デフレで無駄が無くなるという説について
よくデフレ派は、デフレで『無駄』が無くなるとか口にする。人手不足なら業務効率化&生産性向上すれば良いじゃんと言うと、デフレで『無駄』が無くなったのだから効率化なんて終わっている~とか言い出すのだ。さてはて。
さて、そもそも論です。『無駄』とは一体何でしょう?
辞書を見ると《役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。無益。》という意味だと出てくる。では役に立たないとは? 水は燃えないし、石油は飲めない。これらは『無駄』なのだろうか? 勿論違う。つまり『無駄』とは目的ありきの言葉なのである。さて目的も難しい言葉だ。結局のところ、目的を決めるのは思想だからだ。彼らの思想が社会をどんな風に見ているか類推するとしよう。彼らの思想が、老人などをどの様に認識しているか? 彼らの介護に対する言動を見れば明らかだろう。彼らは介護を『無駄』だと言って憚らない。なんでも、《穴を掘って埋める》レベルで『無駄』であるそうだ。
2016年(平成28年)7月26日未明に起きた相模原障害者施設殺傷事件を覚えているだろうか? 入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた戦後最悪の大量殺人事件だ。さてマスコミと来たらネトウヨが~とか政治利用する事ばかり考えて報道していたが、状況が落ち着いて来てからされたインタビューを見ると実に興味深い事を言っている。植松被告は言う「簡単に言いますと、人に迷惑をかけ、物資や食糧、マンパワーを社会から奪ってしまっているということです」と。その他「日本は借金が1千兆円もあり、もう終わっている国だと思うんです」とも口にしている。
つまり、国の借金返済の為に働けない人間は『無駄』だという訳だ。国の借金なんて日銀が国債を買いまくっている現状では論ずるに値しない話だ。それに、この手の言説の延長線には、それほど優秀でない人間も含まれる訳だが、この手の事を主張する人間は、自分がそんなに代替不可能な存在だとでも思っているのだろうか? しかし、植松被告はインタんビューで自分は優秀な人間ではないと思う死んでも良いなどと言っている。何故こんな訳の分からん事になっているか? まぁ要するに、彼は仕事をしていたのだが、本人の資質か給与・福利厚生のせいか知らないが、ボランティアでもしている気分になり、家族に見捨てられたような入所者を見て、まるで姥捨て山にでもいる気分になったという事だ。故に、善行として姥捨て山で死に損なってる人たちをを楽にしてあげたって事だな。(少なくとも、本人はそう主張している)まるでダークファンタジーか暗黒中世の御話だが、コレは現代日本の話だ。
まったく、介護は『無駄』などと口にしている人間はどのような意味で言っているのやら? 現実に介護の需要が存在している事をどう思っているのだろうか。仕事をしながら介護をする? 出来たらいいねェそんな事といった感じだ。更に現状報告をするなら、そんな『無駄』な業務は増える一方で減らされ続けて来たのが《職員の給料》なのだ。デフレ派は労働者の賃金を『無駄』だと言い続けたって事だ。そしてそれは介護に限ったことでない。
そもそも『無駄』を無くしたら業務効率が上がるとか言うのは、どのような想像をしているのだろうか?『無駄』を無くすがリストラで、業務の無駄を省いた後は勤務時間を寝て過ごしでもしなければ、『生産性の向上』が観測されるハズである。今やってる努力なんて、そういう整頓術や運用法を持った労働者をガチャで手に入れるか、明るく楽しい18時間労働しかしてないではないか。何故そうなのかもとても簡単だ。原価1万ちょいの有機物の塊と、エレクトロニクスやらソフトウェアやらパーソナルコンピューターとどっちが高いと思うって話だ。しかも有機物君は品質維持も自前でしてくれるそうだ。これほど安上がりな代物も無いだろうね。人間が安い環境で、人間を家畜化する以上の生産性は無い。現実にブラック企業の人員運用は家畜と変わらない。
だいたい、機械化するにしたってしたから成果が出るわけじゃない。それを運用するのは結局人間で教育費が掛かる。まぁ、実態を無視した『無駄』無くしに奔走した結果が最近報道される不祥事と言うヤツだ。報道してるところは24時間不祥事の癖にエリートぶって被害者ぶってるのには反吐が出るが。
厚労省の統計の不祥事だが、コレなんか全く少しも全然、業務の効率化なんてがされてない証拠のひとつだ。全数調査とは何か? 要するに東京都なら東京都の人口を全部調査しますという意味だ。統計学は18世紀に生まれた学問だが、今はなん世紀だったか。業務効率を上げるという確たる意思と責任と予算と時間と人員が無ければ、業務上の無駄なんぞ無くなるわけ無し。そして、今はデフレである。言ってしまえば生産過剰で苦しんでいるのだ。生産性の向上なんて起こる訳が無いのである。
そもそも、産業革命がなぜ欧州で起きたかも明白だ。アジアより欧州の方が圧倒的に人口が少ないからだ。産業革命の以前の世界は、欧州は圧倒的な経済力をもつアジア圏に搾取されていたというのが現実である。綿製品はインドから買っていてイギリスの羊毛産業はそれで壊滅的打撃を受けたのである。
