31、寝不足にこれはキツイ
一夜が明け、オリエンテーリング合宿二日目である。
昨日の夜は沈んだ気持ちで一夜を明かす事となった。
妃花さんの存在がショックだったのと、この物語の事、私の存在意義、なんかもう色々な事で頭の中がぐちゃぐちゃになってしまったのだ。
そうこうしてるうちに体調のほうも悪化してくるし、隣のベッドで寝てる汐莉さんが寝言で謎の呪文を詠唱しだすし、鼻が詰まって息苦しくなってくるし、なんか暑いし、その他いろいろあるし……。
そんな何だかんだがあって、私は殆ど眠れなかった……。
今日はオリエンテーリングで一日中歩くことになるから睡眠はとっておきたかったのに……。
寝不足のせいで頭をぼーっとさせながら、手鏡の中の自分を見て一つ溜息を吐く。
はぁ…、目に少し隈が出来てる。
肌も少し潤いが足りないような……。
こんな顔で千聖君と顔を合わせるのか…。
あ~~、今日はお昼くらいまで部屋に籠っていたい……。
前世の私とは比べ物にならない程の美人なんだけど、やっぱりベストな状態を見てほしいって思うよね。より美人な私を見てっ、みたいなね。
美人なら多少状態が悪くても良いじゃないと思うかもしれないけど。そうじゃないんだよね。むしろ美人だからこそベストな状態を崩したくないって思うものなのよ。
ふむぅ、美人も大変だな……。
いやいや、そんな事はどうでもよくて、はぁ…、この顔はどうしたものか……。
ここは一層の事、発想を逆転させるというのも一つの手かもしれない。
いつも良い状態を見せるのは不可能だから、一度酷い状態を見せておいてから良い状態を見せるというゲインロス効果で、いつも以上の私を見せて悩殺するというのも有りかも……。
いやダメだ…、私にそんな駆け引きは無理。
酷い状態だと、多分ずっと俯いて顔を合わせないで喋ってるだろう……。
「祥子さん、どうしたの? まだ具合悪い?」
また一つ、深い溜息を吐いた所で汐莉さんが声を掛けてきた。
朝食を終え、オリエンテーリングに出発する準備をするために一旦自分たちの部屋に戻ってきた私たちだったけど。
私がもたもたとして一向に準備が進んでいないので、心配して声を掛けてきたようだ。
「汐莉さん…、いえ体調のほうはもう良いのですが、昨日あまり寝られなかったもので」
「ああ、そっかぁ。祥子さんは繊細だからね、枕が変わると寝られなくなったりするんじゃない?」
あんたが原因の一つでもあるんだからね。
爆炎がどうとか、地獄の釜がどうとかっていう謎の詠唱で、確実に夢の中で誰かが業火に焼かれていた……。
気になって眠れなかったじゃない!
どういう夢なのよそれ? 一体、誰が焼き殺されたっていうの? 私? 私なの? ねぇ、どうなの!?
まあ、多分いま訊いても覚えてないんだろうけど……。
とにかく、眠れなかった責任の一端は汐莉さんにもあるんだから…。
ぬぅ、その無邪気な顔が憎らしいわ。
そんな事を考えながら再び鏡を見て。
「……汐莉さん、わたし隈とか酷くないですか?」
私がそう訊ねると、汐莉さんは「ん?」と言って私の顔を覗き込んでくる。
「ぷっ、隈なんて無いよ~。いつも通りの美人さんがここにいますよ、ふふふ」
あら、美人さんだなんて……。
やだなぁ、汐莉さんたらお世辞なんて言っちゃって…。
まったくもう……。
もっと言っていいのよ?
「でも、肌とか、ちょっとカサついてるような……むにゅ?」
もっと褒めてもらおうと思って話を続けたら、汐莉さんは急に私の頬を両手で挟んできて。
「大丈夫! 祥子さんは今日も透き通るような綺麗なお肌だよ」
そう言ってにこりと笑顔を見せた。
「ほ、ほうでふか……?」
そして……。
汐莉さんは私の両頬を挟んだまま、じっくりと私の顔を見つめてくる。
私の頬を上げたり下げたり、ぐるっと回したりしながら……。
この子は、何をしているの……?
