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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

投稿小説作品【神衣舞】

Neuroleptic malignant syndrome of Mokuran

作者: 神衣舞
掲載日:2024/10/20

「ねね、おねーちゃん。これなんてどう?」


 元気な少女の声が酒場に響き渡る。


「マリッサ、あんまり騒がないの」

 嗜める声もやはり女性。

 共にこの場の空気に大変合っていない。

 ここはアイリンにあるとある酒場。

 冒険者ギルドと提携している店で、客を見回してみても一癖二癖ありそうな面子がすぐ目に付く。

 そんな中でまるでショッピングでもしているかのような声が浮くのは必然だろう。


「お嬢ちゃん達、冒険者のつもりかい?」


 呆れたような言葉は店主からかけられる。


「申し訳ないけど、今あんたらのようなのに任せられる仕事はないよ」


 言葉では謝意を表しながらも明確な拒絶が言葉尻に浮かんでいる。


「それどういう意味よ!」

「どうもこうも、うちは仕事を配ってるんじゃない。

 斡旋しているんだ。

 依頼人の手間を取らせないのは私の仕事なんだよ」


 ありていに言えば任せられないと言い放ち、店主は深く溜息を吐く。


「何を思って冒険者の真似事をしたいかは知らないけどね。

 実績もない女二人組に任せようなんて物好きはまずいないよ」

「ま、真似事って!」


 ブロンドの髪をツーテールにまとめた少女が顔を真っ赤にして怒声を上げる。


「ちゃんと仕事は果たすわよ!」

「なら、あんたが同じ金で雇うなら、屈強な男と子供、どっちを選ぶかい?」


 自明の理だ。反論の言葉を捜しているうちに主人は哀れむように、諭すように言う。


「あんたらが確かな腕を持っていても俺が依頼人に説明する言葉を持たない。

 悪い事は言わないから普通に仕事を探して普通に暮らしな」


 嘲りではなくそれは哀れみだった。


「居るんだよなぁ。勘違いする女」


 向こうのテーブルからこれ見よがしな声が響く。


「木蘭様みてーになれるって勘違いしちまう頭の悪いヤツ」


 どっと酒場が笑いに包まれる。

 誰一人として彼女らを冒険者として見ていない。

 それがありありと見て取れる。


「うちのパーティに入れてやろーか?

 夜専用で」


 下品な笑いがさらに追随し、妹の方が言葉を紡ぐことすら忘れて口をぱくぱくしている。

 まるで金魚だ。


「口は悪いがそういうことだ」

「何の騒ぎかな~?」


 不意に真横で声。

 二人はぎょっとして横を見るとどこかぼんやりした少女がカウンターに腰掛けた。


「ああ、レフィアちゃん、いらっしゃい」

「この間の依頼、完了報告に着たんですよ」

「ああ、ご苦労様。

 どうだい、調子は」


 最早二人のことは終わったとばかりに主人はレフィアと呼ばれる少女に向き直る。


「相変わらずですねぇ。

 セムリナとの国境沿いが不穏な空気満載だから、需要は多いんですけどね~」

「まぁ、確かにね。

 そっち方面の護衛依頼はかなりあるな。

 一つ二つ持っていくかい?」

「そうですね。

 とりあえず三日の休暇を出したのでそれからで良いのであれば検討させてほしいですの」

「ちょ、ちょっと!」


 完全においていかれたマリッサが口を挟む。

 少し小首をかしげるだけの少女と、まだ居たのかという目の主人にとてつもない居心地の悪さを感じながらも食って掛かる。


「その人だって女じゃない!

 なんで扱いが違うのよ!」

「なんでって、言っただろ?

 あんたらは実績がないって」


 さも当然とばかりに言われて鼻白む。


「この人は傭兵団のリーダーで、ついでにこの前アイリンで起きた黄金竜事件の関係者だ」


 突如アイリンに現れた黄金竜マルドゥク。

 人に挑み、人の愚かさを非難し去り消えたのは記憶に新しい。


「脇役もいいところですけどねぇ」


 なにやら思うところがあるらしく、やや不満げに呟く。


「木蘭様の目が掛かってるてのもあるけど、実力も十分だ」

「いきなり誉められてなんですけど~。

 冒険者志望とか、そういう話ですか?」

「そうよ!

 なのにこのオヤジが仕事をくれないのよ!」


 同じ女だからと共感を求めたのか、勇んで放った言葉をレフィアは聞き流すように表情を変えない。

 数秒の間を置いて「まー、それは当然ですねぇ」と主人を肯定する。


「なっ!?」

「貴女、長距離の旅をしたことはありますか?」


 交通機関が未発達なこの時代。

 隣の町にすら言った事がない人間など山ほど居る。

 むしろそれが当たり前だ。

 野盗や怪物と何時遭遇するかわからない上に、国内でも領地ごとに簡易の関所が存在する。

 また、町に入るためにはこれまた簡易の審査があり、さらに入市料を取られる場合もある。

 一般人が旅をするには余りにもリスクが大きすぎるのである。


「な、ないけど……お姉ちゃんはあるわよ」

「旅をするとして、決して欠かせない物は何だと思います?」


 いきなりの質問に目を白黒させながら少女は咄嗟に、


「え?

 あ、お金?」


 と応じ、周囲の空気は苦笑いで統一された。


「この時点でアウトですね。

 冒険者はやめておいた方がいいです」


 いつの間にか店の奥に引っ込んでいた主人が皮袋と数枚の羊皮紙を持って戻ってきた。

 それを受け取るとレフィアは「どーも」と軽く挨拶して二人に背を向ける。


「それでは」

「ま、待ちなさいよ!」

「はい?

 まだなにかー?」

「じゃあ答えは何よ!?」


 半ば縋るようにも聞こえる言葉に興味なさげな表情を返し、レフィアは首をゆっくり横に振った。


「お水です」


 これで会話は終わりとばかりに店の外に出て行く少女を、姉妹は呆然と見送るしかなかった。




「水って何よ!