デフレ派がデフレ派たる所以は、デフレの根本原因である所得の減少や労働待遇の悪化に全くの無頓着である点だ。そういった事がよりデフレを悪化させるという認識が無い。もっとヒドイとデフレ促進策を対応策だと誤認して拍手喝采するのだ。その為に現実をいかようにも捻じ曲げる。移民推進に関して、ある人物は「これから日本は千万単位で人が死ぬんだぁ~」とか言っていたが、我が国の年間死亡者数などをこの10年見ると、だいたい年間130万人の死亡で出生数が100万前後という感じだ。そして、至極当たり前の事だが、死亡者の年齢はほぼ75歳以上の高齢者が占めている。因みに、コレを言ったやつが介護は穴を掘って埋めるレベルで『無駄』だぁ~等と言っていたわけだ。ヤレヤレですな。
しかし、この認識は極めて歴史ある認識で、穴を掘って埋めるだけでも経済は回るというフレーズで有名な、ジョン・メイナード・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』で批判している古典派の主張と全く同じなのである。彼らは市場原理に任せて放置すればインフレ傾向になると思っている。つまり『無駄』が無くなれば景気は上向きになるだろうという思想だ。彼らは言う「需要不足でも価格が下がれば、安くなったなら買おうと需要は増えてくるだろうし、失業が出ていても賃金が下がれば、企業は雇用を増やすだろう」と。つまり『無駄』に高い賃金の連中がいるから不景気が終わらないのだという訳だ。某人材派遣会社の会長様がそのまんまの事を言っていたな「正規労働者は既得権益者だ」と。
だが現実はケインズが言う通り、価格や名目賃金がどんなにスムーズに下がっても失業はなくならない、それどころか事態はより悪化する。その理由は単純だ。賃下げをしてコスト面で余裕ができた企業は値下げをして売値を下げるからだ。そしてライバル企業も同様にする。すると市場価格の水準が下がるだけで売れる量は変わらない。雇用は増えない。失業も減らない。
現実問題として、デフレ派の主張する『無駄』とは新自由主義(古式ゆかしい古典派の焼き直し)の唱える『無駄』と全く同じだと認識するしかない。そして、何故にこんなバカバカしい事になるのか? 新自由主義が勃興した原因を見れば少し理解できるかもしれない。
新自由主義の勃興を象徴するキーワードが《スタグフレーション》だ。なんぞ、デフレ派はこの用語を手前勝手に解釈運用してインフレ=悪というような印象操作に使用しているが、この用語は厳密な範囲を持った言葉である。スタグフレーションとは、経済用語的には《1970年代》に起きたインフレ”と”失業率の上昇の事である。そしてその原因は何か? 原材料費の高騰? 1970年に起きた事を考えれば全て繋がるだろう。
産油諸国の石油戦略に端を発する石油危機である。1973年10/16には1バレル3.01ドルだった石油が74年の1月には11.65ドルに跳ね上がってる。日本の消費者物価指数の上昇は73年では11.7%、74年には33%にだ。デフレ派の連中はこういう極めて特異的な異常事態を一般化してどうのこうの言ってきた訳だ。ハイパーインフレが~とかと全く一緒。バブルで資産価格が何十倍にもなったのとか騒いでいる80年代ですら物価指数の上昇は2.4%しか無い。
まぁ、かくしてケインズ理論は誤りだぁ~自由放任が良いんだぁ~と新自由主義が勃興したわけだが、過度のインフレ状態でインフレ刺激策の効果が低いのは当たり前だし、デフレ下でデフレ促進策に価値が無い事は自明の事だと思うのだけど、まるで、飲めば飲むほど健康に良いみたいなノリでデフレ促進しまくってるのが今現在の日本な訳だ。正直、ファンタジーやメルヘンみたいに万能薬
エリクサー
を求めて騒ぎまくる連中は『無駄』どころか害悪だろう。
だいたい、市場原理に従い賃下げを容認してきたんだから、市場原理に従い賃上げをしろと言われて当たり前だろう。コレは雇用の安定など1mmも考えない新自由主義ですら了承する全経済学派閥の共通認識だ。人手不足だ移民政策だ~というのは、賃金を上げたくない以上の意味など全くない。彼らが最後に言い出すには「今はデフレじゃない~」だ。頼むから日銀の物価達成目標ぐらい抑えて置いて欲しいモノだ。
植松被告は言う
「昨日来たお二人が、お金のことを一番に考える風潮が怖いとか言っていましたが、お金のことを考えない方が人間としてありえないんです。それはおままごとじゃないでしょうか。社会保障に多額のお金をかけてる現実をあなたはどう思うんですか?」
「僕の言うことを非難する人は、現実を見てないなと思います。勉強すればするほど問題だと思いました。僕の考え、どこか間違っていますか?」
年老いた親に死んでほしくないという思考に問題は無いし、そういう老人でも、物資・食糧・マンパワーを消費する市場としての価値がある。そして金とは輪転機を回せば幾らでも吐き出される程度の代物でしかない。とどのつまり、デフレ派の主張に「いまデフレですよ」で全て終わってしまうバカバカしい状態がデフレだ。殆どおままごとだし、バカらしすぎる現実だ。