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心の彼岸

作者: ひすいゆめ

メビウスの欠片の完全な続きの話です。

再び現れる生ける人形。前回の関係者が人形の事件の真相を自主出版しています。これも、同時期なので、結構、頻繁に執筆していたのかと過去の自分を関心しています。

                        信じること


 彼は古びた日記を掴んで公園のベンチに座っていた。夕日を眺めながら金木犀の香りに心を寄せる。郷愁に近い感覚が彼の心を揺り動かした。地面に視線を落す。四角い跡が黒土の地面にくっきりと型を残している。

 彼の名は月代連牙つきしろれんがという。大学を中退して神奈川で運送業をしていたが最近埼玉で警備員をしている。それも行き詰まっていた。

 彼は仕事は一生懸命で真面目だが要領が悪く腕も良くない。失敗の連続ででも、問題はなんとかなっていた。さまざまな人のフォローがあった。

 彼はどの仕事も合っていないのだ。

「あいつは真面目だけど危なっかしいんだよな」

 そんな声を聞くことがあった。

 彼は良く落ちこんだときは家から5分の公園に良く来ていた。郷愁を求めている訳ではないが昔仲良かった親友との想い出に心を馳せていた。数年前に自動車の運転中に電信柱に衝突して命を失った昔からの大の親友、葉月涼はづきりょうのことを思い出している。


 とても優しい自分よりも人を優先する人であった。極端に自虐的で鬱ぎみであったが誰よりも人間的であった。しかし、その分心が極端に弱かったが。

 ガサツで腕っ節の強い連牙とは正反対の性格であるが何故かいつも一緒でうまが合っていた。それは単に涼の資質のおかげであったのかもしれない。柔道、合気道に長けた連牙はその存在が涼の心の依存出来る存在になっていたのかもしれない。

 彼は賢明だった。思考に富んでいて(考え過ぎる性質が彼の心を弱くしていたのかもしれない)推理、クイズ、なぞなぞ等はお手のものだった。第6感も人より多く持っていた。ジグソーパズルをかなり早く完成させることが出来た。

 その彼と中学で知り合った探偵事務所に勤める父を持つ夏目火脚なつめひあしと3人でいつしか探偵のまねごとをするようになった。


 最も賢明で父の仕事が探偵である火脚の影響を受けていたからであるのは明白である。火脚は大学卒業後に念願のイギリス留学していって今は何をしているかは定かではない。やけに大人びて無口な火脚は何事にも動じないタイプであった。涼とともに『紳士』といった風各を持っていた。品位さえ感じられ、涼にかなり思い入れがあった。否、涼は全ての人々の心を惹き付ける何かがあったのだが。

 他尊自卑な性質は人に嫌な気を起こさせないと言うのも当然と言えば当然であるが、人を惹きつけるのはそれだけが原因ではなかったのかもしれない。

 不思議な雰囲気、変な性質、彼には他の人にない何かを持っていた。今となってはそれが何であるかは知る良しもないのだが。

 彼はその涼に力を貸して欲しいと思いながら、彼の叔父の日記帳に視線を落した。これには信じ難い内容が綴られていた。

 意味すら解明することは困難である。まぁ、もともと連牙は賢明なタイプではなかったのだが。


 足元の地面に残った四角い跡を足でなぞりながら青い無地の本をそっと膝に置いて溜息をついた。すると、連牙を小柄な影が包んだ。

 「アウトリガーだね。」

 ふと気付くと背後に愛らしい少女が立っていた。12,3歳くらいだろうか。連牙はその人物をすぐに記憶の引出しから見つけることはできなかった。

 「アリガトウ?」

 「それってギャグ?寒いぞぉ」

 セミロングの髪をかきあげた色白の女性は連牙の隣りに腰をかけた。快い香りが漂ってきて彼の鼻についた。今フランスで流行りの香水である。まだ日本では普及していないがそんなことも無頓着な連牙に思いつくことはなかった。

 精一杯目に余るくらいの背伸びをすることは身なり持ち物から明かな彼女は軽く微笑んで話を進める。

 「本当に知らないんだぁ。アウトリガーはトラッククレーンやユニックとかのクレーン車がひっくり返らないために地面を支える足のこと。ここで、何があったのかな。特に工事していた感じじゃないのにね」

 連牙は訝しげにその女性を一瞥した。

 「新手の逆ナンか?まぁ、俺くらい魅力的な男が一人でいたら声をかけない女の子の方がおかしいからな。でも、生憎俺はロリコンじゃないんで」

 「言うねぇ。自意識過剰もここまで来れば立派立派」

 シャネルのハンドバッグからある封筒を取り出した。そして、おもむろに意味ありげな視線を投げかけながら軽く摘んで差し出した。ミュールのサンダルからネイルアートが鮮やかな足の指が並んでいる。それが示しているアウトリガーの跡は何かこれからの悪夢の運命の痕跡を意味しているかのように思えてならなかった。

 歪められた運命のトリガーは今引かれた。大いなる流れは再びうねりを上げる。

 ―――メビウスの形をした奇妙な運命が。


 連牙は粗暴にそれを受け取る。宛名は『葉月要』と書かれていた。

 葉月?連牙は疑問を抱くが気にしないことにした。

 几帳面に綺麗に開けられた封筒からパステルピンクの手紙を取り出した。それには驚愕なる内容が書かれていた。連牙は女性に構わず一時一句噛み締めるように読み始める。

 『突然のお手紙をお許し下さい。僕は葉月涼さんの知り合いの新堂宿命しんどうさだめと言います。ある事件が僕の周りで沢山起こり始めているんです。どうか、お力をお貸し下さい。涼さんの従姉妹の要さんなら賢明に解決の糸口を探り当ててくれると思います。』


 内容は次のようなことを語っていた。ある埼玉の町でおかしな事件が立て続けに起こっているそうだ。宿命の友人がまず謎の失踪をしたそうだ。次に従兄弟が謎の死を遂げて今度は高校の担任の先生が大怪我をしてしまった。そして、おかしなEメールが届いたそうだ。

 『私は貴方の味方。貴方の邪魔な存在を排除していってあげる。』

 まるで、身の回りの事件の全てが自分の原因と言いたげのように。もちろん、宛名は不明だった。

 連牙は読み終えると顔を上げて奇声を上げた。

 「お前はあのチビ要なのか?」

 彼女は悪戯っ子のように頷いた。彼女は葉月涼の従姉妹の葉月要はづきかなめであった。連牙が見分けがつかないのも無理はなかった。彼が最後に彼女に会ったのは彼女がまだ若干6歳の頃であった。まだ、涼にべったりでいつもついていって涼、涼と言っていた要。彼の死は彼女にとってもとてつもなく大きなものであった。病気になって寝込む程の出来事であった。


 連牙を見つけた要は話かけてきたのだ。彼は面影があったし独特のぼさぼさ頭と体格の良い大きな身体は彼女には思い出す時間をそうとらさなかった。

 連牙も日記を見せて話を始めた。

 「あいつの死は大きかったな。…俺もやっかいな事件に巻き込まれてるんだ。俺の世話になった叔父さんが死んだんだ。いわゆる変死って奴だ。その鍵がこの日記に隠されているんだ。」

 その本を開けて中間ぐらいのしおりの挟んであるところを開ける。

 『8月3日  

 神田の古本屋である本を見つけた。『ソウルブレイカー』と書かれたイギリスの古書である。その内容は驚愕すべきものであった。黒魔術により悪魔の人形を作り出すといったものである。全ては文語の古い英語であるために翻訳、解読は困難なものであった。』

 『SOUL BREAKER』

 奇妙な本。しかし、連牙の叔父の死後にその本を見つけることはできなかった。一体どこへ行ったのだろうか。

 「奇妙な悪魔の人形。みんな信じなくてさ。別に信じろとはいはないけど、経験して見ろって言うんだよ。辛さを味わって見ろって言うんだ。信じないのは自由だけど否定したり、経験者の話しを軽く見たり勝手な解釈したり馬鹿にしたりはしないで欲しいよな。頭がおかしいだと?精神的に来てる?だったら自分が経験出来るような環境にいろっていうんだよ」


