白夜 ―― また陽が昇るという絶望のない世界 ――
季節は夏。
白い呼気を吐きながら時間を確かめる。時間はもう日付が変わろうという深夜と呼べる頃。
北の空、地平線上をゆっくりと西から東へと進む輝く太陽。
―― 白夜 ――
沈むことがない太陽。やってこない夜。一日中が昼。見ることがない星空。
「白夜か。北極圏だから、太陽が左から右へ動いて見えることには変わらないんだよな」
「南半球ならもっと違って見えるんじゃないか」
「そうかもな」
「だが沈まない太陽ってのは、いいよね」
「極夜の方が『また陽が昇る』っていうの、より否定してたんじゃ……」
「一日中が夜って行動しずらいし、オーロラ観光とかと被ると鬱陶しいからって同意したんでしょ」
僕たちはここ北欧にわざわざ観光に来ていた。
名物であるオーロラ観光が不可能な白夜の時期に合わせて。絶対不可能というわけではないのかも知れないけど。
話に出ていた極夜とは、白夜の逆。太陽が一日中昇ってこない極地方の冬だ。
僕らは、『また陽が昇る』という絶望から逃れるために集まって、ある計画を立てた。
そのための環境として相応しいだろうと白夜を選ぶ。
極夜ももちろん候補に挙がっていた。だが人が多くて計画の障害になっても困ると除外。
そして計画実行の準備として、陽が昇らない、陽が沈まない白夜を堪能するために、わざわざ深夜に太陽を観察していたんだ。
「あれってサンピラーじゃない!?」
一人が太陽の上を指差す。
「太陽柱か。確かに上へ光が立ってるな」
「左右にも幻日っぽい光の集光が見られるけど、ちょっと弱い?」
「多少風があるからかも」
太陽柱。大気中に六角柱状の氷片が漂って、光を集めて柱状に見えるってもの。
幻日も角度は違うけど同様な光学現象の一つだ。とある文献では5つの太陽が沈むとか。悪夢だ。
そうやって深夜の、明るいからあまりそうとは思わないが、観光を堪能した。
時差もあって昼間寝ていたから、皆そう眠くはないのだろう。
まあ、そう長い事外にいるわけでもなし、温泉やサウナを満喫して過ごしていた。
◇◆◇
翌日。といってよいのかどうか……。皆、一眠りして起きたら外は吹雪いていた。
いや、正確に言うならホワイトアウトだ。
一寸先は闇。闇は闇でも白い闇。
皆で外に出て堪能した。
寒かった。
伸ばした腕が見えない。恐ろしい。
即座に戻って暖を取る。
ちょっとバカだった。
皆で笑いあう。
朝食を取り、休憩後、また皆で集まった。
そろそろ計画の本番だ。
シノブが皆のカップに紅茶を注ぐ。ユズルもタマキもアキラも、順にカップを持っていく。
皆、自分の角砂糖っぽい立方体を取り出し、紅茶に落とす。スプーンでゆっくりかき混ぜる。
頃合いを見て、口を開く。
「テーブルの籠の中身、白い花弁が別の色に染まれば確認完了だ」
白い花びらを抓み、そっと紅茶へと浸した。
サッと色が変わる。鮮やかな……
「青く染まって紅茶との対比が奇麗だわ」
「……!」
「……!」
「……!?」
「……」
シノブは青か。
「さあ、絶望の終わりへ向けて乾杯だ」
シノブは一気に呷り、僕も口に付けて馥郁たる香りを堪能しながらカップを傾ける。
「熱っ」
「ハジメは猫舌なのね」
シノブに揶揄われる。
ユズルは意外にも上品に右手で取っ手を抓み、左手で暖を取るように支えて、顔を顰めている。
タマキは太い指を取っ手に挿して持ち上げ、眉間に皴を寄せた。
アキラは皿と一緒に持ち上げて、カチャカチャと激しく音を響かせて眉を顰めている。
なかなか動こうとしないため、紅茶に息を吹きかけて冷ましながら声を掛けた。
「明日という絶望を再び迎えるのかい?」
ユズルがその言葉に反応する。
ユズルは学校でも一人だ。家では兄弟に比較され、更なる孤独を味わってきた。
常にストレスにさらされて、それを親はバネにして勉強にぶつけろ、と言われているらしい。
それが出来れば苦労は無いさ。出来ないから苦しんでいる。
親は有能だったのだろう。だが、無能の気持ちを理解することが出来ない。
誰も彼もが自分が出来るから出来ると思うな。自分が出来ないことも要求するな。
自分が他者に対して有能なら、無能の存在がその有能さを示している。自分以下の無能を排除すれば自分が次の無能で排除対象になると分かれよ。
それは部下を使うという行為において無能と理解しろ。
いや、思考が脱線した。
ユズルは未来が、将来が、明日が! 明るい日だとは思えなくなったそうだ。
ユズルは今、葛藤しているのだろう。
