1−5
弦や鍵盤が弾かれる音に合わせて、導かれるままにクラエスと踊る。周りのざわめきが気になっていたのは最初だけで、くるりくるりと舞っていると、音色だけが耳に入った。クラエスの先導は小慣れていて、優しく、踊りやすい。先導されて踊るのは初めてで、ぎこちないはずなのに、自然に体が動いた。
一曲終わって、続けざまにカドリーユを踊っていると、女性たちの花のような色合いの衣装が目に入った。ひらひらと舞う女性たちは笑顔で、彼女たちの手を取る男性たちも楽しげだ。春の装い。社交季の始まり。ずっと憧れていた舞踏会で、冬の終わりを祝っている。知らず知らず、イレイェンは微笑んでいた。
終わる頃には、少し息が上がっていた。
「父のもとに案内しよう」
返事をする前に、クラエスに手を引かれた。広間を縦断するように進むと、話し声が潮騒のように訪れる。イレイェンとクラエスに視線が集まっている。この会場にいるほとんどの人が、自分たちを見ているのではないかと錯覚するほどだ。居心地の悪さを感じたが、入場した時の焦燥は感じなかった。クラエスも意に介していないようだった。
「父上」
連れられたのは、広間の中で一段高い場所だった。麦酒を片手に一人の男が、悠然と座している。うねる銀髪は、息子と同様に低い位置で結わえられていたが、羽織る外套は幹のような茶色で、落ち着いた色合いが相応の貫禄を醸し出していた。
手に持つ麦酒と、酒やけした赤ら顔が、典型的なマルヌーシュ人らしいと、イレイェンは内心で親しみを覚えた。
「どこぞに行ったかと思ったぞ、クラエス。わしと酒を酌み交わす約束であったろう」
朗らかな声に酒精が帯びていた。クラエスが頭を抱える。
「それは、夜会が終わってからのお話ですよ。リリエーシュ伯のご令嬢をお連れしました」
持っていた杯を呷ると、男——マルヌーシュ公は、イレイェンを見て目を細めた。
「お母上によく似ておるな」
母に似ている、と言われるのは今日だけで二回目だった。首をかしげていると、後ろから現れた影が、イレイェンの前で一礼した。
「——公爵、挨拶が遅れてとんだ失礼を。お久しぶりにございます」
父キャンスだった。おそらくイレイェンの姿を見て、急いで追ってきたのだろう。後ろから見ると、肩で息をしているのがわかる。
父に習うようにして、イレイェンも衣装の裾を持って礼をした。
「久しいな、リリエーシュ伯。十年は顔を見ていなかったか。少ししわが増えたな?」
「公爵は相変わらず酒が好きなようですね」
言われた公爵は、唇を横に広げてにいっと笑みを浮かべた。
「我が領地の名産だからな」
その答えに、リリエ―シュ伯は笑って応える。タルーシャ伯と言葉を交わしていた時よりも、親しそうな間柄にイレイェンは目をしばたいた。
委任領内部のつながりよりも、隣の、それも公爵と親しいのは、なぜだろう。十年前まで、父は何をやっていたのだろう。領地に常に在するのが領主の役目だと思っていたのだが、そうではないのだろうか。
「うちの夜会に来たということは、もしや、帝都にも上がるつもりか?」
「可能であれば」
父がちらりとイレイェンを見て、答えた。
見られたことに疑問が湧き上がって、帝都に上がるという言葉を噛みしめる。帝都に上がるというのは、帝都に行くということだろうか。父だけで。あるいは、自分たちも含めて。
父の答えに、「そうか」と言って満足したのは、マルヌーシュ公だけであった。イレイェンはすっきりしない頭のまま、公爵とクラエスに膝を折ると、父と共にその場を退いた。
ソーニャになんて報告しよう。
舞踏会の空気は、クラエスのおかげで充分楽しむことができた。だが、疑問がしこりのようにわだかまっている。イレイェンがわかったのは、自分がとても世間知らずであるということだけだ。委任領同士のことも、領主の仕事のことも、まるで知らなかった。伯爵の娘として、自分は無知だ。
リリエ―シュの屋敷に戻ったら、色々と学ぼう。ソーニャと一緒なら、集中して取り組むことができるはずだ。
大広間を退室しようとして、イレイェンはふと強い視線を感じて、振り返る。
妙齢の女性が、自分を見ていた。背の高い女性だった。ふくよかな胸に細い腰、 透き通るような碧玉の瞳に、柳眉、血色のいい紅の唇、どれも強く印象に残る作りをしている。何より目を引いたのは、豪奢な金の巻き髪だった。銀色の髪の中で、ひときわ輝いている。
集団のなかで埋没を許さない容姿をしながら、その女性は、ふとした瞬間にイレイェンから目をそらすと、金の髪を揺らしながら、夜会を楽しむ人々の中に紛れていった。
まるで幻でも見たような気分になりながら、イレイェンは、なぜ、という疑問をまたひとつ増やして、マルヌーシュ公爵邸をあとにした。




