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平成の経済を振り返って

常々思う事であるが、人類は過去からの繋がりを断つ事など出来ない。言葉の意味をちゃんと考えると、既に陳腐化した事柄のそのままを引き継いでいる事が多々ある。大げさに騒ぐ人がいるが、言葉の意味と定義をきちんと押さえれば何という事も無い事がなんと多い事か。彼らは何故騒いでいるのか? そして騒いでいる癖にその事柄についてマジメに調べようともしない。我が国は確かに衰退化している。しかし、その原因や対策について具体的論理的に言及するようなモノは非常に少ない。彼らは非論理的な嗜好や価値観を根底に行動している。


その価値観の根底にあるモノとは、日本人或いは日本という存在に対するヘイトである。



 その昔のこと、科学という概念が誕生し人類が熱狂していた頃。マルクスは人々の行動指針は全て経済(科学)が根底であり、経済合理性が有る為に宗教は生まれたのだとする『唯物論』を唱えた。(経済学が科学的か否かは置いて置く、当時は何でも科学とするのが流行ったのだ)それと相反するのがマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』である。資本主義が上手くいった地域はプロテスタントと相関があり、「予定説」というプロテスタント的な宗教思想により、『天職』という合理的な経営・経済活動を非合理的に支える習慣の存在、いわゆる「資本主義の精神」があるが故に、上手く定着したのだと説いた。勿論、コレは資本主義の黎明期の御話であり、今の資本主義とはあまり関係が無い。今の資本主義の定義は、資本に投資する事で利潤をより追求するという俗物的な定義である。沢山稼げるものが倫理的にも正しいなんて馬鹿な事を言わない限り、現代的な定義で「資本主義の精神」なんて出てこない。


しかし不可思議な事に、このような言語用法は結構一般的に使用されている。例えば、社会主義VS資本主義だとか、封建主義VS資本主義だとかである。封建時代的なんちゃらなんてのは実にバカらしい話で、中世期の社会構造を考えれば、力を持つ領主・豪族以外に資本主義を実践出来ないのは当たりであり、中世期に植民地も大量生産も存在し無いというだけの話である。ちなみに共産主義であってもポルポトみたいな毛派以外では「資本に投資する」事自体は否定しない。違うのは『誰が』行うかだ。


経済システムの対立軸は統制経済か自由経済かである。しかし資本主義の代表のように君臨しているアメリカも、国家は何もしない夜警国家では無いし経済対策は当然行う。


はっきりと言ってしまうと、資本主義と自由主義に因果関係は別に無いのだ。2次大戦前のソビエト連邦やナチスドイツなどもそうであったように、現在、お隣の大国『中華人民共和国』がそれを赤裸々に提示しているではないか。中国の経済的自由など、ナチス統制下のドイツ人よりももっと低い(ただし、中国人が外国で経済活動する際には自由を求める)おまけに経済関係を外交の道具に使用する事にためらいが全くない。2010年にあの国は尖閣問題を理由にレアメタル禁輸に踏み切った事を忘れてはいけない。


そして、国家が民間にどれだけ介入するのが良いのかというのはまた別の話であり、国家が介入するからダメなんだ~という主張は国家=悪みたいな幼稚極まる反国家思想の戯言に過ぎない。そんな戯言を真面目にやっていたのが大恐慌後のアメリカで、1930年代初頭にスウェーデンの経済学者グスタフ・カッセルはアメリカで行き過ぎた金融引き締めが生じた理由としてカッセルは政策当局者の思考を蝕む2つの害毒の存在を挙げている。その2つの害毒とは「デフレマニア」と「清算主義フィーバー」である。まるでどっかの国の話を聞いているようだ。


カッセルによると、彼ら清教徒的経済観の持ち主は、不況がもたらす害悪を早期に解決するという金融・財政政策の目的には共感せず、清貧は素晴らし~とか、腐った資本家を倒せ~とかそういう”彼らなりの倫理”を重視するという。今の日本も全く同じだ。ノストラダムスの大予言よろしく「日本はもう駄目だ~」とか「もっと痛みが伴う改革が必要なんだ~」とか言っている人たち。彼らは『経済』について語っているのではない、彼らの『嗜好』について語っているだけなのである。



 我が国を滅亡に追いやっている「嗜好・価値観」の根本とは、借金=悪という財政均衡至上主義だ。この嗜好の究極の親玉が財務省である。『我が国財政の現状について』と『戦後の我が国財政の変遷と今後の課題』という財務省資料があるのでご覧になって貰いたい。彼らのこの嗜好への恐ろしい程の傾倒が見て取れる資料である。