 要は少し唖然として連牙に視線を送った。

 「・・・不思議な経験をしたの?」

 「叔父貴の家に人形があってさ。陶器でできた女の子の人形でさ。それが怪現象を起してさ。何回も起こるから気味悪くて叔父貴の庭で粉々に割ったよ。今思えば、あれもその悪魔の人形だったのかもな」

 「どんなことがあったの?」

 「その人形のある部屋から誰もいないのに話し声がしたり、その部屋にあるものが動いたり、物音がしたりな。他にその現象の原因になるものはなかった。頭っから霊とか悪魔の人形とかのせいにすることは危険だし、一応そういう先入観は捨てて判断したんだけどな」

 日記帳の次のページを開いた。

 『8月4日  

 ソウルブレイカーを解読してから、また、神田に来てみた。そこで、ある骨董品店を見つけた。一見普通の住宅のようであり、看板の出ていないところなので最初はわからなかった。そこには沢山の人形が売っていた。老店主の話ではイギリスに古くから伝わるラックドールと言う人形であるそうだ。何十年も

 前に宮廷人形作家のアラン・スチュワートと言う人物が作ったらしい。そのラックドールを一つ買って行くことにした。』

 それから、ページをとばして要に見せていく。

 『9月12日

 人形が私に話かけて来た。夢ではない。言葉のあやでもない。実際に話かけて来たのだ。彼女が言うには私を救ってくれると言う話である。私は彼女に不思議な悪魔の人形について訊いた。彼女は自分達が何者だか理解していないようであった。

 願いを叶えてくれると言う彼女には何か危機を感じ何も願わなかった。』

 『9月25日

 私は一人の少年に出会う。翡翠翔ひすいしょうという名でかなり大人びている小学生である。彼は不思議な力を持っていた。その中の一つ、ヴィジョンにより自らの知らぬものまで見通すことができた。私が人形について探っていることも人形達のことですらも知り得たのだ。

 彼いわく、悪魔の人形は人の淡い願いを叶え人をたぶらかしその魂を破壊するらしい。難しい言葉を使うと彼等は『ロー』の下僕しもべらしい。『混沌カオス』に属する人間を無に帰すのが目的らしい。否、彼等の本能と言った方がいいのかもしれない。

 彼の話はまだあった。実に興味深いものである。人形は「悪魔」、「天使」の種があり、現在活動しているのは悪魔の方らしい。この辺は私の理解を越えていてよくわからないのだが。彼等の力は『夢の力』で私は『夢の力に打ち勝つ能力』を持っているらしい。たまたま人間の中にそう言う能力をもつ者が生まれるらしい。

 私に私達と対峙する小さな悪魔達に立ち向かう手伝いをして欲しいと言った。私は半ば好奇心も手伝い手を貸すことにした。』

 『10月11日

 とうとう彼等の本体を突き止めた。彼等は複数いるのだが本体と呼ばれる者が全てを操り統括しているらしい。彼を倒せば全ては終わるのだ。…(中略)…しかし、私一人の力ではどうすることも出来ずに明日出直すことにした。』

 『10月12日

 今日全ての終焉を迎えるだろう。これから――――。』

 ここで日記は終わっている。最後のページは小さく破られていて血糊がべっとりとこびり付いていた。


 これは何を意味しているのだろうか。連牙の叔父の死後、人形が動いていたところを見ると彼は小さな悪魔を殲滅するのに失敗したに違いない。彼は人形に葬られたのだ。とても信じがたい事実であるが。

 連牙は日記をゆっくり閉じながら要に呟いた。

 「叔父貴は小説を書いたのかなぁ。」

 それは明らかに自らを納得させることのできない答えであった。

 「信じる信じないは自由じゃない。その事実を解きたいのなら、翡翠っていう人に会えばいいのよ。今はこっちの手紙の方を考えましょう。」

 要はそう言って夕日に顔を向けて目を細めた。


 大いなる流れの雰囲気の気のリズムにのろうとしている者がいた。名前は翡翠翔ひすいしょうと言う。針山のような髪に三白眼の痩躯の青年である。

 彼は無人の廃墟の1室で鎧戸から漏れる温かな木漏れ日を浴びている。冬になりかけだというのに陽の光がこれほどまでに温もりを与えてくれるものだろうか。埃が舞う影も同時にはっきりと写し出してはいるのだが。

 翔の前の古びた机の上にはオルゴールが置いてある。それは不思議なほど涼しい、そして心を打つほど綺麗で少し寂しい音色を奏でている。

 隙間風の冬の空気を胸一杯に吸い込む。郷愁に近い心地が鼻から全身に広がった。

 隣りの木製の本棚の上にはレコードプレーヤーがありぷつぷつという音とともに独特の掠れたようなほっとする懐かしい快い音楽が流れている。今まで聞いたことのない曲である。

 彼はいつ頃からこの廃墟にいるのだろうか。どす黒い赤のテーブルワインの入ったグラスを傾けながら翔は微笑んだ。

 ―――全ては終わったのだ。小さな悪魔はもういない。


 彼は部屋から出ると不気味な廊下を歩く。ぎしぎしと鈍い音が響く。廊下の窓は全て鎧戸が閉められている。透き間から差しこむ日差しだけが頼りである。柱時計の時を刻む音だけがこの静寂な空間に鳴り響いている。埃が舞う通路を歩き豪華な階段を下りる。

 リビングに入る。印象派の模写が数多く白亜の壁に掛かっている。セザンヌ、ルノワール、モネ。その他にも数多くの絵画が所狭しと肩を寄せ合っている。  

 奥に暖炉があり、その前に安楽椅子が独りでに揺れていた。それには不気味なミイラが腰をかけて、けして目覚めることのない深い眠りについている。その憐れな姿を見つめて溜め息をついた。かつての小さな悪魔の作り手。その変わり果てた姿は悲哀を感じさせる。

 心を壊して逝った老人。全ては過ぎた過去にある。自分の息子を自殺と言う形で失ったのだ。自己嫌悪の上で自らに失望し自らを憎み自らを殺したのだ。 

 その事実を突き付けられて現実逃避、幻想へと逃げ込み心を保護した。息子は死んでなどいないのだと。しばらくは存在しない息子と平安に暮していた。 しかし、ある人達にその事実を無理やり心に刻み込まれて心が真実に耐えられずに魂とともに破壊されたのだ。

 そんな人形作家の変わり果てた姿を見ながら翔は思った。


 もう、悪魔の本は両方とも存在しない。この世にあの忌むべき小さな悪魔は生まれ出ることはないのだ。哀れな仮初めの命。彼は小さな人形達の夢の力に打ち勝つ能力を抱く者達と戦い彼等を消滅された。その際に残念にも犠牲を払ったが。

 その時刹那、彼の網膜にヴィジョンが映った。多くの人が邪悪な力によって災いに見まわれる姿である。

 ―――何故。彼等はもう残っていないはず。

 信じていた平和は音を立てて崩れていった。信じ難い運命がこれから流れ始める。

 全ては歪められた運命のままに・・・。

 翡翠翔は立ち上がると禍禍しい雰囲気の立ち込める屋敷を後にした。



                   絶望の瞳孔


 新堂宿命は大学から帰って来る。彼は大学が遠いために学校の近くのアパートに独り暮しをしていた。階段の横の2階の部屋。白いドアの鍵穴に鍵を差しこんでふと体を硬直させた。鍵が開いている。鍵穴を覗くとピッキングで引っ掻かれた跡が見える。それもまだ新しい。

 恐る恐るドアノヴを握ってゆっくり回す。中年の男性の独特の体臭が鼻についた。誰かが侵入しているのは間違いない。狭い廊下を忍び足で進むと見慣れた姿がテレビを見ていた。

