安らかで楽なる死を ①
こと医療と薬学については王都以上の優秀な医療魔導師・薬師があつまるコトボ。その一角にある魔導治療院の一人部屋。高級宿舎に匹敵する豪華な病室、そのベッドで老齢の男性が横になっていた。男性は豪商であった。だがそれはかつての話で、今は隠居し家禄も息子へと継承している。
魔導具の輸入・輸出業務を裸一貫からはじめ、時に魔物に襲われ死にそうになりながらも利益を確保した。確保した利益を再び投資にまわして商業を営み、尽力をつくして天命を待ち、天命は男に味方した。
そんな一代で大商会を立ち上げた老齢の男は今、不治の病に冒されていた。年齢は67才、王国の平均寿命よりも長く生きてはいるが、そんなこと男性にとっては何の関係もない話だった。〝自分が死ぬ〟……それだけで、今まで成功に満ちてきた人生が終わるのかと思うと、悔しさと絶望感しか沸いてこなかった。
男は様々な医者や魔導師を周った。だがどの医者も医療魔導師も男性の病気に対して、匙を投げられるのに時間はかからなかった。進行性で治療法が確立されていない不治の病。年の割にはガッチリとした体躯だった男性も、今や風で折れそうな窶れた枯れ木のようになっている。男は既に治癒を諦めている、ある意味で死を受け入れるように心境が変わってきた。…ひとつの心残りを除いて。
男は治療院で一番立派な病室のそれはそれは立派な棚から、紙とペンを取り出した。男性にとっては最後の希望、王国で唯一の生きる伝説へと依頼の手紙を書いた。手紙の文字は震え、麻薬に近い鎮痛魔導によって耄碌した頭を何とか回転させて手紙を書く。そしてやってきた世話人に手紙を出してくれと渡した。
世話人は、その頼みを承諾して男性の書いた手紙を郵送した。手紙が郵送されたと聞いた男は世話人にチップを渡して〝ご苦労〟と言い、世話人を部屋から出した。そして病室の荷物入れを開けて、緑色をした一つのコップを取り出した。
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場所はテグレクト邸。英雄の末裔の館であり、王国最高峰と名高い召喚術師の館。そこで館の主の兄、テグレクト=フィリノーゲンは依頼の手紙を一通一通選別していた。イタズラまがいの手紙から貴族からの依頼状まで様々な手紙が届くテグレクト邸、その選別作業はフィリノーゲンが一人でおこなっている。
そしてフィリノーゲンは一つの手紙を開いた。歪んでぐちゃぐちゃになった文字だが鬼気迫る迫力が感じられる手紙だった。内容はこのようなものであった。
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依頼状
平素より大変お世話になっております。個人として手紙を出すのは初めてとなりますが、どうぞよろしくお願いします。わたしは今、コトボの王立魔導治療院に入院しております。不治の病のためです、王国各地の医師や魔導師を周りましたが匙を投げられている状態です。どうかこの生き汚い老人の願いをひとつ叶えてくれませんでしょうか、良い返事をお待ちしております。
ラボラス=ルボミー
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フィリノーゲンはやや驚く、ラボラス=ルボミーといえば王国でも指折りの大商会ルボミー商会を立ち上げたご隠居様だ。おそらく治癒は不可能であろう、ルボミー商会の元会長がその財を尽くし王国中を巡ったと言っているのだ。テグレクト邸は治療に特化した場所ではない、残念ながら治療の役には立てないだろう。
しかし手紙には〝病気を治してくれ〟とは書いていない。願いを叶えてくれとだけ書いている、大商会のご隠居様でお金で手に入らない物など何も無いであろう老人の叶えて欲しい願いとは何であろうか?フィリノーゲンは頭を悩ませた。
こういった依頼の手紙は第48代テグレクト=ウィリアムを継承した弟だけ任せるより、テグレクト邸のみんなの協力を要請したほうがいい。そのことを知っているフィリノーゲンは早速、シオン・マリー・レイチド・ウィーサに声をかけて弟にも事情を説明した。
