気性の荒いヤギの話
家でヤギを飼っているのだが、これがあまり良くないヤギだ。そいつは雌のヤギであり、痩せていて、嫌な目付きをしていて、やたらと尖った角を持ったヤギなのだが、一言で言えば気性が荒い。
一般的に、わざわざ家でヤギを飼うのは、その乳が飲みたいからなのだが、このヤギは実に意地悪で俺に乳を飲ませようとしない。それどころか、俺がヤギを飼っている家畜小屋に足を踏み入れると、凄い声を上げて威嚇する。家畜の自覚がないようなのだ。
「……く、来るな! 来るな!」といななきながら、血走った目でこちらを睨む。毎朝、こんな調子なのだ。これには俺も困っている。
家畜市場で買ったとき、売り主は「このヤギは血統優秀なヤギであーる。父は伯爵の血筋であり、母は華族のご令嬢であった。これほどに高貴な血筋のヤギは滅多にお目にかかれませんぞ。決して後悔はさせませぬ。是非とも吾輩のヤギを買って下されい!」と、その血筋に太鼓判は押していたが、気性には全く触れなかった。
成る程、このヤギは確かに血筋は立派であるが、その性質は家畜とは思えないほどに荒いものだ。あるいは、これが血筋という奴か。反骨の血筋。酷い話もあったものだ。もし二匹目のヤギを買う金があれば、さっさと潰して肉にしているところだが、生憎と俺には新しいヤギを買う金がない。
だから、このヤギで我慢するしかない。
「殺せ! こんな辱めを受けるくらいなら、私を殺しなさい!」
俺が物思いに耽っている間に、ヤギはえらくエキサイトしている。何をそんなに興奮しているのか、俺は、また、溜め息を吐く。
家畜小屋はちゃんと清潔にしているし、食事だって色々な種類の野草が餌箱に入っている。水入れだて清潔なものだし、塩舐め用の岩塩だって置いている。きっと、他のヤギだったら、すっかり気に入るだろうと確信できる環境を用意しているというのに、このヤギは俺を見ると喚き散らす。
本当に、どうすりゃいいんだ。
そんな憂鬱な気持ちで、俺は家畜小屋に入った。毎朝の日課である搾乳をする為には、小屋の中に入らなくてはいけない。すると、必ずヤギは暴れる。これでもかと暴れ、時には俺に怪我をさせようとまでする。
「殺してやる!」
今日も一声いなないて、ヤギは角を向けて突進してきた。鋭い、よく尖った角をこいつは平然と俺に突き付けてくる。その度に、俺は嫌な気分になる。相手はたかが家畜であるが、それでも生き物から敵意を向けられるというのはあまり気分のいいものではない。
俺はヤギの角をかわし、そいつの首をしっかり掴んだ。ヤギは激しく暴れるが、家畜が人間に叶うはずもなく、さんざん暴れ回った後はぐったりして大人しくなる。
「畜生、畜生……」
ヤギが大人しくなったら、乳搾りだ。
中古で買った搾乳機をヤギの胸に取り付ける。すると、機械が自動でヤギの乳を搾ってくれる。その間、俺はヤギがまた暴れ出さないように、その身体をしっかりと押さえつけておく。
このヤギは、売り主がさんざん吹聴しただけあって、乳の出はとても良い。少し絞ってやるだけで、バケツに向かってぴゅうぴゅう出る。胸自体は小さいけれど、知らない人が見たのなら、乳牛かと勘違いするほどに乳を出す。
「やああぁっ! やだやだ、やめろ!! む、胸をそんなに強く絞るなぁっ! 吸うなぁ! や、やだやだ、痛いぃぃっ! か、形が変わっちゃうぅ!」
搾乳をしていると、またヤギが暴れ出す。
けれど、そうしている間、俺はしっかりとヤギの身体を押さえているから、こいつは何もする事が出来ない。暴れて搾乳機が壊したりもできない。
実際、それだけは注意をしておく必要がある。この家で一番高価だったのはこのヤギで、二番目に高価なのは搾乳機だ。壊れたら、俺は毎朝バケツ片手に素手でヤギの乳搾りをしなくてはいけない。そんな重労働、やりたくない。
「貴様、私を生かしている事を必ず後悔させてやる。絶対に後悔させてやる……う、ううっ」
搾乳を終えて、俺は家畜小屋を出る。出る頃にはヤギの相手でくたくただ。もう少し、気性の優しい雌ヤギならばこんなに苦労をする事はないのだが、俺のヤギは、あの気性の荒いヤギである。本当に交換できるものなら交換したい。いっそ、あいつを潰して肉を売り、その上で借金をして、新しいヤギを買ってやろうか。
そう思いながら、俺は絞りたてのヤギミルクを一口飲む。するとそいつは、少し癖は強いがなんともまろやかで濃厚で実に優しい味がした。
実に、美味しい。極上のヤギミルクだ。
ああ。
くそ。
本当に、ミルクの味だけは最高なんだよな。
だから、俺は気性の荒い八木を殺す事ができないのだ。