世界滅亡スイッチ
そのスイッチは僕らの町の住宅街にポツンと存在した。
【世界滅亡スイッチ】
“このスイッチを押すと世界が滅亡します”
“絶対に押さないで下さい”
そんな注釈書きを横に携えて、真っ白な立方体の家屋の真っ白な塀に、何もないのも寂しいからちょっとくっつけてみましたという体で、唐突に設置されたスイッチ。
赤いボタン型のそれの周りは、黄色と黒の斜めのストライプに塗られ、ご丁寧に透明なプラスチックで覆われていた。
スイッチを押すにはこのケースを開けなければならない。
よくロボットアニメなんかで見かける姿そのものだ。
何故こんなところにあるのか、誰も知らない。
しかし白い立方体の家の持ち主が世界的に有名な芸術家であることから、このスイッチも芸術作品か何かなのだろうと、近隣に住む凡人たちは考えていた。
朝の登校途中、今日もまた僕はスイッチの前に立つ。
押してはならない禁忌を前にして僕の身体は高揚感に支配される。
人はやってはいけないという禁忌を無視できない。
危険とわかっている崖の上に立ち、波荒ぶ仄暗い海を覗き込んだり、学校の廊下にある非常ボタンを押したくなる。
日常にある禁忌でさえ不謹慎にもドキドキするのに、これは押すと世界が滅亡するという。
本当に押したら滅亡するとは思っていない。けれど、押せばどうなるのかも分からなかった。
滅亡とまではいかないまでも、何か今までのつまらない日常が一変するようなことが起きてくれたらいいな、と思う。
僕はプラスチックケースを開け、赤いボタンの上に人差し指を置いてみた。
僕はいつかこのスイッチを押すだろう。
後押しするのは少しの勇気と日常を壊したいと願う焦燥か。
別に今、押してもいいんだよな。
僕は人差し指に力を入れようとした。
と、背後から手首を掴まれる。
「ちょっと! 何やってるのよ」
掴んだ手の先を見ると、僕の幼馴染だった。
勝気で世話好きな彼女は誰からも好かれていた。あと美人だったし。
僕のもう一つのドキドキスイッチ。
「今、押そうとしたでしょ」
「んー、まぁね」
じろりと睨まれる。
それをのらりくらりと躱す。
「あんたさぁ、よくあそこで突っ立ってるけど、本気であのスイッチ押そうと思っているの?」
「どうだろうね」
「しかも、ずぅーっと、ぼぉーっと長い間動かないでいるし」
「そうだっけ?」
僕の受け答えに、彼女は暖簾に腕押し、とばかりに呆れ果てた様子でため息をついた。
「いったい何考えてるの」
「知りたい?」
「べ、べつに」
僕の腕を離し、彼女は地面を見つめた。
「この世界滅亡スイッチを押すのと君に告白するのはどっちが先だろうと考えただけ」
少し早口に言うと、僕は彼女に背を向けて学校へと歩き出した。
「ほら、遅刻するからもう行こう?」
「え、ええ?」
彼女は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で呆けた。
「な、何? なんてったの?」
「だから、遅刻するって」
「違うそうじゃなくて」
彼女に告白する。
それを後押しするのも少しの勇気と、彼女が他の誰かのものになってしまうかもしれないという焦燥。
結果なんてわからない。
もしかしたら、告白して玉砕、今まであった幼馴染という関係性も、木端微塵に砕かれて赤の他人になるかもしれない。
それでも幼馴染という関係を壊したい衝動はあり、できることなら恋人同士になりたいという希望があった。
「え? ええ? どういうこと?」
訳が分からないと呟きながら、僕の後ろをついてくる彼女の顔を伺う。
うーん、どっちだろう。望みはあるのか、ないのか……。
でも、もうスイッチの蓋は開かれた。あとはいつでもいいから押すだけだ。
それもたぶん、近いうちに押してやる。
絶対! 必ず!
僕は祈る。願わくは彼女に告白した後、自暴自棄になってこの世界滅亡スイッチを僕が押しに来ませんように!