51、上手の手から水が漏る
――とある日の休み時間。
私が教室でタブレット端末を弄っていると。
「祥子様、何をされているのですか?」
晴香さんが私にそう問いかけてきた。
「これですか? これは家庭教師の先生に頂いたアプリなんですけどね――」
みすず先生に貰った計算特訓用のアプリ。
最近は空いた時間などにこのアプリをよく使っている。
最初は面倒くさかったこのアプリも、いつかこれでお兄様をギャフンと言わせてやると思えばそれなりに楽しくなりつつあった。
まあ、お兄様に勝てないかもしれないけど、あのままじゃ悔しいからね。
お兄様を倒した所だけ妄想して楽しんでる感じよ。
「――ええぇ、計算するだけなんて、何が面白いんですかぁ?」
私の説明を聞いた晴香さんは率直な意見を、というか思ったままの事を言った。
そう思うよね。
私も同じ感想を抱いたよ。
「最初は面白くないかもしれませんが、ずっとやってると意外とクセになってきますのよ」
「そうなんですかぁ? 祥子様は勉強熱心ですわ、私も見習いたいですぅ」
それ絶対思ってないよね?
最近分かってきたよ、晴香さんの心のこもってないときの声が。
そんな上辺だけの言葉を言う子には…。
「何でしたら晴香さんもやってみますか?」
「――えっ!? わ、私はタブレットを持っていませんので……、あ、薫子さんがいらっしゃいましたわ!」
ちょっと、見習いたいんじゃなかったの?
やりましょうよ、一緒に。
私も一人でやってるより楽しいし、晴香さんだったら勝てそうな気がするのよね。
ふふふ、私も勝利の味を知りたいのよ。
そんな邪な事を考えていると、晴香さんが言うように薫子さんが私たちの所へとやってきた。
「二人してこちらを見ていたようですが、どうかされたのですか?」
「な、何でもありませんわ。ねぇ祥子様」
慌てるように私に同意を求めてくる晴香さん。
「ええ、そうですね。偶々薫子さんが目に入ったから見ていただけですよ」
「……そうでしたか」
薫子さんはあまり納得していない表情で、晴香さんにジト目を送った。
それに晴香さんは焦って目を逸らす。
「ところで祥子様は何をされているのですか?」
薫子さんはそう訊きながら私のタブレットを覗き込んでくる。
「たったいま晴香さんとこの話をしていたところでしたのよ」
そう言いながら、タブレットをタップして薫子さんにアプリ画面を見せた。
「――家庭教師の先生から時間が空いている時にでもやってくださいと言われましてね」
「計算を…するアプリですか?」
「問題数をこうして最初に設定しておいて」
「…ふむふむ」
「こうして、解答を書き込むと次の問題が出て――」
「……なるほど」
「間違えると問題数が増えていくっていうアプリですわ」
「…………」
「これだけですけど、割と楽しいアプリですよ」
「……そうですか」
「何でしたら薫子さんも――」
「私はタブレットを持っていませんので」
食い気味に断られた!
しかも晴香さんと同じ理由!!
いやまあ気持ちはわかるけど、ちょっとくらいは興味を持とうよ。
ひょっとしたら楽しいかもしれないよ?
一緒にやったらさらに楽しいかもよ?
「でしたら携帯に――」
「いえ結構です」
また食い気味に断られた!
そんなに!?
そんなにこのアプリ興味ない!?
おかしいな、みすず先生のお薦めアプリなのに…。
もうちょっと興味持ってもいいと思うんだよね。
即断は結構ショックだよ?
