表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
パン屋の売り子に私はなれない  作者: 桜楽ぬぬ
5/6

第5話

 教員生活は想像していたよりも過酷だった。

 ベテランの先生の後ろでいろはを覚えるものかと思っていたが、採用されたその瞬間からいきなり  教師であり、ひとたび教壇に立てばベテランも新人も関係はなかった。

 さいわい、担任だけはまぬがれることができたものの、学年団というくくりでは2年生の担当となり、家庭科の授業ではひとりで1年から3年まで教えなければならなかった。

 家庭科の授業数は副教科のため少なく、だいたい学校の家庭科の教員は1校につき1人らしい。訊きたいことは山ほどあったが、なにせ家庭科の教師は自分だけだ。自分でどうにかするしかない。

「では、今日は118ページ、食の安全性とリスク評価からです。教科書を開いてください」

 私は震える手で【食品添加物と表示】と板書した。

 すこし字が小さすぎただろうか。いや、これぐらいか。

 先日、夜の校舎に残ってひとり板書の練習をしたが、正直よくわからない。

 足ががくがくして頭がすぐに真っ白になった。

 おそるおそる振り返ると、40人、80個の眼がいっせいにこちらを見ている。引き返すことはできない。

 私は唾をごくりと飲み込むと、昨日まとめた板書用のカンペをもう一度確認した。

 唾を飲み込んだときのざらついた感触が、喉の裏に残って気持ちが悪い。

 なかなか進まない授業に生徒がざわつき出した中、ひとりの生徒が手を挙げた。

 私はなぜ手を挙げているのかわからずおろおろすると、とりあえず当てようとしたが生徒の名前がわからない。

 誰だっけ。思い出せない。えっと名簿名簿……。

 私は名簿をすばやく確認すると

「あっ、えっと、山田くん、どうしましたか?」

 と尋ねた。

「なんで急に118ページからなんですか?」

 そこついてきたか。教科書通りに進めるなら第1章、人の一生と家族・家庭及び福祉からだが、予習してもちゃんと教えられる自信がなかったため、自分がすぐにでも教えられる所から教えていくあいだに、他のページを予習・復習、奥の手Youtubeで理解を深める作戦だった。

「えっと……」

 80個の瞳が全集中で私を見る。

 私は額から流れる冷汗を拭うと、

「こっ、効率よく授業を進めるために、先生なりの進め方で授業をしていく予定だからです」

 と苦し紛れに本当のことだが、なんとなく納得できそうなことを言ってみた。

 山田は「ふーん」というと、納得したのか席に座った。

 私は思わず、セーフ、と胸を撫で下ろすも、心拍は依然としてはやかった。

(私、落ち付け!)

 混乱する自分を無理やり深呼吸することでなんとかなだめ、また板書を始めると

「……のクセに……とかウケる」

 と女子生徒たちの笑い声が聞こえてきた。

 自分のことだろうか?

 それとも、まったく関係のないことだろうか?

 関係のないことなら注意した方がいいのだろうか?

 堂々巡りな思考がオーバーヒートするのと同時に、生徒たちの笑い声がだんだん遠のいて行き、気が付けば保健室のベッドの上で眠っていた。

「気付かれましたか。橘先生、大丈夫ですか?」

「ここは……」と私はゆっくり起き上がる。

「保健室です。橘先生、覚えてらっしゃらないんですか?授業中にいきなり倒れたんですよ」

「じゅっ、授業……!い、行かないとっ!戻らないとっ!」

 無理やり起き出そうとする私を、保健室の中村先生が制した。

「もう放課後です。今日は安静にしていてください」

「放課後……。ぶ、部活!行かないとっ!」

 またもや起き出そうとする私を中村先生は制すと、

「橘先生、かなりお疲れじゃないですか?このままではもちませんよ。とても。ご自分を大切にしてください」

 と心配そうな顔で言ってから、そっと自分の机に戻りパソコン作業を再開した。

 自分を、大切に、か……。

 ここのところ徹夜続きでろくに寝ていない。家庭科の授業予習は予想以上に難航していた。わからないでは生徒に示しがつかない。

 また、部活ではぜんぜんやったことのないバスケットボールを任され、それもルールからトレーニング、戦法と勉強中である。

 正直これほど教師が忙しく、その割には低賃金で、土曜は部活に駆り出されるもボランティア同然で、低燃費な職業だとは思わなかった。いくら公務員とはいえ、よっぽど好きでない限り続かないだろう。こればかりは御手上げだった。

 だが、石の上にも三年、私はとりあえず病院と同じく3年間だけがんばることを目標にし、3年後も思いが変わらなければ、そのまま辞めることにして、本気でパン屋の売り子になることを考えた。



お読みいただきありがとうございました!

感想などお寄せいただければ嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