 水って!」


 場所は変わって。

 公園で荒れているマリッサに対し姉のほうは苦笑を浮かべたまま様子を見ている。


「お金の方が大切じゃない!」


 無論、そんなことはない。


 食べ物なら数日食べなくてもなんとかなるが、水ばっかりはそうはいかない。

 一日に約2リットル。

 旅をするならばその倍は確保しておかなければ脱水症状で動けなくなってしまう。

 しかし飲料水を得るのは非常に難しい。

 大都市を離れれば科学的な汚染とは無縁ではあるが、地質によっては炭酸を含んだり、酸性になったり、有害物質を含む場合もある。

 シャーマンが居れば話も変わるが、でなければ水を持ち歩かない旅人などまずいない。


「ねぇ、マリッサ」

「私の方がよっぽど凄いのにっ!」


 聞く耳を持たない妹に姉は深く溜息を吐く。

 姉の名前はアレイア。

 妹とは2歳違う。

 伸ばした髪を末端でくくりつけ、背嚢にはいくらかの薬草が収まっている。

 腰には短刀があるにはあるが、人を傷つけるものではなく、草花を採取するのが主だ。


「マリッサ!」


 少し強く言うとくるりと鬼の形相を向けて「何よ!」と怒鳴り返してくる。


「私はあの人の言う通りだと思うわ」

「なによ。水なんて────」

「向いてない、ってことよ」


 姉の強い言葉に言葉を飲み込みいじけた様に睨みつける。


「そんなことないわよ!」

「……今までみたいに薬草を売る生活じゃ駄目?」


 彼女らは歩いて1日程度離れた村の者だった。

 日々薬草を集めては薬にして町に売りに来る。


「駄目よ!」

「だとしても……マリッサまで付き合う必要はないわ」

 重い沈黙。

 気丈に睨みつけるが睨み付けている相手は姉ではない。その向こう側に幻視する────


「あー、すみません」


 びくりとして同時に振り向いた先に軽装鎧をまとった青年が一人。


「ちょっと宜しいですか?」

「な、何よ?」


 驚きのせいか、喧嘩腰を引き継いで強く言うと青年は困ったように愛想笑いを浮かべる。


「あ、いえ。

 いきなりで何ですけど……

 もし宜しければボクのパーティに入ってくれませんか?」

「え?」

「いえ。

 先ほどの一件を見てたのですが……

 ボクも駆け出しでしかも二人組みだったのでなかなか仕事をもらえなくて。

 人数を集めれば分け前は減りますけど仕事を回してくれるので何とか人を集めたいんです」


 報酬には主に2つのパターンがある。

 パーティ単位支払われるタイプと個人に支払われるタイプだ。

 パーティ単位での報酬ならば多い人数が参加してくれる方が雇い主にとってはありがたい。

 数はそれだけで暴力だ。

 故に初心者パーティはなるべく人数を集める傾向があるのも事実だ。


「ホント!?」

「ええ。相方が別に探しているんで今、居ないんですけど。

 よろしければ」


 やったとばかりに姉に振り返る。

 姉は未だに呆然としつつも、やがてうんと一つ頷く。


「よかった。

 ボクの名前はエリックと言います

 相方はローラン」


 青年はにこやかに手を差し出しながら自己紹介をする。


「ボクは剣士で相方はシャーマンです」

「マジックユーザー?!」


 姉が驚きの声を挙げる。

 そもそもスペルユーザーは数千人に一人の割合と言われる。

 だが、それ以上にスペルユーザーになるべく受けねばならぬ教育を受けられる人間が数万人に一人という現実が立ち塞がる。

 マジシャンであれば魔術師ギルドに莫大な金を支払いその技能を学ぶ必要がある。

 シャーマンであれば師を探し、精霊に指示を送る手段を学ばなければならない。

 最も多いのはプリーストで、こちらは神の啓示を受けた者を神殿が優先的に確保しているが、大抵の場合信徒として祈りを捧げ続けた者以外が啓示を受けることが稀だったりする。

