8、背中を押してくれる人たちがいる
――明くる朝。
私は今、朝日を全身に浴びながら如月邸の玄関先に立っている。
朝の準備を少し早く終えた私は、こうして千聖君の車が来るのを待っているのだ。
黒崎さんやメイドの皆さんに見守られながら……。
少し瞼を腫らしながら……。
なぜ私の瞼が腫れているかというと。
昨日あれから家に帰って一目散に部屋の中に籠り、夕食もとらずに一人でギャン泣きしていたからだ。
おかげで、朝起きたときにはホラー映画張りに瞼が腫れあがっていて、ついさっきまで氷で冷やしていたのだ……。
はぁ……。
それにしても、……最悪の朝である。
昨日は散々だった……。
やること為す事、何であんなに裏目に出るのかね。
誰か裏で操作してない、これ?
……ああ、そういうシナリオだったね……。
やっぱり、運命には逆らえないのかな……。
私は溜息を一つ吐いた。
ああ、千聖君と顔合わせ辛いなぁ……。
千聖君、絶対に誤解してるよね……。
あんなとこ見たら誰でも誤解するか……。
あの瞬間だけ切り取れば、私が葉月汐莉のスカートを奪い取ったようにしか見えないもんね……。
私がその現場を見たら間違いなくそう勘違いすると思うし……。
本当に最悪のタイミングだったとしか言えない……。
千聖君の誤解を解くことができるかな……。
口下手の私に上手く説明できるだろうか……。
私はより深い溜息をもう一つ吐いた。
「お嬢様、橘様のお車が参られました」
そう私に声を掛けてきたのは、メイド長の宮入さん。
宮入さんは祥子ちゃんが生まれるより前からこの如月家で働いてくれていて、祥子ちゃんにとってはお姉さんのような存在なのだ。
お母様と年が近いということもあって、お母様の話し相手をする事も多く、如月家には無くてはならない人だ。
そんな宮入さんに振り返ると、馴染み深い顔を私に返してくる。
何故かその顔に安心感を覚えた私は。
「宮入さん、ちょっと私を強めに抱きしめてくれませんか?」
と、自然にそんな言葉が出ていた。
突然私がこんな事を言ったもんだから、黒崎さんもメイドさんたちも鳩が豆鉄砲を食ったような顔になっている。
そんな皆の反応に、私は改めて自分の言ったことに赤面してしまった。
うう、私はいい年して何を言っているんだ。
昨日の事でメンタルがおかしくなってるのかな……。
恥ずかしさから顔を俯きかけるのだけど、宮入さんは静かに私の傍に寄ってきてくれた。
「お嬢様……」
そう一言つぶやきながらその相好を崩すと、宮入さんは私の体に優しく手を回してくる。
私の背中をぽんぽんと打つ宮入さんの手。
その手からは、宮入さんの優しい気持ちまでが入ってくるようだった……。
昨日の事も綺麗に洗い流してくれて、気持ちが穏やかになっていく。
ああ、暖かい……。
「……大丈夫。大丈夫ですよ、祥子様。宮入はいつでも祥子様の味方です」
私の耳元で囁かれたその声と一緒に、宮入さんはぎゅっと腕に力を入れてくる。
本当に暖かい……。
「ありがとうございます宮入さん。もういいですよ」
私から離れた宮入さんは、ニコリと私に微笑みかけた。
「そうだ、お嬢様よろしければこれを……」
そう言って、ポケットから綺麗にラッピングされた包みを取り出し、私に渡してくる。
「これは……?」
「橘様とご一緒に召し上がられてはと思いまして、クッキーをご用意いたしました」
たぶん、昨日私が部屋から出てこなかったから気を使ってくれたのだと思う。
おまけに、朝起きてきたら凄く瞼を腫らしていたのだから、さぞ心配をかけたのだろう。
それで、私の為にわざわざこれを用意してくれたのか……。
宮入さんだけじゃない、見れば他の人にも随分と心配をかけたみたいだ……。
この家の人は本当に暖かい。
如月家の人たちがこんなに優しい人たちだったとは思わなかった……。
「……ありがとう」
私は目頭が熱くなるのをぐっと堪えると、その包みを受け取り、千聖君の待つ車へと踵を返した。
「では、行ってまいります」
「「「いってらっしゃいませ」」」
何だかいつもよりも熱が籠っている気がする皆の声。
背中に聞こえてきたその声に、私は勇気を貰ったような気がした。
今なら何でも出来る、そう思えるような勇気を……。
☆
そんな勇ましい気持ちになってた時期が私にもありました……。
皆に背中を押され、意気込んで車に乗り込んだまでは良かった。
しかし……。
千聖君の顔を見た瞬間、何も言えなくなってしまったのだ……。
何か言わなきゃと思えば思うほど、言葉が出てこなくなるし。
それで焦ってくると、頭の中が混乱してもう何が何だか分からなくなるし。
そうこうしてうちに、もう数分が経ってます……。
……ああ、ダメだなぁ私は。
車内は静まり返り、ただ車の音だけが耳を打つ。
そんな息が詰まりそうな中、ちらりと視線を隣に送る。
私にはそうする事だけで精一杯なのだ……。
…………。
ちょっ! 見てるだけで幸せになってくるんだけど!
