3、恋とは、斯くの如し
入学式翌日の朝。
「「「いってらっしゃいませ」」」
玄関前にずらりと並び声を揃える使用人たち。
私は、その使用人たちに見送られながら、玄関先に横づけされた車へと足を運ぶ。
「では皆さん、行ってまいります」
車の前で一旦振り返り使用人たちに挨拶すると、車の扉が開かれ中へと誘われる。
私は前髪を少し整えてから、よしっと気合いを入れて車の中に入った。
そしてその車の中で私を待ち構えている人物。
そう、それは私の婚約者、ツンデレ王子こと橘千聖その人なのだ。
私たちは婚約者ということで、昔からこうして一緒に登校している。
これも婚約者の役得というやつだ。
このアドバンテージは何としても生かす!
そしてヒロインを出し抜くのはここなのよ!
というわけで、座席に座ったらまずは挨拶よ。
ここは昨日散々ソファに座って姿見を見ながら練習したからね。
コンセプトは、令嬢らしくよりもお淑やかによ。
さあ、練習の成果を見せるのよ!
行け、わたし!
「お、おはようございましゅ……」
はい、いきなり噛みました!!
昨日の練習は台無しでーす!!
うう、何て事だ…!
挨拶から躓くとは……。
「……おう」
そして、スルーなのねぇ!
ま、まあ、そんな西の人じゃあるまいし、いちいち突っ込んだりはしないよね。
大丈夫、まだ挨拶を交わしただけよ、勝負はここから始まるのよ!
頑張れ私、何か楽しい話なんかで盛り上がるんだから!
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
…………。
だめだ、何話したらいいか全然わからない!
これじゃ、何も始まらないじゃない!
というか緊張しすぎて頭が全然回らないぃぃ。
昨日、色々考えてたのに何も思い出せない!
落ち着け、落ち着くのよ私!
そう、深呼吸でもして落ち着くの。
スーハー、スーハー、スーハー
ああ、私、今同じ空気を吸っている……!!
じゃなくてっ!
会話よ会話!
何か、話題は……。
そうよ、こういうときこそ祥子ちゃんの記憶を頼りにしないとね!
ええと、祥子ちゃんいつもどんな話してたっけ……。
…………………。
だめだっ! 祥子ちゃん自慢話ばっかりしてるよ! あとはお家の話とか、服の話とか……。
そんな話、男の子が興味あるわけないじゃない!
うう、どうしよう、こうしている間にも沈黙は流れていく。
ええと、とにかく話題よ! 何か話題はないものか、……あ、そうだこれ、昨日借りたハンカチがあるじゃない!
まあ、厳密に言えば借りたハンカチではなく、同じものを用意してもらったんだけど……。
黒崎さんが一晩でやってくれました!
ひとまず、これで何かきっかけを。
「……あ、あの、……千聖君、……これ、き、きき昨日、借りた、……その、ハンカチ……」
たどたどしくしか言葉が出ない!
長年の引き籠りの弊害が……。
お、王子も引いてるんじゃ……。
「……君?」
と、思ったら、別の所に引っかかっていたようだ。
そういえば、祥子ちゃんはいつも、千聖さんって呼んでいた。
祥子ちゃんの中ではそのほうが夫婦っぽいからみたいだけど、私的にはちょっと恥ずかしいというのがある。
それで千聖君になったんだけど……。
「だ、だめでしたか?」
「いや…、別に呼び方なんてなんでもいいけど……」
「そ、そうですか……」
「……………」
「……………」
そして再び沈黙。
話は終了です!
一瞬食いついたと思ったけど、だめか……。
ああ、また顔が窓の外に向いている。
せめて、こっちを向いて……。こっちを見て……。
こっちを……。
……窓を見つめる顔も悪くないわね。
あの横顔でご飯何ばい食べられるかしら……。
いや違う、そうじゃない!
ここで、攻勢をかけるのよ!
私に興味が出るような、そんな小粋なネタをかましてやるのよ!
「……ち、……ちーちゃん……とか……?」
「…………はぁ? 何だ、それは…?」
「え、と、いやだから、呼び方、何でもいいっていうから……」
ちーちゃん、なかなか良いかもしれない!
なんか幼馴染って感じじゃない!?
ちーちゃん、しーちゃんって呼びあうとか、物凄い仲良し感が出て良い!!
「……そ、それだけは、やめろっ」
あうっ!
