53、心はほっこら
袴姿の女子生徒が、静かに目を閉じ精神統一をする。
すると、まるで凪のように心は乱れを失い、それは体へと伝播する。
女子生徒はその身体にしては不釣り合いな程の大きな弓をその手に持ち、静かに構えをとった。
張り詰めるような静寂がその場を支配する。
そして。
綺麗な弦音が鳴ったかと思うと、矢は空を切るように放たれ見事に的を射る音を響かせた。
その見事な音を響かせたそこは青華院学園の弓道場。
道場内には放課後の部活動に勤しむ部員たち。
その皆が一様に練習に励んでいる姿は真剣そのもの。
その部員たちから次々に放たれる矢の音は弓道場の外にまで響き、まるで道場の神聖さが外まで漏れ出ているような、そんな気がした。
「橘様のお話ではこの辺りのはずなんですが……」
蚊の鳴くような声でそう言ったのは晴香さんだった。
弓道場の裏手はあまりに静かな所で、少しでも大きな声を出す事を憚れる、そんな雰囲気が漂っていた。
その雰囲気に呑まれたのか、晴香さんは必要以上に声を殺して話す。
「こんな所、初めて来ましたね……。祥子様はこんな所に祠があると知っていましたか?」
薫子さんも晴香さんに倣うように小声で話してくる。
「私も初耳でしたわ…。神聖な弓道場の為に建てられたのかもしれませんわね」
私も二人に倣って小声で話す。
「なるほど。そうかもしれませんね」
邪気を払うというのだろうか。道場なんかには必ず神棚があるもんね。
多分そういう事ではないかと思う。
「そう考えると、なんだか心が締まるような思いがしますわね」
「そうですね。祥子様の仰る通りです」
そう言葉にするだけで何故か空気が張り詰める。
こういうのを言霊というのかもしれない。
薫子さんと私は、ピリッとした感覚を肌で感じながらその雰囲気に浸っていた。
そこに――
「わー! 弓道ってかっこいいね! 見て見て祥子さん。袴姿良いよ!」
興奮気味に大きな声を張り上げる汐莉さん。
…………。
「そ、そうですね」
「ちょっとやってみたいなぁ。あ、でも道具とかって買わなきゃだめなのかな? んー、どうしよう」
弓を弾く姿がそんなに気に入ったのか、尚も大きな声ではしゃぐ無邪気な汐莉さん。
「か、借りられるんじゃありませんか…?」
「あーなるほどぉ。そっかぁ。うーん、どうしよっかなぁ」
汐莉さんが口を膨らませて悩んでいると――
「葉月さん、あなたは少し空気を読むべきです。こういう場所では静かにするものでしょう」
「静かにするものですわよ」
そこに薫子さんと晴香さんが口を挟んできた。
「え、あっ、ごめんなさい! 私声大きかった?」
それはもう無邪気なくらいね。
「どんな時でも淑女としての品位を忘れてはいけません。わかりますか?」
「おわかりですの?」
「は、はい……」
薫子さん達に言われて、無邪気な汐莉さんは何処へやら。
さっきとは打って変わって反省するようにシュンとしてしまった。
なんか可愛そうな気もするけど、そりゃ言われるよね。
ずっと無邪気にはしゃいでたからね。
まあでも、これで汐莉さんも弁えなきゃいけないTPOというものがあると分かって――
「あ、祠ってあれじゃない!?」
祠を発見した汐莉さんが再び大声を張り上げた。
うん、分かってないみたいね。
凄いねこの子。
その無邪気さに尊敬しそうになるよ。
「葉月さん、あなた全然――」
「ねぇ、近くに行ってみよう!」
汐莉さんは薫子さんの言う事も聞かず、テンション高めにその祠の方へと駆け出した。
いや凄いね汐莉さん。
さっきの反省してたような顔は何だったんだろうか……?
