幻想と過去
先程までの神秘的な空間は全て偽りだった。光は失われ、薄暗い教会の中を取り繕っていただけに過ぎなかった。
「ちっ! あと少しで上手くいったものを」
「⋯⋯!!」
カイトは急な変貌に驚き、距離をとる。目の前の女にヒカリであると思い込まされていたのだ。
背中には大きな漆黒の羽、頭には悪魔のツノが生え、ヒカリとは似つかない紫色の唇。まるでサキュバスのような女である。
「私とキスさえすれば、永遠に偽りの世界で幸せに暮らせたものを」
「誰がお前なんかと!」
「ふふっ。先程まで騙されていた間抜けとは思えない程強気ね」
幻想が解けたおかげか、白のタキシードからいつもの格好に戻っていた。カイトは腰から短剣を抜き、戦闘態勢をとる。
「はあっ!」
カイトは短剣でサキュバスに向かって斬りつけるが、リーチも短く、バックステップしてあっさりと躱される。
カイトの動作は見切られていた。
「貴方のフィアンセを演じられるくらい、貴方のコトはお・み・と・お・し」
バサッ、バサッと翼を羽ばたかせ、上空へと移動する。
「次はこっちの番よ。チャームウィング!」
サキュバスの翼から無数の羽が猛スピードでカイトに襲いかかる。咄嗟に両手をクロスしてガードするが、まるで雨の如く降り注ぐ。
一つ一つの羽が、細かい針のようだ。掠めるだけでも、流血し、ダメージを受ける。
「まだ耐えられる! はっ!」
左手で短剣をふるい、その風圧で僅かに生まれた隙を狙い、左側へと避ける。
目標を失った羽がカーペットに次々と刺さっていく。
「こんな攻撃でやられるものか! くらえ! エアースラッシュ」
カイトが短剣を上空に向かって払う。すると、剣先が風を切り、サキュバスへと鋭い衝撃波となって放たれた。
体勢を崩しながらも、直撃を避けるが、さすがに交わしきれず腕に傷を負っている。サキュバスの白い肌からは少し黒みがかった血が流れていた。
「今だ! もう一撃――っ!?」
カイトがすかさず、二撃目を放とうとするが、いきなり力が抜けてカランと音を立て、剣を落としてしまう。
「効いてきたわね。 私のチャームウィングは掠っただけでも効果的面よ」
「身体が動かない⋯⋯」
カイトの身体は自由を奪われ、意識もぼーっとしてくる。自分の意思と反してサキュバスの方へと歩いてゆく。
チャームウィングには、誘惑効果があり肌を掠っただけでも誘惑状態となってしまう。カイトは無数の羽を浴び、腕や足の至る所に擦り傷が目立っていて、誘惑状態にさせるには充分すぎる程だった。
誘惑にかかると、敵に魅了され、深い誘惑にかかると相手の言う事に逆らえなくなってしまうほどの強力な効果がある。
「く⋯⋯そ⋯⋯。身体が勝手に⋯⋯」
「そうよ。そのまま私の所へ来なさい。ホントは死の接吻を差し上げたい所だけど、簡単には死なせないわ。たっぷりと楽しんであ・げ・る」
「お前みたいな悪魔に⋯⋯なん⋯⋯か」
「悪魔とは失礼ね! 私にはレイナというステキな名前があるのよ」
「レ⋯⋯イナ⋯⋯?」
カイトは朦朧とする意識の中で、シェイナの言葉を思い出していた。
魔女のレイナ⋯⋯。
グランドマスターの一人であり、言い伝えに残るほどの強さを誇っているらしいが、まさか目の前にそのグランドマスターがいる。
その強さはエリーナで証明済であり、到底勝てるような実力ではなかった。
「さあ。こちらを向きなさい。ステキなものを見せてあげるわ」
――レイナが羽をバサっと広げたと思うと、風景が切り替わり、気づいたらマイトの村にいた。レイナの姿も無くなり、向こう側から大きな三つ編みの女の子が歩いてくるのが見える。
「ヒカリ!!」
カイトの身体は自由に動けるようになっていて、ヒカリの方へと走っていく。
「あ、やっと見つけた! もうどこ行ってたの?」
「え? 気付いたらマイトの村にいて⋯⋯」
ヒカリはぷりぷりしながら、後ろの大きな三つ編みは、やっと来た。もうどれだけ待ったと思ってるのよ! とこれまた怒っている。
「あぁ⋯⋯、ごめんよ! じゃあ行こうか」
すると後ろから何やら聞き覚えのある声がする。ヒカリはカイトが目の前にいるのを無視している。というよりは視点も合わず完全に気付いていないようだ。
カイトは後ろを振り向くと、そこにはクライヴがいた。前にあった騎士の姿ではなく、素朴でいて、村の好青年の様な姿をしている。
「クライヴさん!?」
クライヴはカイトを無視してヒカリの方へと歩いていく。この距離で二人の間にいるのにカイトに気づかないのは不自然である。
ここでカイトは一つの可能性に気づく。無視されているのではなく、カイトの存在がここに無いのではないか。
すると、カイトの脳に直接語りかけるように聞こえてくる。
「ふふ⋯⋯。貴方はこの世界には干渉できないわ。これは実際の過去よ。貴方の知らない過去。真実をその目でご覧なさい」
誘惑効果なのか、カイトの意識は既に混乱状態となっていて、その声がレイナかどうなのかも判断が効かない。
「もう! クライヴったらいつも私のこと待たせて!」
「まあいいじゃないか。昔からの付き合いだし今更だろ? そんな事より、今日もお前はかわいいな」
クライヴはヒカリに近づき、優しく髪を撫でる。そして頬を紅く染めて、照れながらも凄く嬉しそうなヒカリ。
(なっ⋯⋯!)
どれだけ話しかけようが、カイトの声は届かない。クライヴとヒカリは仲良く手を繋ぎ、出会いと別れの丘の方角へと歩いていく――
――場面は突然切り替わり、丘の上でヒカリとクライヴは向かいあっていた。
そしてクライヴは肩に優しく手をかけ、ヒカリは背の高いクライヴに届くように少し背伸びをして二人は唇を重ねた。
(なんで⋯⋯クライヴがヒカリと⋯⋯。何故、これが過去?)
カイトの胸はギュッと締め付けられるような感覚に襲われていた。しかし、二人から目を背けることも許されず、キスをしている二人をずっと見ているしかなかった。ずっと⋯⋯
(やめてくれ⋯⋯。僕はヒカリのことが⋯⋯。でもヒカリは、クライヴさんが、うわあぁぁぁぁ!!)
心は音を立てて崩れる。でも目を背けることは許されない。涙も叫びも何処にも届かない。
場面は突然切り替わる――
――二人は家の中にいた。そこには、カイトの見たことのない、白い肌が晒されていた。手を伸ばせば届きそうな、白い肌。
それがクライヴによって体を重ねて汚されていく。汚れていく。汚れて、汚されてキスをされ汚れていく⋯⋯
目を背けることはできない。致すところまで全て見なければならない。カイトの大好きなヒカリが目の前で汚されていく。優しく、激しいキスをして、ベッドが揺れている。
(もう⋯⋯やめてくれ⋯⋯やめて、ください。僕はヒカリが⋯⋯)
場面は突然切り替わる――何度も繰り返される。嫉妬と憎悪と殺意と。何度も汚された世界を繰り返し見せられる。
何分経ったのか分からない、何時間経ったのか分からない、何日経ったのか分からない。
ただ何度もヒカリの過去といわれるものを見せられる。自分の大好きな人を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――
――場面は突然切り替わる――




