消費税の使い道はなんじゃろなぁ? 半分は、ゴミ箱行きでした。ブラボー
NHKが報じるところによると、税率引き上げに伴う増収額は5兆7000億円程度の見込みで、このうち『半分』を社会保障の充実に充てるそうだ。そして、もう半分は『財政の健全化』の為に使われるそうだ。小難しい言い回しをしているが、とどのつまり、なんにも使わないという事である。前回、5%から8%に上げた時も全く同様だった。国民からカネをむしり取って死蔵するという訳だ。
まず第一に、財政健全化の前提である『借金は限度額であり、返済しなければならない』という説明が完全に誤りである。借り手が居ないハズの債権が、何故にこんな歴史的超低金利設定で成立しているのか全く説明出来ない。現状において、借金の額面こそは大したもんだが、その保有者が誰かというと日本銀行であり、彼らへの利払い金や償還費は全て国庫に還元される。国会答弁を見ても、彼らは明白に自分たちの嘘を自覚しており、都合の悪い質問には答えないという事がしょっちゅうだ。つまりは国の借金1000兆円~膨大な額だ~大変な事になる~という恐怖を煽り立てる煽動に過ぎない。だいたい、自国通貨建ての国債が債務不履行にならない事は財務省も認めている。
第二に、財務省は目的として『有事の際に借りれるようにする為』と主張している。彼らがやって来た事を鑑みれば、テキトーなほらを吹いているだけだと看破できるだろう。東日本大震災の時に彼らは何をしたか? 『復興増税』とかいう全世界的に見ても異様な増税を行った。被災地の復興の為に、被災地からもカネを取る訳だ。しかも彼らの内部資料を見ると、あからさまに復興に際して国債を発行した事を敵視している。そもそも有事の為~とか、洪水で死ぬ人間の為に見舞金を積み立てる事と、洪水で人が死なないように堤防などを整備する事のどちらが有事の事を考えていると言えるだろうか? 見舞金の方が安上がりだからという思想があるとしか思えない。彼らには本当に赤い血が流れているのでしょうか? という気分になってくる。
第三、そもそも何をもって『健全である』と判断するのやら? ハッキリ言うけど、こういう『借金=悪』という固定観念は共産主義的な発想であると言わざるを得ない。借金を何故返さなければならないか? 論理的に思考すれば、利払いの削減や返済能力の証明である。しかし国家において、利払いの削減そのものは目的になり得ないし、自国通貨建ての場合、国家以上に返済能力があるモノは無い。つまり、借金を返済する目的とは、インフレの抑制であり、富の不均衡の是正しか無いのである。
よく財政拡大反対の論理として、国民が甘えてインフレを抑制できないなどという理屈があるが、コレは国民の一部を国民全体にすり替える詭弁に過ぎない。過剰需要によるインフレなど嘯いても、その本質的な問題は富の不均衡であり、それが故の『所得以上の物価高騰に苦しむ』という事である。ここで注意しなければならないのは、経済学のモデル説明に出てくる『モノ』とは架空の存在だという事だ。ここでは、軽自動車も高級外車も同じ『モノ』として扱われるという事だ。市場から軽自動車が消え去るならまだしも、単にこのような乗り換えをした人間が価格高騰に苦しむだろうか? それを抑制する意味とは?
