処刑人《ボーヤ》
そんな事を同室の連中と話したのが昨日の晩の事。
3日目以降は、朝食が終わった後で部屋に戻って呼び出しを待つのでは無く、そのまま各々に振り分けられた仕事へと移る形が続いていた。
軽作業や掃除等のごく一般的な仕事も多く、これでは刑務所と何ら変わらないじゃないかと時々思ったりもする。
いつ使うんだか分からないけれど、作業報奨金まで出ると言うのだから驚きだ。
もっとも、僕達がそれぞれ仕事を終えて再び集められると、ひっそりと数人居なくなっているという事もごく普通に起きるのだけれど。
そんなこんなで、今日も朝食を終えて仕事の振り分けを待っていた。
いつもと少し毛色が違うと気付いたのは、僕の所に職員が3人やって来た時だ。
雑用の内容を伝えるのに3人も警備員は必要ない。
そして、その内の1人は他の2人とは違い、柄のついたYシャツというラフな格好をしていた。随分若いように見える。
その男が口を開いた。
「ハロー、ファシルさん。諸星君、で合ってるかな? ハウアーユー?」
「……元気、ではないですよ。」
いきなり前のめりになって必要以上に顔を近づけてきたので、つい引いて敬語などを使ってしまった。
ちなみに、連中が僕達受刑者の事を『ファシル』と呼んでいるらしい事はここ数日で分かっていた。
意味は分からないが。
「雅春風って言いまーす。今日はちょっとね、諸星君には実験に付き合ってもらおーと思うのよ。ほいから、度会さんはどれかなー。」
少し離れた所に居た度会が、見ていて悲しくなるくらいに身体をビクッと震わせた。
「あっはは、分かりやっすっ! じゃ、度会さんもよろしくね。つっても、今回は君達がこの間見た《GT-ウィルス》の実験みたいに危険なヤツじゃないよ。ちょいとおねんねして、見た夢の内容を報告してもらうだけ。」
それを聞いて、僕はピンときた。
1つはこの人選だ。
唐山の豹変とその死を見た僕達2人を不確定要素として、何か起こす前に“使って”しまおうという魂胆なのだろう。
もう1つは、実験の内容。
柄澤の昨日の話を聞いて、言われるがままに黙って眠りこける事など出来るわけがない。
僕はそこを突いてみた。
「嘘つけよ。昨日眠ったまんま3人も死んだって聞いたぞ。」
「おんやー? ああ、あの女の子が喋ったのか。仲良いんだねー、君達。そうそう、アレはオレ達にとっても予想外だった。でも大丈夫。昨日の数倍人員も設備も揃ってるからね。ていうかそもそも、昨日の事があったから、オレが安繰さんに呼ばれてこの実験を担当することになったわけだしー。」
最後のは、大丈夫な理由になっていない。
「あぐるさん、って誰だよ。」
「ん、偉ーい人。」
「…。」
ここで癇癪を起こしてもどうにもならない事は火を見るより明らかだった。
『人員も設備も揃ってるから大丈夫』という、全くあてにならない事をあてにしなければならない。
やれやれ、と僕は思った。
足掻くなどと話し合ったばかりだったが、そもそも自らの行動に選択肢が生じる場面など、この先訪れるのだろうか。
雅と名乗った男と、警備員2人、そして相変わらずビクビクしている度会と共に僕は実験室へと向かった。
道中、色々と考えはしたが、そもそも件の“未来の映像を見せる蝶”の事を何一つとして知らないのだから、打開策など思い浮かぶ筈がなかった。
実験室に入った僕達を待っていたのはやはり白衣の男達だった。
「どーもどーもー、倉橋さん。とりあえず、後お願いしまーす。ま、オレも見てますけど。」
「ええ。」
そこで雅は僕たちの方を振り返った。
「さーてお二人さん、話聞いてるんだったら大体知ってると思うけど、これから見てもらうのは未来に起きる出来事を予知する内容の夢ですよん。それは“自分”に関する事かもしれないし、自分とは全く関係ない“世界”の事かもしれない。規模も不明。ちなみに見た夢の内容はちゃーんと覚えてられるみたいなんで、それを報告してもらいまーす。」
僕は気になったことがあったけれど、聞くよりも先に雅が言及した。
「報告に関しては気にしなくて大丈夫だよ。嘘をつこう、という気にすらならないから。」
言っている意味が分からなかったため、疑問の解消にはならなかったのだが。