 「春日さん?」

 寝そべっていた男性は眠そうな目を擦ってゆっくり置き上がりこちらに顔を向けた。頬杖していた頬には手の跡がくっきりと付いている。

 彼は春日洋介かすがようすけという宿命の義理の父である。彼は7年前に血の繋がった実の父親を亡くしていた。洋介は3年前に母と再婚したのだ。もともと宿命の小学校の先生で担任ではなかったが仲が良かった。

 「なんでピッキングまで使って不法侵入してるんですか」

 彼の苗字は母親の配慮で新堂のままであった。洋介は唸って一言呟いた。

 「折角会いに来たのに開いてないんだからなぁ。お前、人形持ってないか?」

 その質問が何を意味しているのか、この時の宿命にはわからなかった。

 「お前の周りで不可解な事件が続いているだろう。俺なりに調べたんだがどうやらその事件に共通点があることに気付いたんだ」

 「まぁた、訳のわからないことを…。でも、一応訊きましょう。訊いて欲しいんですよね。」

 洋介は目を輝かせてテーブルに肘をついて話し始めた。

 「お前の友人の魁兎かいと君は母親の話だと彼女に小さな人形をもらってから様子がおかしくなったらしい。そして、案の定失踪してしまった。理由は他に考えられない。次にお前の従兄弟だが、やっぱり人形を買ってからすぐに亡くなったらしい。これはポプリ人形だな。普通は北海道の土産だと思うだろ。でも、違うらしい。そして、担任の先生は娘に買ったぬいぐるみの人形を持ったまま交通事故にあったそうだ。どう思う?」

 「どう思うって…。良く調べましたね。で、誰の依頼ですか?探偵の春日さんがただで事件を調べるはずがないですからね。」

 洋介は現在は教師を退き探偵事務所を開いていた。特に理由はなかったが、怠惰な性質で単純な思考から探偵を簡単なものと勘違いしたに違いなかった。

 すると、彼は頭を掻いて口をわざとらしく尖らせた。

 「そいつは心害だなぁ。好奇心だ」

 宿命は呆れる気持ちさえ失せてただ溜息をついて洋介の隣りに腰を下ろした。別に仲が悪い訳ではなかったが宿命は一線を引いていた。洋介の方は楽天的で単純で人懐っこい性格なのでそんなに深く考えていなかった。

 「とにかくやっかいごとだけは勘弁して下さいね」

 「なんだかなぁ。この事件は俺に任せろ。大船に乗った気でいてくれ」

 「泥舟の間違いでしょ。はいはい」


 彼は洋介をほっておいてテレビに見入った。洋介は一瞥して意味ありげに微笑み自分で買って来たスポーツ新聞に目をやった。そこである記事に目をやり重たい腰を上げた。

 「俺、帰るわ」

 「どうしたんですか?」

 「ちょいと野暮用を思い出してな。また来るから寂しがるな」

 「誰も寂しがってないですよ。別に来て欲しいとも思ってないし家宅侵入してる春日さんに言われたくないですね。まぁ、気をつけて帰って下さいね」

 洋介は後ろ手に手を振って帰っていった。テーブルに残された新聞の開いてある記事に宿命は目を留めた。

 それは書籍紹介のコーナーであった。いかにも洋介らしからぬ場所である。そこにはある興味の惹かれる題名があった。


 『哀夢~生ける人形の悲劇~』

 今回の人形が共通する事件とは関係はないだろう。しかし、洋介は尊敬に値するくらい妙に野生の勘がさえている。もしかしたら…。

 その書物の作者を案じつつも今は何も考えないようにした。これまでの悲劇で彼の心は疲れ切っていた。



 枯山水の庭が広がる静寂の空間。厳かな雰囲気が、そして不思議に重く力強い気を感じさせる神秘的な世界。ここは古くから伝わる由緒正しき寺院である。

 周りの閑静な新興住宅地ができるまでは地元で丁重に崇められて来た。現在では何かのセレモニーがないと忘れ去られてしまうほどになっていた。

 そこに一人の青年が来ていた。翡翠翔である。彼は碌に大学に行っていない。それでも出席は代返を頼み、試験は過去問題の丸暗記で何とか難を逃れていた。講義も必要最小限のものしかとっていない。そのために必修科目を一度落しかけた時は本気で就職先を考えたものだった。彼は留年出来るほど金銭的に余裕はなかった。

 彼はその間、ただ遊び歩いていた訳ではない。小さな悪魔達を相手にしていたのだ。悪魔の人形。哀れな仮初めの命。イギリスの宮廷人形作家、アラン・スチュワートが黒魔術の研究により産み出したもの。今となっては彼が何故そんなものを作り出したかは定かではない。自分の人形作家としての可能性を試したかったのか、人間社会を見限って人間を恐怖と滅亡に追いやりたかったのか、あるいは人形作家というプライドから来たものなのか。もしかしたら、ただ自分の産み出した子供と同様な存在の人形に魂を入れるために黒魔術を使い、それがたまたま悪魔と言うべき存在であったのか。いずれにしても推測の域を脱することは叶わなかった。

 その子孫が日本に移り住み東北の片田舎で田畑に囲まれた大きな屋敷に暮していた。彼は代々伝わる2冊の悪魔の本を手にしていた。彼もまた人形作家でありいつしかその本の紐を解いて禁断の人形を作り始めた。もっとも彼自身には悪魔を生み出すという自覚はなかったのだが。

 そこから悪魔達は放たれ大波乱の結果人形の夢の力に打ち勝つ者達と翔の力により彼らを消し去ることに成功したのだった。味方であった仲間の人形もろとも…。

 寺院の中で彼は瞳を閉じて集中していた。静かで重い気が満ちていく。翔の体は次第に熱を帯びていった。神秘的な力を肺一杯に吸い込んで気合を入れるとその場を後にした。


 近くの書店にふと気を惹かれて中に入って行った。それは何か見えない力に導かれたのかもしれない。たくさん本の並ぶ店頭にある本があった。それは驚愕すべきものであり、すぐに手にしない訳にはいかなかった。

 その内容は翔達が人形達と奮闘した出来事と同じ内容の本が出版されていた。驚きとともに苛立ちが湧いてくる。読者はフィクションだと思うだろう。こんな奇抜なこと、事実と誰が気付くことができるだろうか。

 本屋でそれを手にしていると背後から肩を叩くものがいた。それは彼の知人で、同じ大学の文学科のであり翔も大学の近くのアパートに暮していたためにしばしば近所で会うことがあった。

 その友人の名前は春日井光喜かすがいこうきという。翔が唯一接する人間である。彼は人間嫌いという訳ではないが人と接することを極端に避けた。彼が人に対して冷たいように見えるのはそのためである。自分が接することで人に悪影響を与えてしまうと思い込んでいるのである。

 人を傷付けたりすることを耐えられない性質がそうさせたのだ。

 「その本に目をつけたんだね。君の言ってた悪魔の人形だろう?」

 「ああ」

 「そういえば、スチュワート氏の屋敷で調べものをしていたんでしょ。何か発見出来た?」

 「まぁな」

 「何が見つかったの?」

 「人形が作られた作業部屋に最近誰かが侵入した形跡があった」

 「また、悪夢が始まるんだね」

 「とにかく阻止しないとな。誰が何の目的で悪魔を作ったか。悪魔の本の消滅した今、どうやって作ったのか」

 「そうだ。僕に変なメールが来たんだ。何でも僕のために何でもしてくれるって」

 「ちょっとそれ見せろ」

 光喜は首を傾げたがゆっくり頷いた。その内容をぺらぺらと捲りながら翔はある言葉に視線を止めた。467ページである。

 『味方である蝋人形は天使の人形によって消滅を逃れることができた。彼が身をかけて放った衝撃波は悪魔の人形を倒したとともにその人形を逃し、夢の力に打ち勝つ者達には彼女も蒸発してしまって話して天に帰っていった』

