誰のため⑤
高校時代と違うことといえば、時間の使い方が自分次第になったということだろうか。
入学式から数週間が経ち、4月も下旬に差し掛かった。
瑞希の大学生活は、今のところ順調な滑り出しと言えよう。
いくつか授業をとる中で、友だちもできた。
サークル活動はまだ入るつもりはないが、もう少ししたら考えてみてもいいかもしれない。
そして、週に1度は、名無しの店へと通う。
──お店通いたいから、アルバイトはしてた方いいかもな。
なんて考えながら、それなりに充実した毎日を送っていた。
だけど、ひとつだけ、ずっと気がかりなことがある。
──今日もいない……。
入学式以来、玲奈と全く会っていないのだ。
連絡をしてみても一向に返事がない。
連絡に関してはいつものことと思いながらも、必修の授業ですら見かけないのはさすがにおかしい。
友人たちに聞いても、学校内で玲奈らしき人は見たことはないという。
そもそも入学式以来来ていないのなら、玲奈のことを知っているのは瑞希以外いないことになる。他の人に尋ねたところで、色良い返事は返ってこないだろう。
「あら、重いため息なんかついて、何かあったんですか?」
正面からマリアに声をかけられ、瑞希は今自分が店に来ているということを思い出した。
「わ、すみません。いえ……友だちが、あ、玲奈ちゃんのことなんですけど、授業始まってから1度も来ていないようで」
「そうなんですね……あ、良かったら飲み物のお代わりは?」
「あ、いただきます」
飲み終わったグラスをさげてもらい、新しいのを注文する。
店にいる間は、普段の悩み事は持ち込みたくないと思っているものの、今回はなかなか頭から離れてくれない。
玲奈へ送った連絡に反応がないのはいつものこととは言え、授業にすら出てないのはおかしい。
瑞希と玲奈は、ランク3の家庭が対象の一般層特待制度を利用して大学へ入学した。その制度を使うことで、ある程度学費を免除して貰えるのである。
しかし、その制度の対象者になるには、一定の成績を納めなければならない。その基準から外れてしまうと、今後の特待制度の恩恵を受けられなくなってしまう。
一般層とは言え、奨学金などをうまく使わなければ、子どもを大学まで通わせるのは難しい家庭が多い。瑞希も玲奈も、高校時代から一定基準の成績を納めたからこそ、この制度を利用し大学へと入学できたのだが……。
──このままだと、外されちゃうかもしれないのに。
大学生活を楽しみにしていたはずだ。そんな彼女が、授業に出ないなんてことあるのだろうか。
「どうぞ」
ぐるぐると悩む瑞希の前に、注文した飲み物が置かれる。
お礼を言い一口飲むと、甘酸っぱさが体中に染み込む。
「おいしい……」
思わずぽつりと口からこぼれるくらい、とても美味しかった。
「でしょー。マスターが作るドリンクはどれも美味しいからねぇ」
「っ!?」
突然真横から声をかけられ、飲みかけていた飲み物が器官に入り思い切りむせてしまった。
「大丈夫ですか? ちょっと神宮寺さん、いきなり他のお客さんにちょっかい出すのはやめてって言ってるでしょ!」
マリアが駆け寄って来て、むせる瑞希の背を摩ってくれる。そして、突如隣に現れた人物に向かって注意する。
怒られた当の本人は、「ごめーんて、マリアちゃん」となんとも軽い謝罪の言葉を投げる。
「はぁ……本当にごめんなさいね。彼のことは空気と思ってもらっていいから」
「だ、大丈夫です。驚いただけなので」
「マリアちゃん、空気とは酷いじゃないか。楽しくがモットーだよ? ほら、客なんて私たち2人しかいないじゃないか。寂しくならないように、私が道化を演じているんだよ」
「神宮寺さん……そう言って、この前騒ぎすぎて、遥に怒られたばかりじゃないですか」
「うん、そうだね。だから、怒られないギリギリを狙って」
もともとこのお客さんは、マリアたち店のスタッフと知り合いなのだろう。
ここに通い始めてから、彼の姿は何度か見かけていた。よく親しげに話しているのは知っていたが、このやり取りを見ていると、瑞希が思っているより随分仲が良いのかもしれない。
その様子が羨ましいと思ってしまい、そう思ってしまった自分が少し恥ずかしくなり、瑞希は飲み物を一気に飲んだ。
会計をお願いし、そそくさと店を出る。
「またいらしてくださいね」と言うマリアに、今日は何も返さずに店を出てしまった。
「……あ、雨」
地上に出ると、ぽつりぽつりと雨が降っていた。傘を持ってきていないが、このくらいならば傘をささずとも問題ないだろう。
両親に今から帰るとメールを打っていると、今瑞希が出てきた地下街から、先ほど話しかけてきた男性が出てきた。
「あ、いやいや、さっきは失礼してしまったね。さすがに飲み物を飲んでいる時に、突然話しかけるのはダメだね。反省するよ」
男性は瑞希の姿を認めると、店の中と同じように親しげな雰囲気で話しかけてきた。
瑞希は曖昧な返答をする。
彼はただの店の客、そして瑞希もただの客。
同じ店に通う客という共通点はあれど、目の前の年上の男性との接し方を測りかねていた。
瑞希がメールを打っている間も、男性はずっとその場に佇んでいる。
雨宿りをしているように見えなくもないけど、その視線はずっと瑞希を見ているようで、居心地が悪かった。
「……あの、何かご用でしょうか?」
メールを打ち終わり、その場から動かない男性に恐る恐る話しかける。
だが男性は「いや、何も」と答える。
「むしろ……君の方が、用があるかもしれないよ」
「……はい?」
男性の言葉の意味が分からなかった。訝しがる瑞希に対し、男性は気にせず話を進める。
「君、ここ最近何か悩みごとでもあるのかな? 店で見かける度、そんな顔をしているよ」
男性の言うことは図星だ。
だけど、ほぼ初対面に等しい人に対し、素直にそれを認めることはしない。
そんな空気を読み取ったのか、男性は1枚の名刺を取り出し、瑞希に差し出す。
思わず反射的に受け取ってしまった。
そこには瑞希も知っている有名なグループ会社の名前が書いてある。肩書きも、それなりの地位のようだ。
「まあまあ、いきなり認めるのは難しいよね。今後、もし君の悩み事が君自身の手だには負えないと思った時、連絡しておいで。そうしたら私が、その悩み事を解決できるかもしれない人へ、繋いであげるから」
「はぁ……」
気のない返事をしてしまった瑞希など気にせず、男性はそれだけ言って、駅方面とは反対方向──ブロック街のほうへと歩いて行った。
「……悩み事」
傍から見た自分は、それほど悩みを抱えているように見えたのか。マリアやあの男性が気付くほど、思ったより体面に出てしまっていたのかもしれない。
受け取ってしまった名刺にもう一度視線を落とし、そのままカバンの中へとしまった。
その時は、まさか本当に名刺に書いてある番号に連絡するとは思ってもいなかった。