「ほいでは、諸星君から行ってみよかー。奥の扉の先にチョウチョが居るからねー。」
僕は腹を括る暇もないままに、導かれるままに、実験室の奥の扉を開けて先へと進んだ。
部屋に入ってぐるりと辺りを見回した僕は、それを見つけた。
黒い蝶だ。
羽には朱色の筋が不規則に張り巡らされていて、一目で見た事のない種だと分かった。
ざっと20匹以上はいるだろうか。
その全てが部屋の隅に置かれている植木鉢から生える小さい木に止まっている。
僕は昆虫が苦手な方ではないけれど、いくら蝶と言えどこれ程うじゃうじゃと集まっている所を見ると生理的嫌悪を禁じ得なかった。
不意に、止まっていた蝶達が羽をはためかせて、部屋の中を一斉に舞い始めた。
僕はただただ上を見上げるだけだった。
黒と赤の蝶達は所狭しとばかりに部屋中を飛び回っている。
蝶達が少しずつ、鱗粉を振り撒いていると気付いたのは少し経った後だ。
頭上を飛び交う黒い蝶と、雪の様に舞う赤い鱗粉。
先程止まっていた時に感じた嫌悪感が嘘に思えるような、そんな幻想的な光景がそこにはあった。
でも、その光景を堪能する事は叶わなかった。僕の意思に反して、徐々に意識に靄がかかり、瞼が重たくなっていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
最初に見たのは、所有者の身の丈を優に超える長大な鎌だ。
振るうことさえ苦労するようなそのフォルムは、明らかに相手に恐怖を植え付けることに主眼を置いているように思えた。
そして、鎌の所有者も、鎌に負けず劣らずの奇妙な形をしていた。
大きなフーデットコートを着ている。
マントのようになった裾で下半身は完全に隠れ、目深に被ったフードの奥に、きちんと顔があるのかさえ分からない。
一歩、また一歩とこちらに向かって来る度に聞こえる、靴を踏み鳴らす音で、ようやくこのコートの奥に実体があるのだと分かった。
その音が無ければ、僕は間違いなく目の前の男を亡霊か何かだと確信していた事だろう。
もちろん、実体があると分かったところで、与えられる根源的恐怖が弱まることは無い。
男が歩を進めるたびに床が凍っていくような錯覚さえ覚える。
鎌の男は、既にその武器の一振りで僕を斬り裂いてしまえる距離まで迫っている。
僕は、恐怖で足が竦んでしまうなんて事を初めて経験した。
「あ、あああああ・・・・・・」
泣き叫びでもすれば少しは恐怖が和らぐかと思ったけれど、それすらも出来なかった。
相変わらず、僕の足は既に斬られてしまったのではないかと疑いたくなる程に動いてくれない。
男はもう、手を伸ばせば触れられる所まで来ている。拷問?処刑?
僕はこれから起きることを予測しようとしたけれど、恐怖を助長するだけだった。
鎌の男は目の前に迫った。
それでもやはり、フードの奥に顔を視認することは叶わなかった。
みっともなく震える僕を完全に無視して、男は横を通り過ぎていった。
・・・・・・。
突然、景色が切り替わった。
僕は、無骨な建物の広いエントランスに立っていた。
ただぼーっと立っていた。
車を何台も横に並べられそうなくらいに広い入口は、今はシャッターで閉じられている。
言葉にするなら、胸騒ぎとしか言えない何かを感じていた。
でも、僕にはどうする事も出来ない。
それも何となく分かっていた。
だからただ立っていた。
始まりは音だった。
ミシッという、コップを握力だけで握り潰そうとするような音だ。
辺りを見渡して、入口を塞いでいるシャッターが立てている音だと分かった。
そして、見ているうちにシャッターが砕けたのだ。
砕けた、としか表現のしようがなかった。
一斉に人間達が雪崩込んできた。
格好はまちまちだが、見る限りほぼ全員が武装している。
そして僕は我が目を疑うことになる。
顔だ。
流れ込んできた男達の顔が、どれも全く“同じ”なのだ。
白い無地のシャツの者、ジャケットを着た者、防弾チョッキを着た者、その他、何百という数にも及ぶであろう男の顔が、全て統一されているのだ。
これ程までに異様な光景を僕は見た事がなかった。
千ツ子、万ツ子なんて言葉はこの世に存在したのだっただろうか。
そんな訳の分からない事を考えてしまう程に。
茫然自失の僕、ではない誰かに向かって、武装した『男』達の内の1人が笑いながら言った。