 ―――人形は全て無に帰したわけではなかったのだ。

 しかし、何故この作者は誰も知り得ない事実まで知っているのだろうか。他の内容が真実だけにこれもフィクションと言い切ることができない。作者の名前を見る。


 『春日真治かすがしんじ

 かつての小さな悪魔を殲滅した夢の力に打ち勝つ者達の一人であり、一番事件に関わっていてより近い人物である。この本の全てを知っててもおかしくはない。しかし、蝋人形の味方、『あおい』の生存を知っているのが腑に落ちない。それが事実であれば、の話であるが。しかも、この事実を世に示した意図も不明である。とにかく、彼に会う必要がある。

 「お前の家でその妙なメールを見たらすぐに行く場所がある。そのメールの相手にコンタクトをとってくれないか」

 「いいけど。…いつも翡翠君は単独行動だね。わかった」

 彼らは光喜の住むアパートに向かった。彼のアパートは3年前に建てられた新しいものであった。大学から10分の場所にあり10部屋の2階建てである。2階のすぐに彼の部屋があった。


 開けるとトイレとユニットバスが別々にあり、キッチンと冷蔵庫、洗濯機置き場が間にある。その洗濯機置き場の隣りに半畳の脱衣所がある。細い物入れが冷蔵庫置きの隣りに立っている。一番奥には大きく部屋が広がっていた。悪くない間取りである。冷蔵庫の上には電子レンジがあり、その上に2人分のかわいいティーメーカーとプラスティックの茶色いちいさなコーヒーメーカーがちょこんと置いてあった。ガスレンジの上には青く丸い愛らしい音の鳴るポットがのっている。彼の家には食器がやけに多かった。

 流しには訪問販売で買った本格的な浄水器がどうどうと座っている。光喜は小さなティーメーカーに電気ポットからお湯を入れてストロベリーフレーバーを作った。部屋の真中にあるテーブルとして使っている布団のない炬燵の上にティーカップが並ぶ。


 彼の家は男性の一人暮しと思えなかった。甘い香りが部屋中に立ち込める。比較的綺麗に片付いた部屋は女性の部屋と間違えそうになる。周りのかわいいぬいぐるみやちょこんと足を揃えて行儀よく座ったポプリ人形、くまの楽器を持ったオルゴール等がそれをさらに感じさせた。淡いスカイブルーのカーテンがかろうじて男性のそれと気付かせてくれる。

 基本的に光喜は愛らしいものを好んでいた。感覚的にも女性的な部分がある光喜を翔はときどき避ける傾向があった。別にホモセクシャルではないのだが彼のその傾向は翔の男性的な性質と正反対なものがあり、何故2人が友人であるのかが不思議である。

 気の優しい、不思議な雰囲気のほんわかな光喜ならではのなせる業なのかもしれない。脱衣所のくまの柄と部屋のチューリップの柄のカーテンが翔の気分を害したが無理に気にしないように努めた。

 ノートパソコンを取り出してテーブルに置いた。1年前の秋に買った新古品でかなりお買い得な物であった。それにモジュラージャックをつなげた。立ち上げてネットにアクセスすると最近のメールを見る。


 『00/10/02 Aoi@○○.com   題名なし』

 クリックして開いて見ると光喜の言う通りの内容が並んでいた。

 「ウィルスかもしれないのによく開いたな」

 「まぁね。そのときは大丈夫な気がしたんだ」


  何故、光喜の望みを叶えると言うのだろうか。『あおい』というメールの名前が気になった。未だ生き残る悪魔の人形の仲間のあの葵の仕業なのだろうか。人々が悲劇に見舞われるヴィジョンはこのことを意味しているのだろうか。

 翔は紅茶を一気に飲み干すとすぐに出ていった。光喜は視線で見送るとモニターを眺めた。

 『私は心弱きものの味方。貴方の望む通りに願いを叶えよう』

 光喜は思った。翔の話しだと人形は心弱きものを感知することができるらしい。それは心弱きものの方が夢の力に感化されやすく宿りやすいからだそうだ。

 彼に言われた通りにメールの相手に返信を送ることにした。


 

 要から手紙を預かった連牙は宿命のいるアパートに訪れることにした。彼はすぐに理解して部屋に招き入れた。葉月涼、夏目火脚、月代連牙のトリオはかつていろいろな事件を解いていたのだ。涼の賢明さを知っている者が連牙の存在を知らないはずがなかった。

 連牙に今まであったことを話して、この事件を調べている義父が新聞の内容を見て出て行ったことも話した。

 連牙はいかにもと言った感じに深く頷いた。

 「とりあえず、メールは手紙で書いてあることだけだったんだな」

 「そうです」

 「とりあえず、俺はその本の作者を調べて見る。後は任せとけ」

 一通りの状況を飲み込むと連牙はそのまま早々と出て行った。残された宿命はただこれからの運命を祈るしかなかった。


 

 コスモスが心を撫でるように咲き広がっている写真が花柄の壁紙の壁に掛かっている。春に行った那須旅行で見た早過ぎるコスモスやそこにある自然に心打たれたことを思い出す。大事な親友達と行った楽しい想い出。温泉や牧場にも行ったことは忘れることはできない。今も網膜に焼きついている。

 あれからメールが帰ってきて会うことになった光喜はその悪魔の人形の仲間かもしれないという葵という蝋人形かもしれないということに多少なりとも畏怖を感じていた。

 仮初めの命を与えられし自ら動き思考する人形。本当にそんなものが存在するのだろうか。

 待ち合わせ場所は新宿駅近くのレストランであった。そこにいたのは愛らしい女性だった。奥のボックス席で退屈そうに欠伸をしているがその瞳にはこの上ない悲哀の色が満ち溢れていた。何をそこまで絶望することがあるのだろうか。

 光喜は向かいの席に座り自己紹介を軽く済ませると彼女は自らを名乗った。

 「私の名前はあおい。けして存在してはいけない者」

 その言葉の意味は光喜にはわからなかった。ただ、人間にしか見えない彼女を人形であるとはどうしても信じることはできなかった。

 彼女は自分の存在をマイナスと考え、でも、消えることも封印することもできず悩んでいた。そこで、自分の力を利用して人の役に立とうと思ったらしい。けして人と接してはいけないことはわかっているのだが。

 そして、彼にコンタクトをとってきたらしい。

 「すると、他の人にはメールは出してないの?」

 「ええ」

 「何故、僕だったの?」

 「それは貴方が心に闇を持っていたから。ゆめの力に打ち勝つことができて人形達のことを知っているし、なにより新たな『敵』に目をつけられているから」

 「…それより僕の友人が、君も知っていると思うけど、翡翠翔君ね。彼が悪魔の人形が再び蘇ったって。スチュワート氏の屋敷に儀式の跡があったんだ。君もそいつらの残虐な行為を止めるのを手伝って欲しいんだけど」

 「ええ、いいわ。そのために来たのだし」

 「とりあえず、今は翡翠君の連絡待ちだね」


 彼はチョコレートパフェを頬張りながらそう言った。彼女は絶望の瞳で虚空を眺めた。これから始まる歪められた運命の流れを見つめるように。

 葵はふと呟いた。

 「何故、私は生きることを許されているのだろう。何故、私は生きなければいけないのだろう。私の居場所はあるのかな。私は何をすればいいのかな」

 光喜は何を言っていいのかわからず、言葉を失った。どんなレトリックな言葉も今の葵には届かないだろう。真っ暗な思考の中で彼は手探りで適切で素直な言葉を捜した。

 「彼等、悪魔の人形と戦おうと思っているじゃない。人のためにって思っているじゃない」

 「私は望まれない者。たくさんの人達が私の側から去って行ったのが証拠」

 葵は寂しく微笑んだ。

 「貴方の望みを叶えるってメールを出したけど、あれは貴方達とともに敵と戦うって意味なの」

 「わかっている。大体状況はわかった。少なからず君達のことは翡翠君から聞いているからね。とりあえず、今回の敵の正体を知ろう」

 光喜は葵に敵のいる場所を聞いてからその場を去ることにした。光喜の背中に投げかける葵の視線は冬の月のように冷たく哀しいものがあった。

 葵のその瞳は透明な春の空気と青空を混ぜて星屑に寂寥を描いたかのようであった。



                 螺旋の想い


 朝早く霧が町に広がっていた。その淡いキャンパスから透けて真っ白な堅く冷たい太陽が人々の瞳に写っていた。そのせいもあって昼近くになって空は雲一つない晴天になっていた。

