兄
ケネル家を後にし、近くのパン屋でサンドイッチを買った。
さて、身分のことはいいとしても、私には貴族へのコネもなにもない。ひとまず中心街へ向かう。唯一スムーズに話が進みそうなのは、ケネル家と兼ねてから親交の深い、二ベル家だろう。
お兄さんのアドルフは無事がわかっていると言っていた。だからまずは無事を確かめるのではなくて、情報を得るためにきたのである。
私は歩きながらサンドイッチをもぐもぐと噛む。
決してその、ご令嬢に気に入られるくらい女子にモテるお兄さんが気になるとか、そう言うんじゃない。うん。
アンドレへのお土産は多いほうが良いからね。
二ベル家のお屋敷の前に立つ。少し迷って、門番らしき男に声をかけた。
「すみません、ケネル家のアドルフさんはいらっしゃいますでしょうか」
「ケネル家のアドルフさん…ですか」
門番は無表情のまま言葉を続ける。
「次期当主、リオン坊っちゃんのフットマンとして最近雇われた男ですね。今は名前を変えて、ジャンと名乗っておりますが」
あ、そうか。私がアンドレにヴィクトールと名付けたのと同じように、皆、名前が変わっているのか。それはややこしいことになりそうだ。今後、名前を頼りに探す事が出来ないという事だ。
「そう、その人です。アシル殿の紹介で参りました」
「少々お待ちくださいませ」
アシル殿の名前は、まだ通じるらしい。しばらくすると、門番が戻ってきた。
「こちらへ」
おお、通った。本当にアポ無しでいけるとは思わなかった。
とはいえ、館の中に通された訳ではなかった。館の入り口を右に曲がる。視界が開けると、広大な庭だった。さすがは上級貴族である。
私は庭の中にある、東屋のような場所に通された。
普段はお嬢様がピクニックする用なのだろう。白塗りの木材を編むように組み合わせて作られた華奢な作り。2、3の小さな椅子と、ガラスのテーブル。
「勇者さまが呼んでるっていうから来てみたら…こんなにかわいい子だったとは」
声がして振り返る。東屋の柱に肘をたて、寄りかかるキザな男がいた。
「はじめまして、勇者さま。ケネル家長男、アドルフ・ケネル…現在はただのジャンです。お見知りおきを」
にこっと笑うその男を見て、自分が購入したのがアンドレで良かったと心から思った。
犬耳は色も形もアンドレそっくりだ。口元は、アデールさんによく似ている。目はアンドレより一回り大きく、キリッとしていた。燕尾服を華麗に着こなしている様は、ほんの2、3日前に奴隷商人に繋がれて高台の上に立たされていた人と同じようにはまるで見えない。
「びっくり…しました、」
不幸など微塵も感じさせない明るい笑みである。実際、この男が4兄弟の中で一番幸運な買い取りをされたことには違いないのだけれど。あまりにもにこやかに笑うから、アンドレの兄というイメージと結びつかなかった。
想定と全然違うんだけど!
アシル殿のキャラとも、アンドレのキャラとも違うじゃん!