「ふむふむ、あ、これは大変だ……」
汐莉さんは私の顔を眺めながら訝し気な表情に変わっていく。
「な、なんでふか…?」
な、何?
ひょっとして、どこかシミでも出来てた!?
汐莉さんは、さらに神妙な顔をしながら。
「……これは大変だよ。顔に心配性と出てる、すぐに治療をしましょう」
そう言って、さらにぐるぐると私の頬を回し始めた。
「ひょっ、ひょっと、ひおりはんっ…、何を…!?」
「顔が硬くなってくるから、こうやって解すんだよ。……ぷぷっ」
…笑った?
今、笑ったよね?
私の顔で遊びながら笑ったよね?
ほほう、これは私を悪役令嬢、如月祥子と知っての事なのね…?
よろしい、そっちがその気なら。
「むふぅ、では、ひおりはんの顔も…!」
私も負けじと汐莉さんの顔を両手で挟んだ。
そして、上へ下へとぐりぐり回して、汐莉さんの可愛い顔を火男のような顔へと変化させる。
「あ、やっはね~、ふっ、ふふ、はははは」
「ひおりはんほそ~、ふふふ」
それから暫く、二人でそんな馬鹿な事をして笑い合った。
何が可笑しかったのかはよく分からないけど、そういう空気みたいなものだったのかもしれない。
深夜のノリみたいな? …朝だけど。
たぶん、一緒にいるだけで楽しいっていうのはこういう事なのかもしれないな。
「はぁはぁ、ああ、可笑しい。こんなに笑ったの久しぶりだなぁ」
「ふふふ、わらひもそうかもひれまへんね……」
思えば友達とこうして笑い合うのも、凄く久しぶりな気がする。
引き籠ってるとそういう事は無くなるからね……。
「どうかな、心配性は治ったかな?」
そう訊いてくる汐莉さんの顔はとても優しくて。
「ええ、もうふっかり。ありはほうほはいはふ、ひほりはん」
こうしてると、昨日の事を忘れてしまいそうになる。
「じゃあ、そろそろ行かないとね。橘君たち待ってるよ」
「ほうでふね……」
…………。
あんたはそろそろ手を離そうか?
☆
施設の裏手に存在する、緑豊かなそれほど大きくもない山。
その裏山にてオリエンテーリングは実施される。
各班に分かれた私たちは、地図とコンパスを頼りにチェックポイントを順番に廻っていく。
生徒たちの自主性や何だかんだを育てるためという名目のため、教師たちの付き添いは無く、あくまでも生徒たちだけでゴールを目指すことになっている。
とはいっても学園所有の山なので、厳しい山道や迷いやすい道なんてものは無く、ちゃんと整備をされた歩きやすい道しかない。
まあオリエンテーリングと言っても、簡単に言ってしまえば新入生が親睦を深めるためのお遊びのようなものなのだ。
さて、私たちは出発地点に集まったわけだけども。
各班に地図とコンパスが配られ、それを見ながら千聖君と怜史君があーでもないこーでもないとか言いながら話しているのを、私と汐莉さんが黙ってその姿を眺めているというのが今の状況だ。
こういうのはやっぱり、男の子の方が得意だよね…。
私は無理。地図を見て目的地に到着した試しなんてないし、むしろ地図を見た方が道に迷うような気がする。
「汐莉さんは、地図とか読めないのですか?」
「ああ、私ああいうの苦手なんだよね。昔から方向音痴で……」
おお、汐莉さんにも苦手なものが…というか、普通の女の子らしい所があったのね。
あまり女の子っぽくないというか、サバサバした天然系な感じがあったからちょっと意外だね……。
…いや、意外じゃない!
また忘れる所だった!