 その温かな日差しを浴びて色白でライトブラウンのショートへアの女性がおしゃれなカフェでくつろいでいた。彼女の名前は深山梓みやまあずさという。髪が風になびかれるたびにリンスの香りが鼻に漂ってくる。両手でカップを抱えるように口元に持ち目の前の人並みに無邪気に視線を泳がす。

 背が低いために高いサンダルを履いている。それが邪魔のように足を絶えず軽く動かしている。オープンカフェでハーブティーを軽く啜りながらある人を待っていた。

 ここでどのくらい過ごしているのだろうか。気付くと腕時計の長針は訪れた時から一周以上回っていた。でも、そんなに待っているように見ることができないくらい彼女は涼しい顔をしていた。

 チーズケーキを小さ過ぎるほどフォークで分けて口に運んでいるとようやく彼女の前に男性が息を切らせて現れた。光喜である。彼は葵に紹介されて来たのだ。梓は天使の欠片を持っていて知恵を貸してくれるらしい。その意味は理解できなかったが彼女と会う価値はあると判断したのだ。


 光喜は向かいの席に座ると溜息をついて小声で尋ねた。

 「深山さん?だよね」

 「ええ、そうよ」

 彼女はまるで知人に話しかけるようにそう言った。どうやら人見知りと言う言葉を彼女は持ち合わせていないらしい。

 突然彼女はそっけなく話しを始めた。

 「貴方が葵ちゃんの言っていた春日井光喜君ね。私のことは勿論聞いているでしょ。率直に言うわ。人形、小さな天使は今、2体いるの。翡翠君から聞いていると思うけど、あ、私の持ってる人形は天使の形をしているオリジナルの人形で知覚の能力を持っているのよ。だから、大抵のことはわかってるの。で、翡翠君は人形は全て消滅したって言ったでしょ。でもね、葵ちゃんは天使の人形に助けられていたの。彼は彼女が自分の力で蒸発したって悪魔の人形と戦った者に話しをしたのだけど、葵ちゃんの服までは蒸発はしないでしょ。しかも、何の痕跡もないのにね。それに気付いたのは真治君。例の本の作者ね。彼もかつて悪魔の人形達と戦った夢の力に打ち勝つ者の一人ね。それで、葵ちゃんの存在に気付いてあの本を出版したの。彼女への、生き残った者達へのメッセージなの。新たな敵の存在を示すことのね」


 天使の人形は過去の戦いで首だけになって息絶えた。そこを新たな体を作り与えた葵は再び彼の命を取り戻したらしい。彼は今、どこにいるかは誰にもわからない。

 光喜は大体の状況を飲み込むと葵の言っていた『敵』の居場所に向かうことにした。

 「一言言っとくけど、人形達は運命によって生かされているの。彼等のすることは彼等の意思であっても求める願いではないの。それだけはわかってね」

 彼女は意味深な言葉を残して後ろ手に手を振って席を立って去っていった。テーブルには2人分の伝票が残されていた。



 翡翠翔は人形の本を出版した春日真治の住むアパートに着いた。彼は真治と知り会いであったので家は簡単に見つけることができた。すると、そこでなんと月代連牙と出会った。

 2人は無言のままであったが翔が言葉を一言発した。

 「お前も人形の謎を調べに来たのか」

 「ああ」

 連牙は初対面にも関わらずぶっきらぼうな言い草に少々憤慨しながらも頷いた。翔はかまわずマイペースに言葉を紬出す。

 「それじゃあ、俺と一緒だ。どうだ。俺と聞きに行かないか。俺は真治の知り会いでもあるしな」

 連牙は真治の部屋のドアに目をやりながら頭をフル回転させて短時間に色々考えた。まぁ、彼と一緒でも損は無いだろう。真治に会えば彼の言葉の真偽もわかる。とりあえず彼は翔と行動をともにすることにした。


 真治の部屋のドアをノックする。中から今時の風体の男性が顔を見せた。真治である。部屋の奥にはもう一人人物がいた。ある伝手で真治の家を捜し当てた春日洋介がいた。

 「よう」

 まるで知り会いを出向かえるように洋介は手を上げて挨拶した。

 中に通された翔達は洋介とともに真治の話を聞くことになった。

 まず、過去の人形達との争いを聞く。これは小説の通りであった。

 「そして、今は葵と天使の人形が残った。ここまではいいだろう。問題は次だ。俺はあれからもあの人形の産みの親、スチュワート氏の館を度々見張っていたんだ。そしてある日あの屋敷にある人物がやってきたんだ。彼が誰なのかはわからないけど、ただ言えるのは彼が『悪魔の黒魔術の本の写し』をもっていてあの屋敷で儀式を行ったらしい。その写しはどこで手に入れたのかはわからないが」

 「それは俺も確かめた。悪魔の本の写しはわからないが儀式の跡はあそこに残っていたぜ」

 翔が口を挟んだ。真治は無言でゆっくりと頷くと話しを続けた。

 「ただ、気になるのがそれだけじゃない。スチュワート氏にその人物が詳しいという事実と悪魔を何体復活させてしまったかだ」

 洋介はそこで突然妙な声をあげた。彼らは洋介に視線を向ける。いかにもといった感じに洋介は席払いをして話しをし始めた。

 「その人物を探し出しゃーすむことだろ。この問題は真治君の話しだと命に関わることらしいし、俺は降りるわ。後は任せる」

 そう言って欠伸をしながらゆっくり立ち上がって部屋を出ていった。


 と入れ違いに葵が天使の人形を抱いて入って来た。天使の人形は早速言葉を放ち始めた。

 「新堂宿命の周りの不幸な人々が持っていた人形達は全て闇に葬った。さぁ、我々とともに行こう。全ての想いの渦巻く混沌の地へ」

 訳のわからぬまま彼らは天使の人形に従うことにしてその場を立つことにした。 

 天使は話を続ける。

 「敵の存在はわからない。ただ、人形は4体作られた。これは私の感知で明白だ。そのうち事件を起した3体はすでにこの葵と葬った。あとの一体は本体でおそらく敵とともにいるだろう。最後の砦であるし、手放すことはないだろう。人形にしても敵が宿り主である限り側を離されないだろう」

 「でもさぁ。悪魔の本の写しをどこで手に入れたのかな?それになんでスチュワートさんや人形を知っているのかな?」

 連牙は誰も答えることのできない質問をしたことに気付きそのまま黙ってしまった。しかし、葵はその質問に対してコメントをした。

 「今、言えることは彼の目的が人形達を使って人々を死傷させることね」

 彼らは連牙の車に乗ることにした。前に連牙と翔が乗りこみ、後ろに天使の人形を持った葵がちょこんと座った。助手席で翔はブルーのサングラスをしてそっぽを向くとダッシュボードに靴が触るのも気にしないで足を組んだ。

 車は東北自動車道で北に向かう。車内はかなりの間沈黙が漂っていた。その沈黙を破ったのは意外にも葵だった。



 「まじっすか?」

 光喜は天使の人形に教えられた場所、東北の廃小学校に向かっていた。その途中でヒッチハイクした青年にこれからその廃校に行くことを告げると彼は素っ頓狂な声をあげた。サングラスの奥の瞳は見えない。