このまま一生ここで眺めてるだけでもいいかもしれない!
……もう何だかこれは、色々と無理ですわ。
朝一でこんなイケメン見たら、何も言えなくなるっつうの!
だからもう、私が黙っちゃうのもしょうがないんだよ!
ほんと、しょうがない、しょうがない……。
……………。
あーはいはい、私はヘタレですよ。
どうせ、小市民の小心者ですよ……。
さっきの勇気は何処へ行ってしまったのか……。
その辺に落ちてない? 私の勇気さん。
「……祥子」
突如隣から掛けられた声に口から心臓が飛び出しそうになった。
「は、はははいっ!」
まさか千聖君のほうから声を掛けてくるとはっ!
不意打ちはやめて、心臓に悪いから!
「な、何をそんなに驚いてんだよ?」
「い、いえ、何でもありませんよ? そ、それで、何でしょうか?」
「ああ……、いや、昨日の事なんだけどな……」
お、……!?
き、きたっ!?
千聖君の方からその話を振ってくるとは思わなかったけど、これはチャンスよ!
ちゃんとここで弁明するのよ、私!
「えと、その昨日の事なんですけど――」
「どうも俺の勘違いだったみたいだな。すまなかった」
「――へっ?」
あ、あれ?
なんか、想定してた展開と違うよ?
いや、いやいや、これで良いんだよ。
何だか分からないけど、既に誤解が解けてたんなら色々と手間が省けたってやつじゃない?
いや待て、何か落とし穴があるのでは……?
昨日、散々な目にあったからこういうのは信用できないのよね……。
「あの後よくよく話を聞いてみれば、実は祥子が助けに入ってくれたんだって、葉月が説明してくれてな」
ほ、ほう……、葉月汐莉がね……。
「いえ、あの状態になったのは私のドジのせいですから…………。……それに……千聖君さえ、……誤解してなきゃ……私はそれで……」
うう、ダメだ、後半は蚊の鳴くような声になってしまった……。
今の、聞こえて……ない……か……。
うう、ヘタレな私よどっか行け!
「随分と感激してたぞ、昨日一日でかなり迷惑かけたのにって」
あら、……そうなの?
へぇ……、そうなのか……。案外、良い子なのかしら……?
いやいや、敵に塩を送る的なやつかも……。
「あら、葉月様が……。そうですか、私は別に気にはしていませんのに」
まあ、気にしてないと言えば嘘になるんだけども。
こうして千聖君と話が出来るだけで、そんな事はどうでもよくなってしまうのは本当だ。
昨日はあんなに怒って泣いてしてたのに、千聖君の声には不思議な力があるのかもしれない。
「へぇ……、なんだ、もっと怒ってるかと思ったけどな。ほんとに気にしてないのか?」
「ふふふ、私は心が広いんですよ。知りませんでしたか?」
私がすました顔でそう答えると。
「……それは、知らなかったな」
千聖君は少し驚いた顔で返してくる。
千聖君……その表情はどういう意味ですか?
