一歩
一体、お兄さんは何がしたかったのだろう。
と一人考える。
お母さんから受け継いだ指輪のダイヤなら、まぁ、売れなかったのは仕方ないけれど。特注ってことは奴隷に落ちる前に作ってたんだろうし。
あのデザインは100%『RACCOON』の彼女にあげるためのデザインだった。それだけならすごく一途な感じなんだ。
けれど、予定を変えてメイド長に渡そうとした。多分、妹さんのために。
メイド長ともなんか関係があったっぽい。お兄さん的には誤魔化せると思ったけど、メイド長はそのネックレスが別の人宛だということに気づいてしまった。そんなところだろうか。
よく考えてわかったのは、今日は1日、アドルフ兄さんに振り回されたなぁってことくらいだ。
その後は、朝から予定していた通り、奴隷商人たちと一緒に飲んだのだが、芳しい情報は得られなかった。
蛇の獣人たちには陰気なものが多く、私がうまく話を繋げられなかったのも大いにある。出来ればメイデン家との繋がりに確信が欲しかったのだが…、無理でしたごめんなさい。
「うー、気持ち悪い、」
さすがに2日連続で深酒は辛い。
でも今日は、アンドレに良い報告ができる。
私はウキウキしながら宿へ戻った。
「アーンドレー」
私は上機嫌で扉を叩いた。
「たーだいま…」
アンドレはすぐさま扉を開けた。だがその顔は氷点下以下に冷え切っていた。
「おかえりなさいませ」
心のこもっていない言葉が響く。その顔を見て、私の気持ちもさーっと冷めていく。
「…え?」
なんか怒ってる? なんで?
「アンドレ?」
とりあえず部屋へ入る。顔を覗き込もうとすると、彼は目線をそらす。
「えっと…? 宿代稼がせたことを怒ってる?」
そんなこと言われても困る。っていうか奴隷なんだから、そのくらいやってほしい。
「いえ、そんなことではありません。それに、アンドレと呼ぶのは止めていただきたいのですが」
おっと、そうだった。
ずっとご家族と話していたから、アンドレで定着しつつあった。
というか、自分で考えた名前で呼ぶの、ちょっと恥ずかしいんだよなぁ。
「ヴィクトール」
私は声を出す。
「ね、ヴィクトール。なんで怒ってるの?」
「いえ、なんでもありません。スズカ殿は奴隷のことなど気にする必要はないのです」
あ、ちょっと今のカチンときた。
「奴隷扱いしないって言ったでしょ。ちゃんと言ってくれないと分かんないよ!」
私は激昂して叫んだ。うじうじとなんなの、男らしくない。言いたいことがあるならはっきり言え。
だがヴィクトールは冷たい態度を崩さない。
「そうですか。確かに奴隷扱いはされておりません。三食昼寝付き、非常に満足しております」
皮肉か、そうですか。
「いやいや昼寝は与えてないけども! 宿代稼いでくれたら何してたっていいけどさ。いやそういうことじゃないでしょ」
もう自分が何を言っているんだかわからなくなってきた。
「女性が一人で夜中まで酒浸り。恥ずかしくはないのですか」
「私は勇者よ。そこそこレベルもあるんですけど。なんでそこまで干渉されなきゃいけないの」
「一奴隷のいうことですから、あなたは無視していらっしゃれば良いではありませんか。言えといったのはあなたでしょう」
「その敬語腹立つ」
幾つかの押し問答の結果、彼は黙り込んでしまった。
しばらく二人の間に無言が続く。
少し頭が冷めたらしい、やや拗ねた様子を見せながらも、ヴィクトールは小さな声で話し始めた。
「…目標の金額は、昨日も今日も、夕方頃には稼ぎ終わりました。日が暮れる前に宿に戻って、あなたの帰りを待って。
ダンジョンで傷を受けた日のことを繰り返し考えていました。仮にも、元騎士であった私が、戦いの最中に考え事など。
あなたは私を戦いの仲間として求めて下さった。けれど、私は答えられなかった…。
そしてどんどん暗くなる部屋の中で、あなたがなぜ帰ってこないのか、考えておりました。
深夜になってようやくあなたが、お酒の臭いをさせて帰ってきて。…獣人は鼻が良いのです」
