胎動
最高に回りくどい形で、僕達が全員受刑者である事と、これから僕達が巻き込まれるであろう“クソ”の大まかな内容を明かした竹居が去っていった後も、食堂を覆っていた沈黙はなかなか晴れることがなかった。
恐らくは各々、竹居の話を、ウソかホントかという事含め、噛み砕いている最中なのだろう。僕自身もイマイチ現状を把握出来ている自信はない。
まあもちろん、僕は集まった約20人が自分と同じような状況の人間であることは最初からある程度分かっていたし、さっきの部屋での話を聞くに、色黒男や他の3人の男も同様だった様だから、今更自分達20人の正体を知ったところで驚くような奴は居ないのだろうと思えた。
「まっさか、アンタ等も全員犯罪者だったなんてね!」
居た。
場違いな程大きな声を上げて立ち上がったのは、さっき竹居の語りが始まった時に、呑気に聞き返したあの女だった。
「……アタシは取り敢えず、部屋に戻る。名前だけは教えておくわ。柄澤火奈。覚えるかどうかは任せる。」
その女が、竹居の自己紹介を真似てから、手をヒラヒラと振って自分の部屋へと去っていったのを皮切りに、ポツりポツりと、他の連中も立ち上がって歩き始めた。
恐らくはあの柄澤という女と同室なのだろう2人の女性が彼女に付いていくようにして続き、更に続いて他の男達も去って行く。
数分後、残っていたのは僕と、外国人と思しき一人の男、そして既に警備員に解放されていた色黒男だけだった。その警備員も、数名はまだ食堂に残っているが。
「さっきの、竹居って奴の話、本当だと思うか?」
食堂に残った外国人が不意に言った。随分とこの国の言葉が上手いなと、そう思った。
「歩いて1時間かかる“距離”のクソイモムシが眠ってるってヤツか? もう一度言うぜ、馬鹿にすんじゃねえ。そのバケモンが地震でも起こしてるってのかよ。」
答えたのは色黒男だ。いい加減、流れに乗って自己紹介して欲しいものだと思った。
「そっちはともかくとして、受刑者を集めて実験をする、馬鹿デカイ組織があるって方はどうだ。現に俺達は、この研究所みたいな施設に集められてる。外の状況は分からないが、コレが大事になってないとすれば……。」
そこで外国人が言葉を区切り、僕の方を向いて物問いたげな目をした。話の途中なのに、僕の考えを求めるってことか。
「……竹居の話がハッタリで、極小規模に行なわれた拉致か。もしくは話が本当なら、そもそも国のお偉さん方も協力、あるいは共謀してて、世間には隠されてる、かな。」
僕は取り敢えず答えて、採点を待つ気分で外国人の方を見返した。
「ああ。そしてこの施設の規模を見る限りでは……。」
そこでぐるりと辺りを見回した外国人につられて、僕も色黒男も周囲に目を走らせた。
そう、この建物はあまりに巨大すぎる。
たった半日程度、部屋や食堂を回っただけでこの感想を持ったのだから、それだけで、今の状況が突発的な事件によるものではないという事の証明には十分だろうと思う。
「実を言うとな。」
そこで外国人が再び口を開いた。
「あー……俺はドミニクと言うんだが、俺の母国じゃ、この類の噂話があったんだよ。政府のお墨付きで、受刑者を使って謎の生物研究をしている組織があるとな。途方も無い軍事力を持ってるとか、政治力を持ってるとか、細かい内容はまちまちだったが。」
「何だと。」
「その中には、組織の規模は全世界に渡るものだって噂もあった。俺だって当時はそんな話は一笑に付す程度だったが、この状況になってあの竹居という男の話を聞いてみると、どうも『そういうこと』らしいと思わざるを得ないんだよ。」
「ケッ。じゃあお前はあの野郎の話を信じるってのか、ドミニクさんよ。俺は信じねぇぜ。ま、もし野郎が言ってた『バケモン』共が実在して、俺たちもそれを拝めるなら、せこせこと封筒だの何だのを作らされるよりはよっぽど面白ぇだろうがな。楽しみにしとくぜ。」