そもそも、人類の歴史をみれば分かるように、社会の本能的防衛反応はインフレに抑制的である。物価の高騰に苦しんでいるのに、更に物価の高騰を生み出す政策に国民が支持するなどという言説は、現実無視も甚だしい。人間は他人の利得が嫌いで、それを潰せるなら自分が損をしても良いというぐらい、インフレに抑制的である。しかもこの傾向は貧しくなればなるほどに強くなる。
ハッキリ言ってしまうと、財務省やらそれに乗っかる増税容認論者は、自国の経済や自国民の生活の事など、ほんの少しも考えていないのである。財務省は手前のPB黒字化路線という腐った伝統に従っているだけであるが、それにまとわりついている連中も大概な狂信者の集まりだと言える。財務省は消費税は30だか40まで上げたいそうだし、それ以外の増税もバシバシしたいと言っている。狂っていると表現するより他に無いだろう。10月1日時点で10%は始まりに過ぎないと御用団体に言わしているのである。
財務省は、既に次の増税に向けて着々と準備をしている。お次は走行税。なんぞ電気自動車が増えてきて、石油税が取れないようになって来たから『財源確保』の為に走行税を課すそうだ。この理屈だと、石油税は撤廃されなければならないが、これ迄の彼らのやり口を見れば、上乗せという形になるだろう。そもそも消費税の増税自体が、削減された法人税の穴埋めとして増加している面もあるし、この法人税の税制も問題だらけである。経済規模の大きなグローバル企業であればあるほどに、節税手段の選択肢が豊富になるのだ。ケイマン諸島のタックスヘイブンぶりが告発されたが、あの島には電話の中継器が置かれただけボックス事務所がずらりとあるそうである。そこを経由する事で税金を安く出来るという訳だ。税金を財源とするという考え自体に限界が来ている時代と言える。
財務省のカネカネにもウンザリするが、増税の言い訳は『財源』だけではない。炭素税なども検討中だそうだ。これは化石燃料の炭素含有量に応じて課税、環境保護主義万歳だな。原子力発電に反対しながら、二酸化炭素排出削減を口にする人間は、な~んにも考えておらん人間か、人間の数を減らせばいいじゃんとか思ってるコテコテの環境ファシストのどちらかしかあり得ない。そして、そういう人間ほどアフリカ諸国など第三世界の人間にやたらと優しい人道主義者だったりするのだからもう笑えない。
結果として、地球の未来の為に、アフリカの恵まれない人達の為に、先進諸国の一般ピーポーは死んでくれ、という形になる。前にフランスで大規模な暴動が起きたが、その参加者の発言が率直に全てを表しているだろう。
『エリートどもが「地球の未来」とやらを考えている間、国民は今月の支払いの事を考えている』
「」の中は色々変わる。なんにせよ、身近な問題には全くの無関心だという点は共通している。
これを現代の病と考えるのは間違いである。お優しい人という奴はず~っと昔からこうなのである。19世紀の小説家チャールズ・ディケンズの著書『荒涼館』にジェリビー夫人という登場人物がいる。夫人は慈善事業に大層お熱。彼女の家は荒れ放題、子供たちはネグレクト状態で教育も食事もほとんど放置、娘は慈善事業の手伝いばかりさせられてボロッボロッ、旦那は夫人の道徳性に『統治』されており何も言わない。娘は自分の姿の惨めさに涙し、その境遇に耐え兼ね、主人公に「アフリカに死んでほしい」と涙ながらに慟哭するありさま。そんな様をディケンズは望遠鏡的博愛と評したのであった。
結局のところ、『財政健全化』だの『PB黒字化』なんてモノはおおよそ科学的な根拠に基づく思想ではなく、ある種の宗教染みた道徳観でしか無いのである。しかし、こうした”キレイ事”の持つ力は中々大きなモノである。先進国のエリートで金持ちの家に生まれた女が、何一つ不自由なく生活してきて、なんか正義に目覚めちゃって、国際会議の場で感情論100%のうすら寒い演説をしたら喝采が起こる程度には、キレイ事は強力な言葉だ。
一体全体、自由だの平和だの友好だのという反吐のでるキレイ事の裏でどれだけの侵略や略奪が肯定されてきただろうか? 財務省がさえずる「健全な財政」という言葉まったく同じである。
そして、財務省の何が罪深いか? こうしたキレイ事のプロパガンダを確信犯的にばら撒いている事である。つくづく、財政破綻論のプロパガンダを考えた人間は悪魔じみている。
①借金を返すことは当然だ。②国民一人当たりの借金は何百万円もあります。
このプロパガンダに対して②に反論しても無駄である。何故なら、このスローガンは①で完結しているからである。②について幾ら論じても、借金を返さなくても良いと言った~あり得ない~とかそういう事を言うだけあのである。その借金は本当に問題なのか? とかそんな事も関係が無い。なぜならコレは、経理では無く道徳の問題であり、精神的自己満足の問題だからだ。