 全世界人口の80%以上が農業従事者で読み書きすらできない現状、マジックユーザーの確保は主だった組織の最優先項目と言える。

 返せばマジックユーザーというだけで身を立てることは難しくなく、冒険者に身を費やしていることすらレアなのだ。

 まぁ、暁の女神亭はある者に言わせれば『因果が複雑に絡み合った混沌地帯』なのでマジックユーザーがぽこぽこ居たりする。

 例外中の例外とみなすべきだろう。


「はい。

 だから仕事は回せて貰えそうなんですけど、さすがに二人じゃ不安だって言われまして。

 それで手分けして人を探していたんです」


 そんな背景もあり、スペルユーザーが居ると言うだけで条件が格段に良くなる事は多い。


「夜に『囁き合う小鹿』亭で落ち合うことになってるので、まだ時間がありますね。

 旅装束を調えるためにも買い物に行きますか」


 二人はお互いの姿を改める。

 一応旅装束のつもりだが日常の服に毛が生えた程度だ。


「でも、それほど持ち合わせが……」


 アレイアが申し訳なさそうに言いかけた言葉を青年は笑顔で遮る。


「旅に出るのに最低限の装備で十分です。

 保存食と水袋。あとは毛布ですね」

「毛布?」


 聞き返して口を噤む。

 これではド素人丸出しだ。

 だが、それを承知していたらしい青年は馬鹿にするわけでもなく優しく微笑む。


「地面の冷えはものすごく体温を奪うんです。

 襲撃に備えて座って寝ることや荷物の総量を考えれば毛布一枚は必需品ですね」


 丁寧な回答に感嘆の声を漏らす姉妹。


「道すがら話しましょう」


 エリックの朗らかな言葉に二人は微笑んで頷いた。




 日も暮れた頃、三人が訪れたのは別の冒険者の店だった。

 見てくれはそれほど悪くはない。中からはやや無骨な笑いが響くが、冒険者の宿ならば当然だろう。

 昼の件もあってか少し臆してしまった二人だが、エリックは「大丈夫ですよ」と軽く流して扉を開けた。

 いくつかの視線が集まるが、基本的にはすぐにそらされる。


「ああ、居ました。こっちです」


 彼の視線の先を見れば酒を煽っている男と、その横には何故か子供の姿。

 男の方はやや鋭い印象があったがエリックの姿を見止めると、「よぅ」と気の良さそうな挨拶を向けてきた。


「ローラン、その子は?」


 姉妹に席を勧め、自分も腰掛けながらも傍らの女の子の事を尋ねた。

 綺麗な子、というのが姉妹の感想だった。ふわふわの銀髪にエメラルド色の瞳。

 肌は白く、お姫様という単語が脳裏に浮かぶ。

 人形の服があれば今すぐ着替えさせたいと思うほどである。


「仲間だ」


 エリックが知らない以上、ローランが探して連れてきたということだろう。


「……あー、ローラン?」

「これでもマジシャンだ」


 言いながら立てかけてあるものを指差す。

 一瞬何かと思うようなフォルムだが、魔法の杖らしい。


「その年で?」

「そうよ。

 何なら見せてあげましょうか?」


 子供特有の高い声が真逆の深い落ち着きを伴って響いた。


「いや、気を悪くさせたんなら謝るよ。

 しかしマジックユーザーが二人とは幸運だね」

「願わくは。

 プリーストが居ると最高なんだがな」

「それは欲張り過ぎだよローラン」


 青年が苦笑を漏らす。

 パーフェクトに揃うチームなどまずない。

 特にプリーストは神殿で高位の待遇を受けるため、冒険者をやる事がまずない。

 例外は騎士に仕える従司祭と各地を巡る事を修行とする巡礼者くらいか。


「まぁ、何はともあれ乾杯と行こう。

 新しいパーティに栄光あらんことを」


 エリックの言葉にローランが応じる。

 姉妹も顔を見合わせて杯を掲げ、少女は一拍の間を開けて倣った。

 なにはともあれ、今宵は記念すべき夜だ。

 今は、そう思っていた。




 翌日。

 一行は町と外とを隔てる扉、その前にある広場に集まっていた。

 ここは町に出入りする手続きをするために設けられた場所で、込み合っても町の営みに影響がないようにされている。

 王都でもあるアイリンは入るのも出るのも他の町に比べれば若干厳しい。

 もちろんの事好ましい人間が出入りしないようにするための処置だが、だからと言って数時間も拘束されることはまずない。

 人の流通が途絶えれば町は死ぬ。

 管理官は頭の中に叩き込んだ顔と照らし合わせながら、手続きをする者の予定を確認する。

 その間に別の管理官が麻薬等の禁制品を所持していないかを確認するのだ。

 一日に数千人が移動するアイリンでのんびりと確認する暇はない。

 三人組みで馬車の中を改める手際に感心しながら姉妹は雇い主のオジサンが戻ってくるのを待っていた。


「まぁ、三日程度の護衛だから気楽なものだよ。

 アイリンの周辺は治安もいいしね」


 王都の周辺を縄張りにする山賊などまずいない。

 だが、食うに困れば人間何をするかわからないのも事実だし、どこから迷いこんできたゴブリンと鉢合わせする可能性もある。

 高額商品を扱う商人は短距離でも護衛をつけるのが常識である。

 組織的な襲撃がない以上、新米パーティで十分という判断から仕事が回ってきたのだろう。


「だからと言って手を抜いてもらっちゃ困るぞ」


 タイミングよく戻ってきた商人が朗らかに嗜める。

 「滅相もない!」と慌てて取り繕うエリックの姿に笑いがこぼれた。


「さて、行こうか。

 よろしく頼むよ」


 一頭立ての馬車がゆっくりと移動を開始する。

 御者の席には商人自身が腰掛け、横には女の子が座る。

 馬車の速度は時速3km程度。

 歩くよりもやや遅い程度だ。

