地獄の幕開け
エリーナの殺気は小屋ごと飲み込む巨大。且つ繊細であり、その鋭い殺意を向けられ自分が殺されるイメージしか湧かない。今すぐにでもこの場から逃げ出したい。
しかし、蛇に睨まれた蛙とはこのことだろうか。一歩でも動けば首が跳ね飛ばされような感覚がある。
「ゴクリ⋯⋯」
カイトが緊張に耐えきれず、生唾を飲んだ瞬間、エリーナは目の前から姿を消した。
「なっ――!?」
「坊やは一回死んだわね」
エリーナは一瞬でカイトの背後に回り首に冷たいナイフが当てられている。首の表面はナイフで薄く切れ、血と冷や汗が混じり服の方まで垂れている。
「カイト!」
「うふふ。お姫様を庇うところまでは合格かしら。でもその実力じゃ王子様が何人いてもお姫様のバッドエンドしか見えないわ」
首に当てているナイフを戻し、先ほどまで放っていた恐ろしい殺気が無くなっていた。
カイトは殺気から解放されて安心したのか、その場で膝をつき顔からは尋常ではない汗が吹き出していた。
「これから鍛えてあげるのにほんの少しだけ試してあげたのよ。こんな戯れ程度で逃げる様ではお話しにならないから。まあただ怖くて動けなかった可能性も否めないのだけれど」
「大丈夫? 今首の怪我治してあげるから。 ヒーリング!」
「あ⋯⋯ありがとう」
カイトは首の傷をヒカリに治してもらい、立ち上がった。
「私も全く動けなかった。動いたら殺されると思って⋯⋯」
シェイナも突然の出来事に反応する事ができず、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
今まで出会った誰よりも強く、どんな魔物よりも恐ろしかった。それほどまでにエリーナと自分の力の差を認識してしまった。
「まあとりあえずは全員合格よ。生きて帰ってくることが条件と、坊やが腰抜けではないことが確認出来たわ」
「エリーナさん、一体貴方は⋯⋯」
「お兄ちゃんは寝てたから知らないよね! お師匠様は世界で最強のぐらんどますたぁなんだよ」
「グランド⋯⋯マスター?」
「エリーナさんはとーっても強いの。ネクロちゃんも私達では手も足も出ないくらい強いわ」
ヒカリとシェイナはモンテプローヴァの山へ行ったことや、無事生きて帰ってこれた時には、エリーナが修行をしてくれるということなど事の経緯をカイトへと話した。
「それだけ強いのならばこの『闇』も消すことができるのですか?」
「そう。そういう期待の目が嫌いなの。強いからと言って自分は何もせず頼るだけ。そしてその強さ故に利用したり、避けられたりする都合の良い人間達が⋯⋯」
「あ⋯⋯すいません。でもきっとそんな人ばかりじゃないと思います」
「聞き飽きたわ。だから私は運命に従うの。世界が平和になろうが『闇』に飲まれようが私は全てを受け入れる」
エリーナは何度も同じ話しを聞いてきたのだろう。それこそ利用したい人間は耳障りの良い声で何とでも言う。
しかし、人間の身勝手さに呆れてしまい人里を離れた。強さ故に⋯⋯
「きっとそんな事ないって私達が証明してみせます! でも弱いままじゃ何もできない。ううん、出来なかった。 エリーナさん! 私達に稽古をつけて下さい」
ヒカリの青く澄んだ瞳は、絶対に強くなるという決意に溢れていた。強く、強く⋯⋯
「勿論いいわ。修行が辛すぎて逃げ出さないことね。まあその時は貴方達の覚悟がその程度だったということだけれど」
「大丈夫です! 私達は必ず強くなってみせます」
「そうだね。僕も記憶を失い、意識すらも無くして頼りない自分にウンザリです。必ず強くなってみんなを守ります!」
「まぁ私はどっちでもいいけど、二人に負けるのも嫌だから頑張る!」
三者三様の決意が出揃い、エリーナに翻弄されながらも修行を始めることにした。
モンテプローヴァの山から帰って来たばかりであり、カイトも目覚めて魔力もフルに回復していないことから、明日から外での修行が開始される。
「今日は外に出ても『闇』が深くなる時間帯だから、まずは基礎知識から始めようかしら」
「基礎知識⋯⋯苦手だ」
シェイナは自由奔放に生きてきた為、机の上で丁寧にお勉強というのは苦手な部類だ。自分の興味のある文献を読んだり、お宝の在り処を探すことには長けているのだが⋯⋯
「はい! 何事も基本が大事よね。是非お願いします」
「ヒカリはほんとに真面目だなぁ⋯⋯僕も見習わなきゃ」
「それじゃあ始めるわね。まずは基本属性の話よ。この世界には火、水、木、光、の4属性があるのは知っているわね?」
「ずっと昔からそう教わってきたので、間違ってなければ⋯⋯」
ヒカリが自信無さそうに答える。基本的に一個人が他の国に干渉する事はない為、属性については、そういうものがあるという概念でしかないので無理もない。
「続けるわね。ここに最近世界のバランスを崩壊させる属性が現れた」
「闇⋯⋯」
シェイナは呟き、エリーナはその短い一言に頷く。カイトはその言葉を聞いて表面には出さないものの、心臓がキュッと締め付けられ、息苦しくなるような感覚に襲われた。
「そう。闇属性よ。まだ解明されていない事が多く、力を求める者や『闇』そのものを崇拝する者まで現れた」
「エリーナさんは『闇』は無くなった方がいいと思いますか!?」
どこか焦りを隠せないカイトはエリーナに問い詰める。闇という存在そのものを否定されてしまえば自分の居場所がなくなってしまうという焦りだろうか。
「何度も言うけれど、私はどちらでもいいの。そもそも、欲が出過ぎた人間を抑制する為に出てきたのではないかとすら思えるわ」
「でもこの闇でどれだけ多くの人が犠牲に⋯⋯」
ヒカリは闇によって多くの人々が死んでいったことを忘れてはいなかった。カイトは少しでも自分が楽になる為の答えを求めていたことに恥ずかしさと、より強い不安を覚えた。
「そう思うならば貴方達が力をつけ『闇』を晴らせばいい。ただそれだけのこと」
「そうだよ! 強くなってあの『闇』を取っ払えばいいんだろ? かんたん、かんたん!」
「話しの腰を折ってしまい、すいません。続きをお願いします」
「まずはその属性には必ずしも弱点があるの。知っての通り火属性は木属性に強く、木属性は水属性、水属性な火属性に強いという形で成り立ち、光属性は今まで一強だったものが闇属性の出現により相対する属性となった」
エリーナの話しにうんうんと頷くヒカリと納得して同じく三つ編みも頷いているように見える。シェイナは聞いているのか、いないのか難しそうな顔をしている。
「しかし、この苦手属性というのは実は関係ないのよ」
「えっ!? 関係ない? でも私水属性物凄く苦手だよ?」
「言い換えると克服できる! という言い方が正しいかしら。遺伝子レベルで苦手だと意識させられているのよ」
「なるほど⋯⋯じゃあ訓練すれば苦手属性を無くせるのね!」
「その代わり並大抵の訓練ではないから明日から覚悟するといいわ。まずはその訓練からよ」
その後エリーナによる勉強会は続き、3人とも少し寝不足のまま次の日の朝を迎えるのであった。
そしてエリーナの地獄の修行が始まる




