5、お母さま誰にも見つからないように捨てておいてください
入学式の翌日ということもあって、廊下や教室はやけによそよそしい人たちが溢れている。
青華院学園は小学校から大学までの一貫校ではあるけども、姉妹校に振り分けられたり、外部生徒も多く受け入れられているので、半分くらいの生徒は今日が初対面となっているのだ。
そんな初々しい雰囲気などはお構いなしに、私は自分の教室へと廊下をひた走る。
自分の教室を発見し、一目散にそこに飛びこんだ私は、急いで自分の席に座り突っ伏して蹲った。
顔を伏せ一息つくと、沸々と先程の光景が蘇ってくる。
葉月汐莉ぃ~~~~!!!
やってくれたじゃないのぉぉぉ!!!
よくもこの私にぃぃぃぃぃ!!!!
許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない!!!
ゆーるーせーなーいーーーー!!!
な"あ"あ"あ"ぁぁぁぁ!!!!
に"ゃあ"あ"あ"あ"あ"ぁぁぁぁぁ!!!!
お腹の辺りをぐるぐると黒いものが渦巻いている。
これは、如月祥子の負の面が私を支配していってるのか。
それとも、単純に腸が煮えくり返っているのか。
この恥辱をどう晴らしてやろうかっていう事しか頭が回らない。
くぅぅ、ま、待って!!
待つのよ私っ!!
お、落ち着いて! ゆっくり呼吸して気持ちを落ち着けるの!
怒りに身を任せてはだめ!
このままじゃ祥子ちゃんと同じ轍を踏んでしまう。
ふぅふぅ、危うく祥子ちゃんの悪い部分に飲み込まれてしまうとこだった。
まさかあんな事になるとは思ってもいなかったから…、くっ、かなり取り乱してしまった。
でも、だいぶ落ち着きは取り戻してきた。こんな罠に嵌まってなるもんですか。
そうよ、まだ始まったばかりなんだから。
まだまだ、こんな事でへこたれてる場合じゃないのだよ私は。
それにしてもさっきの一件、かなり想定外な事はあったけど肝心の『千聖君とヒロインの運命的な出会いフラグを壊そう作戦』は成功したのだろうか。
どう見ても、私が恥をかいただけで終わったような気がするんだけど。…あ、思い出したらまた腹が立ってきた。
い、いや、腹よりもフラグは立ったのか立たなかったのかよ。
少なくともヒロイン葉月汐莉とのフラグは立たなかったように、思うんだけども……。
どうなの…?
どっちなの…?
はっきりしなさいよね!
と、そこへ、様子のおかしな私を心配する声が。
「祥子様、どこかお加減が悪いのですか?」
私はその声にはっとなって顔を上げた。
するとそこにいたのは、如月祥子の取り巻きの二人。
「何でもありませんわ、薫子さん。少し、眩暈がしただけです」
私に声を掛けてきたのは、取り巻きAこと浅野薫子。
作中ではそれほど出番のあったキャラではなかったけど、祥子ちゃんの傍には常にこの子がいるイメージがある。
そしてその隣にいるのは、取り巻きBの馬場園晴香。
祥子とは初等部時代からの仲である浅野薫子と馬場園春香。
この二人はセットで登場する事の多いモブキャラであり、あまり重要なポジションではない印象ではある。だけども、この作品の作者はこの二人にスポットを当てた番外編を何話か書いている。
何か意図でもあるのだろうかと思ったけども、作者からそれが語られることもなく真相は藪の中なのだ。
「まあ、大丈夫ですか祥子様!? ご無理をなさってはいけませんわ!」
馬場園春香は大袈裟なくらいに心配そうな声を上げた。
物静かな薫子と違って、晴香は感情を大きく表に出すタイプ。
言葉使いは丁寧なんだけど、あまりお嬢様らしくない。直情的で、ヒロインに対する嫌悪感も強い。
なんなら、この晴香がヒロインを率先してイジメていたんじゃないかと思えるくらいなのだ。
「ありがとう晴香さん。少し寝不足なだけなので心配ありませんわ」
「そうですか、それは良かったですわ。それで祥子様、今日は橘様とご一緒ではないのですか?」
晴香さん、ちょっと空気読もうか?
いつも一緒に登校してたのに、今日は一人なんだから何かあったに決まってんでしょう?
「え、ええ、さっきまで一緒だったのですけど、少し用事で……」
私が少し口ごもって答えると。
「あら、橘様の用事って何でしょう! 気になりますわねぇ、薫子さん」
晴香は尚もこの話題を掘り下げようとする。
「晴香さん、あまり詮索するのは野暮というものですよ」
うん、薫子さん良い事言ったよ。
晴香さんはちょっと噂好きな所があるけど、こうして薫子さんがストッパーになっている。
なかなか良いコンビだとは思うのだけど、作中でヒロインに嫌がらせするときは薫子さんのストッパーは効いてなかった。どうも、薫子さんは格式や序列というものを重視するようで、それを乱すヒロインのような存在は許せないのだと思う。
っとそのとき、後ろから爽やかな声が掛けられた。
「おはよう、祥子ちゃん。今日は千聖と一緒じゃないんだね」
その声の主、それは『神楽 怜史』。
千聖君の親友であり、後にヒロインを巡って恋のライバルとなる人だ。
「あら、おはようございます神楽様。……神楽様こそ千聖君とは一緒じゃありませんの?」
神楽家はこの国一の旧家という謂れのある家柄である。
伝統ある格式高い家柄ではあるのだけど、この神楽怜史の見た目はその格式には反している。
ふわりとした少し色を抜いた髪に、甘く優しい眼差し。
見るもの全てを幸せに誘うような温かい雰囲気を持つ、どっちかというと少しチャラい系の見た目をしたイケメンだ。
その甘いマスクで、女生徒からの人気は絶大なものになっている。
ちなみに、千聖君と怜史君のカップリングを描いた薄い本なんてものも。
い、いや、私はそんな本は……別に、見たりなんかは……。
………………。
あああっ!!!