 少女の足ではそれでも遅れてしまう。

 マジックユーザーということもあり商人に交渉すると快く御者の席に座る事を許してもらった。


「貴重な魔術師殿にいざと言うとき疲れてもらっては困るからね」


 冗談めかして応じてくれたが、子供を歩かせ続けるというのも気が退けたのかも知れない。


「馬車の車輪と車輪の幅が決まってるって知ってるかい?」


 歩きながらエリックがふとそんな事を言う。


「アイリーンは青の進軍を円滑にするために可能な限りの舗装がされてるんだけど、他の国はそうはいかない。

 すると馬車の通った後が段々轍になっていくんだ」

「村の道とかそうだよね」

「すると主流の馬車の轍が深くなって車輪の幅の違う馬車が走れなくなってしまうんだ」


 溝に落ち込んでしまうようなものだとエリックは語る。


「一頭立て、二頭立ては変わらないケースが多いけど、四頭立ては幅が広いからね。

 轍は2パターンあることが多いんだ」


 轍は馬車の線路であると言える。これを外れると踏み固められていない土を走ることになり馬の疲労が速くなる。

 無論街道を逸れるなどもってのほかだ。柔らかい地面を走れる馬車などまずない。馬が大丈夫であってもバランスの悪さから車軸が痛んでしまう。

 つまるところ馬車は長距離を移動することを前提にすれば特定の道しか走ることのできない乗り物なのである。


「物知りなんですね」

「先輩の受け売りなんだ。

 前にお世話になってた人がこういう話が好きでね」


 アレイアの賞賛に照れながらも何かを懐かしむように青年は語る。


「その先輩さんは?」

「ああ、引退したんだ……。

 それで独立したんだけどね」

「ローランさんとですか?」

「ああ。

 うん。

 どうせなら一緒にって。

 彼の能力は貴重だしね」


 話に上ったローランは馬車の反対側をのんびり歩いている。


「それより、足は大丈夫かい?」

「ええ、山歩きで慣れてますから」

「お姉ちゃんは薬師だからね」


 話に割り込んできたマリッサが自分の事のように誇らしげに言う。


「そうなんだ」


 感心しながらも、妙な間。


「どうかしましたか?」


 それに気付いたアレイアが小首をかしげて問うと「いや、なんでもないよ」と朗らかに笑う。

 その様子をぼんやりと、少女の視線が眺めていた。




 日も暮れ始めた頃、頃合とばかりに野営の準備に入った。

 日が落ちてしまう前に野営場所を探すのは常道だ。周囲の安全確認を日が落ちてから行うのは難しい。

 幸い都合のいい場所を見つけた一行は馬車を止めて馬を適当に草が茂る場所に繋ぐと薪集めに入る。

 火を起こし、管理することも重要な事だ。

 一般的に獣は火を嫌う。

 火が灯っているだけで大抵の動物は近づいてこない。

 もちろん山賊相手なら話は別だが、アイリンから一週間以内の場所で山賊が根を張ることはまずない。

 この時代、一日の移動距離は30キロメートル前後だ。

 これは移動可能な時間は約8時間で人間の歩行速度が時速約四キロという計算からなる。

 もちろん旅装束や装備の重量が加算されてのことなので健脚さが伺える。

 二本の足以外で移動することがまずないのだから当然とも言えるのだが。

 余談だがこれが軍になるとさらに遅くなる。

 なにしろ兵站を満載にした馬車が付き従うのだから想像に難くない。

 仮に1万の戦う兵を動因するとすればその総数は2万になるとも言われる。

 兵站を運ぶ馬、それを操る兵士。馬車の馬の餌を運ぶ馬車にさらに兵士がつき従う。

 また連絡専用の兵や陣を設営する工兵が荷物満載で移動するのだ。

 朝整列して出発を宣言すると最後の一兵が出発するのは夕暮れになるという可能性も少なくないのが現実である。

 世界最強を誇った青がいかに常識はずれだったかが伺えるだろう。

 戦う準備もそこそこの相手に狙いを定め、横っ腹を食い千切るのだから襲われた方はたまらない。

 火口箱を使ってローランが手際よく火を起こす。

 すぐに枯葉で火を強くすると集めてきた薪を火にくべる。


「雨が降った後なんかは煙が出て最悪なんだけどね」


 エリックがそんな事を言いながら食事の準備を始める。

 これについては姉妹も承知していることで水を含んだ木は大量の煙を出すためとてもではないが調理に使えないのである。

 姉妹は食事の支度を手伝い、エリックは周囲を見てくると森に消えた。


「あれ? サニアちゃんは?」


 魔術師の女の子の姿がいつの間にか消えていた事に気付いたマリッサが周囲を見渡すが目に付くところにはいない。


「迷子になっちゃったのかしら?」


 慌ててアレイアも妹と共に探し始める。


「ローランさん。魔法で探せないんですか?」

「……探せないこともないが……」


 僅かな逡巡を見せた彼だが、それに疑問を覚える前にがさりと落ち葉が鳴った。


「必要ないわ」


 悠然という言葉の見本のような声に振り返ると、魔術師の女の子はすまし顔で近づいてきた。


「どこ行ってたの?! 心配したんだから!」


 マリッサの食って掛からんとばかりの勢いにも動じる事無く、「口に出すのははしたないから」とだけ応じた。

 それで察した二人は思わず黙りこくってしまうが、ローランは失笑を漏らしただけだった。

 じきにエリックも戻り、火を囲んでの食事が始まった。


「今日の見張りはボクとローランでやろう。

 三人は慣れないから疲れただろ?」

「そんな、悪いですよ!」


 アレイアがすぐに反論したが「もう少しなれたら2人ずつに分かれて対応してもらうよ」と軽くいなした。


「子供には夜更かしは辛いしね」


