人手不足とやらとデフレについて
世の中には奇特な人がいる。給料が下がると人々の生活はどうなるでしょうか? と聞かれて「良くなる」と答える人はいないだろう。しかし不可思議な事に、そんな貧困層を増やすと「生活が良くなる」と答える連中がいるのである。連中の名は”移民推進派”その中でも賃上げに強硬に反対している連中は、間違いなく”給料が下がる人たち”に自分を勘定していないのだろう。或いは、給料が下がっても離したく無い特権を持っているのだろう。
ハッキリ言おう、彼らは最低の人間だ。
「人手不足が~」とほざくが、今は技術的失職により万単位の人員整理が行われている時代でもある。なぜ人手不足になったか、彼らは自分たちの非を絶対に認めない。”真っ先に”人手不足になった企業がどんな惨状であったか、ほんの氷山の一角しか表に出ていないが、それだけで食欲が無くなる凄惨さである。おぞましいの一言だ。
釣り下げて鉄パイプで殴る。沸騰した鍋に顔面を押し込む。肉体関係を強要する。給料未払は当たり前。有休なんて当然なし。暴力行為にセクハラ、無茶苦茶な業務要求何でもござれだ。そう、彼らは『楽しんでいるのだ』勿論、彼らは自分たちが楽しんでいる事など認めようとしない。業務指導だった~悪ふざけだった~仕方なかった~そんな醜悪極まりない言い訳が口からタラタラ垂れ流されるが、彼らがそんな言い訳を行う時というのは、決まって映像が流出したり流したりしたのが炎上した時である。それが悪いとかいう認識が全くないのだ。「ちっ! うっせ~な、反省してま~す」という訳である。
鉄パイプリンチ会社の社訓がある。10に及ぶソレにはどれ一つ取ってまともなものはありはしない。八、やる気があるなら『はい』の二つ返事で仕事しろ。九、上司の指示は神の指示。十、心なんか捨てろ、折れる心が無ければ耐えられる。アメージング! 狂ってやがる。ゲロを吐きたくなるぐらい自分にゲロ甘な社訓だ。これから人手不足が問題になるにしろ、今この段階でぎゃーすか言っている連中は欠片もまともでないのだろう。そんな彼らは口にする「社会がどうのこうの言うのは労働者の甘えだ~」と。
はぁ? としか思えない言説である。
「お仕事しなくてもお金欲しいの~」も「労働者に金なんて払いたくねェ~」も同じ甘えだ。これまでは労働力の買い手市場だったから「労働者に金なんて払いたくねェ~」という甘えが許されて来たに過ぎない。労組は賃下げ要求を随時受け入れて来たし、雇用者のバカげた要求にも応えて来た。そんなモノ、非倫理的な暴挙の数々を見れば明らかでは無いか?
その果てにようやく売り手市場になった訳だが、彼らは移民の大量受け入れによって強引に買い手市場に戻そうと言うのである。人口減少・人手不足も社会の問題だろうが、そうなる事ははじめから判りきっていた事である。「社会がどうのこうの言うのは雇用者の甘えである」と声を大にして言いたい。
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そもそも、デフレ派はデフレ脱却の定義を知っているのだろうか? 知らないか無視しているかのどちらかであろう。政府は『物価が持続的に下落する状況を脱し,再びそうした状況に戻る見込みがないこと』をデフレ脱却と定義している。政府が実際にそのように活動できているかは異論があろうが、それが『デフレ脱却』の定義である。この定義に基づき、以下の『デフレ脱却四条件』がそろったときにデフレに戻る見込みは無いと判断される。
『デフレ脱却四条件』とは
①CPI(消費者物価指数)
②デフレータ
③需給ギャップ
④単位労働コスト
の4つである。
①と②は物価を表す指標であり、コレらが上昇すればデフレでない。③の需給ギャップはデフレギャップやGDPギャップと呼ばれるモノで、我が国の供給能力と需要の差の事である。コレが無くなればデフレで無くなる。さて④である。言うまでもない話であるが、賃金が上がればデフレで無いと言える。これら4つが十分揃ってはじめて『デフレ脱却』が成立したと言えるのである。
