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385話 幻痛


「っく……。ふぅー……」



時折顔を顰め、それを騙すように大きく息を吐きつつ病棟の廊下を進む竜崎。杖と手すりを使い、ゆっくりと歩いていく。



勿論本当ならば、普通に歩きたい。しかしまともに身体が動かない以上、そうするしかなかった。誰かに見つからないように祈りながら進むしか。



風精霊による魔術などで歩行補助をする方法もあるが…。下手に詠唱をしてニアロンを起こしたくもなかった。…それに、今の体調ではまともに詠唱出来る気はしなかった。





故に彼は、静かな病棟内に杖を突く音と衣擦れの音を軽く響かせながら、ひたすらに廊下を進み階段を降りる。



幸いだったのは、それを誰にも見咎められなかったこと。悪党や元魔王軍残党を追うために昔身につけた尾行術…要は隠密移動が役に立ったのだろう。








―ところで。竜崎はどこに行こうとしているのか。勇者アリシャから離れ、ニアロンに黙り、看護師たちに気づかれぬように、一体どこに向かおうとしているのか。





……別に、どこという当てがあるわけではないのである。








彼としても、自分の置かれている状況は先の手紙で理解している。病棟の外に出れば騒ぎになることも、少し待っていればアリシャかニアロンが起きるか、巡回の看護師が来るということも。