拒否られた……。
二人で呼びあいながら原っぱを駆け回ってるとこまで妄想してたのに……。
あれ、でもなんか照れてる?
窓の方向いてるからよく判らないけど、顔が赤くなってる気がする。
……気のせいかな?
「そ、そうですね、……ごめんなさい……」
「お前、昨日から少し変じゃないか? いや、少しじゃないな。どうした、何か変な物でも食べたか?」
どきぃぃ!!
やっぱり祥子ちゃんとキャラ違いすぎるか!?
祥子ちゃんってもっと堂々としてたもんね……。
どうしよう、祥子ちゃんの真似とかした方がいいのかな?
うう、引きこもりのコミュ障な私には……無理……。
ぬぅ、ど、どうしたら……。
「へ、変な物って、失礼じゃないですかっ? わわ、私はいつもこんな感じですよ」
とりあえず、これで押し切ることにした。
不自然かもしれないけど、祥子ちゃんのキャラのままじゃ可能性低いもんね。
「……そうかぁ? ……まあ、別にいいけど……」
えっ……!?
べ、別にいいの?
もうちょっと興味持とうよ、仮にも婚約者だよ?
婚約者といえば、将来を約束した人だよ?
ま、まあ、親同士で決めたことなんだけど……。
「……………………」
ああ、また話題が無くなってしまった……。
千聖君はまた窓の外を眺めはじめる。
何に興味を示すというわけもなく、流れていく景色をただ茫然と見ているだけだ。
まるで私との時間は退屈そのものだ、と言わんばかりに。
それは、如月祥子の存在が否定されているような……。
祥子ちゃんも、こういう空気は感じてたよね……。
だから余計に空回ってしまった。焦って、何か喋らなきゃって、やればやるほど逆効果で。
それでも、この人の気を引きたかった。
こっちを見てほしかった……。
……でも、無理だった。
私は現実が重くのしかかるのを感じた。
甘く見ていた自分を戒めたくなる。
だけど……。
それでも、諦めたくない気持ちが現実と戦っているのだ。
凄いなぁ、祥子ちゃんは。
挫けること無く最後まで想い続けたんだよね。
まさに岩をも穿つほどの一念だわ。
うーむ。
祥子ちゃんの願いと、私の願いと、二人分の想いというのは思ったよりも重いものなんだなぁ。
昨日は転生したばっかりで舞い上がってたけど、実際の千聖君を見ると分不相応な想いを抱いてしまったのではないかと思えてくる。
私に……出来るんだろうか……。
勝手に気分が沈み込んでいく。
こうして、暫くの沈黙が続いたときだった。
「……今日は、あまり喋らないんだな」
急に隣からかけられた声に、心臓がトクンと鳴る。
「……そ、うですか? い、いつもと、変わりませんよ」
千聖君の方から話かけてきたという事に、鼓動が早くなる。
たったそれだけの事なのだけど、どうしてこうも胸が締め付けられるのか……。
恋とは、斯くも苦しいものだろうか。
「やっぱり、なんか変だよな」
心臓が早鐘を打つ。
苦しくて、苦しくて。
息もできなくなるほど苦しくて。
それでも、この人と同じ空気を吸っていたい。
そう思ってしまう。
恋とは、斯くも不合理なものなのか。
「……変は、……ダメ、ですか?」
そう言った私に視線を向ける千聖君。
私はその視線と目を合わせた瞬間、その目を見ていられなくてすぐに俯いてしまった。
とてもじゃないけど見せられないほど顔が赤くなっているのが分かる。
気持ちはふわふわとして、体温も上昇していく。
喉がつっかえて上手く言葉も出てこない。
手も足も震えて、目がぐるぐると回り始める……。
恋とは、斯くも私を患わせるものなのか。
「……別に、……ダメとかではないけど」
そう言って窓の方を向いてしまった千聖君の耳は少し赤くなっていた。
照れてる……?
千聖君が何に照れているのかは私には分からなかった。
でも、少なくとも悪い反応ではないように思える。
作中で、千聖君と祥子ちゃんの間にこんな会話が為されたシーンは無い。
恐らくこれは、シナリオには影響のない、何でもない会話なのだろう。
だけれども、何かを変えるきっかけにはなるのかもしれない。
恋の病に冒された私は、そんな淡い期待を抱くのだった。
次回、ヒロインが登場します。
それではまた明日(-ω-)/