と、そんな事を考えていると。
「祥子さん、何してるの?」
汐莉さんが何処からともなく急に現れた。
「あら汐莉さん。いえね、このアプリなんですけど…」
汐莉さんの好奇心を刺激したのか、薫子さんたちとは違って私の説明を熱心に聞いてくる。
さすが汐莉さんね。
これからは心の友と呼んであげようかしら。
「へぇ、面白そうだね。パズルゲームみたいでハマりそう」
あら、これを面白そうと言ったのは貴女で二人目よ。
ま、もう一人というのは、私がこの手で叩きのめす予定の人だけど。
「興味がありそうですね。少しやってみますか?」
「うん、やりたい!」
「じゃあ、とりあえず二十問くらいで…」
設定を終えて汐莉さんにタブレットを渡すと、汐莉さんは食い入るようにしてその画面を見つめた。
そして少し警戒するように、たどたどしくタブレットの画面に指を滑らせていく。
「なるほどぉ、ここを…こうするのね」
触るの初めてなのかな?
やっぱりタブレットとかは持って…ないよね。
そういや汐莉さんの携帯はまだ古いやつだったような…。
うーん。
私は原作読んで汐莉さんの家の経済状況を知ってるから、あまりその辺を追究するのは憚られるんだよね……。
「汐莉さん、計算するならこの紙を使っても構いませんよ」
「あ、大丈夫だよ」
「え…?」
大丈夫って…、……ええ!?
驚いたことに、汐莉さんは計算式などは書かずにスラスラと暗算で答えを打ち込んでいく。
この子もか!
この子もお兄様たちと同じ特殊能力持ちか!
足し算や引き算は分からなくもないけど、掛け算はどうやってるの!?
こういう頭の出来の違いを見させられると、どんどん勉強する気が失せていくからやめてほしいんだよね……。
「はい、終わった!」
はや!
ぬう、やっぱりお兄様なみに早い。
さすがは特待生…。
「早いですね、汐莉さん。私だったらもっと時間がかかっていますわ」
「こういうの割と得意なんだよね。もっと難しくても良いくらいだよ」
「そ、そうですか……。実は関数式のアプリもあるらしいのですが、それはもう少し授業が進んでからと言われましてね」
「へぇ、良いなぁ。そっちも面白そう」
何で面白そうって思えるのか…。
私にはさっぱり分からないよ。
「それにしても。そのように急に勉強に力を入れられて、どうかされたのですか?」
そう言いだしたのは薫子さん。
あらあら、訊いて欲しくない事をズバッと訊いてきたわね、薫子さん。
それは私の成績がボロボロだったからに決まっているんだけど、私は如月祥子、口が裂けてもそんな事はいえないのだよ、薫子さん。
「新しい家庭教師の先生の方針でして。……他には単語帳アプリも良い物があるからと勧めて頂きましたわ」
「ええ、凄いなぁ。単語帳もここに入ってるの?」
汐莉さんは私のタブレットを覗き込みながら興味津々に訊いてくる。
「なんでしたら汐莉さんにも……」
ああいや、アプリを入れられる端末を持ってないのか…。
「――うちに余ってるタブレットを貸しましょうか? そうすれば一緒にできますわ」
「ああ…、大丈夫大丈夫。私アナログ人間だからこういうのはすぐ壊しちゃうの。だから気持ちだけで」
「そうですか…」
壊しちゃうって…、このデジタル化の時代にまだそんな人がいたのね。
「そうだったんですかぁ、家庭教師の先生の方針だったんですね」
そう言いながら、晴香さんが何か考え事をするように顎に指を当てている。
「ええ、お兄様のお知り合いの方でして」
「私はてっきりこの間のテストの結果が良くなかったのかと思いましたわ」
ぎくぅ!!
「い、嫌ですわ、晴香さんったら。何を仰って、まったく面白い人なんですから、おほほほ」
は、晴香さん、変な所で鋭いじゃない。
だけどそれはトップシークレットよ!