ちょっと!! あれ、捨ててないじゃない!!
ど、どどどうしよう!! 今頃、家族に見つかってるんじゃ!?
あぁ~~~、もう今更どうする事も出来ないじゃない!!
何であんなの買っちゃったんだ私はぁ~~!! せめて電子書籍にするべきだったぁ~~!!
「はは、僕の方こそいつも一緒ってわけじゃないよ」
そう言って眩しい笑顔で笑う怜史君だったけど、私は今重大な事が発覚してそれどころではなくなってしまった……。
「か、神楽さま、おはようございます! 高等部でもまたご一緒できて嬉しいですわ」
私とは裏腹に、目がハートになった晴香さんが怜史君に猛アピールをしている。
「そうだね。……えと、馬場園さん、高校でもよろしくね、浅野さんも」
「はい、神楽さま。こちらこそよろしくお願い致します」
すました感じで挨拶を返す薫子さん。
晴香さん残念ね、あなたの名前はうろ覚えだったみたいよ。
怜史君はその爽やかな笑顔のまま「じゃあ、またね」と言って自分の席に向かっていった。
未だに目からハートが取れない晴香さんは、その後ろ姿をずっと見つめている。
「はぁぁ、やっぱり素敵ですねぇ神楽様」
この学園の女生徒は、橘派と神楽派に分かれている。
ただ分かれているといっても、どっちも好きという子が大勢いるので別に対立しているとかそういうことは無い。
実態は、皆で遠くから眺めたり噂話をしたりといった、ある種ファンクラブのようなものができているみたいだ。
ただ、千聖君には私という婚約者がいるので神楽派がやや優勢となっている。
そんな神楽怜史に浮足立つ晴香さんとは対照的に、私の心は沈んだままだ。
「……祥子様、やっぱり体調が優れないのでは?」
落ち込んでいる私を薫子さんが気に掛けてくる。
薫子さん、優しい……。
でも、私が今なんで落ち込んでるかなんて誰にも言えないしっ!
「大丈夫ですわ薫子さん、ちょっと考え事をしていただけですから」
「お顔の色が優れないようなので少し心配ですわ。ご無理をなさっていませんか?」
そりゃ青ざめもするよね……。
ある日家に帰ったら机の上にエッチな本を置かれていたときの男の子の気持ちが分かった気がするわ。
「ええ、大丈夫です。それよりも、千聖く――」
私はその時、目を疑うものを見てしまった。
――なっ!?
なんで、あの二人が一緒に教室に入ってくるの!?
それは、千聖君と葉月汐莉が話をしながら教室に入ってくるところ。
心臓がドクンと大きく脈を打つ。
どうして?
私が走り去った後、何があったの?
……千聖くん、そんなに社交的な人じゃないでしょ?
今日会ったばっかりの人と、……なんでそんな、楽しそうに……。
ど、どういうことなの……?
フラグは、……フラグは回避したはずなのに……。
ダメだ、手が震えて……。
心臓がますます早鐘を打ち、全身から汗が滲み出る。
「どうかしましたか、祥子様?」
薫子さんが心配そうに尋ねてくる。
「……い、いえ、……何も……」
だめだ、声が震えて……。
上手く息ができないような……、胸の奥が重くてとても苦しい。
さっき私がした事は、全くの無駄だった?
そう思うと目の前も暗くなってくる……。
そして、更なる悲劇が私の目に飛び込んでくる。
二人は教室に入っきて、当然自分の席に座るわけだけども。
それが、どうやら私の目には隣同士に見えるのだ。
……そうだった。
作中でも成績上位者を前に並ばせて座らせたと説明があったのだ。
つまり、学年一位の千聖君、二位の怜史君、三位の葉月汐莉が席を並べて座る事になる。
ちなみに並びは、葉月汐莉をイケメン二人が挟む形になっている。
ぅにゃあああああぁぁぁ!!!
これだから少女漫画はぁぁ!!
主人公に都合が良すぎるでしょうがぁぁ!!!
……ああ、もうダメ……。
もう力入らない……。
帰ってそっこう寝たい……。
二次元の世界に引き籠りたい……。
どっと力を失い項垂れる私。
それを薫子さんと晴香さんが心配して声を掛けてきてるけど、もう私の耳には入らない。
……ああ。
……今日は厄日だわ。
ストックはここまででございます(-ω-)/
次回からは不定期更新となりますが、なるべく早く書きたいという気持ちだけは持っております(*ノωノ)