしまう。また何も告げないままで、大事な事は何も言わないままで終わってしまう。

 セレクトショップに着く前の喫茶店前で、唯はずっと立ち止ったままだ。携帯電話を持ったままで、ただ立ち竦む。横を通り過ぎるOLが訝しげな表情で通りすがりに視線を向けてきた、真ん中に立ち竦んでいる唯はきっと通行の邪魔だ。でも、足が動かなかった。

 また、携帯電話が鳴る。


 慣れたはずの言葉を本当に笑顔で、蜂屋に言えるんだろうか?

 自分の心を押し殺して、私は本当に笑えるんだろうか?


 それにはきっと、覚悟がいる。

 笑って、おどけて、明るく蜂屋に応えるためには覚悟が必要だ。


 唯は電話が切れたのを見計らって、電源を切った。


 覚悟をしなければ、それも相当の。


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