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連動

「蜂屋、この取引先の書類決算報告書原本が入っていなかった」

「悪い、コピーしようとして中に入れたままだ」

「で、コピーは」

 休憩室の向こうで絶句する声、唯は間仕切りの廊下側で息を顰めて足を止める。

 課長に煙草を頼まれて小銭を持ったまま駆け足で近付いた休憩室、間仕切りの寸前で馴染みの二人が言葉を交わしているのが聞こえて、そのまま動けなくなった。仕事内容で言葉を交わしているのは、姿は見えないけれども恐らく蜂屋と同期で木坂の上司である鈴木主任だ。

「小さすぎるね、決算報告書の一番大事な所が切れてる」

「……確か、ジャストサイズのボタンを押したはずなんだが」

 どうやらコピーは失敗したらしい蜂屋は、次いで失笑した気配の鈴木の声に憮然と言い返す。確かオート機能が付いているコピー機は、入れた紙の大きさを自動的に読み取って用紙を選択するはずだ。動贔屓目に考えても、余計なボタンを押してしまったとしか思えない。

 ピンクでレースの付くノートはまだ途中だ、途中から全く書き込めなくなった。もしそのままゴミ箱に捨てられてしまったら? そう思うと書き込めない。

「春日さんに勉強会、して貰ってるんじゃなかっけ?」

 突然に自分の名前が出てきて、唯は飛び上がる。小銭が手の平の中で汗ばんでいる、息を殺した。勉強会はもう全くしていない、顔すら合わせていない。

「……最近はしていない」

「へぇ、はなしたんだ」

「お前には関係ない」

 いまいち分からない内容に唯は首を傾げる。

 はなした=話した、離した、放した。どの内容に合っているのか全く理解が出来なかった。どれにしてもいい解釈は出来ないような気がする。

 曇りガラスになっている間仕切りの丁度見えない部分に体を小さくして隠して、悪いと思いながらも聞き耳を立てた。蜂屋を責めるような声色の鈴木の声が聞こえた、決して大きくもないはずのその声は存外きつく聞こえる。

「蜂屋、俺が言うのもなんだけど」

「仕事に戻る」

 鈴木が言葉を継ぐ前に、蜂屋は踵を返したらしい。足音が近づいて来て、唯はより一層壁と間仕切りギリギリの部分にしゃがみ込む。光触媒の鉢植えの影に丁度入れたのが助かったと、小さく息を吐く。

「そろそろ決断した方がいい、気の毒だ」

 鈴木の言葉への蜂屋の返事は無く、大股の蜂屋が唯の前を通り過ぎていった。蜂屋は気付かずにそのまま営業課のドアを少し乱暴に開閉して、向こうに消えた。唯はそのままその場に立ち竦み、後から無表情で出てきた鈴木と目が合った。

 呆然、そんな顔をされる。

「……いたんだ」

「ご、ごめんなさい! あの、聞く気は……少しはあったんですけど」

「素直だね」

 苦笑した鈴木は一歩足を引いて休憩室に入るように促して来て、少し躊躇したものの唯は小銭を握り締めて鈴木を警戒しながらも休憩室の間仕切りから離れる。日中の休憩室は眩しく、そしてとても暑い。

 唯は鈴木に促されるままに白いデザイン椅子に小さくなって腰掛けると、向かいに同じく腰掛けた鈴木は肩を揺らして苦笑した。

「食べないから、怯えないでよ」

 食べられそうだとは流石に思ってはいないけれど、最近とみに迫力が増した気のする鈴木は数か月前に比べて結構唯の心臓に悪い。流れるような仕草で煙草を出して火を付けた鈴木は、吸い殻の貯まった灰皿を無造作に掴んで一つに纏めた。

 数か月前までその仕事は唯と片岡が担当していたが、今は基本的に営業課の人間が持ち回りで掃除しているようだ。行き届いてない感がありありとする。

「あの……本当にごめんなさい」

「そのことはもういいよ」

 謝罪にはあっさりと返され、唯はそのまま押し黙る。小銭はもう熱くなっていて、きっと手の平には鉄のような匂いが染みついているに違いない。なかなか戻ってこない唯にきっと課長は立腹しているだろう、と肩を落としながらも鈴木から何か蜂屋の事を聞き出せるのではないかと思うと、席を離れられない。