「今はお坊ちゃんがお昼寝中だったからね。すぐに戻らなきゃならないけど。」
ふと頭が冷静になる。あれ、どうして私が勇者だと知っているのだろう。
あ、そうだ。あの門番、頭の上のステータスを見たのか。
そして今、アドルフさんも私のステータスを把握したらしい。
「弓使い…なんとなくそうかな、と思ったけど、やっぱり。『毒矢使いのスズカ』ちゃんだね」
ちゃん。
すごい久しぶりにちゃん付けで呼ばれた。
「うん…そう、です。」
どうしようすごい話しにくい。
シリアスな話にきたはずなんだけど。
「アンドレは元気かい?」
私は無言で頷く。
「そう、それなら良かった。」
相変わらず笑みを崩さない。あっ、少しだけ、アシル殿と最初に話した時と似ている。警戒している笑顔。
アシル殿に先に会っていなければ気づかなかっただろう。
「どうして僕を訪ねてきたの? 父の名前まで出して」
先に口火を切ったのは、アドルフさんのほうだった。完全に向こうのペースだ。
「えっと…先ほど、アシル殿とアデールさんにお会いしまして。その、なんというか…言葉に表すと陳腐なんだけど…あなたがたを助けたい、って思ったんです」
違わないんだけど、言いたいことはそうじゃない。私は必死で頭の中の言葉を探る。アドルフさんはふぅん、と意地悪そうに笑みを強めた。
「どうして、君が僕たち兄弟を助けてくれるの? 君はつい先日、弟に出会ったばかりなんだろう」
「ヴィクトール…アンドレが、あなたたちを心配しているから。その、だから、えっと、」
「あなたたちが幸せじゃないと…私は、ヴィクトールの仲間になれない…と、思ったから…」
尻窄みに声が小さくなる。なぜ? 繰り返しそう言われるとどんどん頭の中がかき混ぜられていく。
私の反応を見て、アドルフさんはついに吹き出してしまった。
「ははっ、本当に君が毒サソリ? かわいいお嬢さんじゃないか」
そんなことを言われても反応に困る。私は目を白黒させた。
「いいよ、信用するよ、君を。というか、僕も君を信用するしかないんだけど」
彼は肩をすくめてそう言った。
「いま、僕はここのフットマンだ。その地位は存分に活用させていただいている…弟、妹の情報を探るためにね。冒険者に引き取られたアンドレのことはわからなかったけど、貴族に引き取られた妹や下の弟の情報は、なんとなく掴めそうなんだ」
私は目を丸くして顔をあげた。
それが本当なら、兄弟の無事がわかるのは案外簡単なのでは。
「だけど僕はその代わり、この屋敷から出ることができない。父上や母上では心もとない…というか、両親に聞かせられないような話があってね。僕も手足を探していた。そこに君だ。」
アドルフさんは腕を組んで私を見下ろした。
「君も僕も、渡りに船という訳さ。まずは行けば解決する、妹の家を見てきてくれないか。」
ずんずんと話が進んでいくので、目眩がする。
「ちょっと待って。妹さんの家、って、貴族のネーゼ家でしょう。私はそこになんのコネクションもないわ」
「コネクションならあるんだ。僕がね」
いいかい、と彼は指を立てた。
「城の南、繁華街のある場所に宝石屋がある。そこに、僕が別の女の子に送る予定だったネックレスが出来ているはずだ。これを、ネーゼのメイド長に渡しに行って欲しい」
なんか今、さらっと”別の女の子”って単語が聞こえた気がするけど気のせいだと思いたい。
「そんなに良いものではないのだけど、僕からだと言えば喜んでくれるだろう。その時に、妹アレットへの渡りをつけてもらえるよう交渉してみてくれ。今はどんな名前になっているか、分からないけれど」
ふと、彼は座っている私に目線を合わせた。
「!」
急に顔が近づいて驚く。しかし彼は笑みを消し、低い声でこう言った。
「僕の休憩時間は1日に2回ある。坊ちゃんが、午前の家庭教師受講の時間、そして、午後の食後のお昼寝の時間。僕はもう間も無く仕事に戻らなくてはならない。」
私の手を両手で握る。びっくりして手を引っ込めようとするが、彼は握る手に力を込めた。
「明日、午前の鐘が3回鳴る時間だ。午前の受講が始まる時間。遅くても、早くてもいけないよ。その時間にまたおいで。それまでに僕も、メイデンの家へ探りを入れておくから」
最後に力強く手を握り、彼は手を離した。去ろうとする彼に、慌てて声をかける。
「待って、もう一つだけ。さっき言ってた、アシル殿やアデールさんに聞かせられない話って」
「…内密だよ。これはメイデン家のメイドから聞いた話なんだけど」
最後に、彼は声を潜めた。
「………メイデン家当主パスカル・メイデンはね、たぶん、男色のけがある人なんだ。それも、子供のね」
嫌な想像が頭をよぎった。