指の記憶(2)
同じ手続き記憶なのに、何が違うのだろうか。
なにがしかの陳述記憶が絡んでいるのだろうか。脳内宇宙のどこかで超新星爆発とかブラックホールが生まれたのだろうか。宇宙の中心にある大脳基底核は生きているけど、辺境伯たる小脳の繊細な統制機構がおかしいのかしら。
扁桃体もしくは他の宇宙の覇者が悪さをしているのか。それとも、小銀河を結ぶニューロンネットワークの航路がばっさり寸断されたの?
妄想は果てしなく膨らみます。
いずれにしても、今となってはどうしようもない。
特に困っているわけではない。それなりに文字を打てるだけで人生に必要な機能は満たされている。
そういえば楽器を演奏できるのも手続き記憶のおかげです。
園児のころからピアノを習っていました。ああ、確か最初はオルガンでした。それなりに弾けたと思います。非陳述記憶は完璧に機能していました。
ピアノが弾けるというだけで、小、中学校の学芸会などでは専属の伴奏係でした。我が身は演劇部にまで貸し出されました。
小学生の高学年のときに、次の学芸会では私も劇に出たいようと皆の前でごねたことがあったらしいです。もちろん記憶は無いですが。でも、一生徒の必死の要望はあえなく却下されいつもの裏方をさせられたのでした。きっと悔しい思いをしたんだろうな。
それ以降、自己主張は無駄だと悟り、無意味な要望を口にするのはすっぱり諦めたようです。これがこの世の理不尽たる一端に触れたときだったのかもしれません。あるいは光と闇の現実を知った瞬間だったのかしら。
学芸会で劇に出てみたかったなあ。人間の役などと贅沢は言いません。馬でいいから。何なら桜の木とかサボテンでも我慢します。
ああ、本題はそこではありませんでした。
もうお察しの通り、一応それなりに弾けたはずピアノも今は根底から機能崩壊しています。タッチタイピングと同じく。
ある日、久しぶりに弾いてみるかと電子ピアノ(都会ではこれしか許されない、今はサイレントとか進歩しているが)に向かい愕然としました。まったく指が動かない。
しばらく落ち込んでから、何とか復活しないものかと、必死に練習した時期があります。
MIDIモジュールを購入し電子ピアノとパソコンを接続すれば、一人レッスン可能なシステムができます。鍵盤の動きを示すことも、模範演奏させることも、正しく弾けたかも逐次判定してくれる。速度調整やできない部分を自動的に繰り返すことだって自由自在の優れものです。
これを使えば誰でもそれなりに弾けるようになります。そのはずなのです。
私もこれで元に戻りました、片手だけは。片手ずつだとまあ弾けるようになりましたが、両手だとどう頑張ってもまともに動かない。
しかも、しばらく間があくと片手すらまた振り出しに戻されてしまう。
こりゃだめなパターンだ、タイピングと同じだと思い知らされました。
なので、今はまったく弾けません。
ピアノが演奏できなくとも、タッチタイピングが無理であっても楽しく生きてはいけます。別に困ることはありません。
まあ、ちょっと残念ではあります。いや、かなり悔しいです。
というわけで、宇宙に発生している嵐をよそに、今日も今日とてポチポチとキーボードを叩いています。半タイプの半速未満で。 (ゆかり)