 「あそこは地元の人間は誰一人近付かない心霊スポットだぜ。悪いことは言わない、諦めな」

 「どうしてもそこへ行かないといけないんです。まぁ、大体の噂の理由も想像ついてますし」

 「そ、そうかぁ。物好きだなぁ。しゃあない。連れていってやろう」

  彼はハンドルを握る指を流れる音楽に合わせて巧みに奇妙に躍らせて鼻歌交じりに楽しそうに車を進める。意外にリズム感のあるのに驚くが何故楽しそうに運転しているのか光喜は不思議に思った。

 「でもなぁ。最近あそこに誰かが住みついているって噂も出てるんだ。奇妙なおじさんがそこで降霊術を密かにおこなってるんじゃないかって思うんだ。あそこならたくさん出そうだしな」

 光喜はあえて何も言わなかった。これから起こる信じられない最後の戦いに思いを巡らせて目を鋭くして前方を見つめた。

 車は次第に自然の多い環境を大分進みある気持ちの悪い建物の前に着いた。光喜は深い溜息をついて礼を言って降りた。すると、青年も一緒に降りて廃墟を見上げた。光喜はそれを見て半分不思議に思った。あれだけ嫌がっていた青年が今、自分とともに戦いに参加しそうな雰囲気に何か彼が運命の使徒の1人のように思えてならなかった。

 ―――メビウスの輪の形を描く禍禍しき運命の。


 「俺も付き合うぜ」

 その言葉はまるでわかっていたかのように光喜は静かに頷いてぎこちない、けれど不快感の無い笑顔を見せた。これから何が起こるのかを2人はわかっているように気を高ぶらせた。2人を清々しい一筋の風が吹き抜けていった。


 雲一つ無い晴天はこれから起こる苦痛に満ちた戦いを微塵も感じさせることはなかった。

 入り口の打ち付けてある板を簡単に外すと玄関の扉を開く。鈍い音を立てて扉は開き黴臭い空気が込み上げて来た。嫌悪を伴う雰囲気が屋内に満ち漂っている。足を進めるにつれ徐々に嫌悪感が強くなり嘔吐感を誘った。必死にそれを耐えながらガラスのほとんど割れてしまった廊下を歩み進む。

 「俺の名は槐修平えんじゅしゅうへい。かつて人形を封印していた者で奴らの力、夢の力に打ち勝つ者だ」

 「…本に載っていたあの…」

 「まぁ、名前は変えてあったけどな」

 廊下を100メートル進んだところで建物は崩壊しており瓦礫の山になっていた。そこを足元に注意しながら歩いて行くとやがて瓦礫が避けてある場所があった。そこを注意深く見るとなんと地下室の入り口があった。その鉄でできた四角い蓋は人1人入るのがやっとの小さいものだった。かつて学校の倉庫であったのだろう。

 ゆっくり開き下に伸びる階段を息を飲んで下り始めた。そして小さな空間に出ると一人の男性が人形を抱いて2人の入ってくるのを知ってて待ってていたかのように見つめていた。

 「ようこそ」

 彼はそう一言囁いた。とても聞きとるのに困難なくらい小さな濁声で一瞬何を言ったのか考えてしまうほどであった。

 その部屋は生活に必要最低限のもの以外なにもない殺風景な部屋であった。キャンドルの写し出す影が打ちっぱなしの壁に踊っている。

 「貴方は何者なんですか。何故、悪魔の本の写しを持ってて人形について知っているんですか?」

 光喜は畏怖を吹き飛ばそうとするように口火を切った。彼は心の底を嘲笑うように低く声を立てて笑い飛ばした。

 「私はスチュワートの友人だった父に全てを聞かされていた。人形、ラックドールをある本で作り出したこと。そいつは願いを叶えるものだってな。だが、あとで願いをかけた人間の命を奪うと言う事実を知った。そこである人形に出会った。不思議な人形だった」


 彼はタバコを取り出して火をつけて一息ついた。換気扇がつけられていて煙がそこに吸われていった。電気はどこから引き込まれているのか疑問に思ったがこの際気にしないことにした。今、彼の話しを止めたら2度と彼の纏う事実を知り得ることができないきがしたからだ。

 彼はしばらくして再び話を続けた。

 「あのとき俺もけちな願いを叶えてもらおうと噂を信じてある神田の店にその人形が売っていることを知った。で、買ってな。家に帰ってその人形が話し始めたんだ。おそらく、ここに来たってことは人形についてお前等は詳しいんだろうし何も言わなくても分かるだろう。まぁ、そのときは流石の俺も驚いたぜ。願いが叶うってことだって胡散臭いって思っていたからな。まさか、生きた人形がいるなんて誰が想像できる?」

 彼は人形を壁につけてあるデスクの上の本の上に放った。そして話を続ける。

 「そして、そいつから聞いた。自分は心弱気ものに夢の力を使って夢を見せることができる。だが、災いをもたらしてしまうと。そいつはそのあと姿を消してしまったが俺はスチュワートの屋敷に忍び込み悪魔の本を探し出して密かに人形の作り方を写しておいたのだ。下手に盗んで大事にすることも無いだろうと思ってな」

 光喜と修平は顔を見合わせた。一瞬灯火が激しく揺れた。人形の表情が厳しくなったように見えた。なおも彼は口を開く。

 「まぁ、いつかそれが役に立つと思ってな。そして、何年かして俺はあのスチュワートの廃墟で人形を作り出した。そして、手始めに心弱き者として知り合いの知人らを選んだ。そいつらは予想以上の成果を与えてくれた。今頃そいつらはこの世からおさらばしているだろうよ」

 堪らず光喜が何かを言おうとしたが修平がそれを手で制して代わりに質問をぶつけた。

 「お前の目的は?」

 彼は笑い飛ばした。

 「そんなものに理由などいるか?」

 「自分の楽しみのために人を殺めたと。不幸をもたらす悪魔を復活させたと。ふざけるな」

 修平はサングラスを外した。そこに現れたのは心を凍らす三白眼であった。男性は流石に後ずさった。

 「綺麗ごとを言うな。世の中に正義も悪もないんだ。何が合ってるか、間違っているか。人それぞれの価値観だ。人間が作り出した判断基準なんて自然界にもともと存在して無いんだ。しかも、不条理な人間の頭ん中から出てきたものなんてなおさら確定していないものだ。…ようは楽しけりゃ良いんだよ。お前らの価値観を強いるんじゃねぇ」

 「綺麗ごとでしか生きられない人間もいるんだ」

 そう言う光喜をまた制して修平は睨みつつ言葉を紬ぎ出す。

 「今、それをいう場合じゃないだろ。しばらく俺に任せろ。…お前の屁理屈はわかった。だがな。悪魔の人形の重大さをわかってないんだよ」

 「わかっているさ。だから、俺は使っている」

 「なんで俺達に話しをした?」

 彼は不気味な笑いを見せて一言言った。

 「退屈だからさ」


 そして、振り向き人形を再び抱くとそれを彼等に向けた。

 「それにお前達はここで死ぬんだからな」

 修平は咄嗟に光喜を弾き飛ばした。

 「お前はカオスで満たそうとしている。人形はローの統一を目指している。人間というカオスの属性の典型を消すことによって。皮肉にもその相反する上界の両極が同じ結果を求めている」

 光喜は真剣な面持ちになってまるで人が変わったかのように話始めた。修平はそれを予想していたかのように当然の如く黙って聞く。

 「しかし、すべての事象において統一などありえない。ローのみになることもカオスのみになることもありえない。それ自体相応しくない。宇宙の天秤がある限り。カオスもローも入り混じりバランスの取れた状況、そう、『灰色』が最も安定した状態なんだ」

 彼は少々表情を曇らせた。そして、震えつつも言葉を吐く。

 「俺はそんなことどうでもいいんだ。哲学ごっこも終わりにしようぜ。俺が望んでいるのは闇だ、血だ、悪しき宿命だ。悪魔に操られていようと知ったこっちゃない。カオスの象徴、心を掻き乱し魂を滅す」