そして勝手にベッドを抜け出せば、騒ぎを引き起こし皆に迷惑をかけるということも―。








それがわかっていてなお、竜崎は病室を後にしたのだ。その理由? 先にアリシャに伝えた通りである。外の空気を吸いにいくため。



――といえば若干聞こえはいいが…。それが示すことは別にある。 『外の空気を吸いに行く』、それ即ち、『元居た場の空気が嫌になった』ということ。





ということは、アリシャがいたのが嫌だったのか? そんな訳はない。寧ろ傍にいてくれたことに、竜崎は格別の感謝を抱いていた。 



そうでなければあんなちょっと恥ずかしい台詞を彼女に耳打ちし、キスをすることなんて出来ない。つまり、理由は彼女ではなく…彼自身に、竜崎自身にあった。






それは、至って単純な、それでいて複雑な感情であった。あの病室にいるのが、待機しているのが、嫌だった―。




ベッドの上で倒れ伏しながら、皆が集まるのを待っているのが、たまらなく怖かったのである。













結局…先の戦いでは、何も守れなかった。装置は壊され、魔導書と神具は奪われ、さくらを殺されかけ、身は貫かれ、呪いは解放され―。



そして、下手すればニアロンすらも消滅させかねない事態であった。およそ完全敗北ともいえる代物と言っていい。




かつての戦争を収め、英雄と誉めそやされた身として、あまりにも情けない姿。さくらの親代わりとして、あまりにも不甲斐ない姿。




そんな身で竜崎は、皆と…さくらと顔を合わせることなんて出来なかった。 光が入って来てるとはいえ暗い病室の、ベッドの上で寝たままでいるなんて出来なかったのである。









彼が先程読んだ寄せ書き手紙に、さくらは『私の顔なんてもう見たくもないかもしれませんが…』と書いていた。それは、罪の意識から来たものであろう。



しかしそれは、竜崎も同じであった。それこそが、先の彼の気持ちの…『寧ろ、その逆』の意味するところのもう一つ。




竜崎は寧ろ、さくらが『竜崎さんの顔なんてもう見たくもない』と思っているのでは、と憂慮していたである。







なにせ、何もしてあげられなかった。さくらにやってあげた全ては無為であったやもしれないし、肝心の元に戻る方法も消え去った。


もう、失望されても当然。そう考えてしまったのである。





―とはいえ、さくらの手紙でその考えも溶け落ちた。杞憂であったことがわかった。さくら側も、竜崎を嫌ってはいないということがわかる文面であった。




…しかし、だとしても、顔を合わせるのが怖かった。幻滅されないか不安だった。



だからこそ、病室から()()()()()のだ。 『弱った情けない存在』というイメージからなんとか逃れるために。











要は、じっと待っているだけでは心が圧し潰されそうだったということ。怖がりの子供がとる、後先考えぬ逃避行動と同じだと言っても良い。




故に、竜崎に行く先なんてなかった。鈍い身体を引きずり、あてどもなく彷徨うのみ。…それだけでも、多少救われている気がしてもいた。







そして彼は、気づけば病棟の中庭へとやってきていた。周囲を大小の建物にぐるりと囲まれたそこは広く、芝生に覆われている。



また、適度に日の光が入り、穏やかな風もどこからともなく入ってきている。その中央部には大きめの木が植えられ、緑の葉をつけた枝を爽やかに揺らしている。




周囲にベンチが幾つかあることから、普段は患者たちの憩いと安らぎの場になっているのであろう。きっと、病院であることを忘れられるような朗らかな笑い声に満ちているはず。







―しかし今は、誰もいない。病棟は箝口令により、現状竜崎のみの貸し切り状態。シンと静まり返ったその場には、取り残された木が普段通り枝葉をそよがせているだけ。





「…よっ…と……」




そのベンチの一つに、竜崎はゆっくりと腰を沈める。彼にとってはお誂え向きの場であった。



病室から離れることができ、1人になることもできる場所。…それに、体力も限界が近かった。





「……はぁ…」



身体をベンチに委ね、彼はぼうっと木を見やる。そうすることで、思考の整理を――。





「…っ……ぅぁ……」



―と、俄かに苦しみだす竜崎。腹部を…重傷を負った患部を押さえ、身を丸めた。




傷がぶり返したのか。―いいや、そうではない。シベルとマーサ達が全霊を以て治療したその箇所は、先も述べた通り見事に鎮まっている。





…しかし、竜崎は痛みを感じたのだ。思考を整理し、あの時の…臓腑を貫かれた瞬間、及び呪いのおぞましい感覚を思い返した瞬間、激痛が身を襲ったのである。





『幻痛』と言うべきであろう。あの時ああすればよかった、こうすればよかった、その自戒が頭に浮かぶたびに、何故そうしなかったと責めるように痛む。





……それほどまでに、彼は追い詰められていた。次から次へと湧き出す後悔は、既に過去のものだとわかっていても刃となり突き刺さってくるのだ。そして1人では、ぐちゃりと潰されてしまいそうなほどの重圧も。




苛まれた竜崎が、幻痛を誤魔化すため、そして思考を霧散させるために、頭に爪を立てて掻き毟ろうとした時だった―。







―落ち着け清人。気のせいだ。ほら、深呼吸をしろ―




ふわり、と竜崎の両頬に、背後から小さめの手が添えられる。ハッと息を呑んだ竜崎が弾かれたように顔を動かすと…そこには宙に浮く、少女姿の霊体の姿が。




「ニア…ロン…! 起きて…!?」



思わず、彼女の名を呼ぶ竜崎。しかしニアロンはそれには答えず、優しくぐいっと彼の首を戻した。





―いいから深呼吸だ。 …そうだ、それでいい。良い子だ―



伸ばした片手を竜崎の片頬に当てたまま、ニアロンはもう片方の手で彼の背をさする。



まるで母が子を宥めるような…いや、20年前、2人が出会ったばかりの時のような懐かしい口調に竜崎は従い、大きく大きく息を吸い、吐いた。




すると…幻痛はピタリと収まったではないか。驚いたようにぺたぺたと患部を触る竜崎に向け、ニアロンは彼の背に揺蕩ったまま、両腕を彼の首に回すようにして問うた。



―痛みは治まったか?―






「あ…あぁ…。 …ニアロン……。その……」



竜崎は頷きつつも、意を決したように言葉を続ける。…が、それはニアロンの人差し指によりピタリと止められた。




―ろくでもないことを言う前に、あっちをなんとかしてやれ―



そのまま、またも首をぐいんと動かされる竜崎。その目の先に居たのは……。





「キヨト…!!」




白いローブを肩にかけた、勇者アリシャの姿であった。




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