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11、芽生えてしまったもの




 大人になっても気持ちが変わらなかったら正式なものにしよう。


 それまでは、二人の婚約は仮のものにしておく。



 それが、如月家と橘家の間で交わされた約束だった。



 子供たちの気持ちが大人になるまで続くことはないだろう。


 そう思った両家の大人たちは、この事が子供たちの枷とならないように。


 両家を結ぶための犠牲とならないように。


 子供たちに自由な未来を与えてあげたいと。


 そんな、子を思う親心だったのだ。



 そもそもこの婚約は、如月祥子が11歳になった誕生日に親に強請ったものである。


 それまで何かを強請るというような事の無かった如月祥子が、初めて親におねだりをしたのがこの婚約だった。


 強請らなくても欲しいものは既に身の回りにあったので、その必要がなかったというのもあったかもしれないが、如月祥子が自分から欲しいものを口にしたのはこの時が初めてだった。


 それ故に親たちは大いに驚き、その願いを叶えてやりたいとそう思ったのだ。



 しかし、本当はこの時の祥子の内心は酷く怯えていた。


 自分の気持ちが千聖に知れたらどう思うのだろうか、自分は何か大それたことを強請ってしまったのではないか。


 そんな事ばかり考えていたのである。



 だからこそ、これに千聖が了承をしたと聞いたとき祥子は飛び上がるほどに喜んだ。


 何よりも、千聖が自分と同じ気持ちだったという事が嬉しくて仕方なかったのである。



 どうにも、心が弾んで止まらないのである。



 そしてその心の高鳴りが、祥子の胸をこれ以上ないくらいに締めつける。



 それが、その小さな恋心を激しく燃え上がらせた瞬間でもあった。



 自分は将来、千聖と結婚するのだ。


 そう考えただけで、この小さな胸が張り裂けそうになる。


 自分と千聖の間には、確かな絆が出来たのだ。 

 

 そう考えただけで、目の前の景色は全てが煌めく色に染まっていく。


 

 そんなフワフワとした幸せな気持ちだけが、子供だった祥子の世界そのものだったのだ。



 しかし、少女はすぐに成長し、何も分からなかった子供ではなくなっていく。



 成長すればするほど、最初はあまり深くは考えてはいなかった仮という言葉が、日に日に祥子の中で大きくなっていくのである。



 いつ解消されるか分からないその仮の約束に、如月祥子の心は不安と焦りを募らせていく。


 千聖は本当は自分の事を好きではないのでは……。


 分かり難い千聖の顔を見ていると、そんな不安ばかりが増していく。



 不安は焦りを生み、焦って千聖の気を惹こうとすればするほど空回る。


 空回って上手くいかない事で、さらに焦りを生む。



 焦りは行動に影響を与え、嫉妬から人に当たる事も増えるようになり、自己嫌悪する事もあった。



 そんな悪循環のなか、まるで祥子は人が変わったのかと噂されるようになり。



 いつしか、悪役令嬢と呼ばれるようになっていたのである。







 サンドイッチの味もよく分からなくなるほど気持ちは沈み込んで、さっきまで浮かれていた自分を酷く恥じていた。



 千聖君の口から出た、正式なものじゃないという言葉。


 どういう意図で言ったのか、その事だけが頭の中をぐるぐると回っている……。



 やっぱり千聖君は、既にこの婚約を解消するつもりなのだろうか?



 だとしたら、物語が始まったときには既に手遅れだったのだろうか……?



