両親
昨夜はなんだかうまく寝付けなかった。
部屋に差し込む朝日に気づき、目が覚める。朝日とともに目覚める生活は健康に良いらしい。
この世界に時計はないが、ふむ、感覚的には朝の7時。朝食をいただいて出かけよう。
今日はやりたいことがたくさんある。
隣を見ると、アンドレも起きるところだったらしい。上半身を起こし、起き抜けのまなこでぼんやりと宙を見ている。やがて私に気づいたらしく、ピンと背筋をのばしてベッドから出た。
「おはようございます」
「おはよう…」
背筋と態度はピンとしているものの、頭髪がまだとっちらかっている。なんだかおかしくて、くすりと笑う。
「朝ごはん食べようか」
一晩寝て、お酒もすっかり抜けていた。身支度をして、アンドレとともに1階へ降りる。席につくと、猫の獣人のウエイターが注文を聞きにやってきた。
「卵はどうする?」
「スクランブルエッグ」
「私は落とし卵を」
昨日と同じように食堂でパンと卵をかじり、食べ終わるとすぐに立ち上がった。
「忘れ物はない? 出かけるけど」
「はい」
忘れ物も何も、奴隷の彼に持ち物などないのだけど。
私は彼をともなって外に出た。まず一番に用事があるのは、冒険者ギルドのクエスト掲示板だ。
冒険者ギルドには窓口のほかに、大きな掲示板が用意されている。コルクボードにはそれぞれ雑多な筆記で様々な依頼が書き込まれている。内容と報酬、連絡先。連絡先といってもこの世界で電話なんかないから、住所が書かれているだけである。
ざっと目を通し、手帳にメモをとった。
ミーアさん宅のトイレ掃除、銅貨30枚。物資の運搬手伝い一時間、銀貨1枚。牛乳の配達、銅貨50枚。ウサミーの毛皮狩りパーティーメンバー募集、銀貨2枚。
おおよそ冒険者の仕事でなさそうな依頼も多い。もちろん、ダンジョンから逃げ出した野生の魔物討伐や、正式パーティーの募集などまさに冒険者向けの仕事もあるが、そういったものは今回選ばない。今夜の宿代、銀貨3枚と銅貨50枚が稼げればいい。
とったメモをアンドレに渡す。
「はい、今日の仕事」
「?」
首をひねっているアンドレに、私はぐいぐいとメモを押し付ける。
「今夜の宿代稼いでおいて。私、やりたいことがあるから」
決めたのだ。
昨日の夜、無理矢理目をつぶったけど眠れなくて、いろいろ考えた。
いきなり家族と引き離されたら、その家族が無事かどうかわからなかったら。どんな気持ちだろう、10歳の妹と5歳の弟が目の前で売られていくのを耐えなくてはならない辛さは。実際体験していないから分からない。
アンドレは私の奴隷だ。私の金貨106枚だ。私は彼に、仲間になってほしいと思っている。私の矢を信用して、背後を任せてくれるようになってほしいと思っている。
本当は、彼を奴隷身分から解放して、親元に返すのが正しいのだろう。だからこれは、私のエゴ。
(ごめんね。)
心の中で謝る。それでも私には、彼が必要だ。また一人でダンジョンに挑むのは嫌だ。
だからせめて、彼の心配要素を無くそうと思った。
(君の家族は、私が助けるから)
せめて、他の兄弟の行き先が分かれば。どこに売られて、どんな扱いをされているかが分かれば。
そこで何ができるかは分からないけれど。
宿代を稼ぐことをアンドレに押し付けて、私は冒険者ギルドを去る。
最終的には、アンドレも渋々受け取った。
「それがご命令ならば」
まぁ、そう思ってくれてもいいよ。もう。
私の今日の予定は、こうだ。
まず、アンドレの両親のところへ向かおう。もしかしたら、他の兄弟たちの行き場くらいは知っているかもしれない。なにか情報を得たら、今日の時間が許す限り、その真偽を確かめる。
それから夕方には、『蛇の靴下』亭に行ってみるつもりだ。奴隷商館近くの蛇の獣人が商っているパブ。え、やたら酒場の場所に詳しいんじゃないかって? だまらっしゃい。
アンドレの両親、アシル・ケネルとその妻、アデールの質素な家は、確かに教えられた町外れにあった。
コンコンと扉をノックすると、痩せた女性が扉を開ける。
