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賢者の料理番

「…ルファー君、タダン様の様子はどうかね?」


「相変わらずです、パンも食べなければミルクも……なんならば水すらも口にいたしません。」


 ハーフエルフの世話主任ルファーは、執事長マークレンの問いに重々しく答えた。


「これで5日目か…。12才の少年だ、普通ならば衰弱死してもおかしくないのだが、タダン様の膨大な魔力が成せる技なのか、それとも我々には判らない方法で植物のように別の手段で栄養を補給しているのか…。」


「しかし日に日に窶れているのは事実です、一刻も早い対処が必要でしょう。」


 場所はマルボ山のふもとにある貴族の屋敷、サイレクサー邸。貴族の称号を持つのは、精神に重度の遅滞がある12才の少年であり、同時に〝目にした魔導・召喚術を一目で習得する〟という稀代の能力をもつ、タダン=サイレクサー。二つ名を〝白知の賢者〟


 その執事長である御年66歳のロナルド=マークレンは、普段の柔和な印象を崩して深刻に目を閉じ長考していた。主であるタダンは重度の精神遅滞を持つ幼少期の少年に漏れず、異常なこだわりを持っている。


 それは衣食住のすべてに通じ、食事ならば食事内容のみならず皿への盛りつけ方から、食べさせ方にいたるまで、湯浴みならばお湯の温度と体を拭く順番、眠るときならば枕の位置が微少でもずれていれば癇癪かんしゃくを起こす。


 今回サイレクサー邸を襲った悲劇は普段から利用し、1年半近くタダンのこだわりたる食事内容黒パンとミルクを納入していた商会が潰れてしまったことだ。ライ麦を使用しバターもミルクもイースト剤も混ぜずにただただ堅く焼いただけの、冒険者が保存食にするか、貧民でもなければまず食べないであろう粗末で安価な黒パン。それがタダンのこだわりの一品であった。


 他の黒パンならば大丈夫だろうと高をくくっていたが、タダンの嗅覚・味覚は鋭かった。微量でもバターやイースト剤が混ざっているのがいけなかったのか、それとも慣れ親しんだ味が急に変わったことがいけなかったのか、タダンは商会からの納入が途絶えたその日から一切の食事を口にしなかった。


 無理矢理食べさせようとすれば癇癪を起こして大惨事になることは間違えない、貴族の伝手を使ってあの手この手で様々な黒パンを集めタダンに提供したがどれも 「 これちがう 」 の一言で拒絶された。


 ミルクは潰れた商会がどのように入手していたか判明し、畜産農村から取り寄せることが出来たのだがパンだけはどうしても手に入らなかった。急に破産をした商会に対してタダンの世話人4人は苛立ちを募らせる、食事ならば幾らでも贅沢を凝らせるだけの財産がサイレクサー邸にはある。


 なんなら商会そのものを買い取ることだって可能だった、何故金の工面をこちらに頼ってくれなかったのか。…貴族がただパンとミルクを納入しているだけの商会を助けるはずがないという先入観だろう、それは判るがサイレクサー邸は〝普通の貴族の館〟ではない。


 それくらいは判って欲しかった。そしてタダンは日に日にやつれていき、肌も乾燥してその様子はさながら枯れ征く木のようであった。


「あの商会はミルクの納入は外注だったがパンそのものは商会で焼いていたはずだ、是非パン職人の行方を捜さないといけないな。」


「捜索活動ですか…。しかし商会が潰れてしまった今、末端であろうパン職人の行方など…。」


「ここは探偵にお願いしよう、急務だ。手紙を送る時間も惜しい、馬車ではここから2日…。ルファー君、タダン様を説得し石版を動かしてもらい大至急テグレクト邸に居を構えるレイチド=キャンドネスト様に依頼を。」


 このままでは有り余る財産を持ちながらタダンは飢えて死ぬ。マークレンの真剣な眼差しを受け取ったルファーは重々しく頷いてタダンの元へと走った。タダンを説得できるほどの世話人は4人のうちルファーくらい、ルファーはタダンを散歩の名目で説得して、どんな龍よりも速く動く石版を運転させることに成功した。


 目的地はテグレクト邸、果たして目的地までタダンの気が向いてくれるかは大変な賭けだったが、ルファーの思いが通じたのか無事石版は半時とせずにテグレクト邸へと到着した。



◇  ◇  ◇



 夜間も遅く、皆が眠りに付こうとしている時。全身を風が舐めたのかと思うほどに膨大な魔力がテグレクト邸に響き渡った。門番のガーゴイルは反応すらせず石化したまま、テグレクト邸に身を置く皆は飛び起きて一瞬何事かと考え、皆直ぐに答えにたどり着いた。


 専門性は違えど、一流の者が集まるテグレクト邸皆が飛び起きるほどに膨大で有り余る魔力を持つ者など1人しか知りはしない。一時期テグレクト邸に捨てられた精神遅滞の少年であり、神話の邪龍や難攻不落悪魔の城すらも単身棒きれ一本で討伐する〝白知の賢者〟タダン=サイレクサーその人だ。


 テグレクト兄弟・シオン、マリー・レイチド・ウィーサは玄関口へ集まり急なタダンの来訪に驚き、次に不健康にやせ細った乾燥した肌のタダンに驚いた。ルファーはこれまでの経緯を説明する、テグレクト邸は一時期タダンの世話をした場所でもある。タダンの病的なこだわりは直ぐに理解された。


