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双子公女の隠し事  作者: 稿 累華
第三章:夏の祝祭

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15/71

3−3

 金や黒、まれに銀のなかから、ひとつだけの金を見つけ出すのは苦労するだろうと思えたが、エリエラとはすぐに会うことができた。彼女がイレイェンのことを探していたことは一目瞭然で、きょろきょろとしている姿に駆け寄ると、イレイェンはすぐに頭を下げた。


「エリエラさま、ごめんなさい。ちゃんと待っていなくてすみません」


「まあ。お気になさらないで」


 それよりも、とまったく意に介さない様子で話題を変えようとするエリエラに、当惑する。今し方まで、嫌われることを気にしていたことがばかばかしく思えるほど、エリエラはあっけらからんとしていた。毒気を抜かれたイレイェンは、兄です、と紹介を受けた人物にすぐに反応できなかった。


 癖のない髪、細身の体は、あのタルーシャ子爵の息子のようには見えない。けれど、人好きのする笑みや青い瞳はまさに子爵そのもので、エリエラともそっくりであった。


「お初にお目にかかります、ダランと申します」


「はじめまして、ダランさま。イレイェンと申します」


 紳士の礼に、淑女の礼を返す。顔を上げた先に、目尻を下げたダランがいた。


「いつも妹と手紙をやり取りしていただいているようで、ありがとうございます。初めてお会いした時には、失礼をしたようで……こんな妹ですが、今後も親しくしていただけると、ありがたいです」


「お兄さま」


 エリエラが抗議の声をあげると、ダランは、はいはいと言って手をひらひらとさせた。


 短い応酬から、兄妹仲の良さがわかり、屋敷で待つソーニャを思い浮かべる。


 双子の妹。今、何をしているのだろうか。父が王立図書館から借りてきた本を読んでいるのだろうか。それとも、すでに床についているのか。いずれにしろ、目の前にいない彼女の行動を知ることはできない。


 頭のなかで首を振って切り替えると、イレイェンはダランに尋ねた。


「ダランさまは、領地運営がお好きと聞きました。その……、領地運営とは何をすることなのでしょう?」


 イレイェンの問いにダランとエリエラは顔を見合わせると、目をしばたいた。二の句が継げずにいる様子に、胸骨がじくじくと痛みを訴える。無知な問いをしている自覚はあった。貴族の娘として、知っていなければならないことを知らないことを。


 逃げ出したくなってしまう衝動をおさえて、イレイェンはか細い声で、付け加える。


「……お恥ずかしい限りなのですが」


 ふたりの目を見ていられずに、視線を下ろした。今度こそ、あきれられてしまっただろうか、と。


 けれど返ってきた声は、明るいものであった。


「イレイェンさまって、勉強熱心なんですねえ」


「うん、お前とは大違いだな」


 聞き間違いではないかと思っていると、兄妹のやりとりが再び繰り返される。杞憂だったと気が付いて、肩や腕に入っていた力がほどけていく。痛んでいた胸が、火にくべた石を懐に入れたかのように、あたたかさを生んでじんわりと広がる。


 無性に泣きたくなって、目の奥からあふれそうになるものを堪えた。自分が何を感じているのか捉えるのは難しかった。ただ、荷駄から解き放たれたような心地と、この兄妹に強い好感を持ったことだけ、捉えることができた。


「それで、領地運営のことでしたね」


 ひと通り妹をからかい終えてから、ダランは取り直した。


「これは土地にもよるのですが、大まかにいえば、領地運営とは、家屋の管理とそれに伴う租税の管理、加えて裁判です」


「領民に貸している家屋、ということですよね? その賃料の中に租税が含まれているから管理しているようなものだと、父から聞いたことがありますけど、裁判は……?」


 給仕係がイレイェンたちのもとに寄って、麦酒とタルスを渡す。イレイェンとエリエラはタルスを、ダランは麦酒をそれぞれもらう。これとて、領民からの租税の一種だ。


「裁判も同じです。数代前の帝王陛下の御代に、とある領で、領民同士のもめごとが起こりました。そのもめごとが家屋に関することだったことから、領主が沙汰した。これが、裁判の始まりです」


 知らなかったわ、というエリエラの呑気な声に、ダランがやんわりと睨む。その様子にくすくすとしながら、イレイェンは首をかしげた。


「家屋の管理と裁判。わかったのですけど、父が裁判をしているところなんて、見たことがありません。ふつう裁判というのは、集会場のようなところでやるものではないのですか? この十年、父はほとんど屋敷にこもりっぱなしでしたよ」


 イレイェンの疑問に、ダランが唸る。口元を隠して、ぶつぶつとつぶやく内容は感心を示していた。


「それは、リリエーシュ伯が領主として優れているのです。さすがとしか言いようがありません」


「さすがってどういうことなの、お兄さま?」


 エリエラの杯は、短い間に底を見せていた。彼女の頬はほんのりと色を乗せているが、酔っている様子はあまり見られない。


「裁判にならないんだ」


「裁判にならない……?」


「おそらくそうならないような法を整備しているのだと思います。家屋に関する取り決めをあらかじめ敷くことによって、問題が起きた時に領民同士で対処できるようになっているのでしょう。いやはや、さすが稀代の才腕でいらっしゃいますね。ぜひタルーシャにもお力添え願いたいところです」