「まったく……」
「まったくですわ……」
そんな汐莉さんを、薫子さんと晴香さんが不満げに見つめてそうぼやいた。
「まあまあ、二人とも。汐莉さんも分かっていると思いますよ。さ、私たちも行ってみましょうか」
私がそうやって宥めると二人は「やれやれ」と言う事を聞いてくれた。
たぶん思う所もあると思うけど、この二人も随分と汐莉さんを受け入れてきている気がする。
最初は絶対に相容れないんじゃないかと思ったけどね。
意外と人って分からないもんだ、うん。
そして。
弓が的を射る音を聞きながら、私たちは汐莉さんの後を追うことにした。
お昼休みに千聖君が言っていた祠を、私たちはようやく発見する事ができた。
それは、いつから手入れしてないんだってくらいに古く汚れていた。
その周りには背の低い木が生い茂り、その葉っぱが社の上やその周囲に雑然と積もっている。
それはまるで、誰からも忘れ去られてしまったかのように。
ただひっそりと、そこに佇んでいるのだった。
「うわぁ、随分と寂れちゃってるね…」
汐莉さんはその社の姿に率直な感想を漏らした。
「なんとも無惨な姿ですね」
「ですわね…」
薫子さんと晴香さんも同じような感想を抱いたみたいだった。
「誰も掃除をする人がいないのでしょうか。これでは…」
「パワースポットどころか罰が当たりそうですね」
私の代弁をするように薫子さんがそう言った。
「まあ! 罰だなんて怖いですわ」
その罰という言葉に晴香さんが強く反応した。
「罰で済めばいいですが…。晴香さん、早く掃除をしないと大変な事が起こるかもしれませんよ」
「大変な事ですって! そ、それは何ですの薫子さん!?」
晴香さんに神妙な顔を向ける薫子さん。
そして一拍置いた後、ゆっくりとその口を開いた。
「晴香さん、それは祟りですよ」
「た、祟り…!?」
祟り……。
薫子さん、また何か言いだしたね。
「そうです。一族郎党、皆祟られるのです」
「そんな、大変じゃありませんか!」
「大変です。それが嫌ならすぐに掃除をする必要があるのです。分かりますか、晴香さん?」
「ええ、分かりますわ。すぐに掃除が必要ですわよね薫子さん」
うん、確かに掃除が必要だよ。
この状態はあまりに酷いからね。
「晴香さん、事は急を要します。この状態は非常にまずい…。早く掃除をしなければ」
「ですわね、薫子さん。早く掃除をしないとですわ!」
「ええ、そうです。お社様は綺麗な状態を好みます。早く掃除が必要なのです」
「綺麗な状態は私も大好きですわ! 早く掃除をしませんと!」
「そう、早く掃除を!」
「早く掃除をですわ!」
……やらないの?
掃除、しないといけないんだよね?
さっきから全く動こうとしないんだけど。
掃除が必要なんだよね?
やればいいじゃない。
――しかし二人はその場から一向に動かない。
まったく…、これだからお嬢様育ちはってやつだね。
まあ、分からなくもないけどね。
汚れるのが嫌なんでしょ?
お嬢様だもんね。汚れる事はやりたくないよ。
確かにその気持ちは痛いほど分かる。
うん、分かるよ、分かる分かる。
だって私も動こうとしないからね!
いやいや、無理よ。
だって汚れちゃうもん。
この制服高いんだよ。凄い上等な生地使ってるんだからね。
そんな服を汚せますかって話よ。
ムリムリ、ぜぇったい無理。
ああ、私もすっかりお嬢様に染まってしまったってことかしら。やだわ、うふふ。
――誰が掃除をするのか。
薫子さんたちがそんな水面下の戦いを繰り広げていると。
「待ってて、いま綺麗にするから!」
汐莉さんがその空気を打ち破った。
ふんふんと鼻歌を歌いながら、さも当然といった感じで作業に取り掛かろうとする汐莉さん。
「汐莉さん、掃除と言っても道具も何も無いですよ…?」
「あ、うーん、いいよ別に。手で十分だから」
「え…?」
私に男前な事を返してきた汐莉さんは、その言葉通りに祠の屋根に積もった枯れ葉を素手で取り除いていく。
それはもう手際よく。
普段から掃除をしてるんだろうなという事が、その手慣れた感じから窺い知る事が出来るほどだ。
いやあ。
素晴らしいね、この子は。
さすがは女子力オバケ。
この女子力にはさすがの薫子さんも感心するのでは……。
「葉月さん、こっちも汚れてますよ」
小姑!?