場所はテグレクト邸の会議室、集まるは〝門外不出〟のテグレクト邸に奇妙な縁で招かれた4人と弟のジュニア。フィリノーゲンはみんなに依頼の手紙を見せた。反応は各自様々であった。
「ルボミー商会といえば、王都でも1、2を争う大商会…。その立役者様がなんの御用時でしょうか、まだ治療を諦めていない…という訳でもないみたいですが。」
「う~ん。治癒専門の魔導師じゃないからよくわからないけど、王国中を巡ってダメならもうどうしようもないんじゃないかな!?」
「しかし、〝病気を治してくれ〟とも書いていない。ルボミー氏とて阿呆ではないだろう、自分の死期くらいは悟っているのではないか?」
『 何を依頼するのか 依頼の内容は一体何か 興味深い 』
「でもそんな大金持ちさんが一体なんの依頼をするんだろう…。」
そんな各自の反応をフィリノーゲンが聞き入れ、自身の解釈を説明する。
「さっきジュニアもレイチド君も言っていたように、治療の最後の希望として出した手紙とは思えない。ルボミー氏はここがテグレクト邸…召喚術師の館であると知った上で依頼状を送ったんだ。つまりは僕たち召喚術師に依頼したい内容…または品物があるのだろう。僕はこの依頼を受けたいと思っている、みんなも協力してほしい。」
4人はフィリノーゲンの言葉に、快く頷いた。テグレクト邸の本来の主、若干12才のテグレクト=ウィリアムも慣れたもので、よろしく頼むと一言礼を言った。指定された場所は医療と薬学の街コトボにある王立魔導治療院の最上階個室、一日で金貨1,2枚は取られる下手な高級宿舎よりも豪勢で贅沢な場所だ。
各自は式を召喚して、依頼主の元へと飛ぶ。そして地図上ではカリフの反対に位置するコトボへ2時間ほどで到着し、コトボ王立魔導治療院最上階、ラボラス=ルボミーの病室へと向かう。
コン コン とノックを鳴らし、病室の扉を開く。絢爛豪華な調度品が備えられた病室で、窓は全面ガラス張りとなっており中には湯浴み場・食堂から届けられるメニュー表・楽団の演奏が入れられた蓄音機、天井にはシャンデリアまで飾られてある。
中には痩せ窶れ、今にも折れそうな枯れた木のような老人がベッドで横になっていた。入ってきた人間を見てラボラス=ルボミーは依頼状が受け入れられたことを喜び、無理をおして、ベッドの上で起き上がる。
「この度はご依頼を受けていただきありがとうございます。わたくしラボラス=ルボミーという一介の元商人でございます、どうかお見知りおきを、」
ルボミーは商人らしい柔和な笑顔でテグレクト邸の面々へ挨拶する。大商会のご隠居とは思えない、柔和で安心する笑み。逆を言えば、生涯を商人として費やしたルボミーの癖の様なものだった。
「こちらこそご丁寧にありがとうございます。わたくし、テグレクト邸の事務方を任されているテグレクト=フィリノーゲンと申します。」
「第48テグレクト=ウィリアムを継承している者だ。…してルボミー殿、依頼というのは何事なのだ?」
「依頼の品はこちらでございます。」
ラボラス=ルボミーが取り出したのは何の変哲も無い、木でも金属でもない奇妙な物質で出来たコップだった。
「こちらはわたしがまだ20代だった頃、それこそ命がけで行商を行っていたときに手に入れた品でございます。呪いや憑依の類は付いていないということでした。しかしこれはまた不思議なコップなのですよ、…そこのお嬢さん、こちらのコップに水を入れてきてもらってもいいですか?」
指名を受けたレイチドはコップを受け取って、水瓶からコップに水を入れようとする。…しかし、コップは空洞にも関わらず満たされたコップの様に水を拒否した。床に敷かれた絨毯はこぼれた水で濡れてしまう。
「不思議なコップでしょう?手を入れても空洞なのに、水を弾くのですよ。まるで中に何も入れないでくれと言わんばかりに。」
「…不思議なコップだ、確かに呪いも憑依の気配もしない。しかしあなたは何故今になりこのコップを?」
ラボラス=ルボミーはしばし目をつぶって、過去を回想し一言だけ皆に伝えた。
「このコップは、わたしがルボミー商会を躍進させることができたコップなのですよ。」
そう言って老商人は眼を細く開き、自らの栄達とコップに関する数奇な運命を語り始めた。




