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現代貨幣理論の前に、古典的貨幣理論ってどんなモノなの?

 現代貨幣理論についての批判を見ていると、意味不明な代物が多い。ひたすら「幾らでも国債を発行できるといった~」とか「MMTは統制経済だ~」だとか、そもそも貨幣の理論と全く無関係な批判が軒を連ねている。なぜこんな事になるかというと、異端だなんだと口にしている批判者は『主流派の貨幣理論』について、何も知らないからである。


というのも、MMTは「現実のカネを見てみ、紙と電子情報やぞ」と言っているに過ぎないのである。それに対し、貨幣理論として反論するなら「カネと定義されるのはなぁ、金貨・銀貨だけなんだよ!」と返すしかなくなる。いや、もっと本質的な事を言うと「この世にカネなんて存在しませんよ」という事になるのだ。しかし、MMT批判と称するものは、そのカネで何をするか? という政治の部分について、詭弁を交えて反論しているに過ぎない。


現在を知るには古典を知らなければならない。

今回は古典的貨幣理論について、歴史などの説明をしていこう。



 古典的な貨幣観の基礎は貨幣数量説である。数量説は16世紀の欧州に、スペイン植民地の中南米から金銀が大量に流入したことにより、多くの商品の価格が上昇していた。(いわゆる価格革命)それを観察したスペイン・サラマンカ大学のナヴァロは貨幣の増大が価格の上昇をもたらすことを記述している。最も体系だって貨幣と価格の関係を最初に説明したのはイギリスのヒュームとされる。その関係は正比例であり、貨幣が倍になれば、価格も倍になるだけで、実体的な変化がないという「貨幣の中立性」が成立するとされる。


古典的貨幣観は『貨幣は価格を決めるだけで、実体経済には全く影響しない』

つまり、経済学的には『お金』という概念は、まるで存在しないも同じで、ヴェールに過ぎないという訳だ。(貨幣ヴェール観)


判りやすく言うと、『カネに執着したやり取りは、この世には存在しない』そうである。それが故に、カネを見れば実体経済判るというのが古典的な経済学派の基本骨子である。誰がどう考えても現実離れした主張だ。少なくとも、短期的には全く成立しない話だ。この手の主流派の論理というのは、期間も範囲も極めてマクロ的であり、カオス理論とか用いて計算しているのは、遥か遠くの世界の話で「最終的にそうなる」事を計算しているに過ぎない。主流派経済学は、はじめっからモノもカネも見ていないのである。



 この貨幣数量説という極めてマクロ的な考えを、数十年単位の政策決定に当てはめるという試みそのものが誤りなのだろう。2次大戦前に、ドイツの経済破綻を起点にアメリカで爆発した世界恐慌、古典派経済学の誤りを煮詰めたこの惨事を見れば、彼らが如何に不況に無力か良くわかる。彼らはどんな対策方を提示したか? 「何もするな」である。


「何もしなかった」結果、未曽有の失業率を記録し、都市部では餓死者が続出するという惨事になった。なにやら太平洋戦争の説明で、アメリカはスゴイのに~的な言説があるが、この時において、そんなもん信じる人間はいないだろう。そもそも、「何もしない」事でどうやって景気が回復するか? 簡単に言うと「無駄が無くなるから」である。何処かで聞いたような話だ。


物価の説明で、+駄菓子でも物価が上がると言ったが、彼らに言わせれば駄菓子は”無駄”なのである。というより、『経済人』の概念を考えればわかるように、カネを稼ぐこと以外すべて無駄なのであるから、卵も無駄で、糞便でも食って仕事だけすれば良いじゃないという話になる。



 さて、このような思想を、実際の政治・経済に反映するとどのような事が起こるか? その一例が、クラウディングアウト現象である。クラウディングアウトとは、「政府の公債増発が民間の資金重要と競合して金融市場を逼迫させ、金利の高騰を招いて民間企業の資金調達が締め出されること。」と定義されている。


まぁ、国債を発行して財政拡大するとハイパーインフレになる~とかいう主張の根拠だ。


どのようなメカニズムで起こるとされているか?