小姑が現れたよ!!
なんて子なの、薫子さん…。
さっきから一切何もしてないのに、人を動かすことに何の悪びれもない。
あれが真のお嬢様というやつなの…? それとも支配階級とはこうあるべきなの…?
あれに比べたら、私なんてまだ なんちゃってお嬢様だった……。
「葉月さん、こっちもですわよ」
「はいはい。ちょっと待ってね」
は、晴香さんまで…。
それでも汐莉さんは気にしていないのか、楽しそうに祠の掃除を続けている。
まあ、汐莉さんはそういう子だよね。
汐莉さんがそれで良いなら別にいいんだけど…。
なんかあなた達、シンデレラとその姉達みたいよ?
「よし、こんなもんかな。集めたゴミは後で回収しにくるね」
汐莉さんはそう言いながらパンパンと手に着いた汚れを払った。
そしてその手で汗ばんだ額を拭ったものだから、額まで黒くなるという何ともベタな事をやらかした。
そんなヒロイン力を発揮する汐莉さんに私は自分のハンカチを差し出す。
「汐莉さん、おでこが汚れましたよ。このハンカチ使ってください」
「ん…? このくらい大丈夫だよ。綺麗なハンカチが汚れちゃうよ」
いや、ハンカチは汚れる為にあるんじゃない?
というか、さっきから何もしてないから、これくらいしないと罪悪感で押し潰されそうよ。
「だめですよ、綺麗な顔が台無しですわ」
私はそう言って汐莉さんの額をハンカチでそっと拭った。
「あ、ありがとう…。じ、自分でやるから大丈夫だよ」
「もう取れました。綺麗になりましたよ」
そう言ってにこりと笑うと、汐莉さんは照れたように頬を赤くした。
「あ、このハンカチ洗って返すね!」
「そんなこと、別に構いませんのに…」
「いいから、いいから」
汐莉さんは半ば強引に私の手からハンカチを取り上げると、それを大事そうにポケットへと仕舞いこんだ。
そしてそのハンカチの入ったポケットを何度か擦ったあと、汐莉さんは何だか嬉しそうな表情を浮かべていた。
――その一方で。
「やっぱり綺麗になると違いますわねぇ」
「そうですね。厳かさが増します」
綺麗になった祠を眺める薫子さんと晴香さん。
二人は何故か清々しい表情を浮かべている。
おい、あんた達…。
何でそんな一仕事終えた後みたいな顔してるの?
あんた達は何もしてないからね?
その自分がやった感を出すのをやめなさいよ。
「それにしても。橘君はよくこんな場所を知ってたね」
そう言いだしたのは汐莉さん。
薫子さん達に手柄を横取りされそうな事なんて露にも気にしていない様子だ。
やっぱ、良い子だね。
「橘様は何でも知っておられるんですよ」
「知っておられるのですわ」
得意げな顔でそう語る薫子さんと晴香さん。
だからその顔やめなさいって。
「うーん、確かに橘君は何でも知ってそうだね…」
「はい、何でも知っています」
「知らない事なんてありませんわ」
そんな何処かの委員長ちゃんみたいなキャラだっけ?