 「ふざけるな!」

 修平は足元のスツールを蹴り飛ばした。それは宙を切って悪しき人形に向かったが直前でまるで見えない壁に当たったかのように粉々になって散った。人形は不気味に微笑んだように見えた。

 男性は人形を一瞥して鼻で笑うとそれを掲げた。

 「ローの夢の力がカオスの夢に打ち勝つ力などに負ける訳がない」

 その声は部屋中に反響した。奇妙な仄かな光が人形から放たれた。光喜と修平は手で顔を庇って倒れた。

 「こ、これが悪魔の人形の力か…」

 諦観的な声を吐き出して修平は鋭い視線を敵に刺した。

 「これで最後だ!」

 人形が再び両手に青い光を集め始める。2人は観念したように構えて目を閉じた。

 そのとき物凄い爆発音とともに淡い黄色い光が彼らを包み敵の人形の攻撃から守った。光喜は目を開けて状況を把握すると振り返った。そこには葵に抱かれた天使の人形がいた。

 悪魔の人形と天使の人形、運命が今一つに重なった。

 その後から真治と連牙、そして翔が姿を現す。これから、最後のさだめが始まろうとしていた。



                  天使の死んだ日


 翔は風を読んだ。大いなる流れがざわめき始める。偉大なリズム、波を感じながら翔は集中する。

 悪魔の人形は男性の腕を離れ宙に浮かぶと毒々しい口を開いた。部屋中の家具が朽ち始める。

 宇宙観の中の5つのエレメント。両極端のロー混沌カオス。その中間で属性の薄い灰色。どの属性も持たない虚。そして、それ以外の要素であるエルス

 その2種、ローとカオスの気が反発し出す。

 「暗刻の風が上部に渦巻いている。夢の力は今までの人形と桁が違う。気をつけろ」

 翔がそういうと真治はさっと回り込んだ。男性は大声で叫んだ。

 「さぁ、忌まわしき悪魔よ。醜い呪いの人形よ」

 醜い畏怖を感じさせる悪魔のクラウンの人形は表現しようもないように妖しく微笑み両腕を上げて振り下ろした。

 地下室の上部から電気を帯びた小さな竜巻が発生して下りて来た。

 光喜は葵をかばって伏せる。連牙は間合いを見て真治と反対から回り込む。人形は幻覚の光を放つ。真治は夢に打ち勝つ力によって効かなかった。近付き人形を蹴り飛ばした。彼は壁にぶつかり苦悶の表情を見せた。連牙は男性を殴り倒した。そして、羽交い締めにする。翔は彼の能力、ヴィジョンを垣間見た。それは少し後の未来であった。彼はすかさず声をあげる。

 「人形は波動を放つぞ、ここから逃げろ」

 光喜は葵の手を引いて出口に向かった。そのとき、葵の手から天使の人形を落してしまった。彼はゆっくり立ち上がると羽根を広げて悪魔の人形を睨み付けた。連牙は翔と男性を捕らえて出口に向かう。真治はそんな全員を庇うように立ちふさがる。悪魔の人形は立ち上がり、再び宙に浮かんだ。

 真治は天使の人形に言葉を投げた。

 「お前も逃げろ」

 しかし、天使は首を軽く振って真治の前に出る。

 「貴公こそさっさと行ってくれ。私は忌嫌われた存在。存在してはいけない。消滅したところでマイナスは無い」

  彼は遠くを見つめるような目をした。

 「私は全てを捨てたのだ。私欲、希望、宿命、プライド、ID。天使になりたいと思ったのだよ。馬鹿みたいだろう。悪魔が天使を望むなど。けしてありえぬことだがな」

 すると、後ろから翔が現れて真治の腕を引いた。

 「無になることを望んでいるのだ。自を否定して他を尊重する。奴をわかってやれ」

 翔がそう言うと真治は悲壮に満ちた瞳で天使を見て静かに頷いた。

 「ただ、言っておく。例え、忌み嫌われた存在でも、存在しているだけでも人に悪影響を与えてしまっても、人を幸せにしたい、助けたい、天使になりたいって思う限り、お前は天使だよ」

 天使は凛々しく微笑む。

  「かたじけない。礼を言うぞ」

 真治は翔に腕を引かれながら外に脱出をした。次の瞬間地下室は激しく爆発を起して残骸が宙を舞い煙に周囲が包まれた。


 「あいつらは悲しい存在だな」

 翔がそう言うと真治は悲しげに力が抜けたように膝をついて涙を溜めた。しかし、すぐに翔は真治の肩を叩いた。彼に災いのヴィジョンが見えたようだ。悪魔の人形も天使の人形も爆発で散った今、敵は容易に想像できた。

 真治は振り返って連牙の押さえつけている男性を見た。彼は高笑いをし始めた。翔は真治に目で合図を送る。真治はいつでもすぐに動けるように身構えた。

 「あの魔術は人形に悪魔の魂を入れるだけだと思うのか」

 力のなさそうな痩躯の男性は屈強の連牙を軽々と押しのけて立ち上がると服についた埃を冷静にはたいた。

 「あれはスチュワートという数百年前の宮廷人形作家が黒魔術を元にして作り出した人形に魂を入れる術、だと思っているだろう。あの黒魔術の本のコピーを手に入れた時から俺なりに調べ上げたんだよ」

 葵は何かに怯える様に座り込んだ。連牙は話を続ける男性から離れると葵のところに歩み寄った。そんなことも気にしないで話は続いた。

 「あれは天使の本と悪魔の本があったろう。性質に違いが無いのに優しい性格と邪悪な性格の2種類がある。あれは天使のほうに本来やつらのもつべき本能の欠いたものなのだ。そんなことは知っているか。それはスチュワートが偶然見つけたもんだ。作る時にある手順を忘れてできたものだ。つまり、天使のほうは抜かして考えてもいいということだ」


 翔はヴィジョンで見た彼のこれからの攻撃に備えながらも真実に耳を傾ける。なおも話は進む。

 「あれはローの遣わした悪魔だ。カオスに属するものを無に帰そうとしている。勿論、精神体で実体に宿らないと力を発揮できないのだ。そして、よりしろは何でもいいのだ。人形でも、玩具でも人間でも」

 そう言うと彼は手を翔に向けた。彼から衝撃波が放たれて翔は後ろに吹き飛ばされた。真治はすぐに走って行って彼の夢の力を無効にしながら体当たりをした。そのとき、葵は立ち上がって言った。

 「私達の魂は人間にも宿ることができるのね。自らに悪魔の魂を宿らせるなんて正気じゃないわ。いくら力が欲しいからと言って」

 「その魂は俺と同化したんだ」

 「取り込まれていることもわからないで。人間の精神より高等な彼らの魂が同化したり負けることはないわ」

 「まぁ、いいさ。どうせ俺は生きててもしょうがない人間だ。この世の中を混乱の渦に巻き込めるなら悪魔にだって魂をくれてやるさ。それより何故、お前たちのような夢の力に打ち勝つ者がいるか知っているか」

 真治に向かって彼はそう問い掛けた。真治は羽交い締めにしながらその問いに答えた。

 「ローに相反する力と言うことはカオスの力なんだろう。カオスに属する人間の本来持つ力をもっているということなんだろう」

 「奢るな。お前等は欠けているんだよ。これは悪魔の記憶なんだがな。人間の精神の安定が失われている。精神的重荷によるものなんだよ」

 葵は真治に押さえつけられている男性の近くに行くと屈んで憐れそうな眼差しを注いだ。

 「貴方は可哀想な人ね。力が欲しいために悪魔に頼るなんて」

 葵は優しく彼の肩に触れた。彼は苦しみ出した。葵の浄化の力が彼から悪魔の魂が消え失せようとしているのだ。


 彼は苦痛に満ちた表情で心の中を叫び出した。

 「なんで、俺は生きてるんだ。生かされているんだ。生きることが許されているんだ!俺が消えたところで何もマイナスはない。それどころかプラスじゃないか。俺にしても、他にしてもな。俺は悪魔じゃないか。自分でさえも忌嫌う憎むべき存在。存在してはいけない存在。消えてしまうべきなんだ」