「ほら見ろ、だから言ったじゃねえか。」
そこで僕は目を覚ました。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「鎌を持った亡霊だと!?」
雅の報告を受けた安繰は、珍しくつい素っ頓狂な声を上げてしまった。
「……まさかそりゃあ、」
「ええ、《ボーヤ》の事を言ってるんじゃないかと。」
「おいおい、《ボーヤ》収容室の警備は万全のはずだが。現に収容以降、脱走事案が発生した例はない。それが破られるってのか。」
「……そりゃもちろん、オレが直接夢を見たわけじゃないんで、未知の<エンティティ>って可能性も0じゃないですけど。実験を受けた諸星ってファシルの話を聞くに、建物の特徴もここと合致しますし、恐らくはそういう事じゃないっすかね。」
安繰は頭痛を覚えた。
「百歩譲って、脱走事案が発生したとしても、《ボーヤ》とファシル達との接触なんてのは、俺達が真っ先に回避すべき事案のはずなんだがな。一体何が起きるってのか。」
「まーまー、何にせよその事案を防ぐための《胡蝶》の夢でしょ、安繰さん。やるこた一つっすよ。」
何やら濃くなってきた不穏な気配に、否応なしに警戒が募るが、雅の言う事もまた事実だった。
「ああ、そうだな、雅。《ボーヤ》警備の強化だ。担当者達に身体的、精神的異常がないかもチェックしろ。」
「了解。 ……あー、やっと管理らしい仕事だー。ほんっと大変でしたよ。安繰さんの直の部下だからって《キキ》捕獲の特殊部隊に突っ込まれて、そん次は《胡蝶》の実験見て、無い頭捻って。」
「そりゃ悪かったよ。 しかし、ファシルの連続死の原因が《ボーヤ》って事は、奴の“処刑”を見ただけでも死んじまう程内容がショッキングなのかね。《ボーヤ》の警戒レベルにも修正が必要かもな。」
「あー、まーその辺は、“上”を通すべきじゃないですかね。」
「ああ。 ……いや、待て。」
そこで安繰は、今の今まですっかり見落としていた、当然疑問に思うべき点に気が付いた。
「そもそも、一連の《胡蝶》の実験で、何故その諸星というファシルが一人だけ生きて目を覚ましたんだ? その後のもう一人のファシルは、以前の3人と同様に死んだんだろう?」
「ええ、諸星の後に対象になった度会という男は死亡しました。いやいや、てゆーか、今更気付いたんですか、そこに。オレはずっとそれで頭を悩ませてるんですけどー。」
「うるせえな。諸星って男を直接見た感想は?」
「別に、普通の青年って感じでしたけど。」
「普通の青年? ……まあいい、機会があれば俺が直接話してみよう。」
安繰は頭の中を整理する。
まずは諸星というファシルの見た《胡蝶》の夢から浮かび上がってきた《ボーヤ》の監視体制の強化。
《ボーヤ》という<エンティティ>はフード付きのマントで身を覆った処刑人だ。
巨大な鎌を持ち、咎人だけを狙ってその鎌を振り下ろす。
鎌は対象の咎人の罪の根源をほじくり返し、その大きさに応じて苦痛を味わせて死に至らしめるという、随分と趣味の悪い代物だ。
そのため、少なくとも罪人の宝庫たるファシル管理区画に近づける事はあってはならない。そのための警備強化である。
そして、その諸星という男にも何かある、と安繰は感じていた。
もちろん単なる偶然によって諸星だけが夢から生還したという可能性も否定は出来ないが、そうでなければ精神的に特別な力を持っているか、最悪の場合、諸星自身が他組織のスパイや未知の<エンティティ>である可能性すらある。
勿論《蘭社》はファシルとしてエリアに侵入してくるそれらの脅威にも対策を講じているが、万全であるとは言い切れない。
ここには安繰自身が探りを入れることにした。
まだ“事”は起きていない。
だが、1手遅れれば取り返しのつかない事態になる場面は幾らでもあるということを、《蘭社》に勤める安繰は嫌という程知っている。
その勘が、ここが正念場だと告げていた。
安繰はこめかみを揉みながら立ち上がった。
「今日はもう休め。明日以降は馬車馬の如く、だぞ。雅。」
「へーへー、分かってますよん。」
そこで報告は終わりだった。
安繰も雅も、諸星の見た“もう一つの夢”に関してはついに触れようとしなかった。