『我が国財政の現状について』を見ると、戦後の混乱期からオリンピックまでの期間が青色で示し、上に均衡財政とデカデカと表示されている。あたかも財政が均衡していないのは悪であると言いたげなこの図であるが、至極常識的な歴史的認識をお持ちなら、戦後直後の日本がどのような状態であったかご存じだろう。つまり、彼らはこう言っているのだ。「トランプは借金王でホームレスより貧乏だ」と。彼はアメリカでNo.1の貧乏人と呼ばれていた頃でも不動産王でホームレスより遥かに良い暮らしをしていた事は全く関係がないと言う事だ。


更に言うと戦後の復興期とオリンピックまでの成長期には国の借金なるモノが無かったかのように印象操作しているが、ここにも大嘘がある。アメリカからの資金援助、約18億ドル(13億ドルは無償)現在の価値に換算すれば、約12兆円(無償は9.5兆円)である「ガリオア・エロア資金」と、世界銀行からの低金利融資は合計8億6,000万ドル(現在の日本円に換算すれば約6兆円)これらはドル建てであり、日本円では返済できない。これ等外貨建ての債務が一般会計には計上されていなかっただけの話なのである。


実際にはもっとも債務不履行のリスクが高かった時期を指して、日本の財政が最もよかった時期などと主張しているのである。この意味不明な言動が何処から生まれるのか? もう片方『戦後の我が国財政の変遷と今後の課題』を見てもやはり意味不明である。


彼らは財政を拡大すると「共有地の悲劇」が起きると主張する。共有地の悲劇とは、多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招いてしまうという経済学における法則であるが、彼らが乱獲されると主張する『財政資源』とやらは一体何なのか? 予算を財政資源としなければ何物も提示されていないのである。


今の予算を減らすと将来の予算が増えるという発想は何なのだろうか? まるでニートの戯言だ。「俺はまだ本気を出して無いからこんなもんなんだ」と言ったらアホだと思われるだろう。しかしこの逆の事を官僚の中の官僚が主張しているのである。「人の努力には限りがあるのだから、若くして努力すると後々苦労するよ」と。人類社会が達成可能な予算には限りがあるとして、今の日本とは全く関係が無い。だいたい、資源の話に限っても日本人以外に譲れと言っているだけの話にしかならない。


本当に予算を財政資源などと言っているならアダム・スミスから経済学をやり直せとしか思えない話である。豊かさとは社会資本の蓄積である。モノやサービスの提供能力こそが富であり、カネとはそれに従う代物でしか無いのである。



 この資料はクトルゥフ神話を超えるSan値直撃モノの代物だ。彼らのバカらしい妄想的経済観がつらつらと並べ立てられており眩暈がしてくる。国債を発行させない事への言い訳がコレだ。いったい、何のために仕事をしてるのか?


⇒経済危機時や大規模な自然災害時の機動的な財政上の対応余地が限られる。


あの東北大震災の時もまともに国債発行などさせなかったし、被災地も含めて復興増税などと嘯き増税した挙句に、今また消費税増税に執念を燃やしている。カネを払って堤防を作らしそれを維持することで、始めて津波を防げるのであって、カネが津波を防ぐ訳では無い。


クラウディングアウト:

政府が沢山お金を使用すると民間がお金を得るのに苦労する~。

A.増税したらそうなるね~、だから国債発行しろと言ってる。カネは全く定量的でなくキーボードを叩けば生まれる程度の代物でしかない。インフレ云々とか2%程度さっさと達成してから言え。


非ケインズ効果:

国民が将来の負担増・給付減を予想し、それに備えて消費を抑制する~。

A.彼らの主張に従えば、給付金を減らし負担を増やすと、国民が将来の負担軽・給付増を予想し、消費が拡大するらしい。(なんか消費増税の際のご説明でマジで言ってた気がする)


財政への信認低下による金利上昇(国債価格の下落):

国債を保有する金融機関等に悪影響が生じ、金融市場が混乱するおそれが~。企業の資金調達コストが上がる~。

A.現状の頭のおかしい低金利で金利上昇を問題視すんの? だいたい、金融機関が国債を買い増しする事を阻害する為の低金利政策だろ~が。何言ってんだコイツ。


中央銀行の信認の低下:

中央銀行の財政への従属の懸念が強まれば、通貨の信認が失われ、物価の安定を実現できなくなるおそれが~

A.ハイパーインフレが~、インフレ目標2%ぐらい軽く達成してから言ってくれマジで。だいたい、投機資産としてのカネしか見てないこの思想は何なの? 円高であればある程に良いんだ~という意味の発言でしかない。




彼らは、『平成という時代は、人口・社会構造が大きく変化する中で、国・地方を通じ、受益と負担の乖離が徒に拡大し、税財政運営がこうした歪んだ圧力に抗いきれなかった時代と評価せざるを得ない』などと評価し、聞き捨てならない事に『新たな時代においては、財政健全化どころか一段と財政を悪化させてしまった平成という時代における過ちを二度と繰り返すことがあってはならず、手をこまねくことは許されない。』などと決意表明をしている。この資料は、財務省内の会議室で行われた財務省の身内会議で使われたモノである。そして憲法83条には財政民主主義が謳われている。予算は国会が決める。現代的な近代国家として当然の事だろう。彼らはソレが気に入らないそうである。というか、最早、『予算』というモノがあること自体が気に入らないのだろう。経済学が最初に生んだ金言とは「富とは黄金にあらず」であるが、財務省に言わせればカネ以上に価値のある富は無いようだ。