「こういうことに首を突っ込むのは、俺の主義に反するんだけど」

 一度大きなため息、唯が顔を上げると鈴木が窓の外を見て少し苛立った表情を浮かべていた。少し、見とれた。

「見てられない。思い切った方がいい」

 言い切った鈴木はまだ吸いかけの煙草を灰皿に押しつけて、その場に立ちあがる。話はどうやらそれだけらしい。

 話の流れからしてきっと、蜂屋の事を言っているのだろうと思った。唯は笑って意味が理解できないと首を傾げてみせようとして、失敗する。最近特に誤魔化すのが難しい、伏せた睫毛が自分の視界に入る。本当に自分のこの想いは周りの皆に迷惑をかけて、申し訳ない位だ。

「……まだ、大丈夫です」

「そう、無理しないで」

「はい」

 素直に頷けば、鈴木は「じゃ」と短く言って営業課に戻っていった。その姿を首だけで見送った唯は、手の平に乗った小銭を見つめる。何かに気付いた片岡が鈴木に相談したのだろうか、それとも同期の蜂屋とそういうことを話したりするんだろうか。

 窓の外を見れば初夏の澄み切った青空、今日の空は格段に青く気持ちがいい。

 差し込む日射しが当たって灰皿は熱くなっていた。それを唯は器用に片手で持って、立ち上がる。灰が雪のようにパラパラと落ちていく。

「あー……夏かぁ」

 独り言を言ってみれば、それがまた虚しく俯く。小銭を煙草の販売機に入れて、課長愛用の煙草のボタンを押し落ちてきたそれを取るためにしゃがみ込んだ。そのまま、唯は膝に顔を埋める。

 そのまま少し動けなかった。



 夕方の庶務課に終業時間はあってないようなものだ。

 作業を早く終えて早目の帰宅を促してくる庶務課の主任を睨みつけ、唯は六階の書庫から持てる可能な限りの四脚のパイプ椅子を引きずりながら持った。

 背もたれには、経理課新人女、というメモが貼ったままになっている。決算になる前から口酸っぱくなるほど経理課に言い渡しておいたはずなのに、未だ撤去されないので庶務課がわざわざしなくてはいけないことになった。

 しかも性別では確か男性であるはずの課長は腰の痛みを訴えてパスし、主任は監督であると明言してこれまたパスらしい。全く使えない男どもめ、と唯は心の中で毒づく。

「主任、じゃこれは一階に持っていきますから」

 本来は片岡と二人でする筈だったこの作業も、主任がいるから大丈夫だと課長に断言されて唯は一人で運ぶ羽目になった。主任がいるから大丈夫って、どこの何が安心なのか知りたい。

「頼んだよ、俺戻ってるから」

「え!」

「だって、それ持っていったらもう三脚しか無いじゃん」

「……分かりました」

 込み上げる罵倒の文句を飲み込んで、唯は頷く。

 もう既に二往復を唯だけで繰り返し、主任はその間ずっと書庫にいただけだ。書庫に息を切らせて戻ってきた唯に主任は椅子を倒さないように、と真顔でのたまった。衝撃的に殴ってしまいそうになって、唯はパイプ椅子の背もたれを持った。

 大体、纏めて片付けることが出来るからとカートを最初に一階へ取りに行こう、と提案した唯にいらないと言い張ったのは主任だ。出ていったドアへ近くにあったティッシュボックスを投げつけ、唯はパイプ椅子をもう一度持ち直す。