 言うと、そのまま考え込んでしまう。ダランは領地運営を心底楽しんでいるのだろう。何やら真剣な顔で、虚空を睨んでいる様子は、それ以上の質問を受け付けていなかった。


 多くを知ることはできなかったが、裁判の始まりを知ることができたのは、イレイェンにとって良点だった。ひとつ知ることで、ひとつ世界の広がりを感じる。聞くだけで満足せず、のちほど調べてみようと心に留める。


 気にかかったのは、父キャンスのことだ。ダラン曰く、領主として優れているとのことだったが、思い浮かべる父の姿と人々から聞く姿は異なる。最近、忙しくしている様から、その片鱗を感じることはできるが、腑に落ちるほどでもない。いったい何がと巡らせて、ふいに母の影が伸びてくる。伸びた影がイレイェンにまとわりつき、次いで思い浮かべた父の姿に巻きついたかと思えば、影のなかに溶ける。


 母の死が、父を変えたのだ。


 それでも、今の父は、ダランの語る父の姿を垣間見せる。今何を思い考えているのか聞かなければならない、とイレイェンは固く決める。


 そのうちに、潮騒(しおさい)のようなざわめきが、イレイェンとエリエラの足元を濡らした。エリエラと見交わすと、ダランを尻目に、汀へと足を向けた。


 人々が噂をするのは、舞踏の間であった。屋敷の中でも広いその場所からは、軽快な円舞曲が音を弾ませているが、注目が集まるのは、一組の男女であった。


 男は、銀の髪に紺の衣装。女は、金の髪に真紅の衣装。


 クラエスと、そしてもうひとりは、マルヌーシュの屋敷で視線を合わせた人物だった。


 巻き髪は、金細工にも劣らぬ光を豪奢にたたえ、翠の瞳が宝石のごとく輝く。平均的な女性よりも身の丈は高いだろう。その肢体はすらりとしていて、けれど豊かな胸に、思わずイレイェンは自分の胸元を覗いた。


 あれは誰だろうという疑問に答えたのは、周囲の口さがない貴婦人たちであった。


 メルニー伯、と。


 さきほど、クラエスから聞いた人物の名前であった。


 丈夫を想像していたイレイェンは、目を丸くする。メルニー伯が女であることをこの時初めて知ったのであった。


「シェレーヌさまって、ほんとうにきれいだわあ」


 うっとりと吐息をもらすエリエラに、イレイェンは小声で訊いた。


「シェレーヌさまって、メルニー伯のこと?」


「そうですわ! 次期リュメール公ことシェレーヌ・ルタナリスさま。リュメールの金の姫君とも呼ばれる美貌は、社交界に登場されて以来、かの姫君の夫の座を誰が射止めるのか、注目の的なのです。もちろん、ただ美しいだけが、あの方の良さではありません。武術にも学術にも秀で、剣や槍の師範を唸らせたあくる日には、農学で論文を投稿し、象牙の塔も黙らせるほど。まさに、人の上に立つために生まれてきた方なのです!」


 いつになく饒舌なエリエラは、わずかな瑕瑾(かきん)もないと言わんばかりに締めくくり、語り終えた姿は酒の影響もあるのだろう、上気していた。


 たじろぎつつ相槌を打つと、気を良くしたエリエラはさらに滔々と喋りはじめた。


「そして、そのシェレーヌさまの婚約者候補として、もっぱら噂されるのが、今まさに踊っていらっしゃるサロワ伯なのです! お小さい頃から神童と言われた頭脳は言わずもがな。武芸もたしなみ、今や稀となった魔術の才もあり、シェレーヌさまと並び立つのにふさわしい方なのです!」


 エリエラは一気にまくしたてると、呼吸を思い出したかのように、息を吸い込んで吐き出した。その間もシェレーヌとクラエスの円舞は続いていた。


 イレイェンが見やると、たしかに金銀の色彩は美しく、絵になる姿だ。曲と共に、灯燭の光を反射する髪の色は一体となって渦を描くかのごとく。噂に囁かれるのもわかった。


「もし、ふたりが結婚すれば、リュメールとマルヌーシュの確執を取り除くこともできるものね……」


 つぶやきは小さく、隣にいるエリエラに拾われることはない。視界が(まだら)になるような気がしながらも、己の胸中には疑問が浮かぶ。


 双方の後継者同士が婚姻関係を結ぶなんてことがあるのだろうか。結婚しながら、お互いの委任領を統べるのは、現実的に考えて無理だろう。とするならば、どちらかが次期領主の座を降りるしかない。だが、果たして、どちらも才を謳われる人物。たやすくその座を退くだろうか。少なくとも、イレイェンの知るクラエスという人物は、次期領主という地位を捨てるような人間ではないように思えた。ほんの数回、話したことがあるだけだが、イレイェンはその印象から確信を持っていた。


 そう考えると、人々の間で伝わっている事柄はあくまでも噂の域を脱しない。同時に安堵している自分に、イレイェンは未だ気づいていなかった。

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