 タダンには一番始め、テグレクト邸に来た時と同じ始まりの食事が提供された。しかし貴族になり独り立ちして余りに長く一つの黒パンに慣れたためかやはり一切口を付けなかった。事を重く見たテグレクト邸の面々はルファーの依頼…、〝賢者の料理番〟を探すことを承諾した。探偵業務ならばレイチドが本職だ、ルファーから潰れた商会の名前を聞いて早速徹夜で捜索活動を開始した。


 テグレクト邸に構えられた〝探偵捜索室〟レイチド=キャンドネストの仕事部屋。そこにタダンとルファーは通され黙々と商会名簿や雇用流動の書類を広げ、通信の式を手元に置くレイチドと共にしていた。


「…あのぉ、何かお手伝いできることがあれば。」


 ルファーは急事の中での手持ちぶさたという焦燥感からそう声をかける、タダンは何事も無いかのように探偵捜索室にある〝賞金首一覧〟の書を眺めていた。


「お心遣いありがとうございます。今は大丈夫です。…名前はケイフォ商会、年間収益は金貨で35枚相当。かなり弱小の商会ですね、商会長以下職人一名に営業者2名、経理の納品を行う担当者が一名の計5人の商会ですか。」


「はい、パンとミルクの納品はその営業の男性が持ってきてくれていました。商会が潰れ、商会長が夜逃げしたことを伝えてくれたのもその男性です。」


「そうですか、では職人の顔は判らないと…。」


 ビー と通信の式が鳴る。レイチドは書類から目を離さずそれを手にとって式を通じさせる。


〝やっほー!聞こえる-?ケイフォ商会についてリーフ地区の担当さんに無茶言って調べてもらったよー!〟


「そう、ありがとう。なんだって?」


〝えーとねぇ、【貸し入れ・借り入れ不履行なし 債務者整理計画未発表 責任者不在による強制整理】だって、なんのこっちゃ!?〟


「……典型的な夜逃げね、その商会の長は商会を続けられるだけの資産を持ちながら売り上げ金を持って逃亡したって意味よ。目先のお金に目が眩んだのかしら。」


 ルファーは通信を聴きながら苦い顔をする、なんと粗末な商会相手と取引をしてしまっていたのだという罪悪感と怒りが沸いてくる。


「従業員のその後については?」


〝う~ん、役場では判りかねるってさ。〟


「じゃあウィーサ、次はケイフォ商会の跡地に飛んで。いきなりの破産劇で途方に暮れて後始末の真っ直中ってこともあるわ。運良くそこにパン職人がいたら引っ張って連れてきて。居なかったとしても形跡を教えて頂戴。」


〝あいあいさー!〟


 ビー と音を立てて再び通信は途切れた。ルファーは未だに〝賞金首一覧〟を読む愛しの主を一瞥して申し訳なさそうに頭を下げる。潰れた商会に赴くなんていう発想すら出てこなかった自分の頭の悪さを呪う。


 レイチドはウィーサの報告如何でどのような行動を取るか次々手帳に記録して、最短でパン職人の行方を探せるように計画を練っていた。ルファーはまるで別世界に飛び込んでしまったような錯覚に陥る。それほどにレイチドの手際は鬼気迫るものだった。


 そして1刻ほどすると再び通信の式が ビー と音を立てる。


〝ヤッホー!商会にいったら経理の人がいたよー!そしてパン職人さんのお家を教えてくれた!今パン職人さんの家の前なんだけどどうしようか?〟


 思わぬ吉報に場の空気が弛緩していく、ルファーもレイチドも強ばった肩の力が抜けていくのがありありと判った。そしてレイチドはウィーサに伝令する。


「よかったわ…。叩き起こしてから〝現在貴族の料理番を捜しております、ご同行をお願いします〟って言って引っ張ってきて。混乱すると思うけどこっちに連れてきてからゆっくりとお話ししましょう。」


〝はいはーい!〟


 ビー と音を立てて通信が途絶える。そして半刻後、ウィーサのほうきに跨って連れてこられたのは少年の面影が残る黒髪の青年だった。元々裕福ではないパン職人の家柄で、12才から5年間商会に務めていたということであった。


「いいにおい」


 タダンは早速そんなことを話した。職を失い貯蓄もなく途方に暮れていた一介のパン職人は突然の申し出に当然の様に混乱していた。いきなり王宮にも負けないほどの調理場へ案内され、〝粗末な保存用の堅い黒パンを作って下さい〟などと言われたのならば尚更だ。


 青年は混乱しながらも5年間そうしてきたように挽いたライ麦をひたすら水でコネ、悪くなり発酵しかけた小麦粉を少々混ぜて釜で焼いた。


 出来上がったのは見るからに粗悪で粗雑で安価な黒パン。食堂にはルファーとタダンを含めた8人があつまりそのパンを前にする。タダンにはエプロンが掛けられルファーが持ってきた愛用のミルクもある。いつもそうしているようにナイフとフォークも置かず、お皿のやや左に黒パンを置く。するとタダンの手がパンに伸びてミリミリと音を立て囓られた。ルファーは主人が6日ぶりに食事をしてくれたことに大いに安堵した。


「…苦い上に堅くて食べられたものではないな。」


 空気を読まず、館の主テグレクト=ウィリアムは率直な感想を述べる。だがこれこそ賢者の望んだ味であり愛する味なのだ。画してサイレクサー邸には1人の侍従が増えた、貴族専属の料理番であり給金は以前の何百倍というほどだ。青年は主のために毎日パンをこねる、本当にこんな事でこれだけの給金をもらって良いのか。怖々と考えながら。

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