心外な表情を返し来た千聖君だけども。
その顔を見たら……。
「あ、信じてませんね? 本当はすごぉく優しい人なんですよ、私は」
……ああ、ダメだ。
「おいおい、それ自分で言うのか?」
この空気に……。
「そうですよ。自分で言わないと誰も言ってくれませんからね」
「……それは日頃の行いのせいじゃないのか?」
その、僅かに浮かべた笑みに……。
「あ、酷いっ! 酷いですっ。ああ、私は傷つきました。それはそれはもう深く傷つきましたよ」
私の胸はどうしようもなく高鳴るのだ……。
「お前、広い心は何処いったんだ……?」
「たった今凄く狭くなってしまいました。もうダメです、しばらく立ち直れませんよこれは。……どうしましょう?」
真っ白になる頭の中から……。
「どうしましょう……って、さっきから何を言ってんだお前は……?」
「ここは、あれですよ! さっきの事も含めてお詫びを要求しなければなりません!」
勝手に言葉がこぼれ落ちてくる。
「おい、ちょっと落ち着け。お前、少し変だぞ……」
「変じゃありません! ちょっと、その、あれですよ……、お、お詫びのしるしが欲しいだけです……!」
きっと後ですごく後悔するのかもしれない……。
「お詫びのしるし……? なんだ、何か欲しいものでもあるのか?」
恥ずかしさで悶えるのかもしれない……。
「欲しいものというか、してほしい事というか……」
「してほしい事……?」
それでも私は……。
「いえ、……えと、……その、…………今日、ですね……。お、おお、お昼を、……ご一緒……したいな……と……」
それでも私は、この時の私を、よくやったと褒めてやりたいのだ。
「お前、昼飯を誘うくらいで、……何をそんなに、照れてんだよ。……こっちまで恥ずかしくなるだろ」
「だ、だってっ。……そりゃ……、……照れるでしょ……」
恥ずかしさで視線を外してしまったけど、私の真っ赤な顔が伝染したのか千聖君の顔も赤く染まっているのが見えた。
千聖君も同じように照れているのだと思うと、なんだかお互いの気持ちが繋がっているようで嬉しい。
そしてそのまま、二人して無言の時間が暫く続いた。
その間も私の心臓は、喧しいくらいにドキドキと強く打ち鳴らされ続けている。
「……ま、まあ、たぶん怜史が一緒だけど、それでいいなら……」
千聖君は、素っ気ない口調でそう呟いた。
「……えっ……?」
「だから昼飯だよ、一緒に食べるんだろ?」
「あ、は、はいっ! 食べます! 食べますとも!」
嬉しさで気持ちが昂った私は、ずいっと身を乗り出してしまった。
そのせいで、気付けば千聖君の顔が随分と近くに……。
ぐはっ、アップの千聖君の破壊力がっ!!
これは堪らない!!
うう、鼻血出そう……。
と、私がその破壊力にダメージを負っていると。
「お、お前、ちょっと、近い……、ん? 祥子、……その目……」
……え?
はっ!!
そうだった!!
昨日、散々泣き散らしたせいで目が腫れてるんだったぁ!!
近づいちゃだめだぁ! こんな目は見せられねぇ!! いや、見せちゃなんねぇ!!
私は自分の目を、ついでに真っ赤になった顔を隠すように、両手を衝立のようにして自分の顔の前に翳した。
「み、……見ないで……ください……」
もうしっかりと見られた後かもしれないけども、せめてもの抵抗だ。
見るならもっとベストな状態を見てほしいし。
そんな全力で顔を隠す私を見て、千聖君は何かを察したのかそこから黙り込んでしまった。
……急に静かになると、それはそれで困るわけで。
この沈黙は何? と、指の隙間から覗き見る。
そこには、窓の外に視線を向ける千聖君の姿が……。
なんだろう?
考えが読めないな……。
怒ってたりは、……してないよね?
そして、暫くの沈黙のあと、千聖君の口から出た言葉は。
「……じゃあ、……今日から昼飯は一緒に食べるか……」
「――!?」
私の胸をさらに高鳴らせるものだった。
「……は……、はい……」
張り裂けそうな胸を無理やり抑えて絞り出したその声。
その声を聞いた千聖君は、少し笑みをこぼしていた。
いつもお読みいただき誠に有難うございます(/・ω・)/
うんうん唸りながら書いてると、どんどん遅筆になっていっちゃいます(*´・ω・)(・ω・`*)<困ったもんだね
次こそはもっと早くと、自戒をこめながら次回へ続く(_´Д`)ノ~~
ブクマ、評価頂けたら嬉しいです(*ノωノ)