 マリッサが茶化してみると少女は「そうね」とだけ軽く応じた。


「むむむ。

 いじりがいのないお子様めっ!」


 火を囲んだ車座だが、横に座っているため距離はない。

 突然がばっと抱きつかれた少女は少しだけ慌てたそぶりをするが、その後に出てきたのは深い溜息だった。


「なによーその反応ー」

「……似たような知り合いが居るから少し」

「可哀想なものを見るような目で言われたー!?」


 なにやら騒々しいのを横目で見ながら微笑み、夜が更けていく。

 姉妹は降って湧いたような巡りあわせを純粋に喜んでいた。

 それゆえに気分も高揚し、反動でどっと疲れが押し寄せてくるのは必然だと言えよう。

 毛布に包まって寄り添い眠る二人。

 体格ですでに敵わない少女も間に抱き込まれるように包まっていた。


「では、そろそろ」


 声を漏らしたのは商人だった。

 ローランは頷き、エリックは苦笑する。

 その光景を、翠の瞳がまぶた越しに見つめていた。




「悪性木蘭症候群?」


 不敬罪で捕まりそうな言葉をメイドが疑問顔で繰り返す。


「はい。

 いいネーミングだと思いませんか?」


 ここはアイリンの一角。

 人通りの余り多くない路地にある喫茶店。

 店主はいかにも道楽で経営していると主張するほどに客に無関心を貫いている、シックな店だ。

 客は他に居ない。そこには旅装束の吟遊詩人とメイドが向かい合っていた。


「はわぁ……突発的に暴れだすとかですか?」

「なるほど、そういう解釈もありですね」


 神妙な顔でうんうんと頷く様はあきらかに怪しいというか、わざとらしい。

 一見クールなナイスガイという感じだが飄々とした空気が彼を三枚目に仕立て上げている。

 一方のメイドはブロンドの髪がまぶしい可愛い女の子だ。

 ほのぼのとした空気をまとっており、カップを持つ動作も優雅と言うよりゆるい。

 その二人が顔をつき合わしてる様子は暗いとも言えるこの店内の雰囲気を一転させるほどだ。


「最近冒険者を志望する女性が増えてるらしいんです」

「あー、なるほど」


 木蘭の影響はアイリンを限らずいたるところに波及している。

 その最たる理由が『女性であること』である。

 軍の最高位である大将に上り詰め、しかも全戦無敗の神将とあれば誰だって畏敬の念を抱くものだ。

 それが長い間男性社会であったこの社会で『女性が成し遂げた』というのはそれそのものが革命とも言える。

 別に女将が居なかったわけではない。

 そもそも木蘭の上司ジェニファーも優秀な女性士官である。

 だが、彼女はあまりにも鮮烈すぎた。

 そしてそれに続くかのように様々な女性が進出したのも大きい。

 ルーン女王エカチェリーナに、海賊騎士セラ。模擬戦とはいえ木蘭とカイトスを倒して見せたクラウディア。

 各国から名だたる猛者が集まるアイリンの武術大会で優勝したのも女性だったのは記憶に新しい。


「つまり夢見ちゃった女の子が丈の合わない服を着て転んでいる、と」

「そういうことです」


 一般論で言えば冒険者という仕事に対して女性は男性に劣る。

 理由の最たるは生理現象。

 目的地まで一ヶ月の工程など当然の現代において、避けられぬそれはどうしてもリスクだ。

 護衛の最中にまさか2~3日止まれなど依頼人に言う事はできない。

 これまで女性仕官が少なかったのもこれに起因する。

 まさか作戦行動中に行動不能になられても困るし、それに合わせて作戦を立てるわけにもいかない。

 最近は薬学の成長もあり、痛みだけなら薬でごまかすことも可能になってきたが諸々の雑用品は安易に調達できるものではない。

 町を基点に長期の依頼を受けないようにしたり、自分なりに折り合いをつける術を身につけた女性冒険者は確かに少なくない。

 だが、大抵はそうなる前に挫折するのが常である。

 そもそも冒険者や軍人は両親の都合でもない限り、好んでなるような職業ではない。

 大抵は職や生活に困って成り下がるものだ。

 冒険者ギルドの設立が体面を保つようになった最たる理由だが、それは逃げ道への誘蛾灯でしかないのかもしれない。


「で、その転ぶ人間に目を付けた連中が居るんです」


 言うほど珍しくない事だったりするのだが。


「まぁ、結局勘違いの『おのぼりさん』をカモにしてる、と」

「はい」


 楽しそうに肯定する吟遊詩人。


「冒険者ってなろうとしてなれる物じゃないですからね。

 仕事一つ取るのも容易じゃない」

「はわ、そうですね。

 新人を喜んで使う依頼はまずハズレですし」


 何かを依頼したいのなら専門職に頼んだ方がいい。

 安物買いの銭失いは商人だけの言葉ではない。

 ならばあえて「安物買い」をする依頼にどのような意図があるか。

 簡単である。

 『玄人が受けるという判断を絶対にしない仕事』だ。


「冒険者ギルドができてその辺りは減ってたんですが、そもそも冒険者への依頼なんてレアですからね。

 アイリンは木蘭様のお陰でモンスターの発生も稀ですし」

「はわぁ。

 出る時にはとんでもない物がでますけどねぇ」


 バグベアードやら果てはドラゴンやら。確かにとんでもない話である。


「さて、ファムちゃん。

 その話はやはりお嬢様の件ですの?」

「おや、御存知でしたか」


 吟遊詩人にしてその裏には凶暴凶悪な本性を燻らせる暗殺者"雑音"。

 今は様々な経緯を経てミルヴィアス家に仕える諜報となっている。

 一方の少女も只者ではない。

 ミスカと呼ばれている彼女は普段は同じくミルヴィアス家に仕えてメイドをやっているが、その実は家長を名乗るべき存在である。

 本人曰く現家長フェルミアースの8世代ほど前に遡った先祖。

