24、家族の夕餉
今回は汐莉ちゃんのお話です。
「ただいまぁ~」
玄関のドアを開けた私は、誰に言うわけでもなく帰宅した事を声にだす。
狭い家だから然程大きな声を出さなくても、この一声で家の隅々まで行き渡ってしまう。
多分あの人たちの家だったら、何回も大声出さないと家の人には気付いてもらえないんだろな。
そんな事を考えながら靴を脱いでいると、奥から少し高めの声をした男の子が姿を現す。
「おかえり姉ちゃん。ずいぶん早いけど、デート失敗したの?」
中学に上がったばかりの三つ違いの弟、『葉月 稔』が揶揄うような顔をこちらに向けてそう訊いてきた。
「デートじゃないって言ったでしょ。ちょっと友達と遊んできただけだって」
「ええ、いつもは着ない服着てるじゃん、絶対デートだろぉ」
「違うってば。青華院の友達なんだから、良いの着てかないと恥ずかしいでしょ。まったくもう……」
嘆息する私に、稔は尚も揶揄うような顔を向けてくる。
稔は中学に入ってから、やたらとませた事を言うようになった。
昔は私の後ばっかりついてくるような可愛い弟だったのに……。
お姉ちゃんは少し寂しいよ。
「あ、そうだ姉ちゃん、いい所に帰ってきてくれたよ。ちょっと、おやつ作ってほしいんだけど」
そんな私の寂寥感などお構いなしに、稔はさっさと話題を変えてくる。
「おやつ? じきに晩御飯だよ?」
「なんか、最近すぐにお腹空くんだよね」
「ああ、成長期だからね。ちょっと待って、先にお父さんに挨拶してくるから」
稔の返事も横に聴きながら、自分の部屋へと歩を進める。
自分の部屋へと入り素早く着替えを済ませた私は、真っ直ぐに仏間へと向かった。
仏間に入った私は静かに仏壇の前に正座し、灯明を灯し、線香に火を点けた。
お鈴を鳴らし、手を合わせた私はゆっくりと目を閉じる。
仏間の中にいつまでも静かに響き続けるお鈴の音。
その音が在りし日の姿を蘇させる。
お父さんが他界してからもう三年が経つ。
小さな下請け工場を経営していたお父さんは、いつも夜遅くまであくせく働いていた。
だからといって仕事人間というわけではなくて お父さんは凄く家族想いで優しくて、いつも私たちの事を一番に考えていた。
そんなお父さんだったからこそ、家族の為に無理をし過ぎてしまった。
不況の煽りで工場の経営は火の車となっていき、その上発注はどんどん無理なものになっていく。
賃金が払えないので人を雇えない、結果お父さん一人で殆どを回している状況になってしまった。
糸はいつ切れてもおかしくなかった。
それなのに、お父さんは不満も辛さも口にする事は無かった。
もっと私たちがちゃんとお父さんを見ていれば良かったのだけど。
気付いた時にはもう遅かった。
ある朝、お父さんの体は冷たくなっていて、二度と目を開ける事はなかった。
突然お父さんを失い、私たちは酷く心を痛めた。
何故もっとお父さんに気を配らなかったのかと、後悔と自責の念に涙が止まらなかった。
だけど、現実は傷心に浸る猶予なんて与えてはくれない。
一家の大黒柱を失った私たちの生活は一層困窮を極めていく。
私たち三人が暮らしていくためには、お母さんが仕事を増やすしかなかったけど、不景気な世の中では思うようにいかず。
不安定で苦しい生活を余儀なくされた。
それから三年、何とか三人で協力してやってきた。
そのおかげか、今は随分と生活も落ち着いてきている。
お母さんの給料も前よりもだいぶ良くなってるし、稔もしっかりしてきたし。
それでもやっぱりお母さんの負担が大きい……。
私もアルバイトとか出来るといいんだけど、前例が無いとかで未だ学校の許可が下りない。
学費なんかは免除されてるのであまり贅沢も言えないんだけど、何とかならないものか……。
青華院の大学を出れば就職がかなり有利だと聞いてあそこを選んだけど、それまでの間が問題だよね……。
あ、段々と愚痴っぽくなってきちゃったね。
ごめんねお父さん。
みんな頑張ってるから見守っててね。
「姉ちゃーん、まだー? お腹空いたよーい」
「はーい、ちょっと待ってー」
稔の声にそう答えると、私はお父さんの遺影にもう一度手を合わせた。
そして、ふぅと息を吐きながら静かに立ち上がると、その仏間を後にするのだった。
☆
その日の夕餉。