呆れた。この色黒、実験台にされると分かってこんな言葉を吐けるとは、豪胆なのか馬鹿なのか。両方か。というかそもそも話を信じていないのだったか。
「おいお前、部屋に戻るぞ。同室のあのスカした連中とも話してみてえからな。」
最後は僕に向けての言葉だった。僕は言われるまでもなく部屋に帰って寝たかったが、それ以前に訊きたいことがあったのでドミニクの方を向いて言ってみた。
「ドミニクさん、あんた、なんでそんな事を僕達だけに言ったんだ?」
「……これと言った理由はないさ。お前達が食堂に残っていたから、俺の考えをどう思うか訊いてみただけだ。全員に話す程の事でもないと思ったからな。まあ、それとは別に、お前とは少し話してみたいと思ったかな。」
「……僕?」
真っ先に竹居に歯向かって、あの中で一番目立ったであろう色黒男ではなく、僕に興味を持ったというのか。こちらを意図の分からない表情で見つめるドミニクの視線に、少し居心地が悪くなった。
「お前達二人、名前を教えてくれないか。」
「ん、ああ、俺ぁ馬場創毅。んでこいつが……。いや、俺もお前の名前は訊いてなかったな。」
「……僕は諸星タカ。“何を”だか分からないけど、これからよろしく。」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「おう、神田、お前ずっと起きてたのか? まあ随分と仕事熱心なこって。」
仮眠室から出てきた竹居の声にハッとして時計を見た神田は、いつの間にか5時間も経っていたのかと驚いた。認識した途端に身体が疲労を訴え始める。
竹居を見送った後、監視カメラの映像を確認しながら、《蘭社》のデータベースで管理補佐となってから見られるようになった情報の見返しや、ファシル達のファイルのまとめなどを行っていたのだが、いつしか時間を忘れてしまっていたらしい。
「竹居さんや、他の補佐が不真面目過ぎるんですよ。 ……とは言え、私も少し休憩を頂きます。」
神田が立ち上がったその時だった。管理室のドアがノックされた。来客か。
モニターを見て、管理室の前に立つ人物を特定したらしい竹居の表情から察するに、望ましい来客ではないようだ。
「はぁ。朝っぱらから、お偉さんのご登場だ。」
ドアを開けて入ってきたのは、スーツ姿で顔には微笑を貼り付けた男だった。かなり若いと思われるが、その表情に妨げられ、それ以上を読み取る事ができない。
「朝早くに失礼しますよ、竹居サン。……それに、えーと。」
その目が神田のほうを向いて、頭にハテナを浮かべて見せたので、慌てて自己紹介をする。
「あ、管理補佐の神田といいます。その、初めまして。」
「ふむ、とても可愛らしいお嬢さんだ。竹居さん、なかなかやりますね。」
竹居は溜息をついた。
「……。次席研究員サマがこんなゴミ溜めに何の用だ、千石。」
それを聞いた神田を貫いた衝撃は並大抵のものではなかった。無論、可愛いらしいなどとお世辞を言われたことに対してではない。
竹居は今何と言ったか。ジセキケンキュウイン。目の前のこの男が。それはつまり、このエリアにおける研究・開発部門の実質的なNo.2ということではないのか。
というか、次席研究員たる男に対してこんな口の利き方をする竹居に、呆れるやら感心するやらだ。
「言わなくても、大体の用件は察しているんじゃないかと思いますけどね。まあ、いいですけど。先日収容した《GT-ウィルス》、覚えておいでですか。この名称もまだ仮のものですが。」
神田はソレを知らなかったが、黙って話を聞く以外に出来ることはなかった。
「例の殺人ウィルスか。……あぁ、待て。その話で完璧に察した。クソウィルスの観察段階を終えて、大した変化がない事を確認したんで人体実験に移ることになった。そんでその“人体”を寄越せと、そういう事か。アンタがこんな所に足を運ぶたあ、どういう風の吹き回しなんだ。」