 その正体は大雑把に分類すると魔族である。

 正確に人体を構成する術を有しており、本人曰く『若気の至り』で人間との間に子供を作りそれが続いて今のミルヴィアネスがあると言う。

 無論本人の弁以外に証拠はなく、ミルヴィアネス家に魔族に関係する特徴はない。

 しかもフェルミアースの娘に至ってはドイルの神殿騎士ですらある。

 奇奇怪怪の存在だが、それを知る者の見解は「とりあえず無害」というところで収まっている。

 そんな彼女が「お嬢様」と慕うのがティアロットと名乗る魔術師の少女である。


「イニゴさんに依頼されたらしいですよ。

 ちょっとくらい借りを返してくれてもいいんじゃないかって」

「はわぁ」


 盗賊ギルドが事実上壊滅して以来、アイリンの闇は晴れたかのように見えた。

 ギルドが支配していた部分は軍の諜報機関である『黒』が支配の手を広げ管理されている。

 だが、人間とはどこまでも正しくなれればどこまでも悪辣にもなれる。

 より深い場所に淀む闇は光が強くなった事を喜ぶように、濃く深刻なものへと変貌しているのが実情だ。


「今回のヤマは人身売買組織の壊滅。

 なにしろ町の外で行方不明になられたらもうどこに連れて行かれるかわかったものじゃないですからね」

「なるほど。

 おのぼりさんに声をかけて街道で誘拐するわけですか」

「はい。

 ですが誰が誰なんてわからないのが実情です。

 まさか冒険者全てに張り付くわけにはいきませんし」


 英雄譚に聞き憧れ、冒険者にくっついて村を出る若者も少なくないと聞く。

 そうして成長した彼らが新たな若者を過去を懐かしんで受け入れることもしばしばだと言う。


「だからお嬢様ですか」

「はい。

 普通の冒険者なら魔術師とわかっていても子供に声をかけませんし」

「その上お嬢様は可愛らしいですからねぇ」


 うっとりと言ってのけるメイド。

 ファムは事情を知らないが圧倒的な力を持ち、かのオリフィック・フウザーが苦手にしているとさえ聞くこの少女がティアロットを溺愛していることは承知していた。


「それでファムさん。

 『当たり』を引いたんですか?」

「ええ。

 さすがは不幸体質。

 もう一発ですよ」


 楽しげに酷い事を言う青年にはぅと吐息をこぼす。


「残念ですねー。

 雄姿を見に行きたいんですけどー。

 はわぁ。さすがにアイシアちゃんを放っておくわけにもいきませんし」

「そういえば男の子だそうですね」


 ミルヴィアネス公の娘が子を産んだのはつい最近の話だ。


「はい。クオル君ですよ。クオルティド・ミルヴィアネス」


 各地の伝承を脳裏に納める吟遊詩人はなるほどと苦笑。


「木蘭様には義理を果たしたというところですか」

「ふふ。

 でもあの人は教えられないと気付かないでしょうね」


 ひとしきり笑うとミスカはゆっくりと立ち上がる。


「そろそろ戻りますわぁ。

 暇があれば経緯を」

「ええ、お楽しみに」


 少女は去り、吟遊詩人はがらんとした店内で一人思いを巡らす。




「……え?」


 肩の痛さに目覚めた少女は起き上がろうとして失敗する。


「な、何?!」


 手が後ろでがっちり結ばれており、足も同様だ。

 目の前では妹が同じ体勢で縛られており、その向こう側には猿轡までかまされた魔術師の少女が転がされている。


「お目覚めのようだぞ」

「思ったより早かったな」


 ローランの声に返事をしたのは雇い主であるはずの商人だった。

 天井を見れば幌。

 どうやら馬車の中のようだ。動いてはおらず、その向こうにまだ暗い外が見える。


「ろ、ローランさん!

 これは……!」

「じきに分かる。

 ……まぁ、冒険者を夢見た女が三人。

 行方不明になるだけの話だ」


 つまらなそうに言ってのけ、その向こうの商人が別人のように醜悪な笑みをこぼす。


「……あ、あなた私たちを騙して!」

「やはり猿轡をつけるべきだったか。

 うるさくて敵わない」

「まぁ、アジトに行くまではそうしておこう。

 道で騒がれると困るしね」


 反対側からの声にアレイアは絶望感を覚える。


「エリックさん……!」

「騒いでも無駄だよ。

 早く諦めれば楽になる」


 感情を込めない言葉に次の言葉が出てこない。

 いろんな思いが交錯し、最後は涙がとめどなく溢れてきた。


「そろそろ夜明けだ。

 ローラン」

「わかった」


 手には布。

 この状態では抵抗すらできない。

 手際よく猿轡をかまされ、その途中で目覚めたマリッサも唸る事しかできない。

 それからどれくらい経過したか。

 揺れる馬車が背や肩を酷く揺さぶり痛みが今の状態を強く思わせる。

 暴れる気力も失ったマリッサは呆然と天井を見、アレイアもそんな妹の姿を見るしかない。

 時折前から聞こえる声は主にローランと商人のもの。

 どう聞いても自分たちを売り飛ばす算段に絶望感だけが深く広がっていく。

 抵抗する気力を奪われていく時間の中で、身じろぎ一つしない銀の髪の女の子。

 あの子だけは助けてあげたいと、ぼんやり考えるしかできなかった。




 アレイアとマリッサが暮らしていたのはアイリンから一日程度離れた農村だった。

 小高い山があり、そこで薬草を集め薬を作っては商人に卸す生活を送っていた。

 両親はアイリンに出稼ぎに行ったまま行方が知れず、村の者は蒸発した、死んだと囁き合っていた。

 生活は楽ではなかった。薬はどれだけ作っても二人が食べていくのに精一杯の額しか稼げない。村の人間には感謝されるものの、両親の失踪という醜聞がどうしても付きまとっていた。