人は生物だ、死にたいなどとは思わない。だが、それ以上に生きたいと思えない状況になれば……
死にたいという積極的なものではないだろう。生きたくないという、どちらかというと消極的な理由。
死にたくないという生存本能。それを上回る意思。
それがなければ至れない境地。
通常考えれば恐怖が走る。
衝動的であれば、勢いで可能かも知れない。
しかし、計画的なものはそうではない。
実行に移せばどうなるのか、想像を巡らせる。その頭がある。
そして準備は出来ても、いざ実行に移そうと目の前にある、それを恐怖するのは止められない。
生存本能がそれを妨げようと首をもたげる。
今まで蹲る生存本能の所為で、生きることそのものが絶望に染め上げられていたのに、心が、感情がなければ、もしかしたら大丈夫だったかも知れない。なのに今再び邪魔をする。
生きるのが辛いときの小さくなっていた生存本能。
それが解放を前にして大きくなる。
そんな感じかな、と妄想してみた。
「絶望はなくならない。希望は、任せるよ」
ユズルはそう言って、ゴクゴクと飲み干していった。
任せる、か。ユズルも青だったのかな。
――カチャン――
振り向くとシノブがカップを落として、青白い顔で微笑みながら上体が傾いでいた。
シノブは最初に全て飲み終えている。当然か。
疲れたと呟いていた。
仕事ができると余計に仕事が回って来る。
ミスが多いなら、修正が必要だろう。ミスがなければ修正は不要だ。その分短縮される時間。
手が遅いなら、量が熟せない。
残業も、仕事が出来ないやつより出来るやつに回した方が効率的だ。
だが、それでベテランばかりに負荷が掛る。若手は経験を得られない。
それでは若手が育たない。
酷ければ、できもしない仕事を任せ、確認もせず、結果やり直しという二度手間。
閑散期に教育せず、出来ない者をいびって辞めさせ、繁忙期に人手が欲しくて募集する。
忙しくては教育も儘ならん。
即戦力がそうそう来るはずもない。
残業に休出。疲労が抜けなくなる。
バカな上司の尻拭い。その上で更なる負荷を掛けてくる。
法の残業時間が超過すれば、来月に回してなどと交渉してくるのはいい方だ。下手すりゃ勝手にサービス扱いだ。
そういう相手に嫌気がさす。
そう零していた。
そんな回想に耽り、ちびちびと紅茶を啜っていた。
そしてタマキが一気にカップを空にし、思いを述べる。
「死にたくない。だがそれ以上にあの恐怖から逃れたい!」
泣いていた。
タマキも似たようなもんだ。
先の温泉やサウナで確認した身体はとても耐えられそうにない。
少しづつではあったのだろう。
目立たないような場所。
背中や腹、腕。脚はかなり多い。
特に股間や尻。そうそう見せる場所ではないからだろう。
そんなストレスをより弱いものへと、ぶつけようとしたらしい。
しかし、どうしても痛みが分かってしまって出来なかった、と言っていた。
児童虐待や動物虐待。そんなことを考えて、また自己嫌悪に陥る。
タマキは優しいのだろう。
あの身体の状態で他者に思いやれるのだから。
たぶん反撃も考えたに違いない。でも出来なかったのだろう。痛みを知っているために。
だけど、思ってしまう。相手にも知らしめるべきじゃなかったのかと。
全てを受け入れて、そして耐えられなくなる前に。
時間を掛けて飲んでいる間に、ユズルもタマキも椅子から床へと崩れていった。
「ハジメも青じゃなかったんだよね」
アキラの断定的な確認に苦笑する。アキラは青ではなかった、と。
「僕は赤だったよ」
あっさりと自白する。
「そう。私は黒よ」
「どちらがアタリかハズレか。僕も知らないんだよね」
そう。アタリとハズレ。だが色が一つだったことからそのどちらかだということも分かる。
皆を殺した殺人鬼役と。
皆の保険を手にする被害者唯一の生き残り役。
この金で人生をやり直してほしいと希望を託された者。静かに暮らしてほしい者。
皆の絶望を引き受け、法の下、裁きを受ける者。法の下に周囲の者を引きずり出して皆の思いを曝け出し、世間に、白日の下に晒すことを託された者。
そんなことをしても何も変わらないだろう。
でも、それでも……
そんな相反する希望を託されたアタリとハズレ。赤と黒。どちらなのか。
まるでギャンブルじゃないか。
薄れゆく意識の中、依存症と言われるほど金を注ぎ込み借金まみれにされた加害者を想起していた。
自分で返せ!
失った時間を思い出して、そして失うかも知れない時間を思って、闇へと落ちていった。
アキラの分は書き忘れです。
面倒なので、そのまま。