 マイナスからのスタートだということは分かっていたけど、手遅れだとしたら……。




 沈んでいく私を余所に、三人は楽し気に食事をしている。


 時おり交わされる会話は、まるで違う空間が出来上がってしまったかのようで私の心をさらに沈ませた。



 そうこうしながら三人の会話に適当な相槌を打っていると、すっかり全員の食事が終わっていた。



 私の目の前のお皿の上も、気が付いたらサンドイッチが消えて無くなっている。



 いつのまに食べ終えていたんだろう……。


 というか、これじゃあ落ち込んでいても食欲だけはあるみたいじゃないか……。



 私は乾いた笑いを一つ漏らした。




 そ、そうだ、落ち込んでばかりもいられないんだった……。


 私には一つの使命のようなものがあったのだ。



 今朝はタイミングが分からなくて結局出せず仕舞いだった、この宮入さんから貰ったクッキー。


 このクッキーを食事の後に皆で食べようと思っていたんだった。



 しかし……。

 


 ブレザーのポケットに手を添えて、中にあるクッキーを確認する。



 こ、これを出して、どうぞ召し上がってくださいと言うだけ……。



 それだけなのに……、何故か心が躊躇している。



 沈んだ気持ちのせいか、鎖が巻き付いているかのように身体の動きを鈍らせているのだ。



 そもそも、クッキーなんて喜ばれるのだろうか……?


 男の人は甘いものが苦手な人も多いって聞いたこともあるし……。


 それに、もうお腹いっぱいなのでは……。


 でも、甘いものは別腹って……。



 ちょっとクッキーを出すだけだというのに、色んな事が頭を巡って私を動けなくする。



 い、いや、ダメだ、ここで頑張らないと、せっかく宮入さんが用意してくれたクッキーが無駄になる。



 ここで頑張らないと、背中を押してくれた人たちに申し訳ない。



 早く……言わないと……。




 皆が席を立ってしまう……。



 早く……。




「あ、あの、み――」


「これ、良かったら食後のデザートにどうですか?」



 私が振り絞った声は、その隣から発せられた声にかき消されてしまった。



 うう、なんてタイミングの悪い……。


 しかもデザートって、この子とはとことん相性が悪い気がする……。



 どうやら葉月汐莉も何かを用意していたみたいで、綺麗にラッピングされた袋包みをテーブルの上に置いて皆に見せてきた。



 ――そして私は、その袋包みの中を見て愕然としてしまう。



「へぇ、クッキーかぁ。ひょっとして葉月さんの手作り?」



 そう、葉月汐莉が差し出したものは、よりにもよってクッキーだったのだ。



「如月さんに、お礼とお詫びの印にと思って焼いてきたんです。橘君と神楽君も良かったら食べて」



 しかも、それが手作りときている。



 な、……何なのこれ?



 手作りなんて持ってこられたら、もう私のクッキーは出せないじゃない……。


 

 いや……本当に、何なの?



 ここまでくると作為的なものを感じる……。


 どうあっても、私を邪魔してやろうという悪意のようなものがあるとしか思えない……。




「うん、美味しいねこれ! 葉月さん料理とか得意なの?」


 

 クッキーを口に運んだ怜史君は、爽やかな笑みを向けてそう答えた。



「あ、良かったぁ。得意という程では無いんだけど、料理は好きなので……。あ、如月さんも食べてください」



 そう言って、私の方にも差し出してくる。



「あ、ありがとうございます……」



 私はそう言って、葉月汐莉に差し出された袋包みの中からクッキーを一枚取り、その半分だけを齧った。



 口に入れると同時に広がった優しい味。


 甘味が絶妙なくらいに少し抑えられていて作り手の気遣いが窺える。


 

 それは素人が作ったものとは思えない出来栄えで……。

 


 なんというか……。



 美味しくて……。




 悔しい……。




 美味しくて、悔しくて、どうしてこんなに惨めな気持ちになるんだろう……。



 色んな気持ちが綯い交ぜになって、私の胸を締め付ける。




「あ、橘君も、良かったらどうぞ……」



 千聖君がクッキーに手を伸ばす姿を見ながらも、私はポケットの上からいつまでも手を離せないでいる。


 そのポケットの上から感じる、宮入さんが渡してくれたクッキーに触れ。



 私はその手の感触に、何度も何度も謝った。



 涙の出そうになるのを堪えながら、そのクッキーにごめんねと心の中で何度も呟いていた。




 そして、更なる追い打ちのように……。

 