 マリッサが明るく元気に立ち回るようになったのは姉を守るためだ。気丈に振舞っては寝静まる頃にうずくまっているのを姉は知っている。

 そんな二人が決断をするきっかけとなったのはいつも取引をする商人からの断絶だった。

 町で質のいい薬が出回るようになり、シェアが奪われたため買わないことにしたと言うのである。

 他に頼る商人もいない二人にとっては絶望的な内容。

 住民が三十も居ない村で薬の需要など微々たるものだ。

 気立てもよく年頃のアレイアには婚姻の話もあったが、マリッサ一人を残すわけにはいかず、またおまけで一人を養うほど余裕がある家もない。

 宙ぶらりんになってしまった二人は結婚を断られた男の悪意もあって村での居場所も奪われていった。


「アイリンに行こう!」


 マリッサが不意に言い出した提案。

 アレイアは迷いの果てにそれに同意した。




 一日馬車が走った先に三人はある町に入った事に気付く。

 人口二百程度の小さな町だが、街道沿いにあってそれなりの賑わいを有している。

 いわば宿場町だ。

 荷を改めるような者もおらず、馬車つき場へ通されたそれはある倉庫へと向かう。

 そこは馬車の荷物が盗まれないように管理する貸し倉庫屋だ。まさか馬車を鋼鉄の金庫にするわけにはいかない。

 数人のキャラバンならともかく一人旅の商人も多いことからそういう場所も必要なのである。

 その一つに停めた馬車に荷運びが近づいてきた。

 倉庫に移動するのも一苦労。

 その代打として子供から若者まで荷運び屋として倉庫の前に常駐しているのだ。


「お疲れ様です。

 エリックさん」


 だが、その馬車に近づいてきた二人は他のとは明らかに毛色が違った。


「ああ、運び込んで」

「了解です」


 二人は馬車の中を覗き込むと驚いた様子もなくアレイアを担ぎ上げる。

 その倉庫は丁度他の場所から死角になっていて、何をしているのかはそれこそ近づかないとわからない。


「大当たりじゃないですか。

 高く売れますよ。特にこの小娘」


 下品な笑いを浮かべる荷運び。


「金持ちのおっさんが喜びそうだ」


 対するエリックは苦笑して肩を竦めるのみ。


「相変わらずクールっすね」


 と別に怒った様子もなく倉庫の奥へと運んでいく。

 そこは馬車とそう変わらない広さの部屋になっている。

 唯一異なるのは床が開いて階段が見えているところだろう。

 気にする事無くそれを降りていくとすえた匂いが鼻をつく。


「まぁ、すぐに売れるさ。

 それまで大人しくしておくんだな」


 気楽に笑い、尻を撫で回して通路を進む。

 啜り泣きが聞こえるのは気のせいではないのだろう。

 絶望感がどうしようもなく深く染み渡っていく。

 この先はもう闇しかない。

 外の光がどんどん遠ざかっていく。

 心を閉じかけたその時、大きな音が狭い通路を震撼させた。




「が……」


 商人がのけぞり、そのままずんと倒れ伏した。


「な。

 なんだ!?」


 ローランが慌てて振り返れば商人の肩が魔銃にでも吹き飛ばされたようにえぐれている。


「狙撃か!?」


 だがここを狙撃するには本当に倉庫の真上にでも立たなければならないし、傷の角度はどう見ても正面か真後ろからの攻撃だ。


「魔法!?

 馬鹿やろうが猿轡を取りやがったな!」


 慌てて紡ぐは風の魔術。

 風を制御して声を殺す。

 サイレンス。

 魔法使い殺しの異名を持つそれを前にしてはいかなるウィザードも為す術はない。

 だが、発動してみたものは未だに猿轡をかけられたままの少女。

 思わずぽかんとしたその視界に緑色の何かが見えた。

 脳が疑問を感じ視線が動いたとき、するりと少女を絡め取っていたロープが解け、立ち上がる。


「す、スライムだと!?」


 少女の肩で球体を模したそれは、すぐさまぞろりと袖の中に逃げ込んでしまう。

 ロープが縛れるのは摩擦があるからだ。その間に体を滑らせてしまえばどんなに頑丈に縛り付けても簡単にほどけてしまう。

 だが、10歳くらいの子供一人、縄が解けたところでどうということはない。

 先ほど縛り付けたときに令嬢もかくやという細い腕や足首を確認している。

 魔術師とは言え、詠唱できない以上怖くはない。


「大人しくしな。

 痛い目は見たくないだろ」


 自分もサイレンスのフィールドに入ってしまえば魔法は使えない。

 しかし取り押さえるのは造作もないと踏んだ彼は馬車へと踏み込み


「───!?」


 自然に差し出された手に届く瞬間。


 ───────────!