お母さんが仕事から帰ってきて、稔と三人で食卓を囲む。
お母さんは仕事で遅くなる事も多いので、三人揃っての食事というのは最近はだいぶ少なくなった。
なので三人そろっての食事の時は、お母さんのテンションも高くて。
そして出てくるのは、この話題だ……。
「それで、汐莉。デートはどうだったの?」
とても嬉しそうにそう訊いてくるお母さんだけど。
「もう違うって言ってるでしょ。稔が変な事吹き込むから、お母さん勘違いしてるでしょ」
残念ながらお母さんの期待しているような話は持ち合わせていない。
「母さん、こうやって夕食を一緒に食べてるんだよ。そこは察してやるのが家族ってもんだよ」
「そっかぁ、ごめんね汐莉」
含み笑いをしながら肩をすくめる稔の言葉に、お母さんの方は肩を落としている。
「だから、学校のみんなで遊んだだけだってば」
「学校のみんなって、男もいたんだろ? だったら浮いた話の一つや二つ」
お母さんも稔も、わざとこうして冗談めかして言う。
「あら、じゃあ青華院の子とお付き合いする事もあるの?」
これは我が家のルールみたいなものだ。
「そうだよ母さん、玉の輿だよ。姉ちゃんの玉の輿のチャンスだよ」
そう、お父さんが死んでからの我が家だけのルール。
「た、玉の輿! なんて魅力的な響きなの!?」
……お母さんの目が少し本気になった。
「もう、二人ともいい加減にしなさいっ。稔は調子に乗り過ぎだよ!」
「ははは、ごめんごめん」
とにかくこうして三人が揃うと、自然と笑い声が溢れかえる。
お父さんが死んだあと暫くしてから、私たちは無理やりにでも笑うようにした。
お父さんに辛い想いをさせてしまったので、せめて笑い声が届くようにと思って始めた事だ。
最初こそぎこちなかった笑い声も、段々と自然なものに変わっていき。
いつしか意識することなく笑う事ができるようになり、今では笑い声が絶えない家になった。
これを提案したのは稔だった。
たぶん、まだ小さかった稔が自分に出来る事を必死に考えたんだと思う。
最初はお母さんも仕方がなく稔に付き合っていたけど、今から考えると随分とこれに助けられていたような気がする。
このことで、うちの長男は意外と頼りになるなと、お母さんも私も密かに思っている。
「それにしても、汐莉が上手くやってるみたいで良かったよ」
「ん? 上手くって?」
「学校生活のことだよ。青華院なんて上流階級の世界で姉ちゃんがやっていけるのかってこと」
稔がお母さんを代弁するように口を挟む。
「なんだ、そんなことか。心配ご無用だよ、みんな凄い良い人なんだから」
「本当に? ああいう世界ってドロドロしてるっていうじゃない? ほら、大奥みたいっていうか」
半分くらい好奇心が混ざっているのでは、という声色でお母さんはそう訊いてくる。
「あはは、そんなとこじゃないよ、ドラマの見過ぎだって。それに、外部の生徒は私以外にもいるから、上流階級ばっかりじゃないよ」
「いや姉ちゃんが鈍いだけで、実は裏では物凄い真っ黒な事になってるかもよ」
「そうよ、汐莉はちょっとおっとりした所があるから、気付いてないだけなんじゃない?」
「二人とも考えすぎだって。如月さんっていう凄く良い人と友達になって、今すごく楽しいんだから」
そう、本当に今凄く楽しい。
最初はどうなるかと思ったけど、祥子さんのおかげで学校生活がこんなに楽しくなった。
もちろん、橘君と神楽君にも凄く感謝してる。
彼らがいなかったら、たぶん今頃はもっと学校に行くのが憂鬱になってただろう。
本当に凄く良い人たち。
私にはもったいないくらいの、私の友達……。
「えっ、如月って、あの如月グループの!?」
お母さんの目がいつもの倍の大きさになった。
「うん、あとは橘君って人と、神楽君って人。みんな凄い良い人だよ」
「うはぁ、俺でも知ってる名前がずらりと並んでるじゃん。これは、やっぱり玉の輿に……」
「それは無いって言ってるでしょ、まったくもう」
私が嘆息しながら稔にそう答えると。
「いや、分からないよ。どっちかに見初めらるっていう、シンデレラストーリーがあるかもしれないじゃん」
稔は尚もそっちに結び付けようとしてくる。
この子は何をそんなにそこに拘っているのやら。
そういうお年頃なのかな……?