如月祥子の成績が落ちるなんて事あるはずないんだからね。
取り敢えずここは笑って誤魔化しておくけど、この話はもう――
と、ここで薫子さんが口を挟んでくる。
「そうです、祥子様の成績が悪くなるわけないでしょう。何を言っているのですか晴香さんは」
うん、いや、そうなんだけど…。
実は、悪くなってたりするんだなこれが…。
「それくらい分かっていますわ。もしかしてと思っただけですぅ!」
その、もしかしてがあったりするんだな。
「分かっていませんね。いいですか、祥子様ですよ? 祥子様にもしは無いのです」
いや、それはあるよ。
さすがに祥子ちゃんでもそれはあるでしょ。
薫子さん、あなた祥子ちゃんの事を何だと思ってるの?
「でも、猿も木から落ちると申しますわ」
そうそう、落ちるよ。
そういう事もあるよ。
「落ちません。たとえ猿が落ちても祥子様は落ちません。河童が川に流れても祥子様は流れません」
いや猿とか河童とか…。
「そんな事ありませんわ。弘法も筆を――」
「誤りません。祥子様は誤りません」
…………。
「じゃ、じゃあ、天狗の飛び損な――」
「損ないません」
「で、では、智者の一矢――」
「だめです、智者も千慮もありません」
「うぅ、ええと…、ええと…」
よし、その話そろそろやめようか。
何? 何なのそのことわざ自慢。何で急にことわざ自慢?
あと何? その天狗のなんとかって。
そんなの聞いた事もないし、本当にあるのそれ? 適当に言ってない?
「お二人とも、そのくらいにして――」
しかし、そこに汐莉さんが口を挟む。
「釈迦も経の読み違い!」
もういいのそれ!
何なの!? さっきから何なのそのことわざの応酬みたいなの!
私を置いてけぼりにしないで!
何か切なくなる!
「そ、それですわ。今言おうとしていた所でしたのに先に言われてしまいましたわ」
「あ、そうだったの? ごめんなさい、わたし余計な事言っちゃった」
「ふふふ、負け惜しみですか晴香さん。ま、私はすぐに頭に浮かびましたけどね」
「あら、私もすぐに浮かんでいましたわ」
「私の方がもっと早かったです」
「いえ私の方が――」
「――皆さん」
私の声に皆は言葉を止めてこちらに目を向ける。
「なんだか話が脱線しているようですよ」
もうことわざ止めて。
ことわざ禁止よ。
次にことわざを言った人は藁人形で呪うからね。
「そうでしたわ! 祥子様の成績の話をしていたのですわ」
そうだったー!
し、しまった、そういやそんな話をしてたんだった。
やっぱり話戻すのやめて!
ことわざの話しよう、ことわざの話を!
「ええ、そうでした。祥子様の成績が落ちる訳がないという話でしたね」
「あ、あら…、そうでしたっけ……?」
ど、どうしよう、この話の流れはまずい。
なるべく嘘はつきたくないけど、正直にも言いたくない。
玉虫色的な事を言って見事にここを切り抜けたいんだけど、はぐらかすと成績が悪かったって言っているようなものだし……。
ああ、私はどうしたら!?
