誰のため①
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誰のため
「もちろん、これは友だちのためです」
思ったよりも冷たい風が吹いてきて、開けていたコートの前を閉めた。
3月に入り、日中は少し暑いくらいの気温なのに、日が落ちるとまだまだ寒い。
だんだんと街灯や街明かりが背後に遠ざかって行く中、少し先を歩く玲奈を見る。
「玲奈ちゃん、携帯見ながら歩くと危ないよ」
「うるさい、話しかけないで」
不機嫌な声が返ってくる。
携帯を見ながら歩くなんて、危険だよと伝えるけれど、どこ吹く風。しかも今は、機嫌が悪くなる事があったので、これ以上口を出すともっと不機嫌になりそうだ。
瑞希は先行く玲奈のあとを追いながら改めて周囲を見渡す。
先ほどまで歩いていた駅周辺の賑やかさは遠ざかり、環境音しか聞こえない場所まで来た。
人通りもめっぽう減り、今は瑞希と玲奈しか見当たらない。
「ねぇ、玲奈ちゃん。本当にこの先にお店があるの?」
「うるさい。黙って」
時々玲奈に声をかけてはみるものの、彼女の機嫌はなかなか良くならない。
仕方がないとは思いつつも、これから向かう場所が分からない瑞希にとっては、不安しかない。
つい先日、瑞希たちは高校を卒業した。
瑞希がよく話していたグループの人たちで、卒業と大学合格のお祝いという名目で、食事会でもやろうという話になった。
けれど当日、いざ待ち合わせ場所に行ってみると、瑞希と玲奈しか集まらなかった。
他の人たちは家の用事や風邪など、どうやら来ることができなくなったらしい。
2人しかいないけれど、せっかくだから言うことで、今瑞希と玲奈はお店に向かって歩いているところだ。
玲奈の後に着いて歩くこと数十分。
駅周辺からはだいぶ離れ、普段あまり立ち入らない区画までやって来た。
──この先まで行くと、もうブロック街になっちゃうよね……?
ブロック街。
所得階級制度というものによれば、いちばんランクが低い、つまり貧困層の人たちが多く住む場所。
瑞希はランク3の一般層生まれで、小さい頃からブロック街には近づかないようにと親に言われてきた。
だから、こんなにブロック街が近い場所まで来たことはない。
さすがにこれ以上はと声をかけようとした時、今までずっと携帯をいじっていた玲奈が携帯をしまった。
そして、近くの建物のそばにある、地下へと続く階段へと進んでいく。
「着いたの?」
問いかけるけど返事はない。
瑞希は階段を降りていく玲奈の後を追う。
長くない階段を降りると、そこは横に長く伸びた通路になっていた。
それなりに広そうで、通路の左右には扉や看板があるので、ここはお店が立ち並ぶ地下街のようなものだと思った。
玲奈は階段を降りて右に曲がり、そのまま奥まで進んでいく。途中で気づいたが、瑞希たちが進む先の突き当たりに人の姿があった。
玲奈はどんどん進んでいき、その人のところで立ち止まった。
そこにいたのは、まだ未成年であろう少年。ゲーム機を手に、大きな木箱に腰をかけている。
瑞希たちが立ち止まったのを感じてか、その少年はゲーム機から視線を上げた。
「……うちの店?」
少しかすれた、高めの声だ。
「そう。2人、空いてる?」
「……会員カード、見せて」
そう言われ、玲奈は小さなショルダーバッグから黒い名刺サイズのカードを取り出す。
「……そっちの人は?」
少年が瑞希の方を見やる。瑞希はカードなんて持っていないと言うと、少年は木箱の上に置いてあった小さい紙とペンを手渡してきた。
「……カード、ありがと。そっちの人は、これに名前書いて、スタッフに渡して」
「は、はい」
少年は親切にも、木箱から降りて店のドアを開けてくれた。
お礼を言いながら、先に店内に入っていく玲奈を追うように、瑞希も店の中に足を踏み入れる。
率直な感想として、すごく素敵で、大人な場所だと思った。
店内はおそらくそんなに広くはない。
カウンター席と数席のテーブル席。
広くはないけれど、窮屈さも感じない。
店内には瑞希たちの他に、テーブル席に3人とカウンター席に1人だけ。流れる音楽がはっきり聞こえるほど、店の中は静かに賑わっていた。
「いらっしゃいませ」
カウンター席に座った玲奈の隣に座ると、店のスタッフが声をかけてきた。
ゆるく巻かれた長い髪をハーフアップにまとめた、同い年くらいか、少し年上であろうスタッフ。
──すごく、美人さんだ。
思わず何度も見てしまうほど、美人な女性だった。
「こちら、メニュー表です。……玲奈ちゃん、だったかしら? また来てくれてありがとう」
スタッフが玲奈に向かって笑いかける。
玲奈は最初きょとんとしていたが、思い出したのか、笑顔で返事をする。先ほどまでの不機嫌さは消え、少し高めのテンションで受け答えしている。
瑞希はその様子を横目で見ながら、まだ見慣れない店内をキョロキョロと見回す。
瑞希たちが座っているカウンター席から見える棚にはたくさんのボトルが並んでおり、バーテン姿の男性が1人、瑞希たちから少し離れたカウンター席に座る客と話している。
その男性も、金髪に染められたであろう頭に目がいくものの、顔立ちもかなりカッコイイ部類に入るのではないだろうか。
「そちらのお客さんも、注文決まったら声掛けてくださいね」
玲奈と話していたスタッフが、気を利かせてか瑞希に向かって声をかけてくれた。思わず大きな声で返事をしてしまい、笑われたのが少し恥ずかしい。
瑞希たちの傍を離れそうとするスタッフに向けて、玲奈が待ったをかけた。
「あの、前にバーテンしてた人、今日いないの? あの……茶髪の人」
「茶髪……あぁ、ユウタのことかしら。残念、今日は風邪で店には出ないわ」
聞いておきながらさほど興味がなかったのか、玲奈の反応は実に素っ気なかった。
そんな彼女の態度を気にする訳でもなく、今度こそスタッフは瑞希たちの傍を離れた。




