金にド汚いだけの似非イデオロギー狂いに存在価値は全く無いという話
ハッキリ言うと今現在の日本は問題だらけだ。まかり間違ってもモリカケ問題みたいな不毛な議論に時間を費やしている暇は1秒たりとも無い。それなのに国会を見るとモリカケモリカケと他に議題は無いのと言いたい。難癖を暴かれ根拠が聞かれるとデマだと知っていました~週刊誌に書かれていました~オイオイ失言と違うコレ?
国会議員の年収は2100万円、月収は120万以上である。政治には金が掛かるというが、この野党議員どもは一体何に金を使っているのだろう。週刊誌なんて500円前後だし、デマを垂れ流すだけならタダでもできる。何かというと緊縮大好きな野党議員様は手始めに議員報酬から緊縮するべきだろう。
民進党は”事実上”解党し希望の党に合流し、それすら出来なかった排除されて当たり前のアカの煮凝りのような連中が立憲民主党を結党した。さて『事実上』の解党という表現を奇妙に思われないだろうか? なんでスパッと解党しないのか。ここに政党交付金なるものが出てくる。政党助成金とは、簡単に言うと政治活動のスポンサーに大資本様がなっていくと政治が金持ちにコントロールされてしまうとの考えから国から政党を維持する金を貰う事で野党の数を増やしてそれを回避しようという制度である。
さて民進党様が解党した場合には貯めに貯めた助成金150億を返納しなければならない。それを避けるために民進党というハコだけ残して党員を飛散させるという小賢しいマネをしたという訳だ。そもそも交付金が余っているとはどういう事だろうか? 交付金は税金で賄われる。つまり使いもしない金を税金で取っているという訳だ。ふざけるなと言いたい。
だいたい、選挙後に所属政党を変更するとか国民をなめているとしか思えない所業である。己の政治信条と同じ政党を選択し立候補する。国民は政党と議員を選択する事で民意を政治に反映させる。それが政党政治のキモである。ホイホイ政党を変えるという事は民意を蔑ろにしているという事だ。自分の政治信条はありません、議員を続けれるなら何でもいいですと言っているようなものである。これが普段、民意がどうのと言っている連中の行動である。
さて民主主義といえば、名護市市長選挙は3500票の大差で基地容認派が当選する事になった。別の市長選挙で65票差で民意がどうのオール沖縄がどうのと反基地ファシストたちは騒いでいたが、この結果にどう反応したか? 彼らによるとこれは民意ではないらしい。何故に選挙で負けたのかの反省など全く無し。容認派に入れた名護市民はアホの集まりとでも言わんばかりの主張である。
もうお分かりだろう。彼らの民主主義は、有権者が代表を選ぶのではなく、代表者が有権者を選ぶのだ。何と素晴らしいソ連式倒置法であろうか。そして恐ろしい事に権力を握った後にやる事が何も示されていないのである。
彼らによると名護市のインフラやなんやらの話は議論のすり替えらしい。反基地のみが至上命題であり他に重要な議題は存在しないというのだ。敗戦後の反基地ファシストどもの何で負けたのか分からないという面に心底吐き気がする。名護市の人間は反基地運動なんかより日々の生活を優先したというだけの話だ。それが今回の民意なのだ。それにグチャグチャと難癖をつける様は実に見苦しい。何故余所者の反基地イデオロギーの犠牲に現地の人間がならねばならんのだ。名護の人間はバカだからパンダでも与えとけばいいだろと思っていたとしか思えない浅はかさである。
もはや野党勢力に言うべき言葉はひとつである。「エッこれで選挙に勝てると思っていたんですか。冗談ですよね?」どこまで国民をなめれば良いのやら。唯一の支持母体である連合系労働組合からも見放されつつある現状をどう思っているのだろうか。どうせ外国人に選挙権を入れればいいとでも思っているのだろう。
ここに民主主義は前提として国家主義が必要である至上命題が出てくる。民主主義とは権力に対する捉え方の違いでしか無いのだ。それ自体が何かの幸福だとか安全を担保するものでは無い。
社会に属する事で個人に利益がもたらされる。代償に個人は社会の存続の為に利益を分けなければならない。社会が存続するプロセスはハッキリ言ってこれだけである。ライオンの社会ですら狩りのうまい個体は群れの為に獲物を分け合うという我慢を強いられるのだ。社会に個人の利得が奪われるという事を問題にするなどナンセンス極まる。なぜ”分け前”の話が出来ないのだ? そして当然のように社会からもたらされる便益は維持されると思っているのである。まるで子供の駄々である。