「祥子様、どうかされたのですか?」
「ふぇっ!? い、いえ、何でもありません。ちょっと考え事をしていただけですわ薫子さん」
「そうですか…?」
「祥子様ぁ。祥子様にだって調子の悪い時くらいありますわよねぇ?」
屈託の無い顔で私にそう訊いてくる晴香さん。
「え、ええ、そうですね……」
私はそれに苦し紛れに応えるけども、二人のその言い合いは止まらなかった。
「ほら薫子さん、祥子様もこう言ってますわよ」
「それは晴香さんに話しを合わせているだけです。そうですよね祥子様?」
「違いますわよね祥子様。私の方が正しいですわよね」
それどっちでも良くない? と思う私に、二人は何故か詰め寄ってくる。
「ま、まあ。調子の悪い時もあるかもしれませんわね。おほほ…」
「祥子様、まさかこの間のテストの結果が…?」
「い、いえ、いつも通り…。概ねはいつも通りですわよ。あ、でも、数学が少ぉしだけいつもより点を取れなかったかもしれませんね。少ぉしだけですけどね」
そう、ほんの少ぉしだけね。
ちょっと百番ほど落ちる程のほんの少ぉしよ。
「ほら、いつも通りと仰っているじゃないですか」
「ちょっと違いましたぁ。調子悪かったんですぅ」
「そんなものは誤差です」
「誤差も調子のうちですぅ」
まあ百番を誤差と言うなら、確かに誤差と言えなくもない。
良い事言うねこの子たち。
さすが付き合いが長いだけあるわ。
いや、そんな事より私の成績の話はもうやめて欲しいんだけど。
何で私の成績の話をそんなに熱心に話してるんだ、この子たちは…。
そんな事を考えている時だった。
「あ、じゃあさ。放課後とか、皆で一緒に勉強しない?」
汐莉さんのその一言で、その賑やかな雰囲気が一変する。
「「「…………」」」
「あ、あれ? 皆さんどうしたの?」
無言で汐莉さんを見詰める私たち。
そんな私たちに、汐莉さんは不思議そうな顔を浮かべるのだった。
そしてその静寂を破って最初に口を開いたのは――
「葉月さん…、あなたは何を素っ頓狂な事を言っているのですか」
薫子さんだった。
「えっ!? す、素っ頓狂…?」
「やれやれ葉月さん、あなたは何も分かっていませんね」
「分かっていませんわね」
「え…? ええ?」
溜息混じりに首を振る薫子さんと晴香さんに、素っ頓狂と言われた汐莉さんが戸惑いを見せる。
「放課後というのは令嬢にとってそれはもう優雅に過ごさなければならない時間なのですよ? そこの所を理解していますか?」
「理解しているのですか? ですわ」
「あ、ええと、ごめんなさい。よく分かってなかったみたい……」
放課後ってそんな時間なの? 私も初めて知ったよ?
いつも何してんのこの二人…?
「まったく、そんな事では一端の令嬢にはなれませんよ」
「なれませんわよ」
私は別に皆で勉強しても良いけどね。
汐莉さんと勉強したら、みすず先生に出された課題も教えて貰えそうだし。
放課後の勉強会っていうのもちょっと楽しそうじゃない?
「そ、そっかぁ…」
二人に言われてシュンとする汐莉さん。
多分この二人は勉強がしたくないだけのような気がするから、そんなに落ち込まなくてもいい思うんだけど。
「まあまあ二人とも。楽しそうじゃありませんか、放課後に皆で勉強するのも」
「祥子さん…!」
私の言葉に汐莉さんの表情が一気に晴れた。
「何でしたら二人ででも――」
「祥子様、私に良い案がございますわ!」
ここで口を挟んだのは晴香さんだった。
「良い案?」
「はい! 祥子様、ご存知ですか? この青華院学園には運気上昇のパワースポットがあるという噂を」
運気上昇…だと!?
何その魅惑の言葉は!
「あ、私も聞いた事ある。今ちょっと噂になってるやつだよね?」
「そうですわ葉月さん。そこに行けば運気が上昇して成績アップ間違いありませんわ!」
お、おお!
そんな場所がこの学園の中に!?
え、じゃあもうこんな勉強なんてしなくていいの!?
「凄いですね。そんな場所がこの学園に――」
晴香さんは私が喋り終わるのを待たずに私の側まで寄ってきたかと思うと。
「何でも恋愛運も上がるという噂ですわよ」
そう耳打ちをしてきた。
…………何ですと?
いつもお読みいただきありがとうございます(/・ω・)/
どうもラブコメのコメの方に寄りがちな気がします。
もっとラブラブな話を書かなきゃとは思ってはいるんですよ…(*´ω`)テヘッ
では皆さま、次回にまたお会いしましょう。
評価、ブクマ等、どうぞよろしくお願い致します_(._.)_