「千聖、どうだい? 美味しいよね、これ」


「……ああ、美味いな」



 一口でパクリと食べた千聖君はそう感想を漏らす。




 それを見て安堵の息を漏らす葉月汐莉は。



「……良かった」



 一言そう呟き、少し俯いた。




 その一瞬を見てしまった私は、ただ黙ることしかできなかった。



 時間が止まったように、それは私の目に焼き付いてくる。



 決して見たくなかった葉月汐莉のその表情。



 それは、自身もまだ気づいていない本当の気持ち。




 薄紅に染まるその頬が、私だけにその胸の内を教えてくれていたのだ。









   ☆








 青華院学園、学生ホール。


 そこは、生徒達が歓談するために設けられた多目的なスペース。


 小さなテーブル席や、自動販売機などが設置されており、生徒達が休み時間や放課後の一時を楽しめるように出来ている。



 放課後になり、私はその学生ホールで一人の時間を過ごしていた。



 あの昼休みから、どうも葉月汐莉の顔が離れない……。


 あの顔は間違いなくあれだ。


 私にも、もの凄く覚えのあるやつだ。



 やっぱり、きてしまった。


 ……この時が。



 …………。



 ……ちょっと早くない?


 まだ出会って二日でしょ?



 やっぱり昨日の一件が大きいのかな……。



 まあ、千聖君にあんな攫われ方したら誰でもそうなるよね。



 ………。



 むむぅ、腕を引っ張られたくらいで、単純な女め!



 いやでも、本人はまだ気づいていなんだよね。


 原作でも自覚するのはもっと後だったはず……。



 それでも、時間の問題ということも……。



 ああ、ダメだ……。


 考えてると、どんどん気分が沈んでいく……。




 嫌な事を考えてないで、さっさとこれを食べて帰ろう。


 そう思い、私はポケットから例のものを取り出す。



 それは今朝、宮入さんが私に渡してくれたクッキー。


 宮入さんの心遣いか、ラッピングは簡素にして上品。そのセンスは是非とも見習いたいと思わせるものがある。


 恐らく私の為に色々考えてこのラッピングをしてくれたのだろう。


 そう考えると、宮入さんの思いがそこから伝わってくるような気がする……。



 そんな気持ちを考えると、余計に申し訳なくなってくる。



 不甲斐ない自分に嫌気がさしてくる。



 

 そんな自己嫌悪を抱きながらクッキーの包みを開けると、ほんのりとした甘い香りが漂ってきた。



 ……良い香り。


 なんだか、気持ちまで甘くなりそうな、そんな気さえする。



 これを千聖君と一緒に食べられたら、一緒に甘い気持ちになれたのかも……。

 


 そんな、考えまで甘くなりそうなクッキーを一つ掴み、包みから取り出して口へと運んだ。



 ふわりとした食感に、まろやかな甘味とドライフルーツの微かな酸味が口の中に広がっていく。


 まるで、嫌な事も何もかも忘れさせてくれそうな、そんな蕩けさせてくれる味。



 凄く美味しいなぁ……。



 こんなのは素人には作れない。


 もちろん葉月汐莉にも作れないだろう……。



 これをあの場で出してたらどうなっていただろう?



 たぶん、みんな美味しいって言ってくれただろうなぁ……。



 でも、そういう事じゃないよね……。



 そういう事じゃない。




 可愛くて、料理が出来て、優しくて、ひねてなくて、ああいう女の子を男の子は好きになるんだろう。



 きっと、それは当たり前なのだ……。


 私が男だったとしても、そういう女の子を選ぶと思うもの。



 あそこで手作りのクッキーを作ってこれるような女の子を……。



 千聖君は、どうなんだろ?



 千聖君は、……どういう女の子が……。



 やっぱり千聖君も……。




 そこまで考えて、滲む涙に気が付いて必死に堪える。




 だめだ、お昼からずっとこの繰り返しだ。


 いくら考えないようにしても、どうしてもお昼の事に結び付いてしまう。


 

 それだけ、あの時私が抱いてしまったものが大きく圧し掛かってくるのだ。



 それがずっと認められなくて、ずっと私を苦しめている。



 否定して忘れようとして、無理やり打ち消そうとして……。



 

 でも、それは頭から離れてはくれなくて――。






「お、クッキーか、今日は何か縁があるな」




 私がこれ以上ないくらい打ちひしがれていると、すぐ後ろから聴きなれた声が聴こえてきた。



「ち、千聖君……!」



 振り向けばそこには、こちらを覗き込むような表情を見せる千聖君がいた。



 な、なんで、ここに?