そういやこの子の方向音痴で、この後ちょっとした事件を起こしてしまうんだった。
ちょっと昨日のショックが大きかったせいか、うっかりしてたわ……。
危ない危ない、昨日の事は一旦忘れよう。それで、今はこのイベント回避に全力を注がないとね。
「よし。二人とも、僕たちが向かう最初のチェックポイントの場所が判ったよ」
怜史君はそう言って、地図を片手に私たちの方へと向き直る。
「もう判ったの? 早いねぇ、他の班はまだ地図と格闘してるみたいだよ」
「まあね、じゃあ道順の説明を――」
ここで原作と少し違うというか、意外なやる気をみせたのが――。
「おい、早く出発しよう。道は歩きながら説明する、早くしないと他に一位を取られるからな」
――千聖君だった。
ちょっ、え、これって競争なの!? 誰もそんな事言ってなかったよ?
というか別に一位じゃなくても良くない?
二位じゃ(以下略)
「橘君、これ別に順位とか無いんだよ?」
そうそう、競争じゃないよ?
「それは表向きの話だ。見ろ、教師が俺たちの様子を見て何か書きとめている。何らかの評価を付けていると見て間違いないだろう」
千聖君はそう言って、横目でその教師を指し示す。
「え~、考えすぎじゃないかなぁ」
汐莉さんはあっけらかんとした笑みを浮かべながらそう答えたが。
「葉月、そうやって油断してるとお前の特待生枠も危うくなるぞ」
千聖くんの真剣な眼差しから出たその言葉に。
「うっ、そ、それは困るっ。じゃあ、こうしちゃいられないね! 祥子さん、早く出発するよ」
逆に感化されてしまった……。
「怜史も早くしろ、なるべく後続に差をつけるんだ」
ええ、ちょっと…、原作でこんな展開無かったよ……?
ど、どうなってるの…?
急いで出発の準備に取り掛かる千聖君と汐莉さん。
私はその二人を見ながら溜息が一つ漏れた。
するとそれが怜史君と同時だったので、二人で顔を見合わせてもう一度溜息を吐いた。
最初のチェックポイントに向けて出発した私たち。
先頭を行くのは千聖君で、その次に汐莉さんと私、そして最後尾に怜史君というポジションで隊列を組んでいる。
何故こんな並びになったかというと、私がそう仕組んだからだ。
原作でのこの後の流れはこうである。
昨日からのことに苛々していた祥子ちゃんが強引に汐莉さんを跳ね除けて、千聖君を独占しながらオリエンテーリングを進行していく。
汐莉さんに嫌がらせをしつつ千聖君とのお喋りに夢中になる祥子ちゃんだったけど、怜史君がふと汐莉さんがいなくなっている事に気が付く。
度重なる祥子ちゃんからの嫌がらせを受けているうちに、方向音痴の汐莉さんは皆からはぐれて山の中で迷子になってしまうのだ。
まあ少女漫画ではありがちな展開なんだけど、ここでもヒロインのピンチを千聖君が救って二人の距離がぐっと近づいてしまうというわけだ。
このイベントのせいで汐莉さんの心に恋心を植え付ける大きなきっかけとなって、その後の話に大きく影響していくことになる。
謂わばこれは大きな分水嶺となる場面だ。
これだけは絶対に阻止しなけりゃいけないのよ。
絶対にね!
さて、汐莉さんを迷子にしないように千聖君と怜史君で前後を挟んでもらったわけだけど。
私はさらにもう一段階、警戒心を上げている。
その為に、私は汐莉さんと横に並んだのだ。
というのも、私たちの歩く山道の左側は上りの傾斜となっているけども、右側は下りの傾斜となっている。
この右側の下りの傾斜、これが曲者なのだ。
傾斜と言ってもちょっとした崖のようになっていて、ここに落ちれば大事故にはならなないものの自力で這い上がってくるのは恐らく無理だと思われる。
こういう崖は危険だ。
少女漫画のお約束上、ヒロインは確実にここに落ちる。
そして怪我して動けなくなって、プチ遭難する。
そこにヒーローが山の中を傷つきながらも助けにきて、ヒロインのハートがズキューンよ。
そうならない為に、私は汐莉さんの右側に並んでいるというわけだ。
まさに鉄壁の布陣ね。
名付けて、汐莉シフトよ。
ふっふっふ、この汐莉シフトをとっている限り、汐莉さんが迷子になる事はない。
これで勝てる!