①まず政府が国債発行で政府支出を拡大する。

②支払の決済として、国債発行で得たカネが政府が民間に流れる。

③この結果、民間のカネは増える。


まぁ~ここまでは良いだろう。次から問題だ。

ここから一気に論理が飛躍する。


④カネが増えたので物価が上がる。

⑤物価上昇の結果、中央銀行が金融引き締めを行う。

⑥金利が上がったため、銀行による融資が抑制される。


『物価』と聞いて何を思い浮かべるだろうか? 基本的に、今買っている卵100円が130円に上がるなど、そういう単品目の値段を考えるだろう。しかし『物価』は、卵100円に駄菓子30円買っても上昇するのである。それは悪い事なのか? しかし、明らかにこのメカニズムは単品目が上昇している前提で書かれている。


明治時代の通貨流通量はせいぜい数億程度だと言われている。まぁとにかく、今現在の通貨流通量と明治期の流通量が同じであるなどと主張する人はいないであろう。日本銀行によると、今現在預金と現金を合わせたM1指標で800兆円を超える量が流通しているのである。仮に明治時代を10億と仮定して卵の値段が明治の80万倍になっているなんて考える人間がいるだろうか?



 そのほか、この貨幣数量説を前提に考案された仮設は問題ばかりだ。たとえば『トリクルダウン』という考えがある。法人税・所得税の現在に際して竹〇平蔵などが殊更吹聴した仮説である。要約すると、金持ちを減税しても、そのカネは消費されるので、滴り落ちるように貧乏人にも落ちてくるという考えだ。


一見、もっともに見える主張だが『金持ちが国内で使うか否か』について、全く根拠が無い。というか、この仮説、歴史を見れば誤りだと証明されている。19世紀、イギリスは世界の頂上であった。しかし、今でも金持ち層はかつての遺産だけで食っていけてるのである。産業革命で富を得た彼らが何処に投資したか? アメリカである。そもそも、経済学はカネを稼ぎに最適化する事しか考えない『経済人』という概念で人を見ている。もっとも投資効率の良い場所にカネが流れる事など至極当たり前の事ではないだろうか? 


〇中平蔵は、後日テレビ番組で「トリクルダウンなどあるわけないだろう甘えんな」などと口にしている。

なんでトリクルダウンという仮説生まれたのかすら理解不能であるし、こんなもんが世の中で一定の地位を持っている事自体が驚愕である。


そう、この古典派経済学は『国家』という枠組みも見ていない。ここまで来ると何を見ているんだ? という話で、彼らは経済という流動物の真理を追い求める事しか考えていない訳で、彼らの言葉は、既に一般人の言葉とは乖離した意味で用いられているのである。こんな思想を国家機関が運用した結果が本邦の財務省という組織だ。喜ぶべき事(?)にこのような誤謬は本邦にのみあるわけではない。世界中にあり、辛酸を世界に振りまいている。


それはそれとして、財務省に己が国家機関であるという自覚があるのか極めて疑問だ。増税に際して「最終的には貯蓄は消費されるから、増税の影響は存在しない」などと彼らは主張した。その消費されるまでのロスを『失われた○○年』という訳で、その期間にどれだけの不幸があるかなど、少しも気にしない。古典派経済学的な道徳観に従い『無駄』が無くなる事を喜んでいるだけである。彼らは自分たちに経済対策の責任がある事なんて欠片も脳みそに存在してないのだ。






 古典的経済学の思想は、無駄など存在しない完成された世界を起点に創造されている。故に、金融政策も財政政策も無効なのである。財政拡大など世界は必要としていないし、金融緩和をしても物価がスライドするだけであると論じている。古典派及び新古典派(いわゆる新自由主義)の主張する「何もするな」という自由放任主義はここから導き出さされる結論である。


いわゆる新自由主義は古典的経済学の焼き直しなのであるが、彼らの提示する仮説には、そもそも古典的経済観ですら成立しないような事柄が多い。古典派経済学というのは、とっくの昔に『ヒト』も『モノ』も『カネ』も見るのを止めて天体観測ばかりしているような人類社会から解脱した学問なのである。そこに有象無象の俗物が入り込み、錦の御旗を振り回しているさまは、まさに近世キリスト教会の腐敗の姿そのものであろう。


20世紀初頭にケインズがだした結論以外の答えを出せるだろうか? 単に無責任で貪欲な政商やブラック企業、腐りきった官僚に都合が良いから生存しているだけの思想であるという、20世紀初頭にケインズがだした結論に賛成するしかない。

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