 確か、クラス委員の打ち合わせがあるとかって……。



「おう、こんなとこで一人で何してるんだ?」



 それは、何の気もない問いかけなのかもしれない。


 

 それなのに……。



 私はなんて単純なのか……。



「あ、いえ、ちょっと考え事を……」



 この顔を見ただけで。



「ふーん、それより、それ一つ貰っていいか?」



 その声を聞いただけで。



「あ、ど、どうぞ! 一つと言わずいくつでも!!」



 さっきまでの沈んだ気持ちが一気に跳ね上がるのだ。



「千聖君、打ち合わせはいいんですか?」


 

 私の差し出したクッキーを食べてくれる。



「ああ、ちょっと飲み物買いに抜けてきただけだから、すぐ戻るよ――」



 たったそれだけの事で、こんなにも満たされてしまう。



「お、これ、美味いな! もう少し貰っていいか?」



 こんな言葉だけで、こんなにも嬉しくなってしまう。



「は、はい、好きなだけどうぞっ!」



 手作りではないけども、想いだけは色々詰まってしまったクッキー。


 それを千聖君が、少し顔を綻ばせながら食べてくれた。



 美味しいと、言ってくれた……。



「お、おい、何泣いてんだ?」



 し、しまった、つい嬉しくて気持ちが緩んでしまった。



「いえ、これは、何でもないんですっ!」



 千聖君に見られまいと、慌てて手を翳して目を隠す。


 しかし、時すでに遅しというやつで、既にばっちり見られた後だ。



「どうした、何かあったのか?」


「いや、これは、何でもないので、気にしないでくださいっ。ほんとに、大丈夫なので……」



 千聖君は「なんだそれ」と一言呟いて嘆息する。



 うう、なんか呆れられた?


 どうしよう、正直に言える訳ないし……。


 でも、何も言わなくて面倒くさい女とか思われたらどうしよう……。




 ――と、うだうだと悩んでいたその時。



 千聖君の手が私の頭の上に伸びてきて、こつりという音と共に私の頭に何かを乗せてきた。



「ほら、これやるよ」



 私はその頭に乗せられたものを手に取って、それを目の前に持ってくる。



「……コーヒー?」



 それは、何でもない普通の缶コーヒー。



 何でもない普通の缶コーヒーだけど……。



「クッキーだけじゃ、喉が渇くだろ?」



 何よりも特別な缶コーヒーだった。



 これは、だめだ。


 今まで我慢してきたけど、もう限界だ。


 もうこの感情は抑えきれない。


 

「あ、ああ、ありがとう、ございますっ、ううっ」



 抑えきれなくて、どうにもならない気持ちが溢れ出て、堰を切ったように涙が流れ出す。




「だから、泣くなって。しょうがねぇなぁ……」




 そんな呆れるような声を出す千聖君だったけど。




 この後。




 私の涙が止まるのを、何も言わずにじっと待っていてくれた。







 お昼休みのあのとき、私は思ってしまった。



 葉月汐莉にどうしても勝てないと。


 このままでは、千聖君は離れていってしまうと。



 私はそう思ってしまったのだ。



 

 それでも……。



 たとえそれが真実だとしても。




 一縷の望みが捨てきれないと……。





 今の私はそう思うのだ。








いつもお読みいただき有難うございます(/・ω・)/


一応ここまでがプロローグ的な話になります。


ということは次からが本番という感じになるのでしょうか?

なるんじゃないでしょうか……。

どうなんでしょう……('A`)


というわけで、次回より「タイ人編」をお送りします。(嘘です)


ではまた次回お会いしましょう( ´Д`)ノ~

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