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アンがいなくなると、屋敷には入れ違いにお父様が帰って来る。それを知っているアンは、毎日帰る前に「それでは、また明日」と私の頭を撫でていった。
明日、と約束してくれるのが嬉しかった。
夕食はお父様と共に摂る。二人きりの食卓に「母親」の姿はない。
私は母親の顔を知らない。お父様の「妻」である女性が屋敷に住んでいるのは知っているが、彼女と顔を合わせたことはないし、また、その人が私を産んだのかも定かではない。とはいえ、対外的には彼女が私の母親となっているのだろう。
「リリア」
「はい、お父様」
名前を呼ばれれば、夕食の「儀式」が始まる。この時間が一番嫌いだった。しかし、それを見咎められればきっと酷いことになる。
ふと、アンに言われたことを思い出して、私は微笑んでみた。するとお父様は面白そうに眉を上げる。
「なんだ、媚を学んだか」
「笑顔が人を魅力的にするとアンに言われました。私はそのようになりたいので、今夜から練習しようかと」
「良い心がけだ。女は笑み、男に頭を垂れ、老いては子供に従うものだからな」
さあ、と促され、私はお父様の足元に跪く。そこには私の食事が、床にずらりと並べられている。
「さあ、食べなさい」
「……はい」
カトラリーは与えられない。皿の上の料理を、私は直接口につける形で、家畜のような姿勢で食べる。
これがお父様にとって大事な儀式。私は人間ではなく、お父様に飼われる存在であることを植え付けられる。
「そこまで」
お父様がそう言えば、たとえ途中であっても食事は止めだ。体を起こし、使用人が皿を片付けていくのをぼんやり眺める。汚れた口元は、許可が出るまで拭くことはできない。
そんな私を満足そうに眺めて、お父様は白いテーブルクスの上、綺麗にセットされたカトラリーで自分の食事を始める。
食堂には絨毯が敷かれていないため、大理石の冷たさが直接伝わってくる。体の芯から冷えてくるようだ。
ここで私は人ではない。--私が人であったことなど、一度もない。
それでも、それでもと思う。私が約束の乙女として王子に選ばれて、お父様の夢を叶えたら――そしたら、私は人間になれるだろうか。
人間として、お父様に愛してもらえるだろうか。
愚かしいことに、私はやっぱり、お父様に愛してほしいと願っている。私を必要として、生み出したお父様。
この人だけが、私の世界のすべてだった。