「覚えてろ!」

 悔し紛れに叫んでドアを開けると、ぶつかったのは大きな体だ。そのまま唯の手からパイプ椅子が離れ、廊下に倒れていった。大きな騒音に唯は体を竦め、小さく悲鳴を上げる。

 先日の気まずい別れのまま一週間ぶりの逢瀬だ、嬉しいより何よりも気まずい。

「おう」

「……ども」

 蜂屋は変わらずいつも通りに挨拶してきて、唯は少し戸惑ったものの何とか普通を装って返した。倒れたパイプ椅子を一脚持ち上げた唯の手を追って、蜂屋の手が一気に残りの三脚を持ち上げる。

 受取ろうかと手を伸ばした唯の手から残りを奪い取って、そのまま覗き込んだ書庫室の中に残る三脚も蜂屋は脇に抱えた。手伝って貰うつもりは無かった唯は、そのパイプ椅子の背もたれに慌てて手を伸ばす。

「蜂屋主任、手伝いは要らないです。持てますから!」

「いい、一階だな」

 無愛想な返事で唯の言葉を遮って、蜂屋は重さを物ともせずに歩きだす。実際、唯が持っている時よりもパイプ椅子は小さく華奢に見えた。その一脚を引っ張って蜂屋を止めて、唯は前に回り込む。

 蜂屋の足が止まった。

「本当にいいです、持てますから!」

 持ったパイプ椅子から顔を上げると、蜂屋の無表情がこちらを見ている。相変わらず感情は読めない、それがまたもどかしい。

「持てないだろう」

「持てます」

「いい、行くぞ」

 掴んだ唯の手ごと蜂屋はそのまま丁度六階に止まっていたエレベーターに唯を引きずるようにして乗り込む、箱の中は無言で沈黙。正面を向いたままで、唯もパイプ椅子から手を離し、心なし蜂屋と距離を置いて黙り込む。

 四階で乗ってきた社員が、エレベーター内の妙な空気に一瞬乗り込むのを躊躇した。唯は強張った笑みで誤魔化したが、何と無く扉側に逃げられる。

 一階に着いたと知らせるブザーに安堵の吐息をついたのは、その社員と同時に唯もだった。開いたと同時に蜂屋は大股で倉庫に向かい、唯はもう何を言っても聞かない蜂屋を小走りで追いかける。

 倉庫は本社ビルの裏口横にある。

 常に締めきっているせいか、少し湿気臭く小さな天窓があるだけで薄暗く空気が冷たい。その奥にあるパイプ椅子が並んでいる器材に、蜂屋は持ってきたパイプ椅子を立てかけた。

 少し離れた場所でその姿を見つめていた唯は、振り返った蜂屋に頭を下げる。いつものように、ふざけたりすることはやっぱり出来なかった。

「ありがとうございました、助かりました」

「ああ」

 簡単で短い返事があって、唯はその沈黙にすこし戸惑って頭を下げる。

「じゃ、私もうこれで仕事終りなんで」

「春日」

 突然、蜂屋に名前を呼ばれて顔を上げた。返事は出来なかった、一瞬木坂の顔が過った。

 歪んだ顔が見えたんだろうか、蜂屋は少し離れた場所で見上げた唯の顔を見て一瞬黙り込む。また「もういい」と言われるのかと思う、いつもそうだから。

 いつもならそのままで終わるはずの蜂屋は、意外にも言葉を継いできた。

「足は、治ったか」

 唐突だ、もう一週間も前だというのに。もう既に赤く皮の剥けた踵は、跡が残っているだけで痛みはない。

「治りました」

「そうか、良かった」

 そして、また沈黙。

 何か、言いたいことがあるんだろうか。その疑問が心を過る、期待してしまう心は封印した。今まで何度も期待と絶望を繰り返してきた、同じ轍は踏まない。

「もう、いいですか?」

 このまま、この場所に閉じ込められてしまえばいい。そう、思ってしまう心が憎い。

 もしかしたら、このまま抱きしめてくれればいいのにと、そう思ってしまう心が苦しい。

 唯はゆっくりドアノブに手を掛ける。ここで止めてくれたら、きっとそのまま飛び込んでいけるのに。

 でもいつも、そんなことはないのだ。

「ああ、気を付けて帰れよ」

「はい」

 苦しい、やっぱり期待なんてするものじゃない。


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