「8割方正解ですね。ウチの部門では、今《GT-ウィルス》の研究がこのエリアで目下最大級の案件になってまして。私自ら作業に当たってるんですよ。私ならイチイチこの程度の実験の申請許可を待つ必要もありませんしね。」
「そうかい。権力ひけらかしてくれてありがとうよ。で、なんだ、8割方ってのは。残りは何なんだよ。」
「ファシルに対するウィルスの投与実験の際に、竹居さん達の立ち会いをお願いしたい。」
その答えは竹居にとって予想外だったようだ。
「あ? 立ち会い?」
「件のウィルスなんですが。発見時の状況から、感染者の身体能力を一時、爆発的に高める特性を持つことが推察されています。そして対象は周囲の人間を無差別に襲い始め、数時間後、心肺機能が停止する。今回の実験は、その状態の感染者をコントロール出来るか、あるいは鎮静化する方法はあるかを把握するのが主な目的なんです。」
「そんで、俺達は万一の時の鎮圧係ってことかよ。んな仕事は、戦捕の連中の管轄だろうが。なんだってこんなとこに回してきやがったんだ。」
「今、色々と事案が立て込んでまして、戦闘・捕獲部門の方々は忙しくてね。人手が足りないのですよ。」
「例の《キキ》か。」
「ええまあ、それが一番の厄介事ですね。」
また、神田の知らない単語が出てきた。
『例の』とか『件の』なんて言葉を乱用して自分を蚊帳の外に追い出して悔しがらせようとか考えてるんじゃないですか、などと危うく口に出してしまいそうになる。
「俺は直接見たことはねえけどな。話聞いた限りじゃ、その《キキ》こそ戦捕の脳筋どもにゃ向いてねえと思うぜ。諜報にでも回したらどうだ。」
「ああ、《キキ》捕獲に関しては、特殊部隊が編成されてます。かなり大規模なね。他にも色々とありますが、とにかくそんなわけで、この実験に戦捕の方々は使い辛いんですよ。」
そもそも、と男は付け足した。
「戦捕が脳筋だなんて、とんだ偏見です。ご自身を鑑みての感想ですか?」
ケッ。と吐き捨ててから、竹居はお決まりになりつつある溜息をついた。
「わーったよ。引き受けた。つーか、アンタが出てきたんじゃ拒否権もねえんだろうが。一応聞いておくが、そのウィルスが俺達に感染する危険はねえな?」
「ええ、血液、経口その他、一般的な経路では感染しない事が分かっています。それは保証します。」
大方、話はまとまっただろうか。神田はようやく口を挟むタイミングを見つけた。
「あの……。ファシルを使用するとの事ですが、今回集まったファシルに関しては、まだ詳細なプロファイリングが済んでいません。大丈夫なのでしょうか。」
「ああ、問題ありませんよ。お嬢さん。今回の実験ではそこまで厳格に、適性に応じた被検体を求める訳ではありません。そうですね……。身体能力の上昇幅をより明確に見たいので、元々それほど運動が得意でない方、という程度でどうでしょう。」
それなら現在のデータでも十分選定できそうだった。神田はそもそもこれから仮眠を取る予定だったのだが、竹居や他の補佐達が選定作業をやってくれる望みは薄い。
「神田、数人ピックアップしとけ。それから、実験の際はお前は待機。残ったファシル共の監視を引き続き行っておくこと。」
そら来た。
「分かりました。」
そこで男が立ち上がった。
「では、そういう事で。よろしくお願いしますね。他の方々にもよろしくお伝えください。 ……それにしても、この部屋、来客の際にはお茶でも出したらいかがです。」
「あっ、すみません!……突然のことで、そこまで頭が回らず。」
「ハハ、いえいえ、お嬢さんを責めたわけではないんですよ。この部屋の主に問うているのです。」
「……。面倒事と茶の交換じゃあ、こっちが損する一方だろうが。随分と図々しい客もいたもんだな。」
男はフッと笑っただけだった。失礼します、と言い添えて管理室を出て行った。