「……どなた様でしょう、」
蚊の鳴くような声がした。元気はないが、アンドレと同じ色の犬耳。アンドレのお母さんだろう。
「……っ」
さすがに胸が痛む。言葉が詰まったが、なんとか言うべきことを思い出した。
「すみません、アシル・ケネル殿のご自宅はこちらですか」
「そうですが…何か」
なんて言えばいいだろう。
少し迷ったが、正直に告げることにする。
「…奴隷市でアンドレを購入したものです」
しばらく、返事がなかった。想定外だったのだと思う。
だがしかし、わずかに、目に光を取り戻した。
「…どうぞ、こちらへ」
今度は私が目を丸くする番だった。まさか中に入れてもらえるとは。少し気を引き締める。
「失礼します」
招かれるがままに部屋に入る。
簡易な木造の一間だった。整えられたキッチンに、埃一つない床。古いが、家事はきちんと行き届いているらしい。使用人がいるようには見えないので、この人がやっているのだろう、と私は目の前の女性を見る。
下級貴族だと聞いていたけれど、貴族らしくない、きちんとした人に見えた。
「夫はいまダンジョンに行っておりますの。日銭を稼ぐにはあれが一番ですから」
彼女の瞳には生気が宿っていた。
「旅の勇者様ですね、どうぞお座りください。」
台所前のダイニングテーブルの椅子に通される。
あぁ、賢い人なのだと思った。
私が敵であれ味方であれ、息子に関する情報が得られるとわかっている。そして、得てやろうと思っている。
ひとまず、味方であることを明かさねばならない。
「突然のご訪問をお許しください。私はここに危害を加えに来たわけではありません」
彼女に、「奴隷扱いするつもりはない」とだけでも伝われば良いのだけど。
「彼、アンドレには今、別の仕事をしていただいているのでここには連れて来られませんでしたが、いずれここへ連れてきます」
「彼は自分の家族のことを非常に心配しています。兄が、妹が、弟がどうなったのかと。ダンジョンで魔物を目の前にしているというのに、心配で攻撃が避けられないほどに」
「何か知っているのなら教えていただけませんか。彼に、兄弟が無事だと教えてあげたいのです」
矢継ぎ早に告げる。緊張で鼓動が高鳴り、指先が震えている。ああ、伝わっただろうか。
どうか、伝わってほしい。
どうか、信じてほしい。
二年間も人を信じることを拒否し、人に信じてもらうことを諦めていた自分が、こんな風に願う日がくるなんて思わなかった。
無理矢理服従させればいいと思って買った奴隷のために、こんな風に動く日がくるなんて。
結局私は、普通の人間なのだ。嫌われたくないし、嫌われるのが怖い。
多分、一瞬だったのだと思う。私には気の長くなるような時間がかかったように感じられた。
「…一番上の兄、アドルフは無事です」
明瞭な、男性の声が響く。
振り返ると、玄関口に男性が立っていた。
「あなた」
アンドレのお母さんがそう言った。
精悍な顔立ちである。色は濃い茶色だが、犬耳の形はアンドレにそっくりだ。静かで、生真面目で、実直な。没落しても騎士の誇りを忘れていない、そういう顔である。
あぁ、この人が、アンドレのお父さんか。
「お噂はかねがね伺っております。『毒矢使いのスズカ』様。冒険者学校卒業後すぐ、3年前に南のグルモワ海岸の浜でドラゴン撃退。豊富な薬草知識と抜群の命中率で活躍が期待されたものの、ここ2年一切名前を聞かない、と----」
「…よく、ご存知で」
私は驚いた。勇者の一人であるとはいえ、そんなに有名ではない。
「勇者様に関する情報は、よく回るものです。といっても、私も、あなたがアンドレをご購入なされた後にギルドで得た情報ですが」
アシル・ケネルはにこやかに笑い、私が座っているダイニングテーブルの向かいに座った。
「アデール、勇者様にお茶を」
「失礼いたしました」
アデールさんはすっと引き下がった。
私はアシルさんと向き合う。にこやかに笑っているものの、どう会話を切り出したらいいか掴めなかった。