いやまあ確かに、千聖君は何でも知ってそうではあるけど…。
ちなみにその千聖君と怜史君は何やら用事があるようで、この場にはいない。
「ところで…。これからどうしたら良いのでしょう? もうパワースポットの効果は出てるんでしょうか?」
「どうなんだろ? そんな感じはしないよね…。何か儀式でもあるのかな?」
私の問いに汐莉さんは頭を捻った。
「やはり祠にお祈りするのではないですか? こういう場では定番でしょう」
「それですわ。何だか儀式っぽいですし、願いが叶いそうな気がしますぅ!」
なるほど、お祈りか…。
確かに薫子さんと晴香さんの言う通りだ。
お願い事をするならお祈りだよ、うん。
お祈り…、願い事……。
「いいですね。では皆でお祈り致しましょうか」
「はい、祥子様」
私の言葉に皆がその祠の前に並ぶ。
不思議なもので、それだけでパワーが貰えそうな気になってくる。
こういうのを神聖というのだろうか。
多分、他の皆もそんな雰囲気を味わってるはずだ。
「ところで祥子様。祥子様は何をお祈りするんですかぁ?」
手を合わせようとしたところで晴香さんがそう訊いてきた。
「あ、私も気になる。祥子さんでも願い事ってあるのかなって」
でもって何よ。
私にだって願い事の一つや二つあるんだからね。
女の子だったら誰でも願うような。
そんな私の願い事が。
「あら汐莉さん。私にも願い事はありますわよ。ほんのささやかな物ですが」
ささやかで――
「あ、ごめんなさい。変な意味じゃないよ。祥子さんは何でも持ってる印象があったから」
本気の願い事。
「ふふふ、分かっていますよ汐莉さん。そんな事より皆さん、早くお祈りを致しましょう」
私がそう言うと皆は黙って祠に手を合わせ、辺りには暫しの沈黙が流れる。
遠くに弓道部の音が聴こえてきて。
風が初夏の匂いを運んできて。
心までが静かになっていく。
静かになった心でも私が願う事は決まっている。
ささやかで本気の願い事。
それは――
千聖君ともっと仲良くなりたい。千聖君ともっと仲良くなりたい。千聖君ともっと仲良くなりたい。千聖君ともっと仲良くなりたい。千聖君とラブラブしたい。くっつきたい。色んな話がしたい。で、できれば、ちゅ、ちゅうとかもしてみたい。あと、もう少しおっぱいを大きくしてください。女子の成長期的に今がぎりぎりラストスパートなんです。もう少しだけでいいんです。贅沢は言いません。千聖君の目が釘付けになるくらいのやつで! ん~~と、他には…。あ、そうそう、成績の方もついでにおなしゃす。
ふぅ…。
こんなもんかしらね。
ほんの少しだけ願い事が多かったかな?
いやいや、これくらいは普通でしょ。
昔から私は欲しがらない子と言われてきたしね。このくらいは、ささやかと言うもんだよ。うん。
「あ、でも――」
お祈りを終えて、目を開けると同時くらい。
汐莉さんが何かを思い出したかのように声を上げた。
「――ここだと条件に合わないんじゃないかな?」
「……どういうことですか?」
私が訊き返すと汐莉さんは続けて話す。
「噂だと何かを見た後、目の前が真っ白になったり大きな声上げたりするらしいんだけど、ここだと目の前が真っ白になるのはともかく、大きな声は絶対上げないと思うんだよね」
「確かにそうですね……」
と、神妙な顔で答えてみたけども…。
……。
そこ、そんなに重要かな?
何かの勘違いかもしれないよ?
というか、さっきあなた大きな声出してたし。
もういいじゃんここで。
私的にはもうここで満足してるんだけど。
――私がそんな事を考えていると、そこに薫子さんと晴香さんが口を挟んでくる。
「やはりそうですか。私も丁度同じことを考えていた所です」
「私も考えていた所ですわ」
嘘つけー!
絶対言われるまで気付かなかったやつじゃんそれ。
そんな私だけ気付いてなかったみたいな構図にするのやめてよね。
ズルいよ二人とも。ズル子とズル香って呼ぶよ、ほんとに!
そして――
「じゃあ、候補地はまだ二つあるからそっちに行ってみようよ」
汐莉さんは元気よく次に行こうと私たちに促してくる。
それに――
「そうですね」
「そういたしますか」
若干テンションが下がった気がする薫子さんと晴香さんがそれに応える。
あ、やっぱり薫子さんと晴香さんも少し面倒くさくなってる?
もういいじゃんって思ってるよね?
二人もそう思ってるよね?
こういう時だけ何で何も言わないの?
ねぇ二人とも?
そうして私たちは、色々な思いを胸に次の場所へと向かうのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます(/・ω・)/
遅くなりましたが本編再開です。
これは言い訳ですが、謎の腰痛に見舞われて筆が遅くなったとか…ならなかったとか…(*'ω'*)<どっちなんだい
そんなわけで祥子ちゃんを愛するあなた。評価ブクマよろしくお願い致します_(._.)_
ではまた次回に('ω')ノ