ぽつりぽつりと、絞り出すような言葉がヴィクトールから湧き出てくる。ほんの少しだけ、震えていたように見えた。
「帰るなり、あなたは私をアンドレと呼ぶ。私が覚悟して、捨てたはずの名前を口にしたのです。
私は…戦うために買われたヴィクトールという奴隷は、あなたに名前を呼ばれなければ、あなたと一緒に戦わせてもらえなければ、一体どうなるのだろうか、と。
何のために生きていけば良いのだろうと…。」
あぁ、そうか、
「…明かりつけててくれて良かったのに」
色々考えて、そんな言葉しか出ない。彼はずっと待っていたのだろう。飼い主の帰りを待つ犬のように。
心配、してくれていたのだろう。
彼が奴隷とかそうでないとか、私が気にしないなら、そういうことなのだ。私の認識が甘かった。
人と関わるということは。
「ごめん、あのね」
私は記憶をたどる。どこから話すべきだろう、2日前の記憶を呼び出した。
「私、あなたのご両親にお会いしたの」
そうだ、一番最初にお会いしたのは、アシル殿とアデールさんだ。
「え…?」
ヴィクトールは目を丸くする。
「騎士団そばの居酒屋で、お二人のお住まいを聞いてね。あなたのこと、心配してた」
「……。」
ただただ言葉を失ってしまう。私はその表情を見て、胃の中のものがズンと重たくなったのを感じた。
今日1日、ご家族の情報を聞くたびに、彼の喜ぶ顔を想像していたのに。
こんな形で、彼に告げたくなかった。喧嘩の言い訳するみたいに、話したくなかった。
「お兄さんにも会ったよ。アドルフさん」
「!」
彼は目を見開いた。
「兄上は…兄は、元気そうでしたか」
「うん。とても。なんか、全然不幸そうには見えなかったよ。二ベル家でフットマンをやってた。他の兄弟たちの行方を探すために、行動を起こしてたみたい」
そう言うと、アンドレがふっと肩の力を抜いた。
私は目を疑ったが、しかし、確かに、一瞬、僅かに、ヴィクトールが笑ったように見えた。
「…そうですか、」
ヴィクトールの表情が柔いたので、私も緊張を解く。それから、ええと、ネックレスの下りは話さなくても大丈夫か。
「お兄さんに言われて、妹さんにも会ったよ」
「…っ、」
ヴィクトールは息を呑んだ。
「アレットは! 妹は、無事だったのですか」
「うん、大丈夫。メイド長にも会ったけど、厳しそうではあったけど悪い人じゃなかったよ。アレットちゃんは、今はまだ慣れなくて大変だけど、いつか休みを取って両親に会いに行くって」
それから、と、恐らく彼が一番心配しているであろう事案を口にする。
「あとは弟のアルノルフ君なんだけど…多分、居場所は掴めてるの。無事を確認するために、私もアドルフさんも動いてるよ。きっと何とかして見せるから…」
「…どうして、」
ぼそりと、彼は言葉を口にした。
「…どうして、そこまで。あなたは…私たち家族のために動いて…」
困惑している様子のヴィクトールに返す答えを探す。この問いは、アドルフさんにとされたものだ。
今なら、はっきりと答えられる気がした。頭の中に浮かんだセリフを声に出す。
「あなたたち家族のためじゃなくて、あなたのためだから」
はっきりとそう言えば、ヴィクトールは、はっと口を開けた。
私は笑いかける。精一杯、笑みを顔に集める。頰の筋肉が凍てついているのを感じて、はたと気付く。私、ちゃんと笑うのいつぶりだろう。
ヴィクトールが笑ってくれないなんて、どうして傲慢なことを考えていたのだろう。私が笑っていないのに、ヴィクトールが笑ってくれるわけがないじゃないか。
「…私の、ために、」
ヴィクトールは、はっきりと私の顔を見た。私も、彼の顔を見た。こうしてまじまじと見るのは初めてかもしれない。
「あなたと戦いたいの。ヴィクトール」
彼は真剣な表情で私を見ていた。多分、私も同じ顔をしているのだろう。
やがて彼はゆっくりと膝をつき、私を見上げて言った。
「…あなたに従います」
ようやく。
ようやく、ほんの少し、認めてもらえた気がした。