 葵は彼の頭を撫でて優しく囁いた。

 「もう、いいよ。ゆっくりおやすみ。身も心も疲れたでしょ。今まで良くがんばったね。今まで辛かったね、苦しんだね。みんなに気付いてもらえなかったのももどかしかったね。でも、私はわかってるから。認めているから。全てを受け止めているから。さぁ、全ての束縛がなくなったわ。すべては無に帰すの」

 彼は悪魔の魂が浄化されたのであろう、ゆっくりと大きな息を吐いた。そして、深い深い眠りについた。それを見届けた葵は優しく、そして悲しく翔達を眺めて一言囁いた。

  「私達は天使なんかじゃないの。けして存在してはいけない仮初めの魂。さぁ、最後の仕上げよ。私も無に帰すわ。早く行って。でも、私達のことは忘れないでね、どんなに禍禍しい悪夢だったとしても」

 そう言い残すと葵は静かに目を閉じた。まるで、これから訪れる永遠の悪夢を知っているかのように。

 翔は連牙と真治を導いた。

 「さぁ、行こう。運命の輪には逆らえない」

 葵はゆっくりと自分を浄化していった。意識を失って再び長い眠りにつくと元の人形に戻って行った。


 全ては元の流れへと変化をして行ったのだ。連牙は瓦礫の中の蝋人形を見ながら自分の叔父について感傷に浸った。全てが終わったのだ。元凶も悪魔ももう何一ついない。

 しかし、振り返ると翔が浮かない顔をしている。嫌悪に似た気を感じて首を横に振った。

 真治は全てを見届けて瓦礫の山から抜け出して行った。連牙は一人佇む翔を残して真治を追った。車に戻ると翔を待った。2人は一言も口にすることはなかった。しかし、一向に翔が姿を現さない。堪りかねて連牙は引き返して瓦礫の中に歩み寄った。

 翔は静かに瓦礫の中に佇んでいる。その視線の向こうには破壊された悪魔の人形がある。翔は冷静に冷たい眼差しを向けて何か警戒しているかのように身構えていた。連牙は降り返り車の方を見る。真治はまるで今まで何もなかったかのようにハンドルに置く手の指をCDの音楽に合わせて躍らせながら辺りを見ている。

 連牙は溜息をついて翔に近付こうとした。すると、抜け殻と化した葵に躓いた。何か、侘しさが心を締め付けた。いくらガサツで鈍感な連牙でも感傷的にならざるを得なかった。


 翔はしばらくしてからゆっくり人形に近付き慎重な手つきで小さな可哀想な悪魔を両手に包んだ。それが本当の終焉を意味しているのか連牙には疑問だったが深く考えるのは止めた。

 「さぁ、帰ろうぜ」

 「お前らだけで先に帰ってくれ」

 「おまえはどうするんだ?」

 「最後の仕上げをな」

 連牙は後ろ髪を引かれる思いで翔を残して車に戻った。真治は連牙が助手席に乗るのを一瞥して確認するとアクセルを踏んだ。

 レガシー特有のエンジン音が遠ざかるのを確認して翔は人形を瓦礫から出して道路に放り投げて言葉を注ぎ出した。

 「俺の最後のヴィジョンが見えた。正確にはあるものを最後に何も見えなくなった。ヴィジョンの欠片さえ感じられなくなった。これから先な」

 連牙はどうしても気になって車を止めるように真治に言うと再び瓦礫に引き返した。真治は首を軽く振りエンジンを切って手を頭の後ろに組んで口笛を吹きながら彼等の帰りを待つことにした。

 サングラスをかけて翔は煙草を取り出して火をつけた。白い塊は吐かれて天へと溶けていった。翔は清々しそうに大きく空気を吸いこんで再び言葉を紡ぎ始めた。

 「おい、悪魔。まだ、生きてるんだろ。最後に教えてくれ。俺は何でこんな力を持ってしまったんだ?」

 「それを知ってどうする?お前はすぐに死ぬんだ」

 ぼろぼろに焦げた悪魔の頭部は口であった隙間を動かした。翔は微笑んで空を仰いで空気を思いっきり吸った。

 「そうだな。どうでもいいことだな。どうせ、俺も価値なんてないし、誰も俺の存在の消滅を気にも止めないだろうしな」

 煙草をくわえて火をつけると翔は悪魔の首を踏んでゆっくりとやにを肺に送り込んだ。まるで自分の死をなにごとでもないかのように爽快な表情を見せた。

 「まぁ、希望なんてもの持った試しもなかったし、将来なんてこと考えるほど長く生きるつもりもなかったしな。喜んであの世に付き合うぜ」

 彼は煙草を吹かしながら悪魔の首を蹴り飛ばし唾を吐いて話し始めた。その目には憂いが写っている。

 「俺は昔から嫌悪と軽蔑と嘲笑と憤怒でしか人から見られていなかった。しょうがないよな。俺が深く関わる人はみんな悪い影響を与えるしな。だから、俺はどんなことを言われてもどんな振る舞いをされても信じなかったし、心を開くことはなかった。いつも一人だった。いわば、お前らと同様だな」

 「思い込みもそこまでいけば立派だ」

 「なんとでも言え」

 「しかし、俺らと同様なのは同意見だ。悪魔に似た人間か。お前の力は本当に俺達の力なのかもしれないな。夢の力を持つ人間。覚えておこう」


 翔は煙草を人形の頭に押し当てて言った。

  「ばーか。お前も死ぬんだよ。ヴィジョンで見てるんだ。大人しく観念しろ。でも、最後になんでよりによってお前なんかに話してるんだろうな」

 ハリネズミのような白い髪を撫でて鼻で笑った。つられて悪魔も笑う。

 「お前、人間にしては変わった奴だな。なんか、気持ちがいい。もう少し早く出会っていたら、運命は変わっていたかもな。もっと面白く…」

 「運命は運命だ。変えることはできないんだよ。俺のヴィジョンのようにな。未来が見えてもけして避けることができない。メビウスの輪の形なんだよ」

 悪魔は溜息をついて呆れたように首を横に振った。首だけの姿なのでことことと動いて滑稽に見える。なおも翔は話しを続けた。近くで拳を握っている連牙の存在にも気付かずに…。

 「お前らはどうかわからないが俺は人にどう思われてようと関係なかった。俺がどう思ってても誰も関係ないように。悪く思われてる方が気が楽だった。まぁ、大半が悪く思ってるはずだけどな」

 「それがどうした?」

 「お前らはどうなんだ?」

 「何故そんなナンセンスなことを訊く?何を思われるかだと。カオス的な概念だな。俺達には、もちろん欠陥人形どもは別だが、そんなことを考えようとすることすら頭には浮かばない。全てを無に帰すことが宿命なのだからな」

 「そろそろ行くか」

 彼は立ち上がり振り返ると連牙が寄って来て殴り倒した。

 「何勝手なこと言ってるんだ!俺はお前と出会って間も無いけど悪く思ってないぜ。これから良いだちになれるって思ってるんだぜ。それにお前がいなくなっても気にしない奴なんていない。いなくなってほしくない奴だっているはずだ。俺だってそうさ。まぁ、何を言っても駄目だろうけど」

  口から切れて出た血を袖で拭うと連牙の肩に手を当てた。

 「運命は変えられない」

 連牙を押しのけると悪魔を抱いて翔は瓦礫を駆け抜けた。連牙は遠くに見えなくなる翔の姿をいつまでも眺めていた。全ては終わったのだ。人形の残骸がゆっくりと風に揺れている。それは全ての流れを嘆いているかのように見えた。

 …メビウスの形の運命はゆっくりと落ち付いていった。




                       完


実は最初に登場している連牙や知り合いの探偵事務所というものが出てきます。葉月要等もそうですが、高校の頃に初めて書いた推理物の登場人物です。結構、今回は異質な感じになっていると思います。

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