 音、つまり空気の振動を殺された空間では衝撃も死ぬ。

 だが、明確な死は揺るがない。


「ば……かな……」


 精霊が開放され、馬車が大きく揺れる。

 無詠唱魔術が存在することをほとんどの者は知らない。

 魔法使いとは呪文を唱えて初めて成立するものだ。

 それ故にサイレンスという魔法が意味を成す。

 少女は猿轡をうっとうしげにはずすと馬車の外に降り立つ。


「──────《神鎧》」


 不可視の魔力防壁を展開し、周囲を確認。


「……なんだい、君は」


 剣を抜き、構えるはエリック。

 相方の遺体を横目に苦笑。


「ただの小娘じゃよ」

「笑えない冗談だね」


 一足で右へ。

 反応して魔術を紡ごうとして止まる。

 エリックは一瞬でマリッサを抱える男の後ろを取ると、見事な手際でマリッサを掠め取り男の背を蹴飛ばす。


「く」


 いかに場馴れしているとは言え、誤射の可能性を考えて発動を中断。

 その間に彼は倉庫の中に走りこみ、入り口でマリッサを突き飛ばす。


「往生際の悪い」


 とは言え移動している視界外の相手に魔術を当てる事は難しい。

 感知系魔法を駆使しても相手一人を特定できないからだ。

 さりとて相手の陣地にいきなり踏み込むのも危険としか言いようがない。

 普段であればある手段を行使してすぐに駆け込むところだが、今日はそうは行かない理由がある。


「イニゴ、おるじゃろ」

「へいへい。

 呼ばれて飛び出てっと」


 何時の間にそこに近づいたか。

 一見ただのおっさん。飄々とした男がゆらりと姿を現す。


「後は任せてよいじゃろう?」

「もうちっとサービスしなよ」

「今日は杖を持っておらんでの」


 レーヴァティンと名づけている死神の鎌を思わせるフォルムの杖。

 それは今彼女の手にはない。

 誘拐される事を前提の話だったので盗まれる可能性を嫌って預けてきているのだ。


「竜の目だっけか。

 普段ならそれを使って飛び込むのにねぇ」


 銀の髪の少女、つまりはティアロットは肩を竦めて手を出す。

 応じて差し出されたのはナイフ。

 近づいてキョトンとしているマリッサのロープを切り、開放する。


「な、何なのよ一体?!」

「説明はこやつがするじゃろ。

 姉の方もじきに救出されるよ」


 老人じみた物言いに言いたい事は山ほどあるが質問が多すぎてまとまりきれない。


「強いて言えば、身はわきまえるべきじゃ、ということかのぅ」


 どこかへきへきとした物言いに、後ろの男は忍び笑いを浮かべていた。




「参ったね」


 通路の奥へと向かうエリック。


「参ったねじゃありませんよ! 一体何なんですか!?」


 荷運び男は息を切らせながらエリックの後を追う。

 肩には未だアレイアがある。

 人質の意味合いも含んでつれてきたのだ。


「恐らく黒。

 おとり捜査ってやつかな」


 誘拐が目的である彼らにとってあの少女が魔法使いであるかどうかは余り関係がない。

 ローランも深く考えず商品価値だけを見て連れてきたのだろう。


「とりあえず逃げるしかないね。

 向こうはこの場所を突き止めてから動いた。

 抜け道が知られてる可能性は皆無だ」

「だといいんですけど……」


 通路を行く。

 ここは昔ある領主が掘らせたもので、忘れられて久しい。


「まぁ、ボクらが祈って応える神はいないからね。

 そろそろ出口だ。

 とりあえずその子はそこで放置だね」

「逃げたところで俺たちどんな目に合わされるか……」


 荷運びの男が漏らした言葉にエリックは苦笑。


「なに、世界は広いさ。

 適当に次の場所を見つければいい」

「というわけにはいかんもんだな」


 息を呑み、体を硬直させた時点で終わっていた。

 振り返る暇を与えさせる事もなく荷運び男の背にはナイフが生えている。

 的確に肝臓を貫いたそれを確認することもなく、追撃者はアレイアを確保。


「黒のイニゴか……」

「俺も有名になったもんだ」


 気配を漏らさぬままに笑う。

 エリックはアレイアが重石になると踏んで逃げの一手を打つ。


「悪いが」


 外の明かりが見えた瞬間。

 のんびり立ちふさがる小さな影。

 どうして抜け道の出口を知ったのか。

 それを考える暇もなく剣を抜く。

 情け容赦のない一撃に少女は避けるそぶりすら見せず、ぞんざいに手で打ち払う。


「魔法防壁っ!」


 ならばと突き飛ばす。

 軽い体はあっさりと、否あっさりすぎるほど後ろに飛ばされ空中で固定。


「投降せよ。終いじゃ」


 闇の弾丸を従えて少女は深謀な瞳を向ける。


「はは、これはもう無理かな」


 剣を捨て、エリックはどこかすっきりした顔で肩を竦めた。




「……」


 保護された姉妹は狭い個室で言葉もないまま待っていた。

 ここは先ほどの町の宿だ。

 1件を貸切にして応援に駆けつけた赤と身元の確認や状況確認を行っている。

 エリックが洗いざらい、妙にさばさばと自供したため本当のアジトが判明。

 すでに包囲作戦が開始されている。

 妹はただひたすらに安堵したが、姉の落胆は目に見えてわかった。

 恐らく少なくない好意をエリックという犯罪者に抱いていたのだろう。


「ねぇ、お姉ちゃん」


 呼びかけに応じる様子はない。

 マリッサは深く溜息をついて窓の外を見る。


「邪魔するぞぃ」


 子供の声音に老人の落ち着き。

 部屋に入ってきたのは二人がサニアの名前で認識していた少女だ。


「たいした怪我もなかったようじゃな」


 礼を言うべきかと悩み、そもそもどういう立場なのか理解できなくなって言葉が消える。


「あの……君って結局なんなの?」

「ただの小娘じゃよ」


 したり顔で言われて更に困る。


「何と言われてもそうとしか答えようがない。

 ティアロットと名乗っておるがの」

「でも魔法使いなんでしょ?」

「大きく言えばそうじゃが、実質は違う。

 ま、同じような物と思って問題はあるまい」


 回りくどい言い回しに眉根を寄せて少女を見る。

 みすぼらしい服ではすでになく、名実共に『お人形さん』のような装いを呈している。


「今回の事件に対して何かと言われれば協力させられただけ。

 主導権は黒……国軍の連中じゃよ」


 すらすらと紡がれる言葉は一部理解の外だが、国に協力をしていたということはそれなりに立場がある人間なのかと考える。


「私たちどうなるんですか」

「どうもこうも、別に罪を犯したわけでもないからのぅ。

 事情聴取が終われば開放じゃろ」

「開放……」


 されたところで帰る場所なんてない。

 思わず俯いてしまったマリッサは、ふと姉を見上げる。


「あの……」

「ん?」

「あの人はどうなるんですか?」

「エリックとか言った男かえ」


 ティアロットはふむとひとつ考え、


「まぁ、死罪じゃろうな。人身売買は重罪じゃ」

「ちょっと!」


 マリッサが慌てて止めようとするが、姉の手がすっと伸びてそれを止めた。


「そうですか」


 思い沈黙も銀髪の少女は意に介したそぶりもなく、窓辺に歩み寄る。


「あの人って凄くいい冒険者だったと思うんです」


 不意に、ぽつりとこぼした言葉に二人の視線が集まる。


「ただ誘拐するならあんなに冒険者として役に立つ事なんて教える必要ないんだと思います。

 なのに凄い分かりやすく、いろんな話を聞かせてくれた……」

「お姉ちゃん……?」

「このまま本当に一緒に旅ができてれば、どんなに楽しかったかと思うと……

 あの人は確かに私たちを騙していました。

 それでも……そう思ってしまうんです」


 ぽろぽろとこぼれる涙を前にマリッサは動きすらも忘れて見入るばかりになってしまった。

 しばらく嗚咽だけが響く室内で音を生み出したのは少女の靴。


「赤のおせっかいがぬしらの世話をやいてくれるじゃろう。

 あやつならわざわざ仕事まで探してくるじゃろうな。

 じゃが、もしも冒険者になりたいとまだ思うであれば」


 そこで区切りを入れたのはどういう心境か。


「暁の女神亭を訪れるがよい。

 多大な勇気を以って、の」


 言って苦笑する少女。


「ま、勧めはせんとは言うておくがの」


 ひょいと窓枠を飛び越える。

 驚いた二人はそのまま中空に浮かぶティアの姿に目を丸くする。


「まぁ、達者での」


 そのまま飛び去る少女を呆然と見送った二人は、扉のノックの音に振り返るのだった。




 この後この姉妹がどういう道を選ぶのか。

 それはまた別の話で。

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