ちなみに、需給ギャップには色々仕掛けが施されており、差が無い状態が基準だと考えるべきである。その仕掛けが”潜在GDP”という概念である。潜在とはどういう意味か? 外にあらわれず、内にひそんで存在することだとかの意味である。しかし、この場合の潜在はそんな意味ではない。この場合の潜在とは”平均”を意味するのだ。ウソではない。事実、内閣府のホームページにある『GDPギャップ/潜在GDPの改定について』を見ると”GDPギャップは、 景気循環を均した平均的な供給力を示す潜在GDP(potential output)水準と~”とある。日本語的にどうよ? と思われるが、こんなことがまかり通っているのが経済学という学問なのである。デフレ派に学問を尊ぶ気など無いのだろう。どこぞの国が政治的都合で歴史を捏造しているのと同じで、経済における政治力がダイレクトに反映されているだけである。
しかし、我が国に蔓延るデフレ派は不可思議な事を平然と口にする。彼らの言動は以下に集約されると思う。
①安い商品と高い商品で質に差は無い。
②賃金は適正であり、仕事がツライとかは労働者の甘え
③総所得=総消費
④第三世界と賃下げ競争をしよう
⑤社会保障の問題なんて起きない
①と②はなんと、ケインズがその著書『雇用、利子、お金の一般理論』で批判しているような歴史ある詭弁である。ケインズは労働者を安く買い叩く為にこんな事を言っているのだろうと言っていたが、それは現代でも全く変わらないようだ。彼が一般論を書いたのは1936年の事である。
言うまでも無く、価格が安いモノは一般的にそうでないモノより質が悪い。もっと質が悪いと詐欺的な商品や契約が蔓延する。入札でも不適切な入札が発生し、手抜きが問題になっているが。デフレ派は物価がスライドするだけで何も起きないと思考する。次に、デフレ派どのような場合でも賃金は適正だと主張する。故に、仕事がツライとかも甘えだし、リストラなど世には存在しない事になっている。
③彼らは所得=消費だから消費税に逆進性は無いとか強弁する。現実に存在する消費の減少を無視する事はさすがに出来ないのか、あの世にカネは持っていけないから最終的には所得=消費になるとか言っている。その期間を『失われた○○年』と呼ぶのだろうが⋯⋯根本的に、デフレ派の経済観はデフレを認識出来ていない。その○○年でどれだけの企業が倒産しするかとか、賃下げゾンビ企業で溢れるとかも解っていない。彼らの経済観は実に能天気である。どんな事態になってもほっときゃ良くなると信じてやまない。ケインズはそんな彼らを見て「なろう脳乙」と言ったのであった。
④が特に最近顕著だ。だがしかし、日本人がどれだけ極貧生活やったって、第三世界の連中の低賃金・極貧生活に並ぶには程遠いんだよね。そもそも、国家として国民をそんな状態に連れて行こうと言うのはどういう了見なのか欠片も理解できないし理解したくない。それがグローバリズムだというなら辞めちまえという話である。国民の税金と国民からの借金をそれぞれの国がどのように使うかなんて事は主権の問題だろう。
日本以外の世界はトランプが言うまでも無く自国ファーストである。ドイツのように、自国に有利なように規制を設定してどうのと言うような事は広く行われている話で、それなら関税でやれという話だ。
⑤社会保障という共有財産は利用者が各々、節度を持って利用する事によって成り立っている。誰かが馬鹿みたいな使い方をしている場合、別の誰かが我慢をしているのだ。自分だけ良けりゃ良いやの積み重ねで共有財産が崩壊する事を、共有地の悲劇という。
では、短期で帰る外国人労働者にそんなモノを気にする必要があるか? 勿論ない、後は野となれ山となれでやるだろう。では移民は? 勿論、気にする必要はない。別の国に行けば良いだけだ。コモンズを共有するのはそれが荒地と化しても離れられない人間に限るべきだ。人間がマクロな視点で集団の利益を最大化するように働くという思想そのものが、育ちの良いお坊ちゃん的な夢想に他ならない。
だいたい、今は技術失業の時代である。コレから我々の社会にはAIだのロボットだのがどんどん入り込んできて、1人辺りの生産量は益々増えるだろう。デフレ派・移民推進派はそれらに人力で対抗する気らしい。彼らの脳内では、産業革命は人口で超越しているインドがイギリスの繊維工業を壊滅させたと記憶しているようだ。