とまあ、汐莉シフトを布いたまではいいんだけど……。
「ち、千聖君、ずっとこのペースでいくのですか……?」
先頭を行く千聖君のペースが速い。
かなり速い……。
まるで、女子がいる事を忘れているかのようなスピードなんだけど…。
寝不足の私に、このペースはかなりキツい……。
「すこし速いかもしれないけど、慣れればこのくらいが一番楽なペースだ。まあ、休憩を挟んでいくから疲れたら言ってくれ」
「は…、はい……」
うう…、このペースが続くのね……。
私の足と気力はもつかしら…。
「ははは、後ろから押してあげようか?」
それは後ろを歩く怜史君の声。
こんなにハイペースなのに、涼しい顔で私に話しかける余裕があるみたいだ。
あれ、というか辛そうなの私だけじゃない?
汐莉さんも平気そうだし…。
え、私の足が遅いの……?
「つ、辛くなったら、お願いします……」
「りょーかい」
怜史君はにこりと笑ってそう答えた。
何、その意味ありげな笑顔は……?
それから私たちは、何度か休憩を挟みながらチェックポイントを通過していく。
ペースは相変わらずで、私はなんとか千聖君の背中に食らいついていった。
学園が整備している山なので険しい道などは無いのだけども、どんなに整備されていようが山道は山道なわけで。
山道だから傾斜が無くなる事はないわけで。
そんな山道が辛くないわけがないわけで……。
息が切れ、滝のように汗を流し、このヒョロヒョロな足で、私はなんとか踏ん張って皆のペースに合わせながら歩く。
まさかこの学園のオリエンテーリング合宿でこんな苦行が待ってるとは思わなかった、誰よお遊びみたいなもんだとか言ったのは、令嬢にこの山道は厳しすぎやしませんかね?
とか、そんな事を考えながら必死に歩いた。
そうして頑張って歩いてると、千聖君がチラチラと私の方を気に掛けてくれるのがちょっと嬉しかった。
千聖君が気にしてくれているって思うと、何故か疲労が癒されるような気がするから不思議だ。
これが愛の力なのね。
千聖君、君の愛は受け取ったよ。
私、頑張るからね! 超頑張るからね!
だからもっと癒して~。
と、そんな調子で無事にお昼休憩を済ませて午後になり、残りチェックポイントもあと一つという所まできた。
ここまでは順調だ。
私の体力以外はほぼ予定通りだ。
途中何度か忘れかけてたけど、汐莉さんを迷子にする事なく何とかここまで来れた。
この調子でいけば、無事にオリエンテーリングを終わらせる事ができる。
ただ一つ、懸念事項が……。
私の体力の方が、かなり限界が近づいてきてるんだよね……。
「……祥子さん、大丈夫?」
「はぁ、はぁ、ええ、だ、大丈夫ですわ。こ、これくらいは、何でも、ありませんわ……、はぁはぁ」
千聖君が一位をとりたいと言うんだから、私も一位を目指す。この一心で今まで頑張ってきた。
なんとか千聖君の役に立ちたいしね。
妻としては、これくらいは頑張らなきゃね。
でも、このままだと確実に足を引っ張る事になってしまう……。
うう、体力の無い自分が恨めしい。
「祥子、休憩にするか?」
私の様子を心配してか千聖君がそう声を掛けてきた。
「い、いえ、休むと、動くのが大変になりますから……」
「橘君、ゴールも近いし少しペース落とそう」
「ああ、そうだな」
「す、すみません…」
私のために、心苦しい……。
そう思っていると、ふっと体が軽くなったような気がした。
私はそれが、怜史君が後ろから押してくれているからだということに、すぐに気が付いた。
「神楽さま…?」
「祥子ちゃん大丈夫だよ。僕が押してあげるから、遠慮なく体重をかけてね」
そう言って、いつもの爽やかな笑顔をこちらに向ける怜史君。
「あ、ありがとうございます……」
う、嬉しい…。
だいぶ楽になったよ……。
私はその言葉に甘えて、背中を押すその手にもたれかかった。
――と、その時だった。
「――痛っ!!」
私の横からそんな声が聞こえてきたのだ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます(/・ω・)/
このオリエンの話もあと2話くらいを予定しております。もう少しお付き合いくださいませ。
では、また次回にお会いしましょう(゜д゜)/