 さて、我々が普段使用している日本銀行券とは”制度上は”負債として存在している。コレは元々は紙幣が金との交換を前提にしていた名残である。では、この借金証書が世に多く出回る事で、日本銀行が債務不履行になるだろうか? なるわけが無い。少し考えれば明白な事だ。債務・債権と考えた時に、日本銀行は¥を$やら€に変換する義務など無い。精々が、銀行券を硬貨に両替するぐらいの責任しかないだろう。そして、そんな返済を求めるヤツがどれだけいるのだ。10万~20万を全部硬貨にして渡して貰いたいのだろうか? それだって何も困らない。要求に応じて造幣局が必要なコインを増産するだけの話である。


ところが財務省は『政府と日本銀行を統合して考えれば政府の負債(国債)と日本銀行が保有する資産(国債)が相殺されるとの指摘があるが、 仮に政府と日本銀行のB/Sを統合したとしても、日銀の保有する国債の額だけ政府の債務が見かけ上減少するだけであり、 当座預金等の日銀の債務が負債に計上されるため、負債超過の状態は変わらない。』と主張しているのである。日本銀行券は日銀が発行するモノである。それを税金でかき集めて日銀に返済(?)する作業になんの意味があるのか? しかし、それをしない事はけしからんと財務省は仰られている。


しかし、その一方で国債ビジネスの場で何と言ったか?


『外国格付け会社宛意見書要旨』を見るとこのようにある。《日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか》


本当に知りたい。財政破綻論者はデフォルトとは如何なる事態を想定しているのか?



 さて最後に、な~んでこんなにもバカバカしい財政均衡主義が財務省に根付いてるのか?

そもそも我が国の財政法には国債発行を禁じる規定がある。4条1項には『国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。』とある。その後に『但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。』とある。


なにか変な法律では無かろうか? 禁じているようにも見えるし、”但し”などと言って認めているようにも見える。実は、コレはとても根が深い話なようである。ある経済評論家が財務省の役人に「何故国債を発行してはいけないのか?」と問うた所、その役人が答えるには「そんな事をすれば戦争になる」と答えたという。余りにも突拍子の無い話ではないか? 


しかし、現行財政法の制定時の直接の起案者である平井平治氏(当時、大蔵省主計局法規課長)は、当時の解説書(「財政法逐条解説」1947年)で、次のようにのべている。


 「戦争危険の防止については、戦争と公債がいかに密接不離の関係にあるかは、各国の歴史をひもとくまでもなく、わが国の歴史をみても公債なくして戦争の計画遂行の不可能であったことを考察すれば明らかである、……公債のないところに戦争はないと断言しうるのである、従って、本条(財政法第4条)はまた憲法の戦争放棄の規定を裏書き保証せんとするものであるともいいうる」



 いやぁ、我が国に蔓延る『平和主義』の原点を垣間見る事が出来る主張ですね。この発言の特筆すべき点は、そのようなシステムが他国にもある事を認識したうえで『日本だけ駄目』と言っている点である。日本だけ戦争できないようにすれば戦争にならな~いという、色々なものが完全に抜け落ちたお花畑の戯言なのだ。この法律はGHQの統制下(1945~1952)で作られた法律だ。


常々思う事であるが、人は過去からの繋がりを断つ事など出来ない。このような意図で構築された法律に従い行動しておれば、当然の事ながら、国民の為の政策の実行など出来ない。彼らの意図は明確だ。彼らは「戦争さえ起きなければ国民は幸せ」だと考えているのである。国民の生活がどんな状態かなんて少しも気にし無いし、戦争の為に戦争をする連中など存在し無いという事実は彼らの脳ミソには存在し無い。そもそも攻められた時にどうなるのかという事も想定しない。


大日本帝国は戦争の為に戦争をしたトンデモナイ国であり、日本以外に戦争をする国は無く、戦争の実施に国債の存在は必要不可欠なのは他国の事情を見ても明らかである。故に、国債発行を禁じれば戦争は起きないという事だ。事実や論理破綻は関係無い、コレはそういう事になっているのである。しかし、今時こんなクッサイ主張で国民を貧困化させているなんて到底許される話ではない。故に、未来の為~とか共有地の悲劇が~とか言って続けている。


あたかも、黒人を奴隷にする為に差別を『発明』したようだ。財務省の人間も、自分が何故こんなことをしているのか理解できないのだろう。差別主義者は自分が差別していると自覚しないモノだ。もういい加減に、こんなくだらない自虐史観から目覚めるべきだろう。

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