忘れられない光景
私は薄暗い車道に続く歩道の縁に立っていた。
なぜそこにいたのか、どうやって誰とそこまで来たのか、周りに誰がいたのかは覚えがない。
道路の反対側では、青黒い空を背景に、橙色に黒が混じって噴き上がる炎が見渡す限り続いていた。激しく揺らめく火の連なりから、時々ズンズンとおなかに響くような音が伝わってくる。
異様に鼻につく油っぽい臭い、手で顔に触ればほんのり暖かいのに、背中は凍えるような冷気に包まれている。時折強い風が吹きつけ、顔の火照りをスーッと奪い取っていく。
茶色く薄汚れた雪が薄らと積もっていたから、たぶん冬の夕暮れだったと思う。
恐らくそこには、真っ赤な光をチカチカと放つ何台もの消防車がいて、すぐそばの消火栓から伸びる薄汚れた灰色のホースが、そこら中にのたうっていたに違いないのだが、それらが記憶の映像に現れることはない。
その代わりに目の前には冷たく赤黒い光を反射するスチール製の片袖机がでんと置かれていた。
なぜ歩道に机が置かれているのかと思ったに違いない。
机を助け出すのが目的だったのか、引き出しに詰まった書類を救うためかは分からないが、あたりにそんな机が所狭しと放置されていた。
運んできた人たちは見当たらないが、よくこんな遠くまでたくさん運んできたものだ。いざとなれば人はこれほどまでに行動できる。
これは間違いなく私自身の記憶である。後付けも脚色もされていない正真正銘のメモリー。記録から考えると四歳の終わりころだと思う。今でも残っている子ども時分の数少ない鮮明な記憶。
目の前に展開される状況がそれほど強烈に時長く刻み込まれる映像だったに相違ない。それもその一瞬が切り取られたような数秒の光景だけが残っている。
その前後の記憶はないから、それ以上のことはまるで分からないが、なぜかこの記憶は別の一コマとセットになっている。
目を閉じて静かに思いに浸れば、ぼんやりとした光景にググッとピントが合い五感が研ぎ澄まされる。鼻につくペンキの臭い、真っ白い壁、ワンワンと響き渡る大勢の話し声、手のひらに感じるのは妙にすべすべの床、そして口の中に残る甘い感触。
新しい工場の落成式だと思われる。
味覚の記憶は、あんこ餅か素甘、あるいは蒸しパンだったかもしれない。きっと招かれた一人ひとりに配られたものを口にしたあとのことだろう。
実はそういった場所で、アニメの上映会に参加した記憶も薄らとあるのだが、これはもっと後の記憶とごっちゃになって、誤ったリンクが形成されたのかもしれない。
この記憶はほとんど消えかかっていると言っていい。
恐らくずっとずっと前からもう夢に出ることもなく、日常にふと蘇る理由もなく、ただ徐々に薄れていく残り香のような微かなものとして存在するだけ。
きっと近いうちに完全に消滅するに違いない。でも、これを書くために思い起こしたからまたしばらくは記憶の上澄みに漂うかもしれない。
そうではあっても、どれほど凄まじい記憶であってもいつか忘れる時が来る。記憶の崩壊に気づいたとき、すべてを覚えていられる人を羨ましく思ったこともあった。
忘れたい記憶も永遠に残るのだろうか。それはそれで不便なことなのだろうか。それとも自在に制御できるのだろうか。
何はともあれ、ちょっぴり複雑な思いではある。 (よすが)