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挨拶回りに行くというクラエスに、イレイェンは友人に会うことを理由に同行を断った。そうして、会場をふらふらと彷徨っているうちに、王族の入場が宣言された。
入場に合わせて人が後ろに下がってくる。慌てて同じように下がろうとすると、転びそうになってその腕を誰かに掴まれた。
期待に後ろを振り返ると、そこにいたのはダランだった。
「大丈夫かい?」
「……ありがとうございます」
少し落胆した自分がいた。それはダランに失礼だと内なる声で叱咤をすると、イレイェンは礼を言って姿勢を正し、向き直る。
「エリエラが話したそうにしていた。良ければ、あちらに行こう」
「はい」
王族の入場前に急いで、人の間を縫っていくと、大窓の近くにエリエラが佇んでいた。イレイェンとダランの姿を見ると、嬉しそうに小さく手を振る姿がかわいらしく映る。
「イレイェンさま、やっとお話ができますわ」
「ごめんなさい」
イレイェンも会いたかったので素直に謝ると、エリエラはいいのですと言って笑顔を見せた。
高らかな声と共に王族が入場する。帝王の一族。霊峰タルタリラに住まう神々の加護を受け、愛される一族。その髪は、日の出とともに黄金に輝き、月の光に白銀を放ち、新月の夜には闇を抱く。
現帝王は、齢が六十近く。七人の王子と四人の王女を子に持つ大夫である。代々帝王の一族は多産で、すべて王妃の子である。ゆえに入場の列は、立派なものであった。それぞれの警護の者も含めれば、いささか行列のようだ。
「帝王陛下の御言葉である」
宣言されると、先頭にいる者から次々に膝を追っていく。漣のように腰を下ろしていくのを目にしながら、イレイェンたちもまた腰を下ろした。
「今宵は、春夏の訪れを祝う日である。秋の調べが奏でられ、冬の刃の輝きに身を凍えさせようとも、我らは春夏の訪れを雪籠のなかで祈るだろう。
我らが地、我らが山、そして我らが神に、今日という日の訪れに感謝を」
帝王に手招きされて、するりと躍り出たのは、王女のひとりであった。遠くから見て判断がつくくらいには、まだ頑是ない姫君である。シューシュと呼ばれた姫君は、新緑の衣装に薄衣をまとい、広間の中央まで来ると、竪琴の音に合わせて典雅に舞った。
「極光の姫ですわね」
「あの王女さまのこと?」
腰を折りつつ、小声で言葉を交わす。
「そうです。シューシュ第四王女殿下。極光と呼ばれるのは、その舞の美しさを褒めたたえているから。——それに、ほら」
エリエラに示された窓からは、西陽が差し込んでいた。その陽が赤く輝いているのは束の間、すうっと山の端にとけ込んでいく。そうして、シューシュ姫や帝王の髪が虹色に輝いたかと思えば、黄金から白銀へと移り変わっていく。あっという間のできごとに息をするのを忘れていると、優美な舞も終わりの静けさに変化をしていく。
「他の王族は……」
「——それは口にしてはいけない」
色に変化があったのは、帝王と極光の姫君のみだ。疑問を口にしようとすると、小さな声で、それでいて厳しいダランの声がイレイェンを諭した。
「誰もが意味するところを知っている。けど、それは言葉にしてはいけない事実なのですよ」
ダランの言葉に、イレイェンは慎重に肯いた。
つまり、今の王族に三色の変化を持つのは、帝王と第四王女しかいないのだ。それは、王族の血の薄まりを示している。そして、その権威の強さも。
ふれてはいけない話題に、イレイェンは言葉を探す。紡いだのは、感想だった。
「まるで、お伽噺の妖精みたいですね」
「まあ、どのような?」
「『ダンガンと橇』は読みませんでした? あれに出てくる木立の妖精みたいだなと思ったのです」
ダンガンと橇は、小さな頃に母から聞かされたお伽噺のひとつだ。カリカースの地に伝わる民話が基となっていると聞く。それには、主人公ダンガンを導く、可憐な妖精が登場する。
イレイェンは母に語られた時のあたたかな思い出と共に、その妖精を脳裏に浮かべていた。
「わかりましたわ! あの物語ですね。言われてみれば、たしかに極光の姫君はまさに妖精のようですわね」
舞を終えたシューシュ姫は、壇上に戻ると自分の椅子に腰掛けた。
帝王の言葉がしばらく続き、会は、今年デビュタントを果たす紳士淑女が主へと変わる。
各々の思い思いの緑に包んだ若い男女が円舞を踊る。春夏の喜びと社交界への期待を胸に。明るい曲調の円舞は舞踏会場を華やかにする。
あれほど憧れていたデビュタントの場は、イレイェンを嬉しくさせたものの、思っていたよりも強い感情を感じていない自分がいることに気が付いた。
緑の衣装はたしかに美しい。二年前、この場で踊ることができたら、という気持ちがあるのもたしかだ。少なくともイレイェンは、エリエラと初めて出会った時には、そう強く思っていた。
けれど、今、胸に浮かぶのは、あの日。春の訪れを祝うマルヌーシュでの夜会。初めて、クラエスと踊り、デビュタントの代わりに踊った時のことだ。
思い出せば、胸がぎゅうっと苦しくなった。さきほどまでの貴婦人たちとのやり取りや、カルメル候と話してからのクラエスの表情を思い出すと、侘しい思いが去来するのであった。
貴婦人たちが自分に群がってきた時に、とても嬉しい気持ちと同時に、湧き立ったのは静かな悲しみだった。
クラエスの宣伝は功を奏したのだ。なのに、それを喜ぶことができない。それは、イレイェンが勝手に抱いていた期待が崩れたあとの残骸であった。
エリエラやダランに花を摘みに行くと言って断りを入れると、どうしようもなくなって、イレイェンは舞踏会場を出た。