「ないない、あの二人はモテモテだから私なんて相手にしないよ」
「わかってないなぁ、姉ちゃんは。モテモテだからこそ、姉ちゃんみたいな普通のに惹かれたりするんだよ。絶対ワンチャンあるって」
普通とは何よ、普通とは……。
「普通で悪かったね。でも分かってないのは稔の方だよ、普通の子は気にも留められないから普通なんだよ。つまり普通っていうのは景色みたいなもので、そこにあっても誰も気付かないもんなんだよ」
「……姉ちゃん、それ自分で言ってて虚しくならない?」
「うん、ちょっとね……」
皆が黙ってしまって、お茶碗とお箸の当たる音が静かに鳴り響く。
「で、でも、たまには景色に目を向ける人もいるかもしれないよ。その橘って人とか……」
「残念でした、橘君は如月さんと婚約してるんだよ」
「婚約っ? へぇ、やっぱり上流階級は違うね」
稔は婚約というところに食いついてきた。
私も最初聞いた時はびっくりしたけど、高校生で婚約してるってやっぱり珍しく感じるらしい。
「物凄い美男美女カップルだよ。あれ以上のお似合いな二人を見た事ないよ」
本当にこれ以上ないってくらいのベストカップル。
学校でも最も注目を集めている二人は、まるで物語の王子様とお姫様のように眩しく輝いている。
そのお姫様のような祥子さんは、これまた可愛いくらいに橘君の事ばっかりを見ていて、こっちの胸まで締め付けられそうになる
あんなに綺麗な人があんなにも可愛いなんて、祥子さんは最強だね。
橘君が好きになるのもよく分かる。
「なんだ、残念。じゃあ、残りは神楽だな」
「こら、呼び捨てにしないの。そんな言い方したら失礼でしょ、まったくもう」
神楽君は調和の人というのが、私の印象だ。
気遣いができて紳士的だから、女の子にもよくモテる。
でも、物腰柔らかで険の無い声から出る彼の言葉は、最大公約数的で一番落ち着く所を考えて喋っているような気がする。
それ自体はとても凄い事で、彼の優しさが伝わってくるのだけど。
何か神楽君は、自分を隠さなきゃいけなくてそうなったのではないか。
何となくだけど、彼を見ているとそんな気がしてくる。
ああいう由緒ある家柄の人たちの世界は私にはよく分からないけど、たぶん色々とあるんだろな。
華やかな見た目とは違った、そこにいる人達にしか分からない何かが……。
「母さんも何か言ってやりなよ、姉ちゃんがチャンスを棒に振ろうとしてるよ」
お母さんが喋らないなとそちらを見てみると、何だか聞いているようで聞いていないような、ぼーっとした顔を浮かべているだけだった。
何だか思い詰めているようにも見えるけど……。
仕事で疲れているのかな……?
「……どうしたのお母さん、急に静かになって」
「あ、ああいや、何だか名前を聞いただけで不安になってきてね……」
「大丈夫だってば、心配性だなぁお母さんは」
「でも、……橘っていえば……」
橘君か……。
橘君は……、実はよく分からないんだよね。
なんというかミステリアスというか、いまいち読めない人。
橘君は多くを語らないから、彼の実像が見えないというか、何を考えてるか分からないというか……。
それなのに、流麗とした佇まいから放たれるその眼光に射貫かれると、全てを見通されたかのように錯覚してしまう。
そんな、ちょっと怖い人。
だけどそのちょっと怖い所が、彼の魅力なのかもしれない。
人間は誰しも怖いものに惹かれる所があるからね。
そんな彼に私は二度も助けられた。
今でもあの時の事は鮮明に憶えている。
まるで少女漫画のヒーローのように颯爽と現れて、困っている女の子を助けていく。
そんな物語の中のような出来事だった。
ちょっと怖くて優しい人。
本当に、不思議な人だね……。
「お母さん、心配しなくても本当に今すごく楽しいんだよ」
お母さんの不安を打ち消すように笑顔でそう答えた。
「で、でも……」
そうは言ってもお母さんの不安は消えないみたいだ。
思えば青華院学園に入学が決まった時から、ああして私の心配ばかりしているような気がする。
私が学費のいらない所を選んだことで、何か負い目のようなものを感じているんじゃないかと思う。
私はあの学園に入った事を凄く良かったと思ってるんだけど、お母さんがそれに納得するまではまだ少し時間が必要なのかもしれないな。
と、ここで稔が。
「大丈夫だよ、母さん。姉ちゃんは図太いから」
指を立ててしたり顔でそう言った。
するとお母さんは。
「あ、そうだね」
と言って、ぽんと手を叩いて納得したのだった。
ちょっと、お母さん?
いつもお読み頂きありがとうございます(/・ω・)/
今回は汐莉ちゃんの紹介回みたいな感じでしたけど、だいぶ時間がかかってしまいました。主観のキャラを変えるの難しいですね。
次回からは祥子ちゃんに戻りますので、よろしくお願いいたします。